E級厨士
「よく来たな、二徹。わが友よ!」
王宮内にある料理アカデミーの庁舎。アカデミーの見習い生であるレイジは、両手を広げてやってきた二徹を歓迎した。
(わが友って……馴れ馴れしい奴だ……)
二徹は一瞬だけそう思ったが、レイジの悪気のない表情を見ると(まあ、いいか……)という気持ちになった。レイジとは今まで、2度の料理対決をしてきた。少し軽率で熱血すぎるところがあるが、悪い奴ではないことを知っている。
妻のニコールの10連擊ビンタを2回も受けた勇者でもある。それについては、少しだけ複雑な思いはあるが、彼の料理に対する熱い思いと料理の才能は買っている。
ウェステリア王国料理アカデミー。その組織が活動を行う拠点は、王宮内の広大な敷地内に立派な建物である。いくつもの研究施設、学校、そして王宮内の食事を提供する大きな調理場があった。それちょっとした大学のキャンパス並の立派な施設である。
料理アカデミーは宮廷庁の所轄する部署である。部署といっても、その組織と役割は複雑であった。まずは一流の調理人を育てる学校がある。国内から才能にある学生を集め、ここで料理に関する知識、技術の習得をしている。アカデミーの学生は中等学校から存在し、高等学校、専門課程と進むことになっている。
レイジはアカデミーを統括する総料理長エバンス・ブルーノの息子として、中等学校から学んできたいわばエリートである。
アカデミー生は専門課程に進むと、高度な学問を研究すると同時に実際に食事作りをすることになる。
また、アカデミーはレシピの研究、世界中の料理の研究、歴史、調理法の科学など、専門的な研究を進めている機関でもある。
さらに王宮内の職員に食事を提供するレストラン部門。王族の食事を管轄する『賄い所』。外国の要人をもてなす料理を提供する『晩餐所』が設置されている。
「やあ。君のお父上に頼まれてね。例の軍事飯のカレーのレシピを教えに来たよ」
二徹は予てより、この料理アカデミーに顔を出すように総料理長のエバンスに請われていた。専業主夫をしている二徹は、毎日が忙しくてこれまで来れなかったが、今日、ようやく、総料理長の願いに応えることができたのだ。
「ふふん……」
レイジはなんだか、自慢げに胸のバッジを見せつける。白い厨房服はまるで軍服みたいである。バッジは階級章みたいなものだ。レイジのバッジには、ウェステリア王国の国花であるバラをあしらった飾りに『E』の文字が輝く。
「E?」
「気がついたか二徹よ」
レイジの態度。自慢げどころか、完全に自慢する気だ。
「Eってなんだ?」
二徹の問いに、ちょっと水を差されたのか明らかに不機嫌になるレイジ。感情が顔に出るタイプなので扱いやすい。
「知らないのか? しょうがない。特別に教えてやろう。Eとはアカデミーで実際に人に対して料理を作れる階級なのだよ」
「ふうん……」
アカデミーにおける料理人の階級は6段階。まずは『見習い生』。これは中等部から専門課程までに在籍する学生全般である。一応、見習い生も学年によってランクは分かれるが、身分的には皆同じである。
学生を卒業すると『E』ランクとなる。これは人に対して料理を公式に作ってよい身分だ。料理アカデミーの看板を背負っているので、責任が大きい。Eランクになると王宮内の食堂で働くことになる。いわゆる実戦の部分を担うのがこの『Eランク厨士』である。
多くの人はこのEランク止まりであるが、そこから技術の優れているものはDランクに昇格する。ランクD厨士はレシピの研究や記録管理、歴史の研究をする。また、王宮内のパーティに出す料理を仕切るのが役割だ。
C級厨士になると、王族や高級貴族の食事作りに携わる。ウェステリアでもこのランクに所属するのはたった30人である。さらにB級厨士は10人。重要な外国の公人の接待、特別な日の王族の食事を作る。そしてA級厨士。これは現在のところ、3人しかいない。この国の超一流の料理人である。
レイジの見せたのは『E』のバッジ。どうやら、見習い生から昇格したらしい。飛び級ということで、実際に料理を作ることのできる地位を得たのだ。
「飛び級は滅多にないぞ。これは俺の才能のおかげさ。決して、親の七光りではないぞ」
そうレイジは言わんでもいい事を口にした。二徹はレイジの実力を知っている。それに彼の父エバンスが厳格で誠実な人間だと知っている。
レイジが見事に『E級厨士』に飛び級したのは、彼の実力の成果であることは二徹も認める。だが……。
(自慢する程のことじゃない……どうしてかというと……)
レイジは二徹の服にバッジが付けられているのを見つけた。
「おい、二徹、それはなんだ?」
よくよく見ると『E』の文字が。
「ああ、これは君の父上からもらったんだよ」
「な、なぜ……Eなんだ?」
「さあね。僕の料理知識と技術なら十分に資格があるって言ってくれたんだけど……」
地面に両手を付くレイジ。地味に落ち込んでいる。
「そんな飛び級することは、とても難しいのに……なんで一般人が飛び越しているんだよ」
「いや、たぶん、こういうことになるから遠慮したんだけどね。きっと、君の父上には何か考えがあるんだよ」
二徹はそうフォローした。確かに一般人の自分が任命されるのは違和感があるが、エバンスは二徹にこう言ったのだ。
「君の力を借りるためには、君自身に正式に料理を振る舞える資格がいるのだ。これはそのための許可証だと思ってくれ。君の料理技術はE以上だと私は思っているが、一般人の君に上位ランクを与えると周りの僻みがあるからな。Eくらいならそれも少なかろう」
「ううう……。なんだか、傷ついたがいいだろう。僕の永遠のライバルである二徹よ。同じE級厨士ならば、切磋琢磨しやすい。これは僕に対する試練と思おう。それに今から行うことにそのバッジは好都合だ」
相変わらず、ポジティブシンキングな考えの男である。二徹を出迎えたレイジは、どうやら目的があったみたいだ。なぜなら、王宮内の食堂に二徹を連れて行ったからだ。
「おい、ここで何するんだ?」
二徹は王宮内の食堂の厨房に連れてこられて戸惑っている。聞けば、この食堂。王宮内に勤める人間の食事を提供するところらしい。24時間営業という。
(そういえば……)
ニコールが近衛隊勤めの頃。お昼はたまに食堂で食べるからと言っていた。普段は二徹の作る弁当を食べているのだが、たまに付き合いで王宮内の食堂で食べることもあった。
食堂内には近衛隊の兵士と思われる人間もちらほら見かける。
「実はな。食堂の料理長から頼まれていたんだ。この食材の食べ方を調べるようにって」
レイジが取り出したものに、二徹は驚いた。久しぶりに見た野菜である。茶色の皮にいく枚も覆われた大きな角のような形。
「タケノコじゃないか!」
「タケノコ? なんだそりゃ?」
二徹がタケノコだと言った野菜はウェステリアでは、『アガクス』というらしい。ウェステリア王国の北にあるある村のみに生息する植物で、昔は食べられていたそうだが、今はそのレシピも失われてしまったのだという。葉や幹が加工されて、食器や飾りに利用される以外に利用価値のない植物らしい。
「だが、このタケノコは食べられる。我が料理アカデミーが下処理をしたものがこれだ」
器に入れられたのは水煮されたタケノコである。二徹はそれを一つつまんで食べてみた。コリコリして食べられなくはない。だが、アク抜きが十分でないのでエグミが感じられる。
「うん。下処理に難があるけれど、これは食材としては可能性のあるものだよ」
タケノコはそれなりに美味しい食材だが、下処理をしないと食べられないものだ。そのやり方は昔から伝授されたもので、二徹は転生前の知識でよく知っていた。
「下処理に難? 確かに独特のエグミは十分除去できていないが、これでも料理アカデミーの研究部門が考えて食べられるようになったんだ」
「これは水で煮ただけだよね」
「ただの水じゃない。特別な硬水で3回茹でては水にさらすということをしてきたんだ。そして、冷暗所に水を取り替えて3日間。それでやっと食べられるのだ」
「わかったよ。レイジ、コメの糠を取り寄せてくれ」
二徹は米ぬかを要求した。米ぬかとは、精白した際に出る表面の皮や胚芽なのである。それらは捨ててしまう廃棄物である。
「そんなものどうするんだ?」
「これを使って煮るとアクが抜けるんだよ」
「マジかよ!」
米ぬかは穀物を扱う業者に頼めば、ただで手に入った。廃棄物だから当たり前だ。二徹はそれを使ってタケノコを茹でることにする。
「タケノコは取ってから時間が経つと固くなるし、エグミが強くなるからね。できれば取ったところで、今からやる作業をするといいよ」
二徹はタケノコを水で皮ごとタワシでゴシゴシと洗う。そしてその皮を一枚だけむいた。
「おい、二徹。皮は全部むかないのか?」
「ああ。全部剥くと旨みまで逃げてしまうからね。でも、包丁は入れるよ」
二徹は穂先を斜めに切り落とすと、皮を切るように縦に切込を入れる。そして大きな鍋に水と米ぬか、タケノコをいれて火にかけた。沸騰したところで中火にして、そこから約1時間煮る。
「レイジ、このまま煮て、この木串がすっと身に刺さるようになったら火から落として、一晩そのままにしておくんだ」
「そのままに?」
「これでアクが完全に抜けるよ」
「馬鹿な……アカデミーで長年研究してきた方法とは全然違う。こんなことで、アクが抜けてエグミが取れるのか……」
「まあ、騙されたと思ってやってみてよ。あと、レイジ。米ぬかを使うと面白い口休めできる一品ができるよ」
そう言って二徹はぬか床の作り方を実演した。生ぬかに塩と水を混ぜて手でかき混ぜる。水が均一に行き渡ると水加減を調整する。あまりベチャッとするのはよくない。ボール状にして手で握り、水が染み出てくる程度が理想だ。
そこへ唐辛子の輪切りと昆布を投入する。これでぬか床は完成だ。レイジにニンジンやダイコン、キュウリにキャベツを持ってこさせる。そう二徹はぬか漬けを作るつもりなのだ。
「おいニンジンはまるごとでいいのか?」
「ああ。キャベツはさすがに大きいから葉をむしって小さくカットしてもいいよ。これで2週間。よくかき混ぜて時折、野菜の汁をしぼるんだよ」
「めんどくさ~」
レイジはぬか床の臭さにちょっと閉口しているようだが、ぬか漬けは乳酸菌の発酵で野菜が美味くなる。10日くらいでその働きが活発になってくるのだ。美味しいものを作るのは時間がかかるものだ。
「じゃあ、タケノコはよろしく。明日、また顔を出すよ。下茹でが済んだら、いよいよ、タケノコを使ったレシピを教えるよ」
「しかし、お前、本当によく知っているな」
「まあね。いろいろとね……」
二徹はお茶を濁すような感じで、この場を立ち退くことにした。自分が生前の記憶があってなんて話をしても信じてもらえないだろう。




