プロローグ 料理修行の旅にて
9/17 全面的に改稿しました。
Ladies and Gentlemen, This is your Captain speaking.
(みなさま、こちらは機長です)
We are now cruising at an altitude of 33,000 feet, which is 10,000 meters, sky high.
And a ground speed of 450 miles or 724 kilometers per hour. We are now flying in a very good conditions.
【現在、当機は高度33,000フィート(10,000メートル)、時速450マイル(724キロメートル)にて順調に飛行中です】
We’ll be arriving in New York, John.F. Kennedy International Airport, in about fifty minutes.
(当機は只今より、およそ50分ほどで、ニューヨーク、ジョン・F・ケネディ空港に到着いたします)
「ふう……。あともう少しでニューヨーク……」
伊達二徹は機内のアナウンスを聞くためにヘッドフォンを取った。座席のモニターでは映画が上映されていたが、何本も見たのでタイトルが何だったのか思い出せない。
20時間あまりのフライトで心も体も疲れきっていたが、到着まであと50分と聞いて、鉛のような身体が徐々に軽くなっていくのを感じた。腕を上げて背筋を伸ばし、再度、気合を入れる。
二徹は20歳。現在、板前の修行中である。東京にある老舗の伊達屋という料亭を営む家に生まれ、8歳の頃から料理修行を積み重ねてきた。
上に兄が2人いるため、料亭を継ぐ必要はないのだが、伊達屋に生まれた男子は全て料理人になるというのが昔からのしきたりであった。よって二徹はそれが当たり前であるかのように、小さい頃から料理人になるよう育てられてきた。
思春期の頃は、このような封建的とも言えるしきたりに疑問を感じたこともあったが、今は修行してきたことは正解だと思っていた。料理人の仕事は自分には合っていたようで、厳しい料理修行も苦にはならなかった。
中学校、高校と学校に通いながらも板前修業をし、その後は大学には行かずに2年ほど日本全国や世界の国々を巡る旅をしている。これは修行の一環で、各地でその土地にあった料理を学ぶことが目的であった。
伊達屋は老舗の料亭であったが、伝統的な和食に囚われることなく、常に進化し続けるべしという父親の方針の元に経営されていた。そのため、伊達屋の板前は例外なく1年間、海外や国内を放浪し、料理の武者修行をすることになっていた。
二徹の場合は料理修行を1年延長したのだが、その理由はより広く食材や調理法について学ぼうと思ったからである。
二徹の申し出に父親は黙って頷いてくれた。但し、1年延長した分の費用は出してくれず、おかげでワーキングホリデーを利用しながらの海外の旅となっている。
それでもこの2年間で二徹が得た知識は相当なもので、将来は料理研究家にでもなれるのではないかというくらい様々な経験を積み重ねていた。
「ニューヨークか……。一度は訪れたい場所だ」
世界の中心アメリカの主要都市。そこは世界中の人々が集い、世界中の食文化を堪能できる都市でもある。ありとあらゆる珍しい料理がそこにはある。
二徹は料理修行の旅の最後に、この都市を選んだ。先日までマレーシアの辛いプラウン・ミー(エビのヌードル)や、クイティオ(ライスヌードル)を屋台で食べていたから、ニューヨークのような洒落たところでの食事は、ギャップが大きいように思える。
しかし、二徹の食べたい料理は洒落たものより、庶民が親しみやすいもの。ここニューヨークで、まず味わいたいと考えているのは路上の屋台で提供される食べ物である。
(まずは屋台で、本場のハンバーガーを味わいたいなあ……)
厚さ15センチ以上あるハンバーガーには、ジューシーなパテにカリカリに焼かれたベーコン、トロトロのチーズがトッピングされる。
大味だが、口いっぱいに広がる旨みの爆弾。そういった強烈な肉の感覚を二徹は求めている。
あと、なんと言ってもホットドック。ニューヨークへ来たらホットドックである。
最初は『レッドホット』なんて呼ばれていた、パンにソーセージを挟んだこの食べ物は、あるとき、パンに犬を挟んだ絵の広告で爆発的な人気を得たと言われている。
二徹が食べたいのは、本場のドイツ仕込みのソーセージにたっぷりのザワークラウト(キャベツを乳酸発酵させたもの)を挟んだ、ボリュームたっぷりのホットドックである。
これにケチャップとマスタードをたっぷりかけていただくと、もう気分は最高。アメリカ万歳と叫びたくなる。
もちろん、まだ食べたいものは他にもあるが、二徹の所持金は限られており、結果として安くて旨い料理を探すことになるだろう。
(最終日には有り金をはたいて、一流レストランでニューヨークスタイルのジャパニーズ・キュイジーヌを味わって2年の旅を締めくくるか……)
二徹の頭の中には、短いニューヨーク滞在時に、自分が食べるべきものを順番に書き込んだ注文書が保存されているのだ。
*
「ねえ、あなた。あの外国人、変じゃない?」
不意にそんな言葉が二徹の耳に飛び込んできた。日本語である。英語に慣れた二徹の耳はこの懐かしい刺激に反応し、主人を現実へと引き戻した。
声の主は、二徹が座っている列の3席のうち、通路側の席に座っていた日本人女性である。隣に座っている夫は、妻の指し示す方向に顔を向けた。二徹の視線も同じ方向に向けられる。
通路を挟んだ真ん中のシートエリアでゴソゴソと何かしている男が二人。明らかに異質な行動だ。2人とも褐色の肌で黒々としたヒゲをたくわえた風貌。
ちなみに二徹の隣のカップルはどう見ても新婚。搭乗時からいちゃつかれて、二徹は気分が悪かった。しかし自分も結婚したら、新婚の嫁とこんな風にイチャついてやると心に刻みつけた経験ができたから、ある意味感謝である。
「うん。なんか変だね……」
新妻にそう言われて、夫はなんとかしないといけないと思ったのであろう。英語でその外国人に話しかけた。
「エ、エクスキューズミー。ワッツ、ハプン?」
「*@R~¥+%&=!」
訳の分からないことを叫ぶ男たち。
二徹はその様子を見て、何だかやばい展開になるのではないかと感じると同時に、頭の中で複数の女の子の声を聞いた。
*
(まずいよ、どうしてこの人、通路側に座っていないの?)
(このままでは、運命が狂ってしまうわ)
(あなたが手順を間違えたからでしょう……)
(だってお姉さま……)
(この飛行機が落ちてしまうと大変なことになるわ。世界の運命が変わってしまう)
(どうしましょう……)
(どうしましょうと言っても、現在、私たちに介入できるのは、運命の鍵を握るこの人への干渉だけ)
*
「な、なんだ? 誰がしゃべっている?」
思わず口走ってしまったが、誰も二徹の言葉は聞いていなかった。明らかに異様な行動を取る男たちに、注目が集まっていたからだ。
そして周辺の乗客は、男たちが機内のトランクから取り出したカバンの中身を見て、みんな恐怖に顔が引きつった。男たちが手にしている物。それは銃であった。
今の世の中、飛行機に金属類は持ち込むことは難しいはずである。それを考えると、その銃はおそらくプラスチック製だろうと思われたが、おもちゃではない禍々しさがまとわりついていた。
「お客さま、どうなさいましたか?」
騒ぎを聞きつけたキャビンアテンダントが慌てて駆けつける。騒然となる機内。二人の男は喚いて、その特殊な銃をやって来たキャビンアテンダントの頭に突きつけた。
「おい、やばいぞ!」
二徹が思わず怒鳴ったと同時に、乾いた音が機内に響いた。
新婚夫婦の夫の顔に、赤い血しぶきがかかる。それはまるでスローモーションのよう。時が止まったような感覚に二徹はとらわれた。
(嘘だろ……)
誰もがこの光景を現実とは受け止められない。二徹もそうだ。そして、二徹は窓側の席なので動くことすらできない。
ゆっくりと頭から血を出して倒れるキャビンアテンダント。恐らくは、見せしめのためだろう。これから、起こす行動のための作戦の一環である。
一人を殺せば、持っている銃が本物であることを示し、機内の乗客は抵抗ができなくなると考えてのテロリストたちの行動だ
「キャー!」
「わああああっ……」
ほんのわずかの沈黙の後、機内はパニックに陥る。テロリストの男たちは相変わらず、理解のできない言語を喚く。
昔、こうやって飛行機が乗っ取られ、ニューヨークの高層ビルに突っ込んだテロ事件があった。
あれ以来、飛行機は厳重な警備が行われ、安全性を高めていたのにテロ行為は無くならない。そして、目の前の現実。またもや、飛行機が乗っ取られようとしている。
*
(お姉さま、通路側に座るはずだったこの人に能力を与えましょう)
(もう遅いわ……。このままでは、この飛行機は落ちる。歴史が変わってしまう)
(もう無理よ、間に合わない)
(イチかバチかですわ、お姉さま)
(あなたの付与できる能力って……)
(確か、時間操作の能力だったわね)
(やっちゃいます!)
*
乗客もバカじゃない。このままおとなしくしていても、間違いなく死んでしまうことは理解している。こういう狂信者は、自爆テロで全員を道連れにすることが目的だからだ。ここで行動しないと生命は守れない。
すぐさま、勇気のある数人の男たちが飛びかかる。銃が撃たれるがお構いなしだ。二徹も通路側ならすぐさま、それに加わったかもしれない。しかし、通路側で頭を抱えて震えている日本人カップルのおかげで何もできない。
「ちょっと、どいて!」
「うわあああっ……」
「あなた、あなた、怖い……」
「くっ……」
二徹が顔を上げると、勇敢にも飛びかかった乗客によって、取り押さえられようとしている男たちが何やら叫ぶ光景が目に映った。
飛びかかっていた乗客の中に金髪の美しい若い女性がいる。女豹を思わせるしなやかな体。必死の青い目がちらりと動き、二徹の視線と結びあった。
(あなたも何とかしてよ、このままでは全員死ぬ!)
その目はそう言っていた。男の手には何か握られている。それが起動したら、全てが終わってしまうのだと二徹は思った。反射的に二徹は、厨二病患者のような台詞を叫んだ。
「時間よ、止まれ!」
そんな言葉で本当に時間が止まるわけがない。だが、頭の中の冷静な判断とは裏腹に、二徹の見ている視界から色が消えた。
すべてがモノクロの世界。そして、時間が止まったように周辺の人々の動きが止まる。それなのに二徹だけが体を動かせる。
「な、なんだ!」
驚き、混乱……。だが、今は生死を分ける緊急事態だ。狭い席から立ち上がり、隣の夫婦をまたいで二徹は動く。その間、5秒。狭い席からの移動で時間がかかる。
「うおおおおっ……」
二徹が飛びかかり、その手がテロリストの男に触れようとした瞬間に視界に色が戻った。同時にテロリストは手に握ったもののボタンを押した。テロリストのお腹の中心から幾本もの光の筋が生まれる。
(間に合わなかった!)
二徹の脳裏に『死』の文字が浮かぶ。飛行機の天井が破れ、座席が吹き飛ぶ。凄まじい風圧が襲いかかる。
「ここで終わるのか!」
二徹は絶望感に囚われる。だが、爆風に飛ばされる自分の体を客観視していることに気づく。ひどく冷静だ。
顔を向けると、同じく空中に飛んでいる金髪の女性が目に入った。テロリストに向かっていった、あの女豹のような体を持つ美女だ。
「こっちだ!」
二徹は思わず、手を伸ばした。助けようということではない。今の状況では2人の死は確実なのだ。その金髪の女性も二徹に向けて手を伸ばした。
その伸ばした指先が僅かに触れ合った瞬間。飛行機は爆発して炎に包まれた。
*
「間に合わなかった!」
「やっぱり、5秒程度じゃ、今の状況を変えるのは無理だわ」
「とりあえず、死んだ人たちの魂の救済。その後にこれからのことを考えましょう」
「あの男の人に能力を与えたままだったけど、仕方ないわね」
「仕方ないわ……。せめてもの罪滅ぼし」
「だけど、いずれ世界に干渉して、この出来事を修正しないといけないわ」
「骨の折れる仕事だわ」
*
生者のいない大空に翼をもった3人の少女が浮かび上がった。
一人は糸車を回し、一人はそれを手にし、一人は糸玉をほぐしている。
糸玉は人の運命。
糸の長さは時間。
糸の色は場所。
少女たちは切れた2つの糸玉をより合わせ、別の色の糸につなぎ合わせた。
イレギュラーな出来事を修復し、本来、あるべき姿にするのが彼女らの役割。今の状況を修復するには、かなり厄介なことになりそうであった。




