04-01 Rosalind Rubys (ロザリンド・ルビス)
80話です
旅の先々で度々神殿騎士たちとトラブルを起こしていたアリエルであったが、とうとう25名もの死者を出してしまった事件は専ら面子を気にする神殿騎士たちにとっては大恥にあたる大事であることから神殿騎士団の威信にかけて教会のネットワークをフル活用し、王国内をくまなく捜索したが、手掛かりすらつかめなかった。
200ゴールドという高額な賞金がかかっていることから、教会には毎日のようにデマや不確かな情報が山のように寄せられ、それらを一つ一つ確認してゆく作業ですらままなならい状況が続き、Aランク冒険者ということで、冒険者ギルドに網を張っていたが、賞金首になってからは冒険者ギルドで依頼を受けたという情報も上がってこなかった。
神殿騎士たちの必死の捜索を嘲笑うように、アリエル・ベルセリウスが忽然と姿を消してから2年の歳月が流れた。
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ここはノーデンリヒト北の砦。アリエルが10歳の頃、エーギル・クライゾル率いるドーラの軍に攻められて、ここで激しい戦闘があったことは忘れられない敗戦の記憶となった。
そしていまこの砦の南門を攻めるため、王国騎士団の陣には約80名の部隊が展開している。
王国騎士団旗を誇らしげに掲げてはいるが、応援で来てくれた神殿騎士団の勇者軍にだいぶ気後れしているようだ。
それも仕方のないこと。なにしろ80名の王国騎士団はノーデンリヒト領主トリトン・ベルセリウス率いる砦の守備隊なのだが、領地を取り戻すために血を流して戦ってくれようとしている神殿騎士と勇者の軍は、トリトンの息子、アリエルとは敵対関係にある。
勇者の軍は、神殿騎士30名、神官20名、勇者パーティ5名の合わせて55名と数こそ少ないが、6年前の戦闘でアリエルですら傷ひとつ付けることができなかった熊獣人族の族長、エーギル・クライゾルをアッサリ倒してしまった世界最高戦力と言われる勇者キャリバン率いる隊魔族戦闘のエキスパートだ。
加えて勇者キャリバンの戦闘をサポートするため特化した精鋭部隊が付き従っていて、総合力は世界最強といってもいい。とても人数では測れない実力がある。補給さえ許せば、この人数で小国を攻め落とせる戦力だと言われている。
王国騎士団は神殿騎士を中央に据え、遠慮がちに砦の右翼に陣を敷いた。戦闘を始める前、トリトンが神殿騎士団の陣に挨拶と参戦のお礼を言いに行くと神殿騎士の部隊長は嫌悪感を露わに応えた。
「貴様があの異端者の父親か。女神ジュノーの怒りを買いたくなければ邪魔にならないところで見ているがいい」
案の定、高圧的かつ邪険にされたところだ。
教会の指名手配リストに記載されている人族としては最上位に名を連ねているというのが我が子だという。異端者の烙印を押された犯罪人はだいたい十字架にかけられて、火あぶりか串刺しにされるのがオチ。当のアリエルも本人不在のまま死刑判決が下っていて、かのエーギル・クライゾルと同じ末路が約束されている。まあアリエルの事だからそう簡単に捕まりはしないだろうが、この勇者軍に目を付けられない限りは、たぶん大丈夫。
もし勇者軍に目をつけられたりしたらアリエルの人生終了のお知らせを聞くことになるので、どうにかこの勇者軍にだけは見つかりませんようにと心の中で神に祈っているところだったのだ。確かに。
だけど女神ジュノーは異端者の祈りにも耳を傾けてくれるだろうかと、トリトンがため息を吐きながら自らの陣に戻ると、そこには……。
「よっ。オヤジ。元気してた?」
「ご無沙汰しています」
200ゴールドの賞金首がいた。
「エル坊大きくなったなあ、パシテーさんも美しさに磨きがかかってるね」
「おおー、二人とも。どこでどうしてたんだ?」
「キミらもいっしょに戦うのか?」
兵士たちは今まさに戦闘が始まろうとしている火事場だというのに、ゆるーくアリエルたちをを囲んで懐かしんでる。まるで街でばったり再会した旧友同士が偶然の再会を喜んで、これから酒でも飲みに行こうかと話すところであるかのように。
「いやいやいやいやいやいや、アリエルお前こんなとこで何してんだ? あそこにいる神殿騎士たちに見つかったらおまえ十字架に架けられて火あぶりなんだぞ? とりあえず顔ぐらい隠さんか」
トリトンはアリエルの背からフードを引っ張り、強引に引いて頭に被せた。ローブのフードを深くかぶっただけだが、まあ、問い詰められたところで王国騎士団の魔導師と言い張ればそれで通るはずだ。
「てかアリエルおまえ神殿騎士に何をしたんだ? すげえ怒ってるぞ?」
「いや、友達が一方的に絡まれてさ、仕方なかったんだよ。てくてく出ておいで」
アリエルが名前を呼ぶとそれに応じ、影からエルフの美少女が、チュニックの裾をちょいとつまんで、お辞儀のポーズのまますーっと出た。魔法使いだとかそんな生易しいものじゃあない、もっと超越した何かが出てきた。
「初めましてトリトン。アタシは北の地で暮らしていた精霊のてくてく。数奇な運命の導きからマスターと出会い、従者になったのよ。どうぞよしなに。マスターは神殿騎士のアホからアタシを守るために戦ってくれたの。賞金首になったのはあいつらの負けた腹いせなのよさ」
目の前でアリエルの影から現れたのは、身長120センチぐらいの女児姿。
エルフの身体に憑依して人語を話すようなものを精霊とは呼ばない。敬意をこめて大精霊様と呼ぶべきなのだが。
「はは、まあ、やっちまったことは仕方がないし、アリエルは正しいことをしたんだろう。だったら私はよくやったと褒めてやるさ。だけどな、ここに現れたのはただのアホだアリエル。パシテーさんもてくてくさんも、アリエルと一緒にこんな戦場にいたら絶対ロクなことにならないんだから、奴らに見つからないうちに三人とも帰ったほうがいい。戦争はもうすぐ終わるから」
16歳の自立した放蕩息子がオヤジの忠告に従ってノコノコ帰るわけがない。せっかく世界最高の戦力と言われる男の力を見られるというのに。
あそこにいる金ピカのド派手なミスリルの鎧に身を包んだあいつ。あれが勇者キャリバンだ。
一緒の戦場に居るだけで武者震いがするほど圧倒的な気を放っている。あのエーギルを生きたまま十字架にかけたその実力を見てみたい。
「神器ってのがどれほどの物か興味あるしさ。スカーレットの魔人ってのも見てみたいからね」
アリエルが見たいと言った神器には、ガラテアが少しだけ知っているらしく、口伝の性能を教えてもらった。
「エル坊もいーい剣を打つけどなあ、勇者の鎧は、物理攻撃無効、魔法攻撃無効のエンチャントがかけられてる逸品らしいぞ。嘘かホントかは知らんが、千年の間何度も魔王と戦って傷ひとつついていないというからあながち嘘とも限らんか」
「マジで? 物理無効、魔法無効ってなんだよそのチート。どんなエンチャントしたらそんなもんができるんだろうな。わくわくするよ、早くみたいな」
トリトンは頭を抱えて嘆く。自分の息子が文字通りの神を恐れぬバカなのだから……。この頭痛はとどまるところを知らない。
アリエルがガラテアたちと雑談していると、砦に動きがあった。
砦からゾロゾロと、ワラワラと整列もせず、無秩序に広がるように、武装した獣人たちが出てきた。
その数およそ50。
狼の獣人ウェルフ族が多数を占めていて、熊の獣人ベアーグ族と、猫の獣人カッツェ族もいるし、少数だがエルフもいる。その中心の後ろから獣人たちの集団を割って、暗い、漆黒の、圧倒的な存在感が現れた。
出たな……ひときわでかい気配の主。こいつだけは要注意だ。
魔王軍の将軍は、剛腕・剛剣のアルデール。
今代の魔人族は、同世代に二人のスカーレットを輩出し、年長の方が魔王、若年のほうが将軍になった。
「パシテー、あいつ、ただもんじゃないぞ」
身長……2メートルはありそうな巨躯に、スラーッと細く均整がとれているけど、剣を振るのに邪魔になるんじゃないか?ってほどの胸が……。
って、あれ女じゃねえか。
さすがにあれほど高身長でスラッとしてたら凄いな。首長いし顔も小さいし。あのルックスで魔王軍の筋肉将軍かよ。なんだかすげえ残念な将軍だ。
ストレートの黒髪が軽く風になびいてて、頭には湾曲しながら後方に流れる一対の角。漆黒の革のような鈍いテカリのある膝丈のロングコートの中も黒基調の服。胸のあたりに赤いのがちょっと見えて、服装に並々ならぬこだわりを感じる。
よほど防御や回避に自信があるのか、防具は致命傷を防ぐため、部分的に黒の革だけ。
黒を基調にしてるあたりも好感が持てるな。キンピカの勇者なんぞよりよっぽどあの筋肉将軍のほうが気が合いそうな気がする。
「パシテー、あのデカいの、おまえのファッションセンスと被ってんじゃないか?」
「うん、カッコいい。でも私の服は兄さまのセンスなの」
背にはアリエルの身長と同じぐらい……もある幅広の長剣が背負われている。
たぶんその重量もヒトの体重と同じぐらいあるんだろう……、で、あの大剣を軽々と振り回すのか。
懐に入られて足首を掴まれたらそのまま片手で高速ジャイアントスイングされて、その辺の地面に叩きつけるだけ。それだけで殺されてしまいそうだ。筋肉パワータイプで回避能力が高いなんて、魔導師にとって悪夢としか言いようがないイヤな相手だ。
もしアレと戦うとしたらどう戦う?
セオリー通り、十分な間合いを維持しながら遠隔魔法攻撃をするしかなさそうだが、相手もそんなことは重々承知だろう。間合いを取らせないため軽装でスピード重視なんだ。
「私の苦手なタイプなの」
アリエルが考えあぐねていたらパシテーも頭の中でシミュレーションしていたらしく、イヤそうな声を出した。
「俺だって苦手だよ」
戦場が動き始めた。
魔王軍の女将軍に触発されてか、勇者もゆっくり前に歩を進め、一歩踏み込めば剣が届く間合いにまで近づいたところで女将軍が名乗りを上げた。
「ロザリンド・ルビス・アルデールだ。争いは望まぬが、勇者とやらはここで止めておかないとドーラの仲間が困るんでな」
その言葉をまるっきり無視し、勇者は聞いていないといった表情で目も合わせずに知らんふりをしている。教会は魔族を亜人と蔑み、ヒトではないとしている。
つまりだ、エルフ族を含む魔族なんてのは要するに動物と同じ扱いで、魔王軍は牙を剥く害獣に過ぎないのだ。ヒト同士で戦争をしているという概念は最初から持っていないのだ。だから教会の者は魔族の者が名乗ったところで応じないんだ。動物と同じレベルにまで自分を下げることを恥と考えているのだから。
傲慢なる勇者キャリバン。ただ首をコキコキと鳴らしながら関節を温めて、戦闘準備に余念がない。
「お前は名乗らんのか? え? 勇者様」
「……ああ、下賤な亜人のメスに名乗る名前は持ち合わせていないのでな。安心しろ、お前はここでは殺さない。十字架にかけてマローニ教会まで送るだけだ」
「このメスはいたぶり甲斐がありそうだぜ。せいぜいいい声で泣いてくれよ。興奮してきたぜキャリバン、はやく剥いて食っちまおう。ゲハハハ」
勇者パーティの右翼を担う戦士ベルゲルミルが下卑た口を開く。仮にも神聖典教会の最高戦力とされる軍のナンバー2がこんな盗賊のような素行の悪さでいいものなのか。
―― はぁっ。
大きく溜息をついて面倒だとも言いたげに魔族の女将軍、ロザリンド・ルビス・アルデールは背中の剣に手をかけた。
そして、大きなモーションで、ゆっくりと柄の握りを確かめるように、巨大な幅広剣を振ったり払ったりしながら軽く関節を慣らす。
瞑目し剣をゆっくりと顔の前に止め、鍔のあたりに小声で何かを囁き、ゆっくりと、そして大きく、上段に構えた。
―――― っ!!
そのさまを見ていたアリエルの時間が止まった。
嵯峨野深月が子供の頃からずっと傍で見ていた『それ』がそこにあった。構えながら剣を少し揺する癖も、柄を握った左手の人差し指が少し浮く癖も……。
世界の誰も知らなくても、当の本人ですら気付いてないかもしれない、細やかな癖まで目の前で再現されたのを、この場にいる者、いやこの世界に居る者の中で、アリエルだけは絶対に見間違えることはなかった。
「……美月」
口をついてこぼれた。
目を奪われたまま、無意識に身を乗り出し、一歩、また一歩と、王国騎士たちをかき分けて最前列に押し出た。
パシテーもアリエルと寸分違わぬ呼吸でルーティーンを組み立て、上段に構えたスカーレットの女将軍を見逃さなかった。
同時に狼狽するアリエルの動揺も見逃さない。
小さな声でミツキと呟いたのも……聞こえた。
パシテーは震える手で、アリエルの左腕をぎゅっと掴んで離さない。
「そう……、あなたもこの世界に来ていたのね……」
そのつぶやきは誰の耳にも届かなかった。
「お、おい、エル坊、お前と同じだ。もしかして同じ流派か?」
ガラテアは女将軍とアリエルの構えが同じという事に、あからさまな不信感を露にした。トリトンはいま口をついてこぼれた『ミツキ』という言葉に少し反応してアリエルを見たが、すぐに視線を女将軍へ戻した。渋い顔をしながらもスカーレットの魔人を睨みつけて目をそらさない。
アリエルは何も耳に入らなかった。
勇者パーティの背後に居て荷車を守る神殿騎士が慌ただしい。荷車に積み込まれていた十字架を引っ立てている。
鮮烈に蘇る14歳の頃の記憶。
十字架に磔にされたままマローニの街まで連れてこられたベアーグの姿。
手足に釘を打たれ、槍で突き刺されても死なないよう治癒魔法をかけ続けられたエーギルの姿が、記憶の中の、幼馴染の……小さな美月と重なる。
あの残酷な拷問を……。
クラッ……
眩暈がする……。
神殿騎士ども、今度は美月をその十字架に架けようというのか。




