03-20 残された者の心情(パシテー視点)
少し話は戻って、パシテーの視点です。
――― 少し時間が戻って、ここはフェアルの村。
パシテーはアリエルのことが心配だったが、精霊と会うためにはまず独りで行かなければならないと言われ、精霊とは戦わないと固く約束したことで、6つも年下の、まだ14歳の兄をたったひとりで送り出すこととなった。
帰らないことが不安になり、後を追うためアスラ神殿を訪れたが、自分ひとりでは転移魔法陣を起動することすらできないことを確かめただけの結果に終わった。
それもそのはず、転移魔法陣を起動するためには、大量の魔気を注入するか、もしくは魔気が結晶化した魔導結晶を使う必要があり、昔は豊富にあったと言われる魔導結晶が消費し尽くされ、今では魔導結晶がウルトラレアな鉱石になってしまったことから魔法陣を使う魔導が衰退し、いまや伝える者もいないロストマギカに数えられるようになった。
つまり魔法陣を設置したところで、起動するトリガーが無いのだから魔法陣という技術が忘れられるのも当たり前なのだ。
パシテーはアリエルが触れただけで転移魔法陣が起動したことに着目し、マナで起動させる方法が必ずあるはずだと考え、思いついたこと全てを試してみたが、分かったことは自分が無力だという事だけだった。
パシテーは残されたフェアルの村で、ひとり心当たりを集う。
「どなたか、魔導結晶をお持ちではありませんか?」
アリエルが精霊に会うと言って出たきり、もう何日もたった。連れの男が帰らないことに、皆が心配してパシテーのカマクラを訪れたのだ。真っ赤に目を腫らしたパシテーが縋るように詰め寄って、魔導結晶を持っていないか問うのだけれど、村長は目を細め、小さく首を横に振った。
精霊テックは風の精霊。アリエルもそこそこ風魔法が得意な魔導師だ。
戦闘になってなきゃいいけど……、と嫌な予感が頭をよぎる。でも『聞きたいことがあるだけ』というのも本当なのだろう。
精霊を使役することができたら精霊王の称号を得られるし、己の力も増すだろうけれど、兄弟子には支配欲や名誉欲なんてものは微塵も感じられない。まったく男子として、仮にもノーデンリヒト領主の家督を継ぐ長男としてそれはいかがなものかと苦言を呈したくなるほどに、なんというか、あらゆるものに対して無欲なのである。
魔導学院の図書館で読んだことがある。
大精霊は気難しく、とても友好的だとは言い難いが、怒らせるようなことをしたり、機嫌を損ねるようなことさえしなければ襲われることはない。挑もうとさえしなければ出会っても戦闘にはならないと。
精霊を使役しようなんてことをアリエルが考えるはずがないという安心感があった。だから危険な精霊の棲む地へ、一人で行くのにも反対しなかったのだ。
しかし、パシテーは反対しなかったことをいま激しく後悔している。
一昨日から心配で夜も眠れていないし、手が震えてしまって何も手に付かない状況だ。
なにしろ安心して送り出したアリエルが戻らず、もう4日目の朝を迎えてしまったのだから。
テックに会いに行ってまで聞きたい話というのは、きっと異世界、アリエルの故郷に転移魔法が繋がっていないか? あるならどこにあるのか? ということに違いない。
エドの村と、ここエルダー大森林を繋ぐ転移魔法陣は何万年も前に誰かが作った物。一説には神話で謳われる人柱の女神、戦神と謳われたゾフィーが作ったと言われている。
パシテーのマナでは起動しなかっただけれど、アリエルは触っただけで起動してしまった。
魔法のバリエーションは自分のほうがたくさん持ってるし、飛行や剣舞といったオリジナルの土魔法も無詠唱を鍛錬しているおかげでそこそこ使えるようにはなった。
魔導学院の評価基準では、きっと兄弟子よりも自分の方が高評価を得られる。それは間違いないのだろう。だけどパシテーが兄弟子を超えることが出来ない理由は分かっている。
こういった、マナを使って何とかならないか? といった場面でのアリエルの適応力というか、その柔軟な発想力でだいたいの問題を解決してしまう実力には、どんなに頑張っても追いつける気がしない。
その差がそのままオリジナル魔法の差につながってる。
第一、あの自己再生の回復能力に加えて、女を魅了するマナなんてモノの存在自体が前代未聞のチートなのだ。所謂『普通の秀才』に過ぎないパシテーには逆立ちしたところで、太刀打ちすることすらできないのだし。
だいたい設置型魔法陣の起動には魔導結晶が必要というのが魔導師の常識なのに、なんでそれをマナだけで起動してしまえるのかが理解不能なのだ。お金を貯めて魔導結晶を買ってさえいればこんな事にはならなかったのかもしれない。魔導結晶が手の内にあったなら、兄が一晩帰ってこなかった時点で後を追っていたのだから。
「はぁ………」とても深いため息が出た。
アリエルという兄弟子は、とにかくお金に無関心なのだ。
パシテーとしてもお金はあったほうがいい。
お金がないとパンも買えないし、服も買えない。
仮にも年頃の女の子なんだからオシャレもしたいし、化粧品にも興味がないわけではない。でもお金が無ければ無いなりに暮らしてしまうのが兄アリエルなのだ。
家なんてのはその辺の見晴らしのいい丘の上に、カマクラを建てればそれで満足。
しかも本当にあのグレアノット師匠の弟子を名乗っていいのか分からないほどガバガバの精度で、行き当たりばったりの建築物を作って、精度を高めようともせず、できた事に満足して魔導を高めようとはしない。
更に兄弟子はガルグやディーアを獲るのにまったく苦にならない気配察知の能力を持っている。
そんなだから冒険者の仕事も最小限しか受けないのに普通に食べていける。[スケイト]の魔法は長距離移動するのが苦にならないので、旅の目的地や経由地になる場所への手紙や小包を輸送する仕事で稼げている。あの[ストレージ]の魔法のおかげで、荷車いっぱいの荷物を預かっても手ぶらで移動するのだからこっちも相当なチートだ。
前はたまに包丁などを打ってマローニで売ったりしていたのだけれど、最近は工房のあるノーデンリヒトから遠く離れてしまったので、包丁を打つ機会もほとんどなくなった。
でもそんなアリエルだからこそ惹かれるものがある。
魔導を探求する兄弟子としては言うに及ばない。ガツガツすることなく、飄々と、ただ自然体で風に吹かれるままに生きていて、生まれ故郷が戦争で大変だというのに、争い事には我関せず、むしろ敵である魔族のほうに同情的なことを言う。お父様のトリトンさんがいったいどんな思いで戦っているのか、考えると不憫に思えてくるほどに。
だからと言って何にも無関心を決め込むわけではない。遥か遠い外国で出会った行きずりのエルフ女たちの不幸にも心を痛めて、その眼に映った、たった二人の娘たちだけでも助けずにはいられないのだから。
兄は自らが立ち上がって先頭に立ち、拳を振り上げて正義を語らない。
その気になれば国を相手に戦える力を持ちながら、この国を腐らせている権力と戦わないし、英雄になろうなんて爪の先ほども考えない。
そのくせ、パシテー自身これほどまでに憎み、滅びてしまえばいいのにと願う、こんなにも腐った世界を……、少しずつ、明るくて美しい世界に作り変えていく。
フェアルの村の女性たちが心配して声をかけてくれた。
滋養強壮にいいという木の実をガゴいっぱい持ってきてくれたりする。
憔悴した姿を見ていられないのだろう。
精霊に会いに行った魔導師が帰らない。
それが何を意味しているのか、この村の者には分かっている。だからみな、一様に口を閉ざす。
そのことに触れるのはタブーであると言わんばかりに。
パシテーはお辞儀をして施しを受け取った。
食欲もないし、昨夜は泣き明かしたというのに、涙だけは枯れることがない。止めどなく溢れてくる。憔悴しきったパシテーはアリエルの作ったカマクラに引っ込んでしまった。
狭くて小さなカマクラ。
一人でも息が詰まってしまいそうな狭い部屋なのに、アリエルと一緒だと、寧ろこの狭さが喜びだったことを思い出す。
―― はあっ。
ため息ばかり出る。
涙ばかり流れる。
やはり止めるべきだった。
アリエルが残した金貨の入った袋を手に取る。ずっしりと重い。これはアリエルが転移する前、「万が一俺が戻らなかったらこれを」と言って置いていったもの。
「お金なんて今更……」
……っ!
ここはフェイスロンド領でエルダー大森林の入り口。
ということは、徒歩30日、つまり800キロか900キロも行けばネーベルの町、そこから更に40日程度で領都グランネルジュ。約2000キロという計算になる、途方もない距離だがパシテーの速度で休みなしに飛ぶことが出来れば半日で着く。その気になればそこまで遠い距離ではない。
アリエルが残して行ったゴールドがあれば魔導結晶が買える。ネーベルになくてもグランネルジュまで行けば、いかに入手困難な魔導結晶でも手に入るかもしれない。
革袋の中の貨幣を確かめると金貨に混ざって指輪がひとつ。手のひらに出てきた。
シェダール王国立魔導学院を象徴する竜の刻印が施されたミスリルの指輪。
宝石の代わりに魔導結晶があしらわれている魔導師の指輪が、手のひらの上のコインに当たって『ころん』と音を立てる。
ソンフィールド・グレアノットが弟子に餞別として渡した指輪だった。
パシテーは魔導結晶の付いた指輪を確認すると、すっくと立ちあがった。
「兄さま……、いま助けに行きます」
パシテーが魔導結晶の指輪を人差し指に通すと、いつもよりマナがざわめく。
魔導結晶は地脈から湧き出す魔気が結晶化したものだと言われている。どちらも魔導師にとって重要な役割を持つ魔力の源だ。
カマクラを出ると、村長をはじめ、村の女たちや、セキ、レダまでが心配そうに窺っていた。
パシテーは誰に言うでなく、ひとりごとのように呟いた。
「私も大勢のひとに心配をかけているの」
はあっ!
ひとつ大きく深呼吸をして息を吐く。
次の瞬間、パシテーは村人たちの前から突然姿を消し、桜吹雪のように花弁が舞った。
加速Gによるダメージなど構わず空へと打ち上げられるように飛翔し、岩山の神殿へと急いだ。
オーバースキルで遥かな高みまで飛び上がったパシテーは、山地の中腹にあるアスラ神殿を見下ろし、放物線を描きながら着地地点を北側の一枚岩に見立ててフワッと着地する。
同時に転移魔法陣が起動し、眩いばかりの光に飲み込まれてこの世から消失するパシテー。
……。
ぐにゃりと空間が反転したようにな、奇妙な感触があった。
もう何度か経験した転移魔法陣が正常に機能したようだ。パシテーは自分の身体に欠損がないかなど、その場で確認しながら、転移してきた場所を観察する。
そこは薄暗い洞窟のような場所だった。
転移した先は見慣れない洞窟だった。いや、粗末な神殿に祀られた供物棚のようなものも見える。
ここに精霊がいると聞いていたがここには誰もいない。身を切るような寒さに凍えてしまいそうになりながら、パシテーは不得意な体温調節の魔法を施して洞窟を飛び出す。
ここ何日かは晴れた日が続いてくれたことが幸いだった。
アリエルが歩いたのであろう足跡や[スケイト]の痕跡が雪に残されていたから。
「山を登ったのね……」
痕跡は、尾根に出てから更に高い山のほうに繋がり、岩壁の手前で消えていた。
岩壁を登ったことは容易に推測できた。
パシテーが岩壁の上まで飛び上がると目に飛び込んできたのは………、パシテーが教員として教えていたマローニ中等部の運動場よりも広い、平坦な土地だった。
おびただしい戦闘の跡が残されている。
いったいどんな化け物と戦ったというのか? [爆裂]の跡がこんなにたくさん……。数えきれないほどの大穴が空いていて、どういう訳か、一面雪景色の雪山にありながら、あそこにぽっかりと口を開ける洞窟の入り口から、およそ扇状の形に雪が積もっていない。岩盤がむき出しになっているのだ。
いやな予感が頭をもたげてきた。どうか、どうか無事でいてと心の中で祈るような気持ちになりながら、パシテーは外套を翻し、6本の短剣を定位置に出して周囲を守る。
戦闘の跡を慎重に検分してみると、雪や氷だけじゃなく岩まで熔けるほどの高温の何かが大量に撒き散らかされた跡。更に巨大な爪のついた足跡と、岩盤に刻まれたひっかき傷。あちこちにアリエルの爆裂の痕跡が大量に、それこそ無数に残っていて、大量の血液が流れたのだろう、血痕も生々しくそこに残っていた。
パシテーはアリエルが何発の[爆裂]を使ったのか、地面に空いた穴から推測したが、30発数えたところでもう数えることが無意味だと思った。
直感で分かった。これだけハッキリとした痕跡があるのだから。
アリエルはここで絶対に出会ってはいけないモノに出会い、そして襲われたのだ。
スケイトの軌跡は向こうの洞窟に続いている。
「兄さま、どうか、どうか無事で……」
パシテーは6本の短剣を展開したままに、溢れんばかりの殺気を垂れ流しながら洞窟へと足を踏み入れた。ドラゴンの巣と知りながら足を踏み入れる愚を行う。
だがしかし、その洞窟に主は居なかった。
奥に行くと、狭い人ひとり分の通路がある。この通路はドラゴンでは到底通れないので、アリエル生存の目が出てきた。
狭い通路の前に立つと、奥は少し明るくて広い部屋になっていることが分かる。
洞窟の奥が明るい? どういうことだろう……と訝しみながら、慎重に進むと、その光の正体は柔らかい光で辺りを照らす魔導照明だった。そしてその右の奥のほうには……、
出来の悪い土魔法建築物があって、窓の隙間から光が漏れていた。
「兄さまのカマクラ!」
パシテーが見間違えるわけがない、整地もせず、土地が傾いていれば傾いたままの状態で建てる、ごくごく適当な魔導建造物。あの木製のドア、天井の換気口と明り取りの窓、パシテーが見間違えるわけがない。
しかし、アリエルのカマクラの前に、何か暗いものが充満し立ちふさがっている。
その仄暗い煙のようなものは、明確な敵意をもってパシテーの行く手を阻む。
手が震えてくる。寒さ? いいえこの震えは身体の芯から来ていた。
空気と分離して重く地面に沈む、艶やかに暗く、少し触れただけでとてつもなく不安な気持ちに苛まれる。
「これは瘴気なの!」
なにか恐ろしいものがあそこに居る。
手を出してはいけない何かがそこにある。
闇の中心に薄ぼんやりと緑色の目が光って、わずかに揺れているのを見つけた。
見つけた! あれだ。あれが兄さまを……。
「おのれ! 兄さまを返せ!」
パシテーは震える身体に喝を入れて、一歩進み出る。
闇に光る眼に向けて2本の短剣を射出し、勝算などまるで見えない戦闘を開始した。
……パシテーが攻撃を開始したのと同時に、闇も応戦するよう襲い掛かってきた。
射出した2本の短剣も、次に撃ち出す予定だった4本の短剣も、そして自分の身体まで、闇の触手に捕らわれ、ギリギリと縄が食い込むように締め付けられた挙句に、目の前にいたはずの敵を見失ってしまったのだ。
「くっ!」
パシテーは耳元に冷たい息遣いを感じ、ハッとして横を見ると、近い……すぐ横、耳元にひとの顔があるのが見えた。
間合いをとろうとしても、逃れようとしても、少しも動けない。
頼みの短剣も奪われてしまって、身体に巻き付いた瘴気の触手を外すことが出来ない。どんなに体をよじっても、どんなに逃れようとしても、ビクとも動かなかった。
もう、自分の命運が尽きてしまったことを悟った。
その時だった。
「あ! パシテーなのよ? マスターを迎えに来てくれたのね?」
耳元で響く、人懐っこい少女の声。そして音もたてずに引いていく闇の瘴気。
すぐ近くにいた声の主は12歳ぐらいのエルフの少女。まさかこの少女が瘴気の主なのか……。
マスター? いまマスターって言った?
「マスターはケガをしてて、まだ動けないのよ」
そう言って少女がカマクラの扉を開けると、中からモゾモゾ這い出そうとしていたアリエルが顔を出した。満身創痍だ。もうフラフラで今にも倒れそうなくせに、パシテーの顔を見た途端に説教を始めた。
危険なところに来るべきじゃないとかなんとか……。そんな説教など、聞くに堪えない。
ほんとにこの男は……どれだけ心配かければ気が済むのか!
そんな傷だらけになって、衣服もズタボロ。肩から胸にかけて致命傷? のように酷い傷が見える。
「うるさい! うるさいの。私がどれだけ心配したか、兄さまは……」
「ああ、そうか心配させてしまったか……」
なにをいまさら……、心配しないとでも思っていたのか? この男は。
もうほんと信じられない。しかもちょっと見ない間に、こんなかわいい女の子をひっかけてるなんて。エルフ? エルフよねこの子。
エルフと見たら見境がなさすぎる。こんな小さい子にまで。
ほんとイライラする……、ホッとしたらだんだん腹が立ってきた。
「ところで兄さま……、この女、誰?」
怒りに任せた言葉を投げかけたあと少女を睨み付けてしまった。
我ながら大人げない……。
しかしその少女はあっけらかんとしたいい表情で自己紹介をしてみせた。
信じられないことだが、この少女こそが大精霊テックだったのだ。
うそ……、精霊テックは風の精霊。
精霊王アリエルとともに童話になった世界一有名な大精霊のはず。
時の書物には闇の瘴気なんぞ使うのは地下迷宮の奥深くに生息する魔物か異世界に巣くう悪魔ぐらいだと書いてあったのに。
どうやら兄弟子アリエルは大精霊『てくてく』を使役するらしい。
精霊王アリエル(二代目)の誕生である。
もう呆れて何も言えない。
こんな幼いエルフを従者にするなんて、ド変態すぎて涙が出そう。
もし精霊王アリエル2が絵本になるとしたら、とても子どもに読んで聞かせることなんてできない内容の……、官能的な薄い本になるのではと、へんな方向の心配をしてしまう。
でも、この子、兄弟子の致命傷を止血してくれてる。大きな外傷、治りかけているその奥深くで、闇の魔法が留まっているのが分かる。兄さまを傷つけるような人は殺してやりたいけど、兄さまの命を助けたのなら許してあげる。どうせてくてくも兄さまにたらし込まれたに決まってるのだから。
アリエルはいつの間にか、膝枕でスヤスヤと静かな寝息を立てている。パシテーはもう怒る気力もなくなってしまって、ただもう疲れたとしか言いようがない虚脱感に襲われていた。
「ねえ、てくてく、聞いていい?」
「何なりと聞くがいいのよ」
「その子、誰なの?」
「アタシの前のマスター。千年前にここで死んだのよ」
「……、そう。では瘴気を纏っていたのは?」
「アタシ。千年前、ここで闇に堕ちたのよ。アタシはもう風を使えないし、風に乗ることもできない。アタシに優しくしてくれたのは闇だけ……。ねえパシテー、あなた羨ましいのよ。マスターに愛されてる」
「兄さまには思い人がいるの。私は妹」
「ミツキのことね。アタシ見たのよ。人族のとても可愛い子だった。でもパシテー、アナタそのミツキと同じぐらい愛されてるのよ」
「ほんとに? 私が? 兄さまに?……」
てくてくの言葉が嬉しかった。まさかとも思った。アリエルに愛されているだなんて、顔が熱くなってしまって、どうしよう、この膝枕で寝てるこの男が自分を愛してくれてるだなんて、そんなこと、あったらいいなとは思っていたけれど……。
「へへへー、そんなことないのー」
「何いきなりデレデレになってるのよ。分かりやすい子! なんか腹たってきたわ」
「外の戦闘の跡は何なの?」
「氷龍ミッドガルド。マスターがあっさり倒してしまったのよ。精霊の最上位種をまあ、いとも簡単に倒してしまったモンだから、アタシも殺されると思ったわ」
そのミッドガルドをいとも簡単に倒してしまう兄さまにこれほどの深手を負わせるてくてく……。
いったいどうやれば、勝ったほうのアリエルがこんな酷い目にあって、負けたはずのてくてくのほうが涼しい顔をしてるのか。本当に理解できないことだらけだ。
「てくてく、あなたも相当なの」




