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04-09 自由への渇望

88話


 マナ欠乏の、このどうしようもない倦怠感を、ロザリンドの腕の中で、揺りかごに揺られるように、怠惰な時間を楽しもうと思っていたけれど、ずっと安堵感に浸っては居られないらしい、てくてくが呼びに来た。


「マスター、イチャコラしてるとこ悪いけどこの砦の代表者ってロザリンドなの? トリトンが話あるらしいのよ?」


「あー親父か」

「私はもう離反するって決めたからね。いまはもう砦の代表者なんていないかも」


「ちょっ……座るから手伝って。パシテーはそのままでね。変なことしたらダメだぞ」

「わかってるわよ。マザコンシスコンに嫁の勝ち目なしって言うからね」

 パシテーをロザリンドに預けて、南門から入ってくるトリトンを迎える。

 立ち上がろうと思ったが、結局、ストンと胡坐をかいて座った状態に戻った。立って出迎えないといけないのだけど、オヤジなんだから許してくれるだろう。


「お、アリエル……生きててよかったなあ、お前……」

「ああ、父さん、心配させてごめん。戦いは避けようとしたけれど、避けられなかったんだ。マナ欠でちょっと動けないだけだから身体のほうは大丈夫。あと、えーと、この人が俺の嫁になるロザリンド。いい女だろ? よろしく頼むよ」


「あぁ、お前が寝てる間に自己紹介を受けてるよ。えーっと、将軍殿? とお呼びすれば良いですかな?」

「いえ、私はもう軍を離反すると決めましたので、ロザリンドと」


「おお! エル坊。美人の嫁さんもらうんだって? 羨ましいな」

 ガラテアさんが入ってくるなり大きな声でがなり立てるように祝福してくれた。

 てか、頭に響く……。


「うん。鬼嫁なんだってさ」

「わっはっは、エル坊、お前はちょっと尻に敷かれるぐらいのほうがいいと思うぜ。やることがいちいち危なっかしすぎる」


「なあ、アリエル。ガラテアの言うとおりだ。お前は人に心配をかけすぎるんだ。ロザリンドさん、アリエルは意図せず周りに心配をかけることにかけては本当に天才的です。アリエルをどうかよろしくお願いします。バカですが、自慢の息子です。あと、アリエルとそこのパシテーさんは子供のころからセットになっていて離れません。妹のことも、どうかお願いします」

 

「は、はい。ほんと不届き者ですが、よろしくお願いします」


 そこ不束者ふつつかものというのが正しいと思うけど、もしかすると魔人族はそう言うのかもしれないので黙っておくことにした。

 もちろんトリトンも突っ込みたい気持ちを抑えに抑えて、アリエルと同じくドーラ大陸ではそう言うのが習わしなのだろうと考えることにした。


「ロザリィ……そこ、不届き者じゃなくて、不束者ですっ」


 ……ロザリンドの時間が止まった。


 そして耳まで真っ赤になって取り乱したように早口で取り繕うロザリンド……。

「はあっ! すみません。わたし緊張しちゃって、えっと、不束者ふつつかもので間違いないです」

 サオから突込みが入った。本当に不束者でワロタ……。


「あ、ああそうそう、アリエル、ビアンカにも嫁さん見せてやらないと。俺にだけ紹介したらあいつヤキモチ妬くからさ。時間に余裕があったらでいい、ちょっと優先的にビアンカに会いに行ってやってくれ。……な。スネたら面倒だろ?」


 砦の件はガラテアさんとロザリンドで話を決めたそうなので、今更確認することもなく、いまのトリトンは守備隊長ではなく、ノーデンリヒト領主としてロザリンドと雑談している。

 アリエルの父親として、ロザリンドの義父になる男として、家族のことを聞き出そうとしているようだ。いまは魔王の話になってる。


「え? じゃあ魔王は肉親なんですね?」

「あ、はい、母は違いますけれど魔王フランシスコは実の兄です」


 ロザリンドも警戒心なく普通に雑談に応じちゃいるけれど、トリトンが重要な軍事情報でも聞き出そうとしてんじゃないかと思うとヒヤヒヤする。

 横から話を聞いていると、トリトンの方が一方的にいろんな質問をしていて、ロザリンドがそれに答えるという、雑談というよりもインタビューのような感じになっていて、ドーラの情報をかなり深いところまで掘り下げて聞き込んでいるようだ。


 ノーデンリヒト出身者はどれぐらいドーラに逃れてるのか? とか、人族と共存してもいいという考え方を持った人が政治的中枢にいるか? とか。


 そうか、トリトンは和平を進める気だ。


「父さん、歴史に名を遺す気だろ?」

「名前なんかどうだっていい、お前ら夫婦が平和に暮らしていけるようにだな……」


「分かってるよ。体に気を付けて、ブッ倒れないようにね」

「お前にだけは言われたくないセリフだそれは」


 そう簡単に戦争が終わったらいいけど、今さっきまで剣をもって殺し合ってた両陣営とも納得のいくラインなんて絶対にないのに、トリトンはどう話をまとめる気なんだろう? ちょっと興味がある。


 トリトンはガラテアさんと、獣人たちを引き連れて、みんな一緒に出て行ってしまった。遺体を端っこに寄せるんだと。


 手伝わないと……。

 外に転がってる遺体のうち、決して少なくない数を倒したのは他でもない、自分なのだし。

 よっこらしょっと、オッサンみたいな掛け声で立ち上がろうとしたけれど、ヨロッとして結局ロザリンドに支えてもらうという体たらくだった。足元は覚束ないけど、ここにはパシテーもてくてくも居て、こっちを見てる。こんな不甲斐ないところを見せたらまた心配させてしまう。


「兄さま、マナ欠乏なの」

「初めてだ……」


「回復には時間がかかるの。大人しくしたほうがいいの」

「外のことはダフニスに任せておいていいわよ。私もマナ欠乏なんて初めて見たけど、つらそうね」


「つらいなんて言ってられないよ。マローニに行かなきゃいけなくなった。ロザリンド、ドーラはマローニの次でいいか?」


「え!? 行くの? 私、こう見えて脱走兵なんだけど? 行かなくていいわよ。このまま家出して、あなたと駆け落ちするって決めたんだし」


 ああ、そうだった。ロザリンドもお尋ね者になってしまったかもしれない。夫婦そろってお尋ね者なんて、市場に買い物にも行けないじゃないか。


「うーん、じゃあ家族に向けて手紙だけは書いとこうか。残った他のやつらはドーラに帰るんだろ? ついでに届けてもらえば心配しないと思うけど」


「娘が軍を脱走して男と駆け落ちするってことを、どうやんわり表現すれば母さんが心配しないのか分からないけど、頑張って書いてみるわ」


「ところで、サオはどうすんの?」

「あ、そうね。サオ? どうするの?」

 少し離れて控えていたサオが音もたてずロザリンドの傍らに付いた。

 足音を鳴らさない歩法? なのか、違和感があるな。そういえば跪いた姿のままスーッと下がる技も見たし、機会があったらコツを教えてもらいたいぐらいだ。


「はい」

「ロザリンドは軍を離反して俺といっしょに来るんだってさ。サオはどうするんだ? 近衛このえだろ?」


「……、……」

 サオは微かに震えていて、チラチラとてくてくの方を気にしながら、肩をすぼめている。

 表情からはその真意は見て取れないが、どうやらサオは てくてくのことが苦手なようだ。


「あー、なんかアタシ怖がられてるのよ。そのコに。ドーラのエルフはアタシのこと嫌いなのかしら? 大丈夫。こわくないのよ?」

 そう言うと てくてくはピョンと飛んで影にチャポッと消えた、あとにはネストの残滓がユラユラと波紋をのこすだけだ


「もう怖いオバケは居ないからね。サオはどうしたいかな?」


「は、はい。私はアルデールさまの従者です。奉公人や女中ではなく、私の家がアルデール家に仕えていて、私はロザリンドさまの近衛侍女を任されています」


「私が軍を離反して家を捨てたらサオはお役御免になるわね」


「アルデールさま、あなたが軍を離反するとおっしゃるのなら、私も離反します。家には帰りたくないです。どうか私も連れて行ってください」


 サオはロザリンドだけじゃなく、俺にも連れて行ってくれと訴えかけた。

 ちょっと普通じゃない雰囲気が伝わってくる、そうまでして帰りたくないものなのか? ドーラでは家族が心配して帰りを待ってるんじゃないのか?


「ダメなら私、ひとりでもここに残ります」

「まてまてまてまて、ちょっと待とうか」


「サオは縁談が決まってるのよね。このまま帰ると子を産むために嫁に出されるわ」

「えーっ」

 一瞬、疑惑の目で見てしまった。何だか俺、架空の婚約者を立てられて振られたような気がするし。

 だいたい初対面の人に求婚されたからと言って、婚約者を引き合いに出す必要なんかまったくないだろうに、もしかしてロザリンドはアレか、押しに弱くてはっきりノーと言えないドーラ人なのか?


「ああ、あれは、ホントごめん。でもサオの縁談は本当。ドーラに帰ったらフォーマルハウト12番目の側室に入るのが決まってるの。たしか魔導師としては有名人だと思ってたけど、知らない?」


「フォーマルハウトがドーラに居るのか」

 フェアルの村の忠霊塔に彫られた下垣内誠司しもがいとせいじの名、現代日本人の名を持つ、齢二千歳のエルフか。実はあちこちで聞いた話によると精霊が狂い、村人を惨殺しているところになぜか偶然フォーマルハウトがさっそうと登場しては精霊を倒して使役しているのだという。襲われた村どうしは距離が遠くて情報が届いてないけれど、村を回って話を聞いて回ればあきらかにフォーマルハウトに疑惑が集まる。


「なあ、フォーマルハウトってどういう人物?」

「うーん、二千年も生きてるエルフ族の長老ね。ぱっと見は50歳ぐらいに見えるわよ。まだまだ現役。三柱の精霊を使役する精霊王の中の王。精霊信仰のあるエルフにとってフォーマルハウトは神に等しいわね……。あと、エルフにしては珍しくブ男」


 ブ男はいいとしても三柱の精霊……ってことは、てくてく以外はみんなフォーマルハウトの従者か。まったく、てくてくクラスの精霊を三柱すべてを従えてるなんて考えられない。


「フォーマルハウトがどうかしたの?」

「いや、ちょっとフォーマルハウトとは敵対しそうなんだよなあ、個人的に」


「ええっ? 勇者ほどじゃないにしてもフォーマルハウトも相当なもんよ? なんでそんな危険な人とばかり対立しようとするの? 番長体質なの?」


「番長体質はお前だろ。フォーマルハウトには聞きたい事があるんだ。いろいろとね……。ってかさ、サオはてくてくが苦手なのかい? なあ てくてく、ちょっと出ておいで」

「い、いえ。あの」


 てくてくがスーッと音もなく出てきて、小さく首を振りながらサオに囁きかけた。

「怖がらなくていいのよ」

 へー、てくてくのあんな優しそうな目、初めて見たな。二十歳てくてくの時にその表情を所望したいところだ。


「あ、あの…、精霊さまは、テックさまですよね。ドルメイに住むという……」

「そうなのよ」


「私は、メルドの村の生まれなので……」

「メルド!、アタシもメルドに住んでたのよ。カスリ、エルドメラ、カーラル、フェム、アセト……」


 テックはメルドの村と聞くと、知ってる人の名をありったけ並べ始めた。同郷の人が挨拶がわりに友達の名前を言い合い、共通の知り合いを見つけることで連帯感を強くするという。日本人もドーラのエルフも同じ。これは世界共通の社交辞令なのかもしれない。


 てくてくは、優しく、優しく、語りかけている。

 千年後のメルドなんだから、てくてくの知り合いなんて誰も生きてはいないだろうに。

 だけど、てくてく……、まるで赤子に語り掛けるような優しい口調で話すのに、なぜそんな寂しそうな表情をしてるんだろう。


「ピルクリム、アーラー、フォアール、ぐっ、ナシュ…、メイラ……、あれ? 涙、アタシじゃないのよ」


 てくてくの声が涙声に変わり始めると、途端に言葉に詰まった。そして泣いているのはてくてくじゃなくて、宿主の少女のほうだと言う。いま並べた名前はきっと、大切な人の名なんだろう。


「わかったよ。てくてく」

 てくてくは肩を落として、サオから見えないようアリエルを盾にして背後うしろに下がった。


「なあ、サオ。てくてくが話してくれないからよく分からないんだけどさ、メルドの村で何があったか当ててみようか?」

「えっ?」


「テックが狂って村人を殺した。1000年前だろ?」

「マスター!……、アタシがそんなことするわけがないのよ!…、そんなこと……」

 サオが返事をする前にてくてくが掴みかからんほどの勢いでアリエルに掴みかかって、涙ながらに、そんなことはしていないと訴えた。

 そんな縋るような目をしなくてもいいのに。


「知ってるよ」

「知ってるの!!」

 てくてくの訴えを肯定することばが並んだ。


 パシテーは身を乗り出して、その優しい言葉には似つかわしくないぐらい、少し怒りすら感じるほどに強い語気で答えた。


 パシテーはエドの村でもフェアルの村でも一緒に話を聞いたんだ。

 それにテックが1000年の間少女の遺体と過ごした洞窟が、どれほど冷たかったかを知ってる。


 てくてくはフォーマルハウトの話をしたがらない。エドの村の惨劇、フェアルの村の虐殺。どうせメルドの村でも似たようなことが起こったのだろう。想像を絶するほどひどい目に遭わされただろう。


 精霊はそんな恨みや憎しみをすぐ忘れてしまうのかな? と思ったこともあった。


 でもそれは断じて違う。

 死んでしまった大切な人を、千年もの間一緒に過ごして守り続けるほど情の深いものが、愛するものを奪われた苦しみを忘れられるわけがない。


 だからこそアリエルたちは『信じてるよ』なんて慰めは言わない。


 知ってるんだ。

 フォーマルハウトがてくてくを殺したクソ野郎だってことを。


「サオ、念のため聞かせてくれないか? メルドの村で何があったのかを」

 そういうと、てくてくが目の前にいて、とても話しづらそうに1000年前の惨劇を話してくれた。

 その内容は言わずもがな、わざわざ説明することもいらないような、ワンパターンな英雄偽装だった。


「じゃあサオ、てくてくの名誉のためにひとつだけ言っておくから、ロザリンドも聞いてくれ……」

 アリエルはパシテーと一緒に旅をして、遥か南の国にあるエドの村で起こったこと、遥か西に位置するエルダーにあるフェアルの村で起こったことを話した。


「あんのクソジジイ……」

 ロザリンドもかなりフォーマルハウトのことが嫌いらしく、ちょっとした悪口に花が咲いた。


「アルデールさま、いかに疑惑が深まろうとフォーマルハウトさまを悪く言うものではありません」

「何よサオ、帰ってあのクソジジイの嫁にされてもいいの?」


「嫌です。嫌ですから、どうか私を連れて行ってください」

「ねえアリエル、サオは何でもできるわよ? 料理も掃除も」


「ああっ、そういえばお前、料理できなかったよな。まったく」

「え? 普通にできるわよ? ただサオには負けるってだけで」


「いやいやいや、思い出した。俺はお前の料理を知っているぞ! サオ、俺たちは旅をすることが多いと思うけど、ついてきたいと思うかい?」

「はい。お願いします。私は……、自由が欲しいです」


「自由には責任がつきまとうよ。エルフには厳しい土地も少なくない」

「奴隷狩りのことを言ってるんですよね? もし私が捕まったら自害して果てますから心配しないでください」


「いや、自害して果てるとか、心配するよ!」


「もし最後に選べる自由が死ぬことだけなら、私は喜んで死を選びます」

 えっ?……。それって間違ってないか? 言ってることはたしかに間違ってると思う。

 そうだね、それがいいよ…、なんて口が裂けても言えないけれど、強い説得力があって、気圧けおされてしまった。


 その説得力は、言葉よりも目が訴えた。瞳に映る感情は……憧れ? か。自由への渇望を語るサオの眼差しはアリエルの心をグイグイと惹きつけて止まない。


「そうか。じゃあ、一緒にくるかい?」

「はいっ」

 元気よく、歯切れのいい返事が返ってきた。

 サオの表情がぱあっと明るくなった。エルフ少女の、笑顔の美しさはきっとこの世界の宝だ。


「なんか私ちょっと納得いかない流れなんですけど? まあいいわ、サオのあんな顔、何年ぶりに見たかな。……じゃあサオ、こっちきて」


「はい」

 サオがロザリンドの前にビシッと立つ。


「じゃあサオ、たった今から近衛の任を解きます。これから私のことは子どもの頃のようにロザリィって呼んでね」


「うん、ロザリィ」

 ロザリンドの背中におぶさる形に抱きつくサオ。なんだ、ロザリンドとサオも幼馴染だったのか。


 サオの笑顔は魔法のようだ。

 場の空気がどんなに沈んでいても、サオの笑顔一つでなごむ。

 そんな不思議な力があるように感じた。


 てくてくですら微笑んでる。

 オバケをも和ませる力があるのだから。

 魔法以外の何物でもないと思う。


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