04-16 旅を続けるために
95話
炊き出し場からいい香りがしはじめ、我先にと並ぶ兵士がではじめた頃、カマクラの扉を開けてパシテーがもそもそと出てきた。
「んーー、兄さま、姉さま、サオおはようー。頑張ってね。土の魔法は私も教えるの」
「はいっ! おはようございます」
「なんだよパシテー、今まで寝てたくせに、すべてお見通しか?」
「試験なんてしてもしなくてもよかったの。兄さまみたいな女ったらしがサオのお願いを聞いてあげないわけなんてなかったの」
「誤解のないように言っておくけど、俺そんなに女ったらしじゃないから」
「へえ……詳しく聞かせてほしいわ」
「そんな話なんもないよ。えーっと、ロザリンドとサオは強化魔法で走って、スピードどれぐらい出せる?」
「計ったことないけど、強化強めにして全力で走るだけなら100キロぐらいかな。縮地は連続できないから移動には使えないし」
「私は時速50キロぐらいですが、4時間ぐらい走ると眩暈がして動けなくなります」
「パシテー、南に降りる道をロザリンドと追っかけっこしていろいろ見てきて」
「ん。分かったの。姉さま、私について来られる?」
珍しくパシテーが挑発的な目つきでロザリンドを誘うと、ロザリンドもその挑発に乗って強化魔法を展開した。
「フン! 鬼ごっこは得意なの。負けてあげない」
パシテーは一瞬で姿を花びらに変え、桜吹雪のように散って姿をくらますと、一歩目を縮地で加速し、土煙をもうもうと上げながらものすごい勢いで後を追うロザリンド。
あんなのに着いていけるロザリンドもロザリンドなんだが……。
……だけど、パシテーの散らした花びらに違和感があった。
「パシテーさんかっこいいなあ……、あこがれます」
「あれは高位の土魔法を無詠唱で使えるパシテーのオリジナル。俺もあんなにうまくは飛べない。サオも頑張れば飛べるようになれるかもな」
「はいっ、がんばります」
「じゃあとりあえず、地面から30センチぐらいの高さを滑る魔法[スケイト]から鍛錬します。考え方としては30センチの高さを飛んで移動するのと同じ。これは慣れると強化魔法で走るよりも何倍も楽に、速いスピードで、しかもカッコよく優雅に移動できる必須魔法だからね、いちばん最初に覚えてもらわないと、家に帰るのにも困るんだ」
「はい、師匠」
「では、こちらへ」
抱き上げるとちょっと驚くサオ。不安そうに身体を固めて少し震えてる。
「サオ、震えてるのか?」
「いえ、師匠に触られても魅了されないよう、パシテーさんから伝授された技をと」
「俺に魅了なんかないからさ。安心していいよ。どんな技を伝授されたのかは知らないけど、ちゃんと俺の話は聞かないとダメだぞ」
「師匠からは瘴気の触手より恐ろしい魔の手が伸びるって……」
「ほぼ悪口だよそれ。そんな手もってないからね! はい、そんなの忘れて、いくよ俺のマナを感じて。どうやってるか、どう使ってるか、どうコントロールしてるか。目を閉じてもいいから」
サオの身体にアリエルのマナが染み込み、背中がゾクゾクして肌が粟立つ。性的興奮にも似た感覚に襲われ動悸が激しくなるのが分かった。(ああっ、これが魅了?)
サオは全身が敏感になり、肌から産毛に至るまでが鋭敏にマナの動きを読み取るセンサーのようになった。アリエルのマナの流れや働きが手に取るようにわかる。
「サオ、サオ、聞いてるかい」
「あ、はい、師匠。……マナの流れが……わかります」
「じゃあ二人三脚するよ。肩を組むからね、サオは俺の腰に手を回して」
気を散らさないよう集中するサオは、マナの流れから[スケイト]の正体を理解した。
足に土魔法を使って魔法の靴を履き、30センチの高さで維持する。その魔法の靴で地面を蹴るように滑るのが[スケイト]。これが師アリエルのオリジナル魔法だった。
「サオ、イメージして。イメージ。集中してイメージね。起動式とか術式なんかもう要らない。サオはもう知っているんだからね。当たり前のように魔法を使うんだ、呼吸をするのに起動式も術式もいらない。歩くときサオはどうする? 左足を前に出して、足をつけて、そして次に右足を持ち上げてから前に出すなんて、考えなくても無意識のうちに歩けるよね。魔法を使うのも同じ。起動式も術式もなにも要らない。足の動かし方を知っていれば理屈じゃなく歩けるように、サオももうマナの流れを知ったんだ、理屈じゃなく魔法を使える」
アリエルは熱心にサオを指導し、サオは集中して周囲のことにまるで気が回らないぐらい自分たち二人の世界に入り込んでいた。
パシテーとロザリンドが追いかけっこから戻っても声をかけるでなく、アリエルとサオは一心不乱にマナを練り上げていた。
サオは夢中になっていて気付かないのだが、アリエルにはその視線が痛いほどに突き刺さった。せっかく愛弟子と二人三脚で魔法の鍛錬をしているというのに、不快害虫でも見るような目つきでじーっと見られてる。
「そんな目で見られてたら練習にならないじゃないか」
「ちょっと目を離した隙に、ほーんと仲のおよろしいことで」
ジト目を送るロザリンド。こういう不満をこぼされるといくら反論しても師匠の立場を悪用していると言われるのがオチなので、ロザリンドは無視することにした。
「パシテー、ロザリンドどうだった?」
「ん。速いの。120キロぐらいまで。怖かったの。ジャンプは高さ20メートルぐらい飛んだけど、着地で爆発したように大穴あいたの」
「クレーターできるほどか!」
パシテーはクレーターがどんなものかを知らないのでちょっと首をかしげていたが、ロザリンドは当然知っているので、バツが悪そうに答えた。
「てへへ……いちおう穴は埋め戻しておいたからさ……パシテーが」
服が土まみれになってるロザリンド。テヘペロは可愛いけど、クレーター出来るほど地面に激突しておいて、それでかすり傷程度ということは、かなり防御が堅いということか。
「ロザリンドおいで。女の子なんだから、もうちょっとスマートにな」
身長差のある肩を抱いて[スケイト]を起動して、さっきのサオと同じように、マナを流し込んでその働きそのものを理解できるように、マナの流れを把握しながら、スケイトを理解してもらう。
ロザリンドはアリエルに触れられた部分からマナが侵食してくるのが分かった。
「ああ、これが魅了ね。なるほど」
「ないってば……傷を治すときも同じだったろ?」
「うん。そうだね、私はあの時すでに悪い魔法使いの虜になってしまったんだね」
「してねえし。じゃあ、集中して。感覚を研ぎ澄ませて。[スケイト]の魔法のマナの動きを感じて、マナの使い方も、どうコントロールしているかも。感じるんだ」
身長2メートルの女をお姫様だっこしながらシュプールを刻み、スケイトで滑るアリエルと、目を閉じてマナの流れを理解しようとするロザリンド。
ロザリンドは四属性の魔法の中で唯一、土の魔法だけはそこそこ出来るので、スケイトを理解することは難しくなかった。とはいえ頭でスケイトの魔導理論を理解したのではないが。
「なんとなくわかったかも。ぞくぞくする」
「言ってろ。ちゃんとついてこいよ」
アリエルは抱き上げていたロザリンドを降ろし、こんどは二人の足首を手ぬぐいで結び、固定して[スケイト]を起動した。するとアリエルのマナが流れて、ロザリンドの足からもスケイトが起動された。これはアリエルのスケイトだ。
二人は二人三脚のまま地面を蹴って、グン!……っと急加速した。強化魔法はロザリンドのほうが上だが、スケイトはアリエルの魔法で、アリエルのマナを使っている。
ロザリンドのほうも置いてゆかれるなんてヤワな運動神経をしていない。
アリエルが少し意地悪にギュル!っと小回りしても、ロザリンドは付いてきた。ジャンプしても、たぶん一番難しい着地でも転ばなくなり、15分も滑り続けると、ロザリンドはあらゆるシチュエーションでアリエルについて来られるようになった。
「ああ、なんとなくあなたの言いたいことは分かったわ」
「それじゃあ、次はサオも混ざって三人四脚な」
夫婦が娘の運動会に出て、非常識な速度で三人四脚してるように見えるかな。
ロザリンドは魔法に対して不器用だけど内に秘めた魔力量は計り知れない。もしかすると魔力量に限るとパシテーよりも上かもしれない。こんな膨大な魔力を強化魔法だけに使うなんてもったいなさ過ぎてバチが当たりそうだ。こんなにも溢れんばかりの魔力を持っていながら得意魔法がないなんて考えられないから、きっと他に何か適性があるはずなんだけど……。
それにしても不器用だなロザリンドは。スケイトなんてマナをほとんど使わない省エネ走法なんだからそこまで筋力使わなくていいのに、なぜかスタートダッシュから全速力なんだ。そりゃあ転ぶのも頷ける。それに引き換え、サオの物覚えの良さはまるで乾いた砂が水を吸収するかのように理解を深めてゆく。ロザリンド、あれは運動神経だけでスケイトをマスターしようとしてるのが手に取るようにわかるし、サオはマナのコントロールでスケイトをマスターしようとしている。
さながらウサギと亀の童話のようだ。
でもやらせておくとロザリンドは際限なく転んでボロボロになってゆくのが火を見るより明らかだったので、ひとまず止めておくことにした。
「はい、今日のところはここまでね。この後、立ち合いがあるから精神統一と、あと、身体も温めて準備しておかないと」
「うん、なんか頭がいっぱいになるね。今まで使ってた魔法の知識がまるで役に立たないなんて思わなかった。でもあなたこれを誰に教わるでもなく一人で考えたのは天才だと思うよ。本当に。でも、スケイトって名前がちょっと気になるな。なんでスケートじゃないのか? ってほんとそんなレベルなんだけど」
「ああ、どっちでもいいよ。俺は名前にはこだわらないんだ。俺のオリジナル魔法って、スケイトと、爆裂と、ストレージと、あとドライヤーと、あと、エアコン代わりの相転移って魔法も俺のオリジナルかもしれないけど。そんな感じだから適当でいいんだ」
「相転移だけ適当じゃない気がするけど、そんなことどうだっていい。いまはドライヤーの話が聞きたいわ」
「そのまんま筒から温風が出る魔法だよ。ファンヒーター代わりの暖房器具にも使えるから地味に使い勝手のいい魔法なんだけどね」
「この世界に来てドライヤー使えるとは思わなかった。それ起動式発表したら世界中の女の子があなたの魔法を使うわよ。きっと」
柔軟体操しながらドライヤーの魔法に目を輝かせるロザリンド。これから木剣を持って立ち会うのだから関節のケアは入念に行っている。
サオは魔法の鍛錬を継続していて、いまは30センチの高さに浮かび、体重移動で左右にすうっと音もなく移動する感覚を掴もうとしているところだ。
「あ、ごめんロザリンド、今日の立ち合いな。あのベルゲルミルってハゲもロザリンドを指名したぞ? おまえすっごい人気あるな」
「オッサンにしかモテないんだけどねー」
などと言いつつも機嫌良さそうに体をほぐしている。
アリエルはロザリンドとサオに背を向けると、ぼーっとしているパシテーのもとに向かった。
その表情はさっきまでと打って変わって、険しいものがある。
「パシテー、ちょっとおいで」
ちょっと強引に手を掴んでグイっと引き、昨夜みんなで寝た少し大きめのカマクラに引きずり込んだ。ロザリンドは少し怪訝そうな表情で見送り、サオは気が付いていない。
「てくてく、出てきて、ちょっと助けてほしい」
薄暗いカマクラの中で、薄くなってしまったアリエルの影からくるくるくるーっと回りながら出てきて、投げキッスで登場したてくてく。何のつもりだろう。
「メンバーが増えたからキャラ作りして存在感示さないと出番が減ってしまうのよ」
訳の分からない理由だった。こんなものは華麗にスルーだ。
アリエルはパシテーを抱き上げて、そして回復効果のあるマナを送り込んでいた。
「実はさっきパシテーのマナに瘴気が混ざってて、心配なんだ。たのむ。パシテーを見てやって欲しい」
「あー、マスターにはパシテーの薄い闇が瘴気に見えるのネ。でもそんな泣きそうな顔しなくても心配いらないのよ。マナを暴走させたら蛇口が壊れるからもう戻せないの。肉眼で見えるほど濃いマナが出るから燃費は悪いけどパシテーの魔力量なら大丈夫なのよ。でも次また暴走させたら本当に死ぬからね。あと、パシテーがマナを暴走させて死にかけたのは完全にマスターが悪いのよ」
「姉さまの見えないところで、こっそり抱きしめるのね」
パシテーの皮肉が痛い。胸に刺さる。だけどそんなつもりじゃない。
「いつでも抱きしめるさ。パシテー、ごめん。もうあんなことしちゃダメだ。俺が悪かったから」
カマクラの中、こんなに焦ってるというのにパシテーは不機嫌そうな顔で不満だと言った。
「ふん。そういえば許してもらえると思ってる。兄さまは卑怯なの。私との約束を破ろうとしてたくせに。『私を捨てないで。兄さまの行きつくところ、最後まで連れて行って』って言ったのに、兄さまは私のこと捨てて姉さまと二人で死んでもいいと思ってたの。ひどいの。私、怒ってるの」
「……悪かった。反省してる。俺の故郷にパシテーを連れていくって言っただろ? 約束を守らせてくれ」
「もう! そういえば私が折れると思ってるのが腹立つの」
「……… 怒ってる割には機嫌よさそうに見えるんだけど?」
「へへー、折れたの。本当に連れて行って欲しいよ。約束なの」
「うん、約束な。パシテーも絶対にもうあんなことしたらダメだぞ。なあてくてく、瘴気が出るようになったら魔法とか不具合あるんじゃないの?」
「瘴気に変質したマナは重くなって地面を流れるのよ。風の守護者だったアタシはマナが瘴気になってから風の魔法ほとんど使えなくなったけど、パシテーは土使いだから魔法についてはむしろ強化なのよさ。マナが重くなった分ね。でも花びらが散るのは謎、アレは結晶化したマナがパシテーの身体から壊れて剥がれ落ちているのよ」
「パシテーの身体に悪い事とか? ない?」
「瘴気が混ざるのも、マナが花びらのようになって散るのも、今のところは何も心配いらないのよ」
「そ……そっか。ホッとしたよ、パシテーが無事ならそれでいいや。んじゃ俺このあと立合いの約束があるから、準備しとくよ」
「あー、パシテーこれからちょっと時間ある? 瘴気が出るならコントロール覚えたほうがいいのよ。あと簡単な闇魔法も使えるはずだから教えるのよ」
「あ、闇魔法すごい! 教えてほしいの。魔導学院にも光と闇の属性は使い手が一人もいなかったの」




