01-07 神子(かんなぎ)
20170722 改訂
2021 0718 手直し
2022 0424 太陽暦採用
2024 0206 手直し
アリエルの理解しているという火の理が、単にマナを燃料として燃焼させるものだと言う簡単な回答だったため、グレアノットは少し戸惑った。アリエルにしてみると小学生レベルの理科の知識だ。これをチート知識だと言われると恥ずかしくて顔から火が出るレベルだと思うのだが。
「そ、そうか、、わしとて魔導師の中では物分かりはいいほうだと自負しておったのじゃが、ちょっと頭がついていかぬ。すまんが、アリエルくんがどう理を解しておるのか、もうひとつテストしてみたいのじゃが、ええかの? 難易度はかなり上がるがの、ファイアボールの術式の詠唱を省略してみせてほしい」
アリエルは見たこともないし、当然使ったことなんてないファイアボールの魔法を、詠唱を省略して使ってみろと言われた。無茶振りもいいところなんだが、ファイアボールという魔法ならそれなりにイメージできる。
「ちょっと待つんじゃ。的をつくってやるでの」
言いながら、先生は複雑な起動式を網膜に入力し、形状を羅列するかのような術式を何説にもわたって連続使用することで、みるみるうちの土が盛り上がり、頑丈そうな壁が立ち上がった。
アリエルは出来上がったばかりの石の的に触れてみたが、ひんやりしていてまるでレンガのように硬く固まっているのがわかった。なるほど、あの壁になら炎の魔法をぶつけても火事にならないだろう。
「さて、あそこにファイアボールを当ててみるがええ」
先生は魔導書のページをぺらぺらとめくり、アリエルに火魔法、ファイアボールの起動式が書かれたページを開いて手渡した。
ファイアボールの魔法は火の魔法教練で初級魔法の課程を終えたものが習得する中級魔法であり、魔導を習う生徒が初めて体験する攻撃魔法だ。この魔法の行使は街中では制限されていて、使っただけで厳しい罰を受けることもあるせいか、学校で教えるのは中等部に上がってからというのが通例なのだが……、アリエルはノーデンリヒト領主の息子であるし、なにかしでかしてしまったとしても親がどうにかして揉み消すだろうことも当然考えている。グレアノットも大概なタヌキであった。
一方、アリエルのほうはというと開かれた本をまじまじと見、そのページには複雑な神代文字が5文字記されていた。当然だがその神代文字の意味するところは分からないが、見たことだけはある。
なぜ知っているのかはわからないが、これ相当高度に圧縮された魔道言語であることは間違いない。
それはそれは奇妙な感覚だった。なぜだかまるで分からなくて、なぜ自分がこの文字を知っているのかということすら、ほんのひとかけらの記憶を思い出すこともできず、アリエルは歯噛みする。
訳が分からなくてもいい、一つの文字に複雑な意味を求めて理解しようとするのは漢字を使う日本人の性分なのだろうか、読み方も分からない文字だけど、とりあえずはその意味するところを知りたい。
「先生、この神代文字の意味を教えてください」
グレアノットはその質問が飛んでくることをあらかじめ分かっていたうえでアリエルに魔導書を見せたのだった。待ってましたとばかりに子供にも分かりやすいよう言葉を選びながら解説を始めた。
1字目が風を起こす魔法によく使われる印。
2字目はトーチでも使われた火魔法を示す文字。
3字目はよくわかってないが、上位の水魔法によく使われていて、
4字目も風の魔法でよく使われる文字で、
5文字目はほとんどの上位魔法で使われているが詳細は不明だという。
なるほど、アリエルはまた一つこの世界のことを理解した。
いまグレアノット先生との会話で分かったのだ。つまり魔導学院で200年ものあいだ研究しているような魔導師でも、神代文字の解析は驚くほど進んでないのだ。
アリエルはこの起動式という魔導の基礎に、なんだか得も言われぬ親近感を覚えた。
理由なんて分からない。ただ、とても優しい人が作ったのだろうなと、胸にじんとくる奇妙な感覚があった。そう考えるとアリエルは無意識のうちに、口元に笑みを浮かべていた。
グレアノットにしてみると不敵に笑う7歳の少年が、本当なら困り果てるような場面でニヤニヤしているのだから、さぞ気持ちが悪かったろう。
魔法というシステムそのものに得も言われぬ温もりを感じ取ったアリエルのニヤケは止まらない。
起動式で魔法をセットするという事は、きっと魔法のオーダーシードのようなものだろう。昔のパソコンでいうところの.bat ファイルというか、マクロファイルのようなもので、先頭行から順番に処理を行っていくということは分かった。
ファイアボールの魔法は見たことがないのだけれど、テレビゲームなどで遊んだことがある日本人ならば、誰だって名前からイメージできるものだ。
グレアノットの開く本を見ながら複雑な起動式を書き込む。いや、複雑でもアリエルはびっくりするほど頭が冴えていて、複雑な文様としか言いようのない神代文字を一度見ただけで暗記できてしまった。
暗記したのだろうか、いや、最初から知っていたようにも感じたのだが、アリエルは違和感すら感じることなく起動式魔法を受け入れた。
ちなみにファイアボールの魔法では起動式は5文字必要だ。この文字を集中して書き込む。アリエルがまだ見たこともない、ファイアボールの魔法をイメージしながら。
起動式の入力が完了すると詠唱しなくとも、顔の高さに突き出した手のひらから15センチぐらいの高さに、サッカーボール大の火の玉が浮かぶ。
手のひらの直上に現れたファイヤボールの魔法は、その後、野球のボールぐらいに小さくなり、
―― ヒュッ!!
風を切る音がすると、弧を描くでなく、一直線かつ超スピードで的の壁に命中。
壁に激突したファイアボールは付近の狭い範囲を焼いて消えた。
アリエルはまたもや左手の手のひらをじっと見ながら、呆れ顔を隠しもしなくなったグレアノットを呼んだ。
「あ、先生、なんか分かったかも……」
右手の人差し指を立てて1のサインを作り、ぽっと指先に炎を灯して見せた。
「んっ。起動式も省略できますねこれ」
それだけでは収まらず、ライターのような着火用の小さな火力から、火炎放射器のように激しい炎を噴き上げるまで火力を上げて見せた。ガスコンロの火力調節ツマミでも捻っているかのように、火力を調節して見せたのだ。
アリエルはひとり頷きながら納得の様子。
「あーなるほどね」
起動式はオーダーシートみたいな物だということがなんとなく理解できた。
さっきのトーチの魔法は起動式が2個で、ひとつは『マナを燃焼させる』で、もうひとつは、その『マナの出口の大きさ』を、あらかじめ指定している。
オーダーシートに書いちゃうと決まったものに固定されてしまうので、神代文字で指定できるんなら、自分で自由に設定できるんじゃないかと思って、いま起動式書かずにやってみたら、火力は自分の思ったように、火を出しながらでも調整できた。
全部自分で設定しなくちゃいけないマニュアル起動? だから、もしかすると逆に面倒があるかもしれないけれど、今のところアリエルには、このマニュアル起動のほうが向いていると思った。
「……アリエルくん、キミは本当に7歳なのかの? キミの知識からは悠久の時を重ねてきたような英知が伺える。わしが200年かけて研究してきた魔導の理をあっさりと解し、超えてみせたのじゃから」
グレアノットはアリエルの肩に手を置いて興奮気味に話した。
「魔導のことは、そうじゃな、許されるなら、これからいろんな話を時間をかけて聞かせてほしいと思っておるのじゃが、それよりもキミは何者なのか? ということにも興味があるのう。単なる天才とは思えん。アリエルくん、キミはもしかして、転移者……いや、転生者、つまり神子じゃないかの?」
「てんい? かんなぎ?……何ですかそれ? えっと転生って……」
「うーむ。ちょっと長くなるが……。ええかの?」
アリエルは『神子』よりも転移、転生という言葉により強く反応した。
グレアノット先生によると、この世界には『転移者』と『転生者』という二種類のイレギュラーが稀にあって、さっきも話に出てきた先生の旧友の一人がまったく別の世界からこの世界に転移してきたという。これは自称転移者なので、先生的には半信半疑らしいのだけど、異世界から転移して来る人が居るということは、この世界でも広く知られている事実なのだそうだ。
「神子とは神の依り代という意味での、神が人の肉体に宿り、この世界に降りて現人神として顕現することを言ったのじゃが、いまはどちらかというと転生者という意味合いで使われることがほとんどじゃの」
つまるところ、現人神なんぞという仰々しいものではないという意味だ。
これはアリエルにとってありがたいことだ。現人神だなんてとんでもない。
グレアノット先生の説明では、神子が転生者をさすことばだということはわかった。
そしてさらに詳しく話を聞くとこうだ、500年ほど前、長さの単位と時計と暦をもたらし、世界で統一したという偉業をなしたのも転移者だという。1日を24時間と定め、1年を365日とした暦を発表した人もどうやら神子であり、転生者であるということ。
アリエルの住まうこの屋敷の居間にある柱時計も、もとはといえば転移者が持ち込んだ技術であり、時間の単位が制定されたことにより、長さの単位同時期に制定された。
つまるところ、センチメートルとか1000メートルを1キロメートルなど距離の単位に時間をかけ合わせることにより、速度が計算できるようになった。
測量や地図の作成も急激な発展を遂げたのは転生者の知識によるものがおおきい。
アリエルは「なるほど」と唸ると同時に、ぽんと手を打った。
合点がいったのだ。というよりも転移者は確実に存在することが分かった。
この世界でもメートル法が採用されているのはそういうことだったのか……。
つまり、異世界人が異世界の知識や技術をもってこの世界に転移してくるのが転移者というイレギュラー。それもアリエルが元いた世界からの転生者であるということは間違いないだろう。
人はこの世界で生まれて、生きて、そして命を全うして死んでいく。たまーに200年生きてもピンピンしてるような爺さんがいるけれど、それでも不死というわけにはいかない。グレアノット先生がこの先1000年生きたとしても、いつか必ず死ぬ時が来る。
もちろんエルフ族は長寿だけど、長寿というだけで、生まれたからには必ず死なねばならない。それは絶対の摂理。人が死ぬと、いつか、また、生まれ変わる。そして生まれたときはまったく何の記憶も持たず、まっさらな赤ん坊として生まれてくる。これが世界の人族に信じられている生まれ変わり、つまり輪廻転生というものだ。
記憶がないのになぜ生まれ変わりなんて不確かなものを信じられるのかというと、そこで前世の記憶をもったまま赤子として生まれてくる神子というものの存在が大きく影響するという。
滅多に生まれてこないから記録は殆どなく伝承に残る程度らしいのだが、その神子が生まれるという事実こそが、人は死んでも生まれ変わってまた次の人生を送れるという根拠になっているのだ。
「なあ、アリエルくん、キミは7歳にしては聡明すぎる。魔法に対する理解も恐ろしく早いし、何よりこのよの理に至る知識を持っておる。のう、わしは神子とみたが、どうかの?」
アリエルが転生者だということは早々にバレてしまった。
他にも転生者が居たという記録もあるらしい。皇帝とか。
別に神子とか転生者でも生きていくのに差別されたりなんてことがなければ別にバレたところで構わないのだけど、ここで先生に口止めもせずカミングアウトするといろいろ困ることがある。
「…………」
アリエルは背を向けて数歩あるいた後、背中越しに振り返りグレアノットを訝しむ目でじっと睨みつけている。これでは自分は神子であると言ってるようなものだ。
グレアノットは押しの一言を添える。
「もちろん秘密は守るからの」
アリエルは緘口の言質を得られたことで、すこし心が軽くなり、話をしてみるのもやぶさかでないと思った。というのも、このことは誰か話の分かる人物に相談したいと常々考えていたからだ。
「……んー、秘密は守ってもらえるんですね? 父や母にも明かさないでもらえますか?」
「もちろんじゃ、約束する。ジジイに二言はない」
左手で顎を触りながら、地面を見ながらブツブツと……。
いかにも「どうすっかなあ……」と考えているポーズをとるアリエル。
迷ってる素振りでありながら急に考えがまとまったかのように頭をあげた。
「では、うーん、どう言えばいいのかなあ。あらためて自己紹介します。前世? でいいのかな、前世ではサガノ・ミツキという名前でした。サガノが姓で、ミツキが名です。ある夜、事故で死んでしまったようです。享年は数え? だと18歳になるのかな。住んでたところは、こことは違います。うーん、時間軸と言うか時代が違うのかと思っていたこともあるけど、たぶん異世界ですね。最初に異世界に転移する方法を質問したのはそういう理由からです。向こうにも家族や友達がいて、めちゃくちゃ心配かけてると思うので」
あと、以前生活していた異世界には魔法という概念や力、魔力やマナというものは存在しなかったことも説明しておいた。アリエルがいまある知識は、魔法がない世界の、誰もが知ってる一般教養程度であって、専門的に勉強したことでもない。神子だなんて、そんな大それたものじゃないということも付け加えておいた。
「さっきのメートル法の話を聞いて、なるほどな……と思いました。でも、メートル法は俺が住んでいた世界では200年ほどの歴史しかなかったはずです。もしかすると転移するときに時間の流れを遡るとか急激に流れるとかそういうのはあったのかもしれないですね。時計と暦の話もやっと理解しました。曜日もまったく同じ七曜制なのも偶然にしちゃ出来過ぎだと思ってましたし」
渋々ではあるがアリエルが転生者だということを認めると、グレアノットは重そうな瞼を大きく持ち上げて目を輝かせた。
「おおっ。やはりの。神子を目の前に話ができるとは何たる幸運じゃ……」
「先生、くれぐれも内密にお願いしますよ。いやあ、あのさ、今まで俺、母さんに甘えてさ、あの胸に飛び込んで顔をうずめてたりしてたからさ、その俺の中身が実質24とか25歳の男だったとか、もしトリトンにバレたら軽く殺されるよね? いや絶対に殺されるよね?」
「ぶわっははははははっ。愉快な心配をしておるようじゃ。神子というのはの、お腹の子が何らかの原因で生まれることが出来ず死産になるとき、助けを求める胎児を救うため、清廉な魂が宿り、その結果、神子になるという伝承があるぐらいじゃからの。神子は我が子であり恩人でもあるという考え方じゃな」
「いやいやいや、恩人だと思ってたらセクハラ大王だったとか勘弁ですよね。先生、マジで秘密でお願いします」
正直、神子だとか転生者だとか、そんなことがバレても大して困らないだろうとは思う。
当のアリエルにしてみればそんな事よりも、外見が子供なのを良いことに、数々のセクハラ行為を働いたことがバレるほうが大変だった。打ち首獄門を言い渡されても仕方がないほどの。
「先生、俺の他には神子って居ないのですか?」
「神子などという実力者は複数の妻を娶ることが多いからの、この世界には神子の子孫を名乗る者はそう珍しくもないが、現在進行形で神子というのは、お主しか知らんの」
アリエルもいま『ああ、やっぱり異世界に転移した人はハーレム作るんだなあ』と思った。
今はこんなガキみたいなナリしちゃいるけど、前世でやり残したことがたくさんあったり、何年も恋心を抱いていた好きな女の子を、ちょっと顔がいいだけの軽薄な男に取られたりして、後悔に後悔を重ねて生きた人たちの気持ちが痛いほど分かる。好きな女に告白しようとして、いい雰囲気つくったところでいきなりトラックに轢かれて死んだ男の無念さを理解してもらうのは難しいだろうけど。
人生なんて後悔の連続だ。
あの日、あの時、もしこうしていれば、あの場面で違った選択をしてさえいれば、今のこの状況はきっと違っていただろう……。そんなこと、考えない人は居ないのだから。
今の、この状況を人生のやり直しだと前向きに考えることができたら……、
これからの人生はバラ色になるのかもしれない。自分次第で。
「むう? どうしたんじゃ? スケベな事でも考えておるような顔しおって」
「先生もしかして心読みましたか? でも大丈夫です、ご心配には及びません。なにしろ俺はまだ7歳ですし、この土地にはちょっかい出すような女の子いません。……さてと、教室に戻りますか」
「う、うむ。そうじゃの……しかしアリエルくんおぬし、女の子にちょっかい出すことを考えておったのか?」
……ぐっ!
「いやだなあ、そんなこと考えてませんよ、ええ、なにも」
「ウソが下手だということは分かったでの」