ビアンカ姫、ボランティアでリンゴ飴を買いに行く
「それでニ徹様はどういうお菓子をお作りになるのですか?」
二徹はメイを助手にして、お菓子の試作をしている。メイの質問に少しだけ、首を傾けた。少し、迷いがあったので即答は避けた。
「そうだね。このリンゴを使ってお祭りで売るお菓子を考えて欲しいと頼まれてね。これ500個でたった銀貨7ディトラムだそうだよ」
「500個で銀貨7ディトラムですか?」
「破格だね。まあ、1個あたり銅貨1.4ディトラム。これをお菓子に加工して1つ30ディトラムで売ろうと思うんだ」
「原価からすると22倍くらいですね」
メイはそう手指を使って計算した。こういう計算がすばやくできるようになったのも学校へ通っているおかげである。それほど難しいものではないが、引き算しかできなかったメイにとっては進歩である。
銀貨7ディトラムは、日本円で7000円。つまり日本円で14円くらいの姫りんごを300円で売ろうというのだ。
「材料費があまりかけられないそうだからね。これで行こうと思うんだ」
そう言ってニ徹がメイに見せたのは砂糖。これに食紅である。メイと話すことで方向性が固まったらしい。
「ニ徹様、飴を作るのですか?」
「そうだよ。リンゴを飴でコーティングするんだ」
ニ徹は鍋に水と砂糖と食紅を入れた。そして強火で煮立たせる。やがて、ブクブクと沸騰して泡が立ってくる。
「メイ、この中にリンゴを入れてくるくると回すんだ。素早くやらないと、うまくコーティングできないからね」
「こうですか?」
飴の中でくるくるとリンゴを突き刺した棒を回すメイ。キラキラと輝く赤い飴がリンゴを覆う。
「わあ、きれい……」
「お祭りのときにはこれが定番だよ」
「お祭りなら、少々高くても売れそうですね」
「これなら材料も少なくて済むし、作り方も簡単。手早くやらないと失敗するけど、そんなに難しくない。それに500個作るとなると簡単じゃないとダメだしね」
試作でリンゴ飴がうまくいったので、ニ徹は自分に相談をしてきた少年に提案した。少年の名はアーロン。高等学校へ通う17歳の少年だ。ウェステリア国立大学へ入学を目指す人間族の男の子だ。
「二徹さん、感謝します」
二徹がこのアイデアを伝授したとき、アーロン少年は涙を流してお礼を言った。無理だと思っていたことが少しずつ改善して、ついにはゴールがはっきりと見えるところまできたからだ。
「まあ、僕はアイデアを出しただけだしね。作り方も教えるという程のものでもない」
「それでも感謝です。アイデアはお金に変えられません。このリンゴ飴なら、1個につき、銅貨30ディトラムで売れると思います。お祭りだから、子供がおねだりすれば買ってもらえるでしょうし……」
そうアーロンは冷静に考えていた。商売には値段付けは重要な要素だ。ちょっとでも高いと感じれば売れないし、安く売り過ぎると赤字になってしまいかねない。しかし、うまく行けば、足りない入学金をまかなうことができるのだ。
大学に行くことは、今の貧しい生活から抜け出す第一歩でもある。アーロン少年には夢があった。自分が出世して、病弱な母親に楽な生活をさせてあげたいことである。
「だけど、材料のリンゴの仕入れや砂糖の調達。調理道具や屋台の準備、場所の確保とか大丈夫?」
二徹はアーロン少年の様子を見て、確認の意味で聞いてみた。商売というのは簡単ではない。アイデアがあってもちゃんとしたマネジメントがなければ、売ることすらできない。
その点でもアーロン少年は賢く、そして多くの人の協力を得る術を持っていた。
「大丈夫です。多くの人に力を貸してもらって、それぞれ手配できるようになっています。これもビアンカ先生の教えのおかげです。先生はお金よりも人の縁を大切にしなさいって教えてくれました。それで日頃から、市場の人たちと顔見知りになっていたのですが、それが活きました」
「ふ~ん……」
アーロン少年にそう言われて、二徹は感心した。アーロン少年ではなく、ビアンカに対してである。ビアンカはちょっと計算高い、世間知らずの令嬢と思っていたが、どうやら違うようだ。
*
そしてウェステリア建国祭の日になった。町はお祝いで全国から人が集まり、大盛況となっていた。アーロン少年のリンゴ飴の屋台は、多くの人々の好意で市場の一角に設置された。
朝早くから、アーロン少年は二徹に教えられた通りにリンゴ飴を作り、テーブルに綺麗に並べていた。食紅で染められたリンゴ飴は、キラキラと輝き、美しい宝石のようである。それはお祭りを祝う人々の目を引いた。
だが、初めて買うものには少しだけ抵抗がある。関心はあるが、ちょっと買うかどうか迷っている感じだ。それに値段の30ディトラムは少々高い設定だったかもしれない。
何しろ、それだけあれば、まともな昼食が十分にとれる値段なのだ。だが、その不安は聴き慣れた声によって全て掻き消えた。
「あら、アーロン。まだお菓子は売れていないようね」
「あ、ビアンカ先生」
開店とほぼ同時にやってきたのはビアンカ。お供にいつものサル吉こと、二千足の死神。そして、無料塾の生徒を19人伴っている。
「アーロン。これでみんなに一つずつくださいな」
そう言うとビアンカは金貨を1枚テーブルの上に置いた。キラキラと光る黄金の光。それはテーブルの上でリンゴ飴に負けない輝きを放った。人々の目が集中する。
「え、こんなに!」
「お祭りですから。将来の王妃を目指す私ですもの。大判振るまいしますわよ」
30個ほどのリンゴ飴を豪快に買い込むビアンカ。それを連れてきた生徒とその弟や妹に配る。
「お兄ちゃん、これ美味しいよ」
「甘いね」
「シャリシャリして面白いよ」
「ねえ、お姉ちゃん、マイの舌、真っ赤かだよ」
たくさんの子供たちがわいわいと騒いで食べるものだから、アーロンの店に人だかりができた。みんなリンゴ飴の輝きに目を奪われている。
「はい、これはサル吉の分」
ビアンカは一本のりんご飴を持って、二千足の死神の頭をコンコンと小突く。またもや、死神は不意をつかれて攻撃を許してしまった。
「クレルノカ……」
「余ったからね。まあ、あなたのような不気味なコミュ症男が、食べていても可愛くもなんともないから宣伝にならないけど。犬に食べさせるよりはマシでしょ」
そう言うとビアンカ自らもリンゴ飴をペロペロと舐める。美しい令嬢が食べると絵になる。周りで幸せそうに食べている子供たちもより目立つ。
(ソウカ……サイショカラ、コレヲネラッテ……)
二千足の死神は、ビアンカの巧みな宣伝に気がついた。金貨1枚で30個をいきなり大量買いしたのは、なんやかんやでアーロン少年を助けたのだと思ったのだが、狙いはそれだけではなかった。子供がはしゃいで嬉しそうに食べているキラキラ輝くもの。欲しくなるのは必然である。
「ねえ、お父さん、あれ買って~」
「ママ、僕もあれ食べたい~」
子供たちのおねだりの声がさざ波のように広がっていく。そして、それに答えて堰を切ったかのように注文の声が上がる。
「おい少年、こっちは3つ」
「俺は5つだ」
「親戚に買っていくから、10本くれ!」
次々と飛ぶように売れるリンゴ飴。売り始めて500個がわずか2時間で売れてしまった。アーロンの下には1500枚もの10ディトラム銅貨が集まった。これで原材料費や店のレンタル料を支払っても、十分、授業料が賄える。
だが、ここで事件が起きた。アーロンの屋台に酒に酔った一人の男がやってきたのだ。
「おい、アーロン、随分と羽振りがいいじゃねえか……」
「と、父さん……」
その酔っぱらいは、アーロンの父親であった。この父親はロクに働きもせず、アーロンや母親の稼ぎを奪い取り、全部、酒や博打に使ってしまう生活破綻者。気に入らないとアーロンや母親に暴力をふるう人間のクズである。
もちろん、とっくにアーロンは縁を切っている。
「あいつはどこだ?」
「母さんには会わせない!」
「なんだと……このクソガキ! 生意気言うんじゃない。まあ、いいだろう。お前、その稼いだ金、俺に貸してくれ」
片手にアルコールの入った瓶を持ち、それをラッパ飲みして臭い息を吐く。目はアーロンの稼いだ銅貨の山に釘付けである。
「お前なんかに渡すものか! これは大学に入るためのお金なんだ」
「大学だと~。笑わせるな。お前のような貧乏人が行くところじゃないぜ。いいから、寄こせ!」
「嫌だ!」
「言うことを聞かないガキは、こうしてやる!」
アーロン少年は思わず両腕を顔の前でクロスさせた。小さい頃から暴力を振るわれていたので、反射的にこういう行動を取ってしまう。だが、父親の拳はアーロンには届かなかった。
なぜなら、美しい貴族の令嬢がスカートをたくしあげて、思いっきり父親の背中を蹴り上げたからだ。
「あら、ゴメンあそばせ。私、醜いものが大嫌いなもので……」
「な、何をする……」
「あらよく見たら、醜いどころじゃなかったわ。クズ虫でしたわ」
「こ、このアマ~」
アーロンの父親は酒の瓶を振りかざして、ビアンカに殴りかかる。だが、平然としているビアンカ。振り上げた手首を掴むとくるりとひねり、あっという間に地面に投げた。
華奢な女の子が大の男を軽々と倒したのだ。相手の力を利用する合気道のようなものだ。ビアンカは護身術でも優秀であった。
「オーホッホ……。私は将来の王妃ですから、自分の身は自分で守れますのよ……」
「ぐふっ……」
地面に叩きつけられて気を失う寸前だったアーロンの父親だったが、酒に酔っ払っていたせいか、痛みからくるショック状態を乗り越えた。
「このアマが、ぶっ殺してやる!」
懐からナイフを取り出した。周りがそのただならぬ様子を察知して騒ぎ出す。
「あいつ、ナイフ持ってるぞ!」
「誰か、衛兵警備隊を呼べ!」
「危ないぞ!」
ビアンカは振り返った。狂乱したアーロンの父親が、自分に向かって突っ込んでくる。さすがのビアンカもこれには凍りついた。体が動かない。
が、それも一瞬の出来事であった。突然、バタリとアーロンの父親は倒れた。なぜか、口から泡を吹いている。
「あら、今になって私の与えたダメージが聞いてしまったのかしら。怖いわあ……。自分の才能が怖い。これぞ、お師匠さんが言っていた、(お前はもう死んでいる!)攻撃ですわね。無意識のうちにやってしまうなんて、私は武術の天才でもあるのかしら」
両手を自分の頬に当てて、ビアンカはそう感心したように言うものだから、周りも信じた。拍手喝采がビアンカに注がれる。
「すげえぜ、姉ちゃん」
「暴漢を既に倒していたとは!」
「美人の姉ちゃん、つええええ!」
やがて駆けつけた衛兵警備隊の衛士が、アーロンの父親を拘束する。麻痺してピクピクと痙攣しているのを引っ立てていく。
「さあ、こんな騒ぎを忘れて陽気に歌いましょう!」
吟遊詩人のカインがいつの間にか来ていて、手にしたリュートをかき鳴らした。陽気な曲を弾き始める。
「あら、カイン。見ていらっしゃったの?」
いつもボランティアで顔見知りの吟遊詩人に話しかけるビアンカ。吟遊詩人カインは頷いて目で合図した。
「仕方ないわね。私の踊りを披露しなさいとはね。未来の王妃を民の前で踊らせた罪、軽くはないわよ」
そう言いながらもビアンカの顔はやる気満々である。何しろ、ここで人々の注目を浴びることは悪いことではない。先のアリンガム家の嫁選びで、町の有名人になったビアンカには、ファンも多い。人気者のビアンカを一目見ようと、人々が集まってくる。
「晩餐会で踊る優雅な踊りもできますが、気さくに庶民と踊ることも、王妃として必要な資質ですわ」
軽快なステップを踏んで踊るビアンカ。そのキレのよいダンスに、ますます盛り上がる。
(ヤレヤレ……。オジョウニモコマッタモノダ……。ナニガ、オマエハスデニシンデイルダ……)
もちろん、すんでのところで倒したのは二千足の死神。吹き矢で麻酔弾を放ったのだ。アーロンの父親は、強力な麻痺毒で瞬時に動けなくなっただけなのだ。
「あなた、楽器の演奏、結構うまいんじゃない」
「そりゃ、吟遊詩人ですからね。うまくて当然。それよりも、庶民のダンスもできるとは、貴族のお姫様にしては珍しい」
「馬鹿にしないことですわ。将来の王妃はなんでもできるのですわ」
「将来の王妃ね……」
吟遊詩人のカインは少し笑って、さらにテンポを上げてリュートをかき鳴らす。そしてお祝いの歌を歌う。ビアンカはスカートの端を片手でつまんで、楽しげに踊る。その姿は美しくもあり、人々の心を何とも言えないほんわかした気持ちにさせた。
ウェステリアの建国をお祝いする歌と踊り。拍手をしていた人々は自然に体が踊りだし、それは徐々に拡がっていたのであった。




