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04-08 16年ぶり

87話

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 戦闘に参加せずただ事の推移を見守っていた王国騎士の陣から馬が二頭出て接近してくるのが見えると、ロザリンドはアリエルを抱いたまま庇うように半身に構えた。

 騎士の一人が白い布を持って掲げている。指揮官が何か話をしたいようだ。


「魔人の将軍殿、その男をどうされるつもりか、お聞かせ願いたい」

「これは私のものだ。誰にも渡さん」


「少し待たれよ。誤解があるようだ。私は、トリトン・ベルセリウス。そこで将軍殿の腕に抱かれて気持ちよさそうに寝ているバカの父親です。もし、そのバカ息子の今後の処遇が悪いものであるなら、何か改善するための取引を申し込みたい」


 アリエル・ベルセリウスの父と聞いてロザリンドは先ほどまでのぞんざいな態度を改め、背筋を伸ばして正対する。


「お義父とうさまでしたか。申し遅れました、初めて目にかかります。私はロザリンド・ルビス・アルデール。現魔王を襲名したフランシスコ・ルビス・アルデールの妹にして将軍職をあずかっておりますルビスの末裔。そしてアリエルは私の婚約者です。不束者ですが、末永く、よろしくお願いします。お義父とうさま」



 ファ――――


 気の抜けたような断末魔の叫びを残してトリトンはその場で白目を剥いて倒れてしまった。

 アリエルにより積み重ねられた心労がたたり、屈強と名高いトリトンであっても、とうとう気絶して倒れたのだ。それをすぐ横で見ていた副官のガラテアは湧き上がってくる愉快な感情を押し殺すことが出来ず、ついには「わっはっはっは」とひとしきり大笑いしたあと、ニヤニヤしながらも「エル坊をよろしくお願いします」と頭を下げ、気絶したトリトンを起こそうと頬を叩いてるけれど、トリトンは目を覚ます気配がない。


「うーん、ダメだこりゃ……。大精霊様、お嬢ちゃんは? 大丈夫ですかい?」

「命には別条ないのよ」

「そいつはよかった。では、うちの隊長はすぐに目を覚ましそうにないので、不肖、副官のガラテアがお伺いします」


 ガラテアはこの死屍累々とした戦場を見渡し、「ふう……」と短い溜息を一つこぼし、ロザリンドに問いかけた。


「さて、これからどうするおつもりですかな?」


「私はこの砦をあなた方に明け渡したあと、軍を離反してアリエルたちと行動を共にしようと思う。勝手なお願いだが、生き残った私の部下達はそのままドーラに帰させていただきたいのと、あと、ここに数日間滞在して、倒れた戦友たちを葬る許可をいただきたい」


「守備隊長トリトンの代理として、副官ガラテアがその条件を飲みましょう。それでは、あなた方の仲間が無事に帰られるまでは停戦ということでよろしいですか?」

「ああ、それでいい」


「それでは私は、あそこで心配そうに見守ってる仲間たちに停戦の報を届けねばなりませんので」

 気持ちよさそうに気を失っているトリトンを肩に担ぎあげ、鼻歌交じりの上機嫌で2頭の馬を引いて戻ると、心配で待ちきれなくなった兵士たちが集まってきた。


「た、隊長はどうしたのですか。まさか、魂を抜かれたのでは」

紅眼スカーレットの魔人ですよ! だから目を見てはいけないとあれほど言ったのに……」


 部下たちは的外れなことばかり言ってる。

 うーん、どう説明したものか……と、ガラテアは頭を抱えた。


 陣に戻ってトリトンを馬から降ろしていると全員が周りに集まってきた。なぜ隊長が倒れているのか、あの女将軍に何かされたのかと、口々に質問されていちいち相手してられないほどだ。


「しゃーない。全員いるか? 隊長がこのザマなんでわしから説明する。うーん、そうだな、朗報が2つある。……ひとつ、停戦だ」


「おお――っ!」

 ガッツポーズをする者、空を見上げる者、抱き合って喜びを表現する者たち。

 停戦……、現場の指揮官が取り決めるこの場限りの不戦の約束だが、今まで何年もずっとピンと張り詰めていた糸が少し緩むだけで、これほどの喜びが生まれるのだから、停戦でも十分だった。

 贅沢は言わない。今この目の前にいる者たちと戦わなくていいのだから。


「魔族の生き残りたちは、仲間の亡骸を葬ったあとドーラに帰るそうだ。わしらは神殿騎士たちを葬ろう」


「あの……、ガラテア副官、隊長は……? 紅眼スカーレットを直接見たんです?」


「ああ、それがな、うーん、みんな、よく聞け。朗報その2な……。エル坊が嫁さんをもらうことになった。相手はあの紅眼スカーレットの女将軍だそうだ」


「えええええええええ――――――っ」

 

「トリトンはあの将軍にお義父さまって呼ばれて、気を失って倒れただけだ。命に別状はない」


「ぶわっはっはっはっ!」

「なんだっそりゃ、目に浮かぶようだ」

「お前ら笑ってるのはいいが、エル坊はおろか、妹にも伸されて今度は嫁さんにも勝てないとか、そんなことないよな?」


「チョット、ガラテアサン、ソレハナインジャナイデスカネ……」

 ガラテアの心無い一言に水を差され、みんないっぺんに青ざめてしまった。

 停戦の喜びもどこかに吹き飛んでしまう。


「わしは楽しみだよ。あの女将軍とはぜひ立ち合ってみたかった。ちょっと落ち着いたら頼んでみるか。ワクワクするなーおい」

「いや、俺はわりとゲンナリしてます」

「おれも、ひどく気分が悪くなってきました」


「う、うーん……」

 地べたに放置されていたトリトンが目を覚ましたようだ。


「おお、お義父さまが目を覚まされたぞ。お祝いをせんといかんな。わっはっはー」

 それからしばらくトリトンは兵士たちに茶化されて"お義父さま"と呼ばれることになった。


「わははー、お義父さま、我々も陣をたたんて砦にむかいませんとー」



----


 気絶したトリトンが目を覚ましたころ、ロザリンドの腕に抱かれたままアリエルも目を覚ました。


「あ……、あれ? キャリバンは? ベルゲルミルは? みんなは?……」


 アリエルが目を開けると、すぐ目の前で、紅い双眸が見つめていた。

 天井が見える……、ここは砦の中のようだ。


「パ……パシテーは?」


「へー、さっき私に求婚したばかりなのに、目を覚ました途端に他の女の名前を呼ぶなんて、ほんといい度胸してるわね」


 ハッキリしない頭で状況が分からないのだけど、立場が逆になっていることだけは理解できた。

 ロザリンドは腰を下ろし、アリエルが抱きかかえられている。お姫様抱っこというやつだ。


 身体がだるーくて動かない、マナ欠は初めての経験だが敵が一人でも残っているときマナ欠になると命を落とす。これは気を付けないと……。


 ロザリンドはアリエルの目をじっと見つめたまま、ただじーっと見てるだけだったが、しばらくすると、ゆっくり口を開いた。


深月みつき、変わったね。いまはアリエル?」

美月みつきほどじゃないよ、ロザリンド」


「そうだね……、私、……鬼になっちゃったよ」


 ロザリンドの表情が曇り、声が詰まりそうになる。

 思春期の少女が魔人になってしまったのだから、苦悩もあったのだろう。


「前の美月は可愛かったけど、奇麗になったな」

「うそばっかり。おだてたって何も出ないわよ」


「嘘じゃないよ、ところでさ、もしかしてお前も死んだの?」

深月みつきが事故に遭って、あなたにずっと声をかけてたのは覚えてるけど、そこから先が、よく覚えてないのよね……。でもたぶん、私も事故にあったんだとおもう」


「そっか、それは俺のせいだな……」


「誰かのせいだとか、そんなことないからね。そんなことよりねえ、あなたの話聞かせて、今までのこと」


「あ、ああ、俺は俺だぜ? 外見はそれなりに変わったかもだけど、中身は変わってない……、ああ、でもネクラになったのは自覚ある」


「え? 深月は前から一人が好きなネクラだった気がするんだけど」

 ひどい言われようだ……。

 アリエルは別に一人が好きだったわけじゃなくて、不可抗力でボッチだった。


「うーん、こっちに来てからもずっと独りぼっちだった。ノーデンリヒト生まれだからね、幼馴染も、友達も居なくて、ずっと孤独だったな。だから、ただ見よう見まねで毎朝毎晩、美月を思い出して剣を振ってさ。寂しくなったら夜空の星と会話してたっけ。我ながらけっこう危ないやつだったよ俺は」


「ふうん、剣は我流なのね」

 そんないいもんじゃなく、記憶頼りの見よう見マネなのだが。


「我流なんていいもんじゃないよ。難民になって、いくさから逃れてさ、冒険者になって、パシテーと日本に帰る転移魔法を探して旅をしてた。今思えば相当焦ってたんだな。俺が10歳ってことはさ、美月は28歳になってると思ってたからな。誰か俺の知らない奴と恋愛したり結婚してるんじゃないかと思ってさ」


「ふぅん、そういう事、ストレートに言えるようになったんだ。……私には無理かな」


 ロザリンドの褐色の頬が少し赤くなったのが分かる。

 アリエルは諭すように言った。


「あのさ、いつもそばにいるから、いつでも言えると思って、ずっと先延ばしにしてたら、何にも伝えないまま、ある日いきなり死んでしまったりするだろ?」


「……、そうだったね」

「美月に後悔はないのか?」


「……、ないはずないよ。いっぱいあるよ」


 また表情が曇った。ロザリンドも前世では事故で死んだ、同い年だとしたら多重事故にでもなって、同じ日に死んだのだろうか。

 いずれにせよ、そんな若さで死んだのだ、悔いがないわけなんてない。


「そうか…、俺は……」

 お前に会って、あの夜の続きを……と言おうとしたら、言葉を遮られた。


「ねえ、あの女の子は? 飛び込んできた子」


「パシテー。俺の大切な妹だ。美人だろ?」

「あなたシスコンは生まれ変わっても変わらないのね……」


「ちげえよ! パシテーは別格。あいつは可愛いんだ」

「あの子、エルフ混ざってるわよね? 血は繋がってないのね」


「パシテーは俺の大切な妹なんだ。血なんか関係ないよ」

「はあ、なんだかご馳走様」


「てか、パシテーは? ケガしてないか?」

「気が付いてたけど動けなさそうだった。精霊さまがついてくれてるよ。大丈夫だって」


「そ、そうか。よかった」

 アリエルはパシテーが無事だと知ると全身がぐたっと脱力し、安堵の表情をのぞかせた。

 ロザリンドはアリエルとは正反対の悲壮感に満ちた表情でアリエルに問いかけた。


「私、これからどうしよう?」

「そうだな、しばらくこのまま、抱いててくれたら嬉しい」


 アリエルはロザリンドの不安を打ち消すための最適解を要望という形で提案した。


 ロザリンドの紅い瞳から涙がこぼれた。

 ぽろぽろと、大粒の涙が、とめどなくこぼれて、アリエルの頬に落ちる。


「ごめんね、私、チョロいんだ」

「……ああ、知ってるよ。俺はウソつきの卑怯者なんだろう?」


「うん、そうだね。私は弱いから、いつも負けて、助けてもらうんだ……今日だって……、助けに来るの遅いよ……、本当に怖かった、かなわなくて、いっぱい殴られて蹴られて、私はもう動けないのに、それでもやめてくれないの……。あんなに怖かったのに、助けに来るの遅いよ……」


「ああ、16年かかった。ごめんな」


 アリエルを抱きしめながら大泣きするロザリンドを見て、獣人たちはみんな信じられないものを見たという表情で顔を見合わせ、コソコソ話している。


 まさか剣と筋肉だけなら魔王すら凌駕する魔軍きってのパワーアタッカー、あの将軍ロザリンドがこれほどチョロカワイイなんて誰も思ってなかった。


 アリエルはロザリンドが取り乱していても構わず胸を貸している。落ち着くまでずーっと、いつまでも。その表情はマナ欠乏で憔悴しているが、どこか満足げにみえた。


「……、ごめんなさい。私ダメだね、感情のコントロールがまったくできてないや」


「おまえ、キャラ崩壊してないか? 口調が美月になってるぞ?」

「将軍はキャラだし、いつもの私はこんなだよ」

「キャラだったのかよ……」


 でもこればっかりは言っておかなくちゃいけないことが一つだけある。


「でもなロザリンド、泣くほど怖いのになぜ逃げなかった? 俺は怒ってるんだ。……ちょっとだけな」


「いやだ。怒ったらやだよ。あんな強くて怖い人たちのところにあなただけ行かせて私が逃げるとか、ないよ。……、助けに来るの遅すぎ。何よ、あんな計ったようなタイミングでさ。ぜったい狙ってたでしょ。だってあなた卑怯者だし」


「おれ本当に信用ないよなー」


「あんなタイミングで助けられたら私じゃなくてもコロッと落ちるよ。サオも目がハートになってたし、剣士さま!とか言い出したかと思ったら、一生ついていくとか言い出すし! なんだかすっごい怪しいし。それなのに、16年ぶりに会えたのに、私だけ逃げるとか、ないよ」


「……、落ちたの?」

「うん、16年前にね。もう、二度とあんな勝手はしちゃダメだからね」

「ああ、約束するよ」


 広間の端っことはいえ皆いるというのに、これだけ空気読まずにイチャコラされたらたまらんので、話の切れ目を待っていた てくてくが、意を決して乱入することにした。


「アー、アー、ちょっといいですか? マスター、パシテー連れてきたよ」

 パシテーはてくてくに肩を借りることなく、手を引かれてアリエルの前に立った。

 いつものシャンとした背中を丸めていて、とても小さく感じた。


「パシテー、パシテー。顔を見せて……、ケガは?」

「………………」


 パシテーは駆け寄ろうとしたが、ロザリンドと目が合ったことでその足を止めてしまった。

 アリエルを抱くロザリンドに近づくことができずにいる。

 『兄さま……』と、いつもアリエルを呼ぶその言葉も口にできず、飲み込んでしまった。


 ロザリンドはアリエルの身体を起こし、パシテーの姿が見えるように背中から支えた。


「パシテー」

 アリエルが両手を広げると、パシテーは堰を切ったように無言でアリエルの胸に飛び込んだ。

 ロザリンドは左腕をパシテーの背中に回し、二人を優しく包み、抱き締めた。


 パシテーは体調に少し不安があるけれど、大丈夫なんだそうだ。

 ロザリンドも無事に戦場から戻れた。てくてくの事は最初から心配してないし。


 上出来だった。



 だが、アリエルの目に焼き付いた強烈な印象。

 それはフェーベの死を目の当たりにしたキャリバンの形相。明確な殺意を乗せて、渾身の力で怒りを振るう姿が頭から離れない。


 アリエルもキャリバンも、お互いに引くことができない戦いだった。

 双方が己の中の正義を貫く戦いだった。


 だがしかしその実、ただの殺し合いだった。


 この世界は非情だ。

 現実リアルは情け容赦なく牙を剥く。


 突きつけられた現実リアルにようやくひとつ打ち勝ったところだ。


 

 アリエルは日本に帰ることなく、美月と再会した。

 だけど旅はまだ終わらない。パシテーを日本に連れて行ってやる約束がある。



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