アワビの魔力とステーキの極意
これで過去編の第1部は終了。閑話をはさんで今現在へと時間が戻ります。
「さあ、火もおこった。熱々の鉄板に今から肉を置いてステーキを作りますよ」
ベルナールは薪をくべて、豪快に火の粉が上がるところへ分厚い鉄板を置いた。そこへ、食物油をたっぷりと注ぐ。食物油は市場で売っている植物を原料とした油だ。油が熱せられて、煙が上がる。そこへランク10の肉を投入する。
ジュージュー。
油がはねて香ばしい匂いが立ち込める。あらかじめ、塩、胡椒(黒ソルズ)を肉にまんべんなく振りかけている。片面が焼けて固まり、表面に肉の汁が浮いてくるとベルナールはすぐにひっくり返す。
「ふふふん。これだけ上等な肉だと調理も楽だよ。何しろ、ささっと焼くだけでいいからね。こうして両面を焼いて肉汁を閉じ込める」
両面焼き固めると、ベルナールは何度もフライ返しでひっくり返す。時折、フライ返しを鉄板にコンコンと当てて、リズムを取り、合間に肉を次々とひっくり返す。その様子がいかにもパフォーマンス臭く、明らかに観客に見せつけている感じだ。
「調理もパフォーマンスだよ。作っている姿で観客を楽しませるのさ!」
ベルナールの調理する姿に惹かれて、多くの来客が周りを囲む。ますます、ヒートアップするベルナール。
「二徹だっけ、君がその変な食材を集めている間、僕は演劇の専門家に見てもらって、このパフォーマンスを完成させたのだよ。肉も最高、そして僕の調理も最高なのさ」
ベルナールは調理する姿も演出臭いが、喋りも芝居がかかっている。これも劇作家に台詞を書かせたのかもしれない。そして仕上げに酒を投入。アルコールに火が入って炎が上がる。人々は派手な演出に目を奪われている。
二徹はベルナールの調理する姿をしばらく見ていたが、そっと笑みを浮かべた。ニコールが心配そうに二徹に話しかける。二徹は真水で丁寧にアワビ殻ごと表面の身を洗っており、実に地味な作業なので、見守っている来客は数人なのだ。
「ニコちゃん、心配ないよ。彼は僕の敵じゃない」
「どうして、そう思うのだ。あの派手なパフォーマンスで観客まで盛り上がっている。あれを見てしまうと美味しくなくても美味しいと思ってしまうだろう」
アワビを洗う手を止めないで、二徹は答える。ニコールの不安を取り除いてあげるのだ。
「確かに調理の姿で美味しさを増すことはあるよ。だけど、それはあくまでも素材を美味しくするための所作であるということ。ステーキの焼き方はいろいろあるけど、彼はきっと調理人にきちんと教えを請わなかったようだね。そもそも、料理を教わるのに演出家はないと思うけどね」
「それもそうだな……」
二徹の作業は次に進む。木杓子をアワビの殻の薄い部分と身の間に差し込む。そして、見事な手さばきで身を殻から外していく。その時に身に付いている肝を破らないように丁寧に切り離す。
「二徹……なんだ、それは?」
「これはアワビの肝だよ」
「なんかキモイが、それは捨てるのか?」
「いや、これは大事な食材だよ。これでソースを作るんだ」
「ソース?」
「うん。海の香りと濃厚な旨味がアワビの食感と重なって、倒れるくらいの美味しさだよ」
「そ、そうなのか?」
二徹は包丁でアワビの口をVの字に黒い縁を外していく。そのスムーズな包丁さばきは、ベルナールとは違って地味だが、見ているものを惹きつける優雅さがある。観客も二徹の流れるようなその作業に一人、また一人と魅了されていく。気が付くと二徹の周りにもたくさんの見物客が集まってくる。
「アワビのステーキはすぐできるから。まずは肝ソース作りから取り掛かるよ」
そう言うと二徹はアワビの肝を軽く塩茹でする。そしてそれを裏ごしして、出汁を加える。出汁は二徹の特製。コンブを綺麗な清水に16時間つけて作ったものだ。これをベースに小魚を干したものを細かく挽いたものを加えている。
高級な料亭の使う一番出汁は昆布と削り節を使うのだが、ここはウェステリア。鰹節がないから、二徹も苦労している。ここへ魚醤と酒を煮切ったものを投入する。本当は醤油と日本酒があればいいのだが、これもないから癖のない蒸留酒を代わりにしている。
肝のねっとりした感触のまま、潮の香りがする濃厚な味に深みと洗練さが足される。これをサッと焼いたアワビに絡ませるともうたまらなくなる。
肝のソースができると、二徹はアワビを少し厚めに切っていく。そして表面だけに細かく刻みを入れる。これは食感をよくするためだ。
フライパンを熱するとそこへ香りのよいオリーブオイルを投入し、アワビの片面だけを焼く。包丁で細かく刻みを入れた面だ。
「片方だけでいいのか?」
不思議そうに質問するニコールに、二徹は笑顔で答える。
「そうだよ。一つで焼いた香ばしさと生の感触が味わえるんだよ。まさにレアな焼き加減なのさ。さあ、勝負開始だよ」
二徹は次々と焼いていくと、ワカメを敷いた皿にアワビの殻を乗せ、そこへ塩ゆでして食べられるようにした山菜を乗せた。そしてメインのアワビのステーキを乗せる。
もうこの頃には、二徹の前にはたくさんの観客が集まってきている。二徹の調理する姿の美しさと、美味しそうな匂い。そして珍しい食材も手伝って、観客の関心は急上昇したのだ。そして完成品はこれまた美しい盛り付け。
「おい、こっちにもくれ!」
「わあ~っ。なんてきれいなの」
「白い貝に美味しそうな焼き目、緑の山菜にワカメ。海の香りが鮮烈」
そして人々はアワビのステーキを一口口に入れる。その瞬間、みんな幸せそうな顔になる。おそらく、貝をこのような処理をして食べたのは初めての経験なのであろう。旨みと食感、海の香りが三重奏で襲いかかる。
「うおおおおおおっ……うまいぞ!」
「な、なんなの!」
「コリっとした感触のあとにとろけるような歯触り。そして噛めば噛むほど出てくる味」
そして肝のソースをごっそりつける。また味が変わる。味と香りの四重奏だ。変わるというよりも味が何倍にも膨らむ。膨らみ、膨らみ、そして最後は爆発する。人々は恍惚とな表情を浮かべ、腰が抜けてしまう快感に酔いしれる。
「に……二徹……なんてものを作ってくれたんだ……」
あまりの美味しさにもうフラフラと力が抜けていくニコールは、二徹の体に寄りかかる。それを抱き抱える二徹。二徹の料理を食べた観客はみんな同じだ。
「こんなに美味しいものを食べた経験は久々だ……」
「旨いぞ、こんな旨いものがあったのか!」
大盛況な二徹のコーナ。人々が殺到し、大いに盛り上がる。それを見て驚くベルナール。実は先程からレベル10のステーキを出しているのだが、人々の反応が今一つなのだ。食べた人は全て首をかしげる。
「あれ……。これがランク10の肉?」
「なんか違うなあ……」
「2日前のパーティで食べたときはうまかったけどなあ」
「レアだけど、なんか違うんだよな。旨みが抜けているというか、なんかねちゃっとする食感がなあ……」
「これは貝のステーキと比べ物にならないなあ」
「……敢えて言おう! この肉のステーキはまずいと!」
ベルナールのコーナーからは人がどんどん消えていく。もう一方的な展開だ。
「ば、馬鹿な……。こっちはランク10だぞ。最高の牛肉だぞ。どうしてわからないのだ」
もう半狂乱状態のベルナール。半分泣きべそをかいている。そんなベルナールの肩をぽんと叩いた二徹。勝負が決まったところで、ランク10の肉がかわいそうなので、パーティを盛り上げようとやってきたのだ。
「肉は最高だよ。でも、君の腕が最低だった」
「うううう……認めるしかない。この結果ではな……」
結果は取るまでもなかった。100対0。二徹のアワビステーキの快勝である。
「もし、君がちゃんとプロの料理人の教えを受けてステーキを焼いたなら、もう少しいい試合になったかもしれない」
「ど、どこがいけなかったんだ?」
もうベルナールはやけくそ気味である。
「そうだね。いくつかあるけど、まずは君の肉。氷に埋めて冷やしていたよね。それをそのまま焼いた」
「そりゃ、鮮度を保つためだ。それは常識だ」
「焼くときは常温に戻すんだよ。じゃないと焼き加減が無難しくなる。それに植物油で焼くのはやめた方がいい。変な匂いがつくし、元々、ランク10の肉は脂身が細かく入っているから、その脂と混ざって味が濁るんだよ。そして決定的なミスは焼き加減」
二徹はベルナールが焼いた肉にナイフを入れる。柔らかい肉質なので、さくっと切れるが、中は赤いままだ。
「ちゃんとレアに焼けているだろう。生のままだ」
「レアとは生じゃないよ。ちゃんと火が通った生。ほんのりとピンク色に染まった焼き方じゃないとダメ。ちょうど肉の脂が溶け出す瞬間の状態。これじゃ、脂がまだ固くて口の中でねちゃねちゃする。せっかくの素材が台無しだよ」
もうダメ出しの連続で床に這いつくばるしかないベルナール。二徹は肉を塊で切り出すとその中央に鉄串を一本刺す。サメを貫いたときのように、それは見事に突き抜けた。そして、その左右に鉄串を刺した。3本刺した肉を炭火の上で焼く。
「ステーキの語源は、こうやって鉄串で刺して焼いた料理からきていると言われているんですよ。こうやって焼くと炭火に脂が落ちて煙が立ち、それが肉の旨みをさらに深めるといます。これだけ上等の肉ならこういう焼き方が一番でしょう」
そう言って表面が焼けた肉に岩塩とマスタードをちょんと乗せる。もうたまらない。見ている方はたまらない。
「ちょ、ちょっと、それくれ、いや、ください!」
「押さないで、押さないで!」
二徹が焼いたステーキに人々が殺到する。そしてその炭火で焼かれた肉を口に入れた瞬間、人々は狂喜した。肉の旨味が体を蹂躙していく。
「ぐおおおおおおおおっ……」
「うあああああああっ……」
「うげえええええええええっ……」
「うますぎて……死ぬ……」
「肉汁が……肉汁が……体に染みて……幸せだ……」
もうステーキ祭りである。人々の笑顔と歓声がそのまま、二徹とニコールへの祝福へと変わる。
「ニコちゃん、勝ったよ」
「ああ。やっぱり、お前は最強だ」
二徹とニコールは手を取り合う。そこへゆっくりとオーガスト夫妻が近づいてくる。ニコールはその様子を見て身構えた。勝ったとはいえ、婿候補者を退けたに過ぎない。二徹がオーガスト家の令嬢を娶るには、まだ障害が残っている。
「心配ないよ。少なくとも君のお父さんは認めてくれているよ」
そう二徹はニコールに囁いた。きょとんとするニコール。
「実はあのアワビの代金と運搬用の氷を手配してくれたのは君のお父さんなんだ」
「ち、父上が?」
「僕はサメとの死闘で疲れて倒れていたからね。オーガスト伯爵が来て手助けしてくれなかったら、苦戦していたかもね」
そう言って二徹は軽く片目を閉じた。どうやら、ニコールの父親のオーガスト伯爵は認めてくれそうだ。あとは母親である伯爵夫人。ニコールの幸せを第一に考える保守的な考えの持ち主だ。彼女の説得には骨が折れそうだが、それも可能であった。
二徹とニコールの今の姿を見たら、いくら頑固な母親でも折れるしかないだろう。
過去編一部 完




