04-18 Sao(サオ)
97話
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アリエルと二人のウェルフが熱い戦いを繰り広げ、興奮の冷めやらない中、次の対戦にはロザリンドと立合い希望だったガラテアとベルゲルミルがコインで順番を決め、先にベルゲルミルが立合う事となった。
「ゲハハハ、すまんなおっちゃん。あんたの出番は回ってこねえかもな」
コインの勝負に負けたガラテアは別に悔しくもないという涼しげな表情でベルゲルミルの軽口を流した。いまここで立ち会えなくても、ロザリンドはアリエルの嫁さんなんだから、そのうちチャンスは巡ってくる。そんなことよりも、このベルベルミル・カロッゾも相当な使い手だ。
6年前のエーギル・クライゾルを生け捕りにした一戦でも獣人たちを圧倒していた。勇者キャリバンの陰に隠れて忘れがちだが、勇者パーティに選ばれたメンバーたちは揃いも揃ってバケモノのような戦闘力を有している。そもそもガラテアのような一般の古兵とは戦闘力の基盤からして違う。
ガラテアはここの砦の守備隊の中では最年長でもある。剣のキレも強化魔法のノリも、年々落ちてきているのを痛感している。もう最前線に立っていられるのも限界に近いのだ。
王国騎士団に伝わる戦闘力評価がある。
それはウェルフ族やカッツェ族など、獣人1に対して、ヒト族は武装した兵士が5というもの。
そして魔人族の戦士1に対して、ヒト族では精鋭が30でようやく膠着状態が作り出せる対等の戦闘力となる。それが希少種の紅眼となると、王国騎士団が総出で対応しないと押し返すことすら難しいと言われていて、この『総出』というのは極めて曖昧な表現である。
つまり王国騎士団は、長い歴史の中で紅眼の魔人族と実際に対峙したことがないのだ。
だがしかし、いま目の前にいる紅眼の元女将軍はまぎれもなく強い。
緒戦では勇者パーティーの連携にやられた格好になってしまったが、タイマン勝負ならまた話は別だ。確かにベルゲルミル・カロッゾは強い。この男も異次元の強さを持っている。だがガラテアの見立てでは紅眼が上回る。ベルゲルミルに倒されてガラテアの順番が回ってこないなんてことはないだろうと半ば楽観視している。
それはベルゲルミルの方も同じだった。
世界最高戦力と呼ばれる勇者キャリバンの右腕として、ここであの紅眼と激しく戦ったのだ。タイマン勝負になったとき、どちらの力量が上か? ぐらいは自ずと知れようもの。
それは言動にも出てしまう。
「ベルゲルミル・カロッゾだ。どれだけの距離があるのかを確かめたい」
「ロザリンド・ルビス・ベルセリウス。ご期待に添えるよう頑張ります」
ベルセリウスを名乗るロザリンドのルーティーンはアリエルのそれとは違い、まるで舞踊のように厳格で美しい。振りの最適化、重心の理解など、このルーティーンを見ただけでアリエルよりも使えることが窺い知れる。ガラテアなどはこれに見とれてしまうほどだ。
「見ろよトリトン、エル坊と同門なのは間違いないだろうが……その、なんだな、エル坊よりかなり上いってんじゃねえかアレ」
トリトンはガラテアの言葉を聞いて、何も答えることなく、瞬きをすることも惜しいとばかり、ロザリンドの剣をじっと見ていた。アリエルが7歳の頃、初めて立ち会った時からあの戦いの前に行う儀式めいた舞踊を組み込んでいた。おそらくは準備体操のようなものだろう。だがしかし、だれもアリエルにあんな所作を教えていないのだ。当時のアリエルが外部の者と接触したのは、家庭教師を頼んでいたグレアノット教授しかいないのだが……、グレアノット教授はガチガチの魔導師だ。剣術とは真逆の立ち位置にいる。
加えて敵だったはずのロザリンドの危機に飛び込んで助け、砦の中に引っ込んだと思ったら、出てきて僅か3分ちょっとという時間で神聖典教会の誇る80人からなる対魔族戦のプロフェッショナル集団を完膚なきまでに叩きのめしてしまった。そして勝利したと思ったら二人は結婚するという。
紅眼の秘術で魅了されたのでないとすれば、二人はトリトンの知らない間にどこかで知り合っていたのだろう。昨夜振る舞われたドラゴンもドーラで倒したというのだからそこが接点だと考えた。そう考えるとガラテアの言う同門というのは少し違う気がするが……。
トリトンたち王国騎士団の面々、そしてドーラ軍と神殿騎士団の生き残りが見守る中、ゆっくりと上段に構えるロザリンド。伏せていた紅い眼をベルゲルミルに合わせる。
対するベルゲルミルは両手持ちの木剣を握り締め、バッターボックスに立つスラッガーのように構えた。これが一騎打ちの時のベルゲルミルの構えだ。
開始線に立つ両者の呼吸が整ったのをみて、開始の合図が響いた。
「はじめ!」
号令がかかった瞬間、ロザリンドの姿がブレた。
縮地。それは難しいものではなく、単純に極限まで高めた強化魔法を最大の筋力で踏み込むこと。たったそれだけなのだが、魔人族以外の種族では、たとえどんなスピードを誇るウェルフ族であっても縮地を可能とする加速度には、土台となる肉体が耐えられない。そのスピードは瞬間移動に見えるほど。
―― バッバキッ!
構えるベルゲルミルは反応まではできたものの、装備していた鋼鉄製の篭手ごと左腕を叩き折られてしまった。落とした木刀を拾うことも出来ず、次の瞬間にはロザリンドの木剣がベルゲルミルの喉笛に突き付けられていた。
ベルゲルミルは呆然とする中、キャリバンと立ち合ったときのような距離感を感じた。
タイマン勝負ならキャリバンなみだし、縮地なんてチートを使われたんじゃ間合いを取る意味すらなくなってしまう。
「勝負あり」
僅か0.5秒の立合いであった。
「参った。……相も変わらず速いなあオイ。ヒト族にその境地の先を見られるのかね?……」
言葉のわりには機嫌がよく見えるベルゲルミル、お手上げを表現した顔で叩き折られた腕を指さして、カリストのところまで退いた。
「爺さん、すまんまた腕だ。頼むわ。ほんと俺も懲りねえな。ついでになんかもっとすごい腕に付け替えてくれね? ロケットパンチとかよぉ、どうせもう俺の腕じゃなさそうだ」
「まてまてベルゲル、小僧らの治療がまだじゃ。お前ほんと口ほどにもないのう、せめて数分粘ってから負けてこんか」
さっきまでものすごく楽しみにしていたわりには青ざめて脂汗を流してるガラテア。
ロザリンドの剣をじっと見ていたトリトンがようやく口を開いた。
「なあガラテア、おまえベルセリウス家の嫁に手ェ出そうってんだから、そんな助けを求めるような目をしてもダメだ。多少は痛い目みないとな。しかしアリエルの嫁……、ビアンカよりも怖そうだぞ。アリエルも尻に敷かれるだろうなーありゃ」
「いやいや、紅眼と立合えるなんて名誉なことじゃないか。王国騎士で志願したのは俺だけだしな。王都に戻ったら自慢できらあ。他の者たちはみんなビビっちまって玉ぁ抜かれたって言っといてやるよ」
「いや、ガラテア、挑発するならもっと前にしないとな。アレ見ちゃった後だとなに言われても空虚で私の心には響かないわ。まあ、審判は任せろ、殺されるちょっと手前で止めてやるよ」
たったいま何もできずに負けたのは勇者軍のナンバー2、勇者パーティーで戦士という役割をうまくこなしている男だ。その戦闘力はさすがに勇者ほどではないのだが、それでも王国騎士団の兵士たちと比べものにならないほどの戦闘力を誇る。そんなベルゲルミルが手も足も出なかったのだ。もうひとつ付け加えると、正直いってトリトンにもその踏み込みと太刀筋は見えなかった。
瞬きをする時間も惜し気に、魔人族の戦闘力を値踏みしていたトリトンはお手上げの表情だった。
要約するとこうだ。『どうせ勝ち目がないんだから記念に必殺の剣技を受けてこい』
「くっそ……覚えてろよ」
ロザリンドに向き直って、開始線まで歩を進めるガラテア。手のひらでバンバンと頬を叩いて気合を入れ直すと、やる気が漲ってきたようだ。
「よし、こっちはもういいぜ。ガラテア・ウェイドマンだ。…… ワクワクしすぎて膝がガクガクしてきたぜ。ここに立てて光栄だ。エル坊の嫁さんのスカーレット……見せてもらうぜ」
「ロザリンド・ルビス・ベルセリウスです。よろしくお願いします」
ロザリンドのゆったりと舞うようなルーティーンを組み立ててから上段に構えると、ガラテアは右肩に担ぐ変則的なかつぎ上段で応じた。剣道でいうとトンボの構えに近い。
ガラテアは剛の剣の使い手だ。
王国騎士団、ノーデンリヒト守備隊の中でも剛の剣を使わせたらナンバーワンのパワーファイターだ。恵まれた体格をいかんなく使い、突進力に全体重を乗せて防御不能の一撃を加えるのを得意戦術としている。騎士団の副官でありながら盾を持たず、両手持ちの剣を振るうことからもその変則ファイターっぷりが分かるだろう。ちなみにトリトンは片手持ちの剣を使って盾も使うオーソドックスな騎士スタイルだが、スピードと技量で戦うタイプだからガラテアとは真逆と言っていい。
スピード、技量、体重、すべてで劣るトリトンよりも、まだ体重だけは上回っているガラテアのほうがマシというと語弊があるだろうか。王国騎士団の中で、ロザリンドと対峙して戦えそうなのはガラテアだけなのだ。
ノーデンリヒト北の砦を守っていた兵士たちの歓声がひときわ大きくなった。
ガラテアとは何度も立合ったことのある者ばかりだ。だからこそ、ガラテアを通して、紅眼の実力をはかることが出来る。少しでもガラテアには頑張って欲しいものだ。
トリトンは中央に立ち、ゆっくりと右手をあげた。
「はじめ!」
―― ガッキン!
号令をすべて聞き終わる前、ガラテアは研ぎ澄ました強化魔法を爆発的に放出し、フライング気味に突っ込んだ。
たった今、ベルゲルミルがなすすべなくやられたのを見ていたからこそ、縮地を出させないため、最初に間合いそのものを潰す作戦を急遽組み立てたのだ。それがフライング気味に突っ込むというのだからセコくはあるが。
縮地は来ても刀を振らせない。体当たりでロザリンドの態勢を崩し、その次の踏み込みで一本取ってやろうという作戦だったのだが、体当たりで吹き飛ばされ、姿勢を崩したのはガラテアのほうだった。
体重差も然ることながら、装備品の重さを加えると、ガラテアのほうが明らかに有利なのだが……。なんというか、ヒト族と魔人族の体幹の差をまじまじと見せつけられる結果となった。
ガラテアの体当たりに当たり負けしなかったロザリンドのバランスの良さ、そして反撃に向かうまでの速さも、およそ戦いに必要な項目すべてで差を見せつけられた結果になった。
本来ならここで勝負あったようなものだが、一本取られてからじゃないと負けたガラテアも寝覚めが悪かろうと思った、審判トリトンの計らいで試合は継続されることとなった。
―― バキィ!
体勢を崩しているところに次の縮地で左の小手を叩き折られ、握りが甘くなったところ、そのまま木剣を巻き上げられてしまい、そして、その太い首に木刀が突き付けられた。巻き上げられ宙を舞った木剣は数秒の後、ガラテアの足もとに落ちて地面に立った。
「勝負あり!」
巻き上げて飛ばされた木剣が落ちてくるまでの時間を加えても5秒足らずの攻防だった。
「見事だ。すごいな。縮地に来るのは分かってて対策したのに、何もさせてもらえなかった。まさか小手を打たれてから木剣を巻き取られるとは思わなかったぜ。また機会があったらよろしくお願いするよ」
「ありがとうございました。また機会があれば」
ベルゲルミルの横に並んで治療を待つガラテアは、なんだかいつになく小さくみえた。
「しかしお主もベルゲルと同じじゃ、まったく口ほどにもないのう。もうちょっと時間をかせがんとわしの休む時間がなかろうが」
「面目ない……」
もう終わりだろうと思って、見物人たちがこの場を離れようとしたその時、中央の開始線に向かって歩き始めた大きな影があった。
ベアーグのダフニス。幅広の木剣を持って立つ。
対するは……。
真剣な眼差しでサオが俺の前に来た。左手に盾を持って。
「師匠、ダフニスと私は子どものころからの好敵手なのです。先ほど立ち合いを申し込まれました。許可をいただきたく思います。ここで袂を分かつと、もう二度と拳を交えることがないかもしれませんので」
「ロ、ロザリンド、俺のサオがダフニスに食べられてしまう……」
「誰のサオだって? まあ、大丈夫よ。ダフニスはサオに勝てないから。サオがあなたみたいに速い人が苦手なのと同じで、ダフニスはサオが苦手なの。まあ見てて」
「サオ、怪我しないようにな。怖くなったら参ったするんだぞ。いいな」
こくり……と頷いたサオはしっかりと前を見据え、試合場中央に向かう。左手にヒーターシールドを持って、ゆっくり、ゆっくりと開始線へ向かった。まるで周りにも緊張感が伝わってくるようで、見物人の中にも歓声を上げたり口笛を吹いたりするものは一人もいなかった。
身長2メートル以上。体重300キロはあろうかというベアーグの戦士に対し、身長155センチ弱、細身で華奢なエルフの美少女が盾だけを持ってその相手をするというのだから野郎どもの心配は半端ではない。野獣VS小動物にしか見えないのだから、審判を引き受けるトリトンですら『大丈夫か? 本気でやるつもりか』とでも言いたげな顔で見ている。
「ダフニス・クライゾル。袂を分かつお前に餞別として敗北をくれてやる」
「ありがとう、ダフニス。あなたにはこのサオがいつも通りの黒星をプレゼントするわ」
剣を上段に構えて怒気を放つダフニス。もちろん子どものころから一緒に育ったロザリンドの見よう見真似だ。王国騎士であってもこのダフニスとタイマン勝負するとなると無事では済まされない。戦闘力換算レートでは、一般の獣人ですら騎士5人。それがベアーグの戦士となるとおそらくはその3倍の人員を用意しなければまともな勝負にならないだろう。
しかしそんなダフニスとは対照的に、怒気を受け流すように脱力し構えるサオ。
「えっと、本当にいいの?」
「はいっ。大丈夫です。私、ダフニスにはあまり負けたことがありません」
「今日こそは泣かしてやる」
全身の筋肉を見せつけるようにポージングで威嚇する大熊に対して、サオは落ち着いて答えた。
「ふふっ、そうやって力で私をどうにかしようなんて考えてるうちは勝てないって言いましたよね」
「ええい、私は知らんからな。では、はじめ!」
号令がかかると同時にダフニスが踏み込み渾身の一撃を放つ。ロザリンドと比べるまでもなく、確かにスローな踏み込みだが、その体重と筋力から繰り出される攻撃は侮れない。当たらなければどうという事はないというが、当たってしまったら一発で勝負が決まってしまう。ああいう攻撃を繰り出してくる奴は、だいたいが10回に一度当たればそれでいいと思ってる。
一度でも当たれば勝利するという自信があるのだから、ちまちまとジャブのような小さな攻撃は出さず、ひたすら必殺ブローばかりを繰り返す。これぞ脳筋の極みだ。
そんなダフニス渾身の攻撃をサオは半身ずれるように躱し、次の瞬間、ダフニスの視界は天地が反転する。そう、ダフニスは真っ逆さまに転倒し、頭から地面に打ち付けられたのである。
投げられたダフニスは体制を立て直すこともせず、まずは腕を振りまわしてサオの足を払おうとするが、サオはその攻撃をあらかじめ知っていたかのように落ち着いて、ヒョイと飛び退いて躱すと、数歩下がって自分の間合いに戻った。
サオが間合いを取ったことを察したダフニスはすぐに立ち上がり木剣を拾おうとするけれど足もとがおぼつかない。まるで6年前、ダフニスの父エーギルに思いっきり殴られたアリエルのようにたたらを踏みながら、なかなか木剣の落ちてる場所までたどり着けないでいる。
投げられて頭から地面にたたきつけられたことで、脳が揺らされてしまったようだ。
サオが『どうぞ木剣を拾いなさい』と掌で促したことで、やっと木剣を拾わせてもらったダフニス。なんとも言えない、バツの悪そうな表情で開始線に戻った。仕切り直すらしい。
ダフニスは不用意に近付いてしまったことでサオを懐に入れてしまい、えらい目に遭わされてしまったという反省からか、今度はゆっくり近付いて、自分の間合いで戦うことにしたようだ。
幅広の木剣を横薙ぎに振って、サオの守りを崩そうとする一撃を放つ。
それは風切り音を置き去りにして襲う、恐ろしく気合の入った渾身の一撃だった。
サオはそんなガードしてもホームランされてしまいそうなスウィングに対して絶妙な角度でヒーターシールドを構えると、その体重を乗せた剣撃を軽く盾で受け、コツンと軽い音を立てて受け流すと、その受け流した衝撃を殺すことなく、くるりと回転し盾でダフニスの顎を打ち抜いた。
ガクッと膝を折る2メートルのベアーグ。
足は言う事を聞かなくとも、まだ腕が残ってる。ダフニスは左拳でラリアット気味のフックを放って軌道上にあるもの全てを刈り取ろうと試みるが、サオはそれを落ち着いて、まるで地を這うようなダッキングで躱し、懐に潜り込むと無防備な鳩尾に肘を突き立てた。
「ゲフっ……」
サオは崩れ落ちようとする巨体に止めとばかり背負いで投げを打ち、再び頭から地面に激突してしまったダフニスはその闘志を根こそぎ刈り取られ、意識を闇に落とした。
動かなくなったダフニスの傍らに立ち、サオの手刀が首に向けられたところでトリトンから号令がかけられた。
「勝負あり!」
まるで他人事のように拍手喝采を送るアリエル。
「おーすごい、すごいよサオ。ロザリンド見て、あの子おれの弟子なんだぜ?」
「知ってるわよ、なにそれ。目尻下げちゃってもう」
後にノーデンリヒトの防人となるサオ。
アイアンハート、鉄の女、鋼鉄の盾など、さまざまな『鉄』の異名で呼ばれるのはもう少し先の話。




