04-11 キャリバンの想い
90話
~~~~ 回想 ~~~~
ここはアシュガルド帝国、帝都フリーゼルシアから遥か西、神聖女神教団本拠地のあるアルドメーラ自治区エルドユーノ。まだ夜は始まったばかりの宵の口という時間帯、陽が沈み、日中働いた者たちが次々と訪れるという、安酒場がいくつも林立している通り。
―― ギィ……。
―― バタン。
ウェスタンドアを開けて店内にきた黒髪の男が店内を見渡すと、店の一番奥のボックス席に目を付け、足早に歩み寄った。
「おいキャリバン……」
「ああ、アーヴァインさん。さすが情報が早いな。次は北の果てに左遷が決まったよ」
若くして薄毛の男が鶏肉にかじりつきながら空いてる方の手を上げて、軽く挨拶した。
「チーッス」
「なんだよベルゲル、お前もか」
「ゲハハ……俺たちが戦争を終わらせてくっからよ。ほら平和な未来に乾杯しようぜ……」
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2年、いやもう3年になるか……。
ベルゲルミルは地面に寝っ転がって、ただ空を見ていた。
帝国に居て、一緒に酒場で食事していたことを思い出しながら特に何をするでもなく、帝国の方向に流れて行く雲を眺めてる。それだけだ。
そう、ここはユーノ―大陸で最も北の戦場、ノーデンリヒト。
目が覚めたら、クソの役にも立たない傍観者だと思ってた王国騎士どもが傷の治療をしてくれていて、そして停戦になったと知らせた。
ベルゲルミルはここでやっと戦いに敗れたことが理解した。
フェーベが倒されたのも覚えてる。
日は西に傾いて、空気が少し湿気を帯び始めた頃、西の林の高い針葉樹の影が伸びてきて、もう少しで足に届く。ベルゲルミルが横たわる傍らには、カラッカラに焼けたミスリルの鎧が無造作に転がっていて、うず高く積み上げられた真っ白な灰があった。この真っ白な灰がキャリバンの亡骸だと言われても、そう簡単には受け入れられない。
キャリバンは、こんな世界なんか、帝国なんか大嫌いだと言ってた。
軍幹部とは軋轢があったが、そこに暮らす人々の暖かさは好きだと言ってた。
「なあ……、自分が死んじまっちゃダメだろうが……」
流れる雲をただぼーっと見ているだけ。もうな――んもやる気が起こらないベルゲルミル。このまま寝てやろうかと考えていたら、視界の端っこから覗き込む顔があった。
「こいつら……」
体を起こしてその場に座ると、指名手配の賞金首が話しかけてきた。
「よう、よく生きてたな」
「…………」
おとなしくしてりゃあ貴族の御曹子で何不自由なく生きていけるのに、教会を目の敵にして暴れまわったことから異端者の烙印を押され、その首に200ゴールドという賞金が懸けられたアリエル・ベルセリウスが、女神の敵、魔王軍の女将軍ロザリンド・ルビス、そしてブルネットの魔女を伴って敗戦の陣を訪れた。
「司令官として話ができる人は誰かな?」
「ああ、キャリバンが戦死したからな、階級では俺が一番上になる……かな」
ベルゲルミルがちょっと苦手なのだろう。アリエルの表情が曇った。
「どうする? 俺も殺すか?」
「いや、俺たちと王国騎士と魔王軍の生き残りはしばらくの間、停戦に合意したんだが、アンタら三人はどうする?」
「どうするだぁ? 停戦を受け入れないと戦闘継続で俺ら三人ともあの世だろうが」
「まあ、そうとも言う」
「じいさんの治癒魔法があるんでな、ケガも火傷ももう治るし、明日にはここを発つ予定だが、停戦の条件を提示してくれたら検討するぜ?」
「明日には発つのか。えーっと、停戦の期間、停戦の地、つまりノーデンリヒトでは各陣営との戦闘行為および、素手であってもケンカなどの闘争を禁ずる。あと、倒した魔族から略奪した戦利品があるならそれも提出してもらう。遺品になるんでな。仲良くしろとまでは言わんよ」
「戦利品はなし。ただ負けて、失って帰るだけだ」
「そうか。これは別口だが、あんたに個人的な要求だ。ロザリンドは俺の妻になる。お互い私怨もあるだろうが、今後もし怨恨が原因の戦闘があるとするならば、まずは俺を狙え。もしその時が来たなら、俺の手でキッチリと殺してやるから」
「兄さまを狙ったら私が殺してやるの」
「パシテーに剣を向けるような男は私が殺してやるわ」
「一回りして話を戻すな」
……。
……。
「俺たちはこんな愉快な連中に負けたのか……。もう何も言えねえ。しかし手加減して生かしておきながらそんなこと言うかね?」
ベルゲルミルはやれやれといった表情で戦いに勝った者たちに、なぜ自分を生かしたのかと問うた。
「いや、最後のあれは……、そうだな。手加減したのは単純に土煙で勇者の動きが見えなくなるのを嫌ったからだ。ギリギリ死んでも構わない強度の攻撃だった。お前が生きてるのは、俺が考えていたよりもお前の方が強かったからだよ」
「そうか、ちょっとだけ誇りが戻った気がするよ。ちょっとだけな。その条件を受け入れよう。それと、俺に私怨はねえから。腕もまた生えたしな。俺はトカゲかもしれねえ」
少し自棄を起こしたように自嘲気味の皮肉で返すのが精いっぱいのベルゲルミルだった。
「ここで野営するかい? なら夕食はこっちで用意するけど。停戦祝いの良い肉を出すから、腹減らしといたほうがいいぞ」
「そうか、お言葉に甘えるよ。あー、そうだひとつ言っていいか?」
「んー、なんだ?」
「俺はハゲじゃねえ。挑発に乗ってしまった愚は反省するが、それでも俺はハゲじゃねえ。薄毛だ。そこんとこ間違えるなよ」
「ああ、分かった。気を付けよう」
用の済んだアリエルたちは、停戦で賑わう宴の準備をしている王国騎士たちのテントへ向かった。歩いて去っていくときもキャリバンの灰を踏まないように、ちゃんと大袈裟にぐるっと避けて通ったのをベルゲルミルはぼーっとしながら見ていた。
「ねえベルゲルー? あいつ異端者なんでしょ? 帰ったらまた抹殺の命令でるのかな? 私、あいつとはもう戦いたくないよ」
「どうした? 怖くなったか?」
「ベルゲルは怖くないの? あのフル装備のキャリバンが負けちゃったんだよ? 灰がキャリバンだなんて私信じないけど」
ディオネはアリエル・ベルセリウスに対して恐怖している。
ベルゲルミルはすこし考えたあと、少し離れたところに積みあがっているキャリバンの遺灰を見ながら話し始めた。
「なあディオネ、さっきそこにいた王国騎士に聞いたんだが、キャリバン含めて、俺らたった3分で全滅したんだとよ。これがどういう意味か分かるか?」
「え? どう答えたらいいかわかんないんだけど……」
「……あのなあ、奴らが帝都に侵攻してきたとしたら、キャリバンでも時間稼ぎにすらならねえってことなんだが……なあディオネ、お前本当にあのアリエル・ベルセリウスが怖いのか?」
「怖いよ……」
「いや、俺は怖くなかった。お前も本当は恐怖なんて感じなかったはずだ。命を拾って、目が覚めて、今思い出してやっと震えが来てるところじゃないのか?」
ベルゲルミルは震える手をしばらくの間じっと見つめてから重い口を開いた。
「ディオネ、この震えは、恐怖なんかじゃあない」
ベルゲルミルの次の言葉を待たず、賢者と呼ばれる治癒師のカリストが、ベルゲルミルの背後で入念にさっき飛ばされた左腕を治療をしながら、横目でキャリバンの灰を見てため息交じりに言った。
「ベルゲル、ディオ、わしはな、お前らが命を拾えただけでも喜ばしく思うておるよ。のうお前ら、キャリバンを見てどう思うた? わしが目を覚ました時にはもう灰しか残ってはおらんかった。……のう、人はどうやればあんな姿で死ねる? あの幾重にも重ねられた魔導障壁をして、どうやればあれほど綺麗な灰になるまで燃やし尽くせるのか」
カリストは二人の顔を交互に見るけれど、その答えを持っていそうな者はいない。
「……ベルゲル、お前の言う通りじゃな。わしも身体の芯からくるこの震えが止まらん。畏れにおののいておるよ。賢者などとはもう呼ばれたくないのう、誰ひとり救えんで何が賢者か。……わしはマローニに戻って敗戦の報告をしたあと隠居することに決めたわい」
「そうか、じいさん、俺の左腕、2度も戻してくれてありがとうな。いまあるのは大事にするからよ。ゲハハ。負けて己の未熟を思い知ったぜ。俺も一旦教会に戻ってから離反すっかな。なあ、ディオネ、俺といっしょにどっか旅でもしねえか?」
「しないわよ! でも、みんな教会を去るんだ……。じゃあパーティーは解散だね。私も教会を離反して、マローニの魔導学院で無詠唱の研究したいなあ。何年か前、詠唱破棄を成功させた先生がいて、いま無詠唱を研究してるらしいんだよね。弟子にしてもらえたらいいけど……。人気あるだろうし、断られるんだろうなあ」
「おお、ディオ、それはグレアノットのことじゃな。実はちょっとした知り合いじゃ。学院に行くなら紹介状を書いてやるが、必要かな? 変わり者じゃがお前ほどの向学心があれば奴も無碍にはせんじゃろうて」
「え? カリストの知り合いだったの? お願いします。ぜひお願いします」




