04-17 牙と爪
96話
----
正午になると南門前はちょっとしたアリーナになっていた。
砦の者たちほぼ全員が観戦に来てるのは気配で分かる。この砦にいる者はみんなこの場に集まっているのだから。
回復役のカリストさんがスタンバイオッケーのサインを出すと、ガラテアさんもベルゲルミルも気合が入ってきたようだ。ウェルフ二人。カルメとテレストに至っては、朝から軽く手合わせしたのだろう、すでにひと汗流したあとぐらいにまで身体も温まっていて、いい闘気が出ている。
ガチンコでやる気がビシビシと伝わってくる、こちらまで武者震いしてしまうほどだ。
アリエルはゆっくりと中央に進み出て、瞑目したまま右腕を上げると、[ストレージ]から木刀を取り出した。突然どこかから木刀が現れてその手に握られたことから、魔導に深い理解を示す者はここで戦慄を覚えたが、それとは対照的に純粋な剣士ほど、その恐ろしい魔導に対して無頓着だった。
魔導師と剣士の、この見識の差こそアリエル・ベルセリウスの力を見誤って命を落とすタイプの人間か、そうでない人間かの差ではないかと考えた者がいた。勇者パーティで回復役を担当していた治癒魔法使い、賢者カリストがそうだ。
カリストは剣士の時代は近く終わると思っていた。
剣士の最高峰である勇者キャリバンが、世界でも最強の装備を付けてなお魔導師に倒されたのだから、敵も味方もなく、剣士たちにはまず刮目し己が技術の終焉を理解せよとそう言いたかったのだが、王国騎士団からなるノーデンリヒトの守備隊の面々は停戦になったことを喜ぶあまりか、それか、単にバカなのだろう。昨日、剣士の時代の終わりを目撃してなお、まだ木剣で打ち合う腕比べをしてメシを賭けようというのだ。
カリストは清々しく滅んでゆくであろう王国騎士団の面々に敬意を表し、このバカ騒ぎの尻拭いをするのに選ばれて光栄だと、そう思った。
----
アリエル・ベルセリウスが開始線に立って関節を暖めている。
ゴキゴキと首を鳴らし、睨み付け威圧する気を放出しながら、静かに名乗りを上げる。
「アリエル・ベルセリウス。……おまえらには死神だ」
威圧……、アリエルにとって威圧はそれほど難しい技術ではない。
気配を読むと相手がどこにいるか分かり、気配を消すと相手に自分を悟らせない。そして気配を増幅すれば自分を大きく見せることができる。怒っている気配、優しい気配、寂しがってる気配、嬉しい気配、人はいろんな気配を放つ。相手を威圧したいときは、殺気を増幅すればいい。
カルメとテレストは思い出した。死神と対峙するということ。
たとえ脳が忘れても放たれた威圧が心に刻み込まれた恐れの感情を呼び起こした。恐怖に身がすくんで動けなくなり、ただ仲間たちが殺されるのを見ているだけしかできなかった過去を。
目の前が真っ暗になり、視界の下半分が暗転する。立ち眩み、貧血と似たような症状に陥り、小刻みに振動するような震えが身体の芯から手足に伝播する。威圧されることで、様々な状態異常を引き起こす。
強い……、相手にならない……。
かなわない……、今度こそ殺される……。
カルメは委縮するハートを意志の力で奮い立たせた。
小さな声で囁くように、自分に言い聞かせた。
「NOだ! ぼくたちは屈しない」
テレストは牙を剥いて唸り声をあげつつ、カルメに応えた。
「そうだ! 目の前の敵を見据えろ、剣を構えるんだ!」
「いまはもう、あの時のような子供じゃない」
「誇り高きウェルフの戦士だ!」
作戦の確認よりも、心を通い合わせることを選んだ二人の戦士は、開始線に立って勇者を倒した最強の敵に相対した。
思えばこの二人の戦士は不幸な戦績を残した。
6年前もここで負け、そして昨日も勇者のパーティに蹂躙された。
牙は届かなかった。爪は空を切った。
カルメとテレストはノーデンリヒトの死神を恐れた。ヒト族を恐れた。
6年前の屈辱を忘れず鍛錬に明け暮れ、ウェルフの若手の中ではやり手と言われるほどには成長した。
自分たちの力を信じて、悪夢を振り払うためアルデール将軍の部隊に志願して、意気揚々と海を渡ってきたというのに、ドーラ軍に対し宣戦布告してきたのは勇者たち、神聖典教会だった。
勇者の力は圧倒的で、なまじ自分たちが腕を上げていたことが不幸だったのかもしれない。
相手の力量を推し量ることができるようになっていたことで、ウェルフの力じゃあ勇者には勝てないという事実を思い知らされただけだった。
ノーデンリヒト砦の中で籠城している間、ロザリンド・アルデール将軍に聞いた話だ。
カルメたちドーラ人は、勇者というものを、単に『最強の戦士』だと捉えていたが、アルデール将軍は、それだけじゃあ足りないといった。
勇者というのは、どんなに不利な状況でも仲間を見捨てず、どんな絶望に追い込まれても諦めずに戦って、ピンチを逆転して勝利する、まるで人々の希望のような存在だと、そう言った。
今にも負けそうな状況でも、勇者がいることで皆が奮い立つような、そんな憧れの存在なんだと。だから勇者キャリバンは勇者じゃなくて、偽者だと言って笑ったんだ。
キャリバンたち勇者軍55名との戦闘、80人いた戦士たちは圧倒的な力で蹂躙され、わずか6人の生き残りで砦門から打って出た時は、正直言って死ぬことが目的だった。名誉の戦死というと聞こえはいいが、勇者軍の力に圧倒され生きることを諦めた兵士が、逃げようとする背中を斬られて死ぬか、それとも勇敢に前に出て名誉の死を得るかという、悲しい二択だった。
しかし実際には圧倒的な不利をひっくり返して勝利した。6年前、自分たちに敗北と恐怖を刻み込んだ、あのノーデンリヒトの死神とアルデール将軍が、まるで何年も一緒に背中を預けて戦ってきたコンビのような共闘を見せ。死の運命を力で覆したのだった。
カルメもテレストも、6年前からまったく変わっていなかった。ひとつも成長していなかった。性懲りもなく戦場に出て、また負けて、命を諦めて、ただ自分たちの介入するスキのない、遥かにレベルの高い戦闘に見とれていただけだった。
アルデール将軍は言った。勇者とは『どんなに不利な状況でも仲間を見捨てず、どんな絶望に追い込まれても諦めずに戦って、ピンチを逆転して勝利する、まるで人々の希望のような存在だ』と。
確かにそう言った。
もしアルデール将軍のいうような奴が本物の勇者だというなら、目の前に立つ、あの忌々しいノーデンリヒトの死神こそが勇者だ。
6年前は恐怖した。だが昨日の戦闘は胸が震えて、歓喜した。
カッコいいと思った。自分もそうなりたいと思った。
憧れたのだ、あの忌々しいノーデンリヒトの死神に。
カルメは憧れを否定する。
テレストは感動を否定する。
このままでは戦士としての誇りをも諦めてしまうことになる。
勝つか負けるかは問題じゃない。誇りの問題なのだ。
アリエル・ベルセリウスの名乗りに応え、二人のウェルフも胸を張って名乗りを上げた。
「アルデール将軍直下、親衛隊カルメ」
「おなじく、アルデール将軍直下、親衛隊テレスト。ウェルフの誇りを返してもらいにきた」
アリエル・ベルセリウスは、二人のウェルフを前にゆっくりゆっくりルーティーンを組み立て、そしてゆっくりと上段に構える。
数秒の緊張。
静寂……。
ガラテアが「はじめ!」号令をかけた。
刹那! 二人のウェルフは地面に爪を食い込ませて筋力をバネに加速する。恐怖を克服し、目の前の死神を倒すため、筋肉は裏切らなかった。
カルメが真っすぐに踏み込み、最短距離で間合いに入ったが、テレストは右に回り込んだ。
速い。
アリエルは右構えで上段に構えている。
右構えを相手に機動性を生かしたいなら、敵を中心に時計回りに回るのがセオリーだ。
カルメとテレストはセオリー通りの、何の変哲もない、つまらない攻めを選択した。
つまらないとは言ったが、これはウェルフの機動性を最大限に生かした戦術だ。いつだったか、アリエルとパシテーがトライトニアをうろついてた夜、魔族の斥候に見つかったとき、ウェルフと戦闘した際に経験している。
まずカルメが一直線にアリエルの小手を狙い、防御させれば上々、躱されたとしても剣の軌道を制限させてから、テレストが横から襲うコンビネーションだった。
しかしアリエルはウェルフたちの想像の上をいった。カルメの小手先狙いの斬撃を難なく木刀で受け弾いたあと、返す刀で横っ面を薙いだ。まさか反撃する余裕があるとは思わなかったカルメの頬がざっくりと裂けた。
怯まずに次の一撃を繰り出すカルメ、だがアリエルはそれも読んだ。
カルメから一瞬遅れて右側から襲うテレストの攻撃を木刀で受けながら、カルメに向けて置き土産とでも言わんばかりに[ファイアボール]を置いておいた。
一方、初撃をガードされたテレストはアリエルに向かって一直線に踏み込もうとしたところ、足もとを砂に変えられ、バランスを崩してしまい、狙いすましたように木刀を振りかぶったアリエルが見えた。
一刀両断で倒されてしまう必殺のタイミングだったはずが、テレストはその手を読んでいた。
そう、6年前この場で、あのべストラ隊長が一刀両断にされたときの、あの巧妙な罠を憶えていたし、昨日の勇者戦でもその凶悪な罠のような魔法は猛威を振るった。踏み込みが命のウェルフを殺したいのなら、もしかすると最も都合のいい魔法だろう。だがそんなものに引っかかってやるわけにはいかない。
一瞬の判断で踏み込みをローリングに変え、砂を踏みながらもアリエルの木剣は空を斬った。
かろうじて回避することに成功したテレストは、ローリング時に下から伸びあがり、アッパーカット気味に蹴りを入れておくことも忘れなかった。
アリエルの頬に爪が掠る。
必殺のタイミングを外された上に、蹴りの置き土産までもらったアリエルはテレストを追撃するため、追う体勢にスイッチし、スケイトで加速しようとしたところで、さっきファイアボールをまともに食らわせておいたはずのカルメが、背後から捨て身の攻撃を加えてきた。
アリエルが放った[ファイアボール]は牽制のため、あからさまに置かれたものだ。命中させてダメージを狙ったものではなく、右側から襲ってくるテレストに対処するため、1秒程度の時間を稼ぎたかったのだ。
だがカルメはアリエルに時間を与えなかった。避けることも防御することもなく顔面で真正面から[ファイアボール]を受け、灼熱の炎を割って、今にもテレストに追い打ちをかけんとしているアリエルに対して一直線に、真正直に、魂を乗せた捨て身の一撃を放った。片手持ちの木剣を両手で握り、大きく振りかぶって渾身の力を込め、ファイアボールの炎に全身を焼かれることも厭わずに。
「チーッ、そうくるか」
炎に身を焼きながら魂の込められた一撃を、紙一重、身体を捻って避け、捻った動作そのまま後の先を取り、回転の威力も加わってカルメの肩から鎖骨を砕いた。真剣なら即死だった。
カルメは膝から崩れ落ち、戦闘から離脱を余儀なくされた。
カルメを倒したアリエルは胸を張り、顎をくいっと上げて『どうだ!』と言わんばかりにテレストを見下ろした。その頬からは血が滴り落ちた。
ローリングから向き直ったテレストはアリエルの頬から血が流れているのを見ると、口角をもちあげ、いやらしい笑みを浮かべた。自分たちのコンビネーションがノーデンリヒトに死神に傷を負わせたのだから。
そうだ、死神もヒトなのだ。傷つけられれば血を流す。
かなわないことはなない、どんな強敵でも戦いようはある。
「死神が何だ、傷つけられたら血が流れるじゃないか。死神も俺たちウェルフと同じだ」
「お前ら俺を何だと思ってたんだよ……」
ローリングから振り向きざまにカルメを倒されてしまったテレストは地面に深々と爪を差し込んで爆発的な加速で渾身の突きを放つ。カルメが居ない以上、一対一なら小細工は通用しない、どうせ通用しないで負けるのなら、全力を見せつけてやりたかった。
アリエルは落ち着いて身体を半身に躱すと、テレストは待ってましたとばかりに身体を翻し、地面に深々と爪を打ち込み、まるでボールが壁に当たって跳ね返るように反転し、躱したまま棒立ちになっているアリエルに斬り掛かった。
「殺った!」
この間合いでこのタイミングは、魔人であっても躱せない。引いても左右に躱しても致命打になる。
テレストは勝利を確信した。
だがアリエルは躱さなかった。避けなかった。さすがにこの攻撃まで読んではいなかったが、ウェルフ族の戦士がすんなり勝たせてくれるわけがない。当然、想定内だった。
たとえ試合で一本取られて負けたとしても、みっともない負け方はできない。昨日、ロザリンドに言われたばかりだ。アリエルは踏み込んで間合いを潰し、懐に潜り込んで、木刀の柄のほうで、がら空きになった鳩尾を突いた。
「ぐはっ……」
瞬間、テレストの身体がくの字に折れ曲がり、一瞬動きを止める。
アリエルはテレストの伸びきった腕を取って投げるため更に懐に潜り込み、一本背負いでこの速い狼を一回転させた。そして倒れたところ首を薙いで勝負あったかと思われたが、ここにきてまだそれを躱すテレスト。だが完全には避けきれず右の耳がざっくりと裂けた。
「まだまだっ!」
スピードと踏み込みの早さがウェルフの誇り。少し間合いを取った。ぐっと姿勢を低くし、テレストは右中段に構える。ウェルフが負けるわけにいかない踏み込んでの初撃勝負に誘う。
テレストの誘いを察したアリエル。
さっきのお返しとばかりにニヤリと口角を上げて笑って見せた。
テレストは地面を砂に変えられる魔法への対策として左右に小さくステップを踏みながらリズムを刻み始める。足を見ていると惑わされるほどの複雑なステップだ。
アリエルは上段に構えたまま静かに呼吸を読む。筋肉の動きを読む。そして目を読む。だから来る瞬間がなんとなくわかる。それだけで十分。
リズム、リズム、リズム。呼吸を整え、テレストは地面に深々と爪を差し込んで自らを爆発的に加速させる。踏み込み、振りかぶった木剣。
木剣の軌道は一筋。
アリエルはテレストの呼吸を読んで先の先を取り、木刀を振り下ろした。
―― ドカッ!!
テレストもカルメと同じく、肩から鎖骨を折られて沈んだ。テレストは前の交差で投げられたとき、肋骨を折られていたことが原因だったのだろう、わずかな差でアリエルに剣が届かなかったことが敗着となった。
「勝負あり!」
担架が運ばれてきたが、二人はそれを断り、自らの足で試合場から歩いて出て行った。
サムズアップを決めながら大声援に応える二人のウェルフが受ける声援は、まるで勝者のようだった。
ウェルフたちはとても傷つき、血を流しながらも、とても晴れやかな表情だ。おそらく、この二人の胸に誇りは戻ったのだろう。……恐怖を克服したのだから。
見物人が作った輪の外に出たカルメとテレストのもとにカリストが駆け寄ってケガの具合の診察を始めている。このケガ人二人組、治癒は骨折のみ治癒を望んでいて残る傷はウェルフの誇りだといって治療を拒否するという。骨折だけ治して、傷は残す、治癒魔法を担当するカリストの腕の見せ所である。
「おまえら強くなったな。なかなか良かったぞ」
二人に駆け寄って労いの声をかけるロザリンド。
魔人に流れる血がすこし滾っているのに気付いて困惑しているようだ。
「いやあ、二人がかりでこれです。まだまだ、力が足りませんでした。でもぼくたちは、もっともっと強くなります」
「ははは、熱いね」
ロザリンドは湧き上がる闘志を内に秘めて抑え込み、アリエルからもらった木刀を握りしめた。




