03-19 大精霊テック その7
01/12 テキストが1ブロック丸ごと抜け落ちるというミスが発覚したので修正しました。
当然だが、てくてくもこの異様な気配に気づいていた。
「最悪のタイミングなのよ……」
てくてくは歯噛みしながらも満足に動かせない手足で、ヨロヨロと躓きながら建付けの悪いカマクラの扉を開けて防衛に出た。まだ心臓が動き始めたところだ、とても戦えるような身体じゃないのに、動けないアリエルを庇ってそんな女児の姿で戦おうとしている。
侵入者の動きが速い。
迷いなく洞窟の奥にまで到達していて、てくてくとの戦闘が始まったようだ。
カマクラを出てテックを守らないと……。
重い体を引きずり、四つん這いでもそもそと小さな扉から這い出そうとすると、外から扉が開かれた。
「兄さま!」
あれっ? パシテー?
気配を整合するまで分からなかったが、あれほど濃厚な殺気を放出していたのはパシテーだったようだ。
マジか。怖ええぇぇぇ!
まさかパシテーにこれほどの殺気を向けられたことがなかったから分からなかった。
「パシテー? お前なんでこんな危険なところに一人で来てんの? ダメだろ。俺の言いつけを守らないなんて、怖い目に遭わなかったか? ケガでもしたらどうするんだ?」
立ち上がれもせずフラフラしながら四つん這いで出てきたのだが、こればっかりは言っておかなければ気が済まない小言を言い始めたアリエルにパシテーが怒りを爆発させた。
「うるさい! うるさいの。私がどれだけ心配したか、兄さまは……」
た、たしかにパシテーの言い分にも一理ある。アリエルはこの洞窟に籠ってどれぐらい時間が経ったか、まったくわからないのだ。
「ああ、そうか心配させてしまったか……」
「ところで兄さま? ……この女、誰?」
パシテーはこの氷の洞窟よりもさらに冷たい視線で睨みながら、てくてくの出方を窺った。
「パシテー、マスターの大切な妹。アタシ知ってるのよ。マスターの従者になりました。『てくてく』といいます。よろしくなのよパシテー」
「え? よろしくなの。兄さま? 大精霊を使役するの?」
パシテーは兄アリエルのことをマスターと呼ぶ精霊の姿がエルフの子女であることに困惑しながらも、この異質なものが敵じゃないと知って、少し安心した。
アリエルは力なくコクリと頷いた。
いましがた感じた殺気の主が身内だと分かった時点で、張り詰めた糸はプツンと切れてしまった。
もう話す力もない。眠ってしまいそうだ。
「兄さますごいケガしてるの。大精霊テック、あなた兄さまと戦ったのね」
「そしてアタシは敗れ、マスターの従者となった。それだけなのよ」
パシテーはアリエルの肩から胸に入る致命傷を不安そうに見て、さすったりしていたけれど、大丈夫そうなことを確認すると安堵したように目を伏せた。
「アタシはてくてく。テックの名はもう捨てたのよ。大精霊って呼ばれるのも好きじゃないのよね。てくてくって呼んでパシテー」
「うん、てくてく。兄さまのこの傷、魔法で止血してあるの。兄さまを助けてくれてありがとう。この傷は致命傷なの」
「その傷をつけたのはアタシ。負けを認めて止血したのもアタシなのよ」
「兄さまを傷つけるような人は殺してやりたいけど、許してあげる。どうせあなたも兄さまにたらし込まれたの」
何度も何度も、睡眠と覚醒を繰り返す浅い眠りの中、いくつもの断片的な夢を見たけれど、その内容はよく思い出せない。アリエルの意識がようやくはっきりしてくると、パシテーとてくてくは、やけに仲よくなってた。
てくてくがまたぺったんこなってる……。まったく、あの少女のなかで何が起こってるのだろう?
氷漬けのときはパシテーと同い年ぐらいのハイティーンか成人女性に見えたのだが……。どういう理屈で縮んでしまうのだろうか? 今は小学低学年で、ミニスカサイズだったチュニックをドレスのように着こなしてる。服は伸縮しないらしい。
土魔法で作ったカマクラの、扉付近から隙間風が入ってくることを嫌ったのか、目を覚ました時にはちゃんと修正されてた。もちろんこんな細かいところを修正するのはパシテーしかいない。寝てる間に赤ペン先生のチェックが入ったということだ。
「傷はだいぶ良くなったよ。俺はそろそろ動けるようになったけど」
「じゃあアタシ、マスターの影に[ネスト]を設置するのよ」
「ネストってなんだ? 魔法?」
「アタシの家ね。魔法生物だけが出入りすることができる闇の設置型魔法装置なのよ。アタシが設置しても、維持や操作はマスターがすることになる、いわゆるヒトツの魔法陣のようなものなのね。これを設置するとマスターの影がアタシの部屋になるのよ」
「ヤドカリに付いたイソギンチャクみたいなもんか」
「むーっ、なんか知らないけど失礼なコト言われた気がするのよ」
「あはは、でもそれが使えたら便利だな。魔法生物だけしか入れないのか? 人やエルフは? その子はどういう扱いになるんだろ?」
「ネストは本来、人も動物も自由に出入りできる魔法陣なのよ。でもアタシのネストはきっとそれを許さない。アタシの身体が闇に侵食されて以来、使えた魔法のほとんどが変質してしまったのよ。ネストもそのひとつ」
魔法陣と聞いて興味がない訳がない。こちらからもお願いしたいぐらいなので快諾すると、てくてくは120秒程度の短時間でアリエルの影の位置に小さな魔法陣のようなものを展開した。
これが驚くなかれ、魔法陣は地面の岩盤に書いているように見えて、その実、アリエルの影に直接書かれていた。物理的に投影された影ではなく、薄暗い洞窟内に差し込むわずかばかりの光を受けて、色濃く地面に落ちたアリエルの影に直接投影した魔法陣だ。アリエルが動けば魔法陣も移動する。
ほどなくして闇魔法ネストが完成した。起動するのための儀式を執り行う。
とはいえ、儀式めいたことは何一つなく、ただてくてく影から赤黒いものが波打ちはじめ、とても禍々しいオーラが溢れ出て、アリエルの影にスッと吸収されて消えたように見えた。それだけだ。
これはクソ狭い室内でやる作業じゃない、外でやるべきだと思うのだけど……。
「完成なのよ。ちょっと試すからそこ動かないでネ」
てくてくはアリエルの影に向かってぴょんとジャンプして飛び込んだ。
ざぶん!と池に飛び込んだかのように、てくてくは影に沈んで消えた。一瞬、魔法陣が起動したように光を放ったが、影の中の、とても見通すことが出来ない深い穴に向かって落ちて行った。感覚的には落とし穴だ。そしてその落とし穴に蓋をしているのが魔法陣と考えれば理解しやすいのかもしれない。
別にマナを食われてるような感触もないけど、なるほど、中にてくてくが居ることだけは明確に分かる。これは[ストレージ]に近い感覚だ。
平面の影から赤黒い波がたつと、中からすーっとてくてくが出てくる。
エレベーターでせり上がってくる舞台装置でもついているかのようだ。
「ちょっと制限あるけど問題ナイのよ」
「お? 俺も入ってみたいけど、無理なのか……」
「無理なの。でもステキ。マスターの[ネスト]は暖かくて快適なのよ。それに比べてこの洞窟は酷かったわ、すっごく寒かったのよ。オマケにここ70年ほど前からトカゲ野郎が住み着いてしまって、ちょっと外の空気吸おうと思って出ただけでブレス吐かれたりして、お尻を火傷したこともあったのよさ、マスターのおかげであのクソドラゴンからやっと解放されたの」
てくてくの屈託のない笑顔は緊張感のかけらもなく、精神的にも肉体的にも疲労の限界にあったアリエルを癒した。深い傷のほうはまだ完治してないけど、足が無傷なので下山するのに不安はない。
体力の回復を待って、このクソ寒い洞窟からは早々に退散することにする。霊廟を薄暗く、柔らかい灯りで照らしていたクリスタルのような照明は、どうやら てくてくが作り出した魔導照明だったらしい。
これをここに置いていくのはもったいないと思ったけれど、てくてくにとってあまりいい思い出の残る品じゃないらしく、あっさりと消灯して踵を返した。
「さあ帰ろう。フェアルの村に顔を出さないと、タレスさんが心配してるかもしれないな」
「みんな心配してるの。兄さまもう死んだと思われてるの」
「うへえ、マジか……」
「心配かけすぎなの。ほんとうに……」
アリエルとパシテーをこの地に導いた転移魔法陣まで帰る道すがら、洞窟の途中、ミッドガルドの巣のあたりでパシテーがひとつ奇妙なものを見つけた。
「ねえ兄さま、あれは何?」
パシテーが指さした先は薄暗がりの龍の巣。少し柔らかな土壌の上にあるのは何やら禍々しい気配を放つ白銀の光沢が美しい、すべすべした球体、直径70センチほどの……。
「これは卵じゃないか」
全長40メートルにもなろうかっていう龍の卵がこんなにも小さいなんて思ってなかった。
新発見の驚きだ。
いや、そうでもないか。卵というのはたったひとつの細胞からなる。前世の地球では、ダチョウの卵が世界最大の単細胞だった。さすがファンタジー世界といったところか、まさか龍の卵にお目にかかるとは思わなかったが、間違いなくこれはこの世界最大の単細胞だろう。この大きさだ、オムレツにして何人前できるのか、まるで見当もつかないが、食べたら美味しそうだ。
「龍の卵だな、持って帰って食べよう」
食い意地が先に立ってしまったので何も考えず[ストレージ]に入れようとしたけれど、[ストレージ]が反応しない。
ストレージが反応しない原因の一つに、マナを持つ生物だということが挙げられる。
アリエルの予想が正しいとすれば、この卵、この極寒の雪山で何日も放置されたというのに、まだ生きてる。
この卵がまだ生きてるとなると、なんだか可哀想に思えてきた。
親を殺してしまったのはアリエルだし、その原因というのも、いきなり巣に入って行って、怒られたから殺したんだし……よくよく考えてみるまでもなく、アリエルが不法侵入者であり、ぶっ殺されても文句言えない立場である反面、ミッドガルドの方が被害者だと言える。
「マスター、ドラゴンは魔法生物なのよ? ちょっとだけなら入れてやってもいいのよ」
「そうか、それは都合がいいな。じゃあこの卵はこのまま持ち帰ろう」
「兄さま、もし卵が孵ったらどうするつもりなの? ドラゴンなんて飼えないの」
「飼えばいい」
「マスターあのネ、ドラゴンのエサは地脈から湧き出る魔気だったり、マナを持つ人族や魔族だったりするのよ。ここでもたまに麓の村のエルフが攫われてきて頭からカジられてたわ。あと牛や鹿のような血肉や骨も少しは必要なのよ」
「パシテー、おれ絶対に最後まで世話するからさ、この子を飼いたい」
「兄さまお願いだから諦めて。ドラゴンなんて飼うと絶対あとで持て余して捨てることになるの」
そういえば日本でもペットとして飼ってたカミツキガメを持て余して捨てるような奴が大勢いたっけ。
だけどドラゴンを持て余したところで、もともと住んでた生息地に帰せば問題ないと思うんだけど。
「その時はまたこの洞窟に連れてくるから。ホント、お願い、エサも散歩も俺がするから」
「もう! 兄さまは言い出したら聞かないの」
「アホなの? ドラゴンをペット代わりに飼うなんて前代未聞なのよ。教えたら人語ぐらい解せるのがせめてもの救いなのネ。飛びかたを教えたりブレスの吐き方を教えたり、寄り添ってマナを与えるのも、何から何まで親の仕事なのよ? 成長期には必ず餌が足りなくなるからアタシは反対だけど」
「人語を解せるのか。じゃあ飛び方はパシテーにお願いしようかな。俺飛べないし」
「嫌なの。おっきいトカゲなんでしょ?」
「ああでも白銀色にキラキラ輝いて綺麗だし」
「私白きらい。黒が良かったの」
「気が合うのよパシテー。アタシも白キライなのよさ。緑か黒がいいわ」
「色なんてどうでもいいだろ。俺のヨルムンガンドなんだからな」
「兄さま、変な名前は却下なのよ。私がもっとカッコいいのつけてあげるの」
「アタシは可愛い名前がいいのよ。『トコトコ』とか『つくつく』とか。あっ『ペケペケ』もいいのよ」
「てくてくと被ってんじゃん。却下だ却下」
などと言いながら、女どもはペットを飼うことに反対しつつも、名前についてはしっかりと口出しすることを忘れない。それはもう、賛成したのと同義だ。
「はぁ……、アタシ、またドラゴンと同居なのよ? もう一つ[ネスト]重ねて設置しないとアタシほんとに眠れもしないのよ。マスター、やっぱり反対なの、置いて行くのがいいのよ」
「てくてく、可愛がって手懐けよう。強くなるよ。きっと」
「そりゃ強いのよ。ドラゴンなのよ? 精霊種の最上位で、食物連鎖の頂点よのさ。そりゃ当たり前のように強いのよ。何をいまさら。きっと誰の手にも負えなくなるほど強いのよ。もしアタシが食べられたらマスターのせいなのよ。化けて出てやるから」
「あはは、もうオバケじゃないか」
「オバケって何よ、可愛く言ってもダメなのよ。一柱の精霊に向かって失礼極まりないのよ!」
「可愛いオバケなんだからいいんだよ。お前は」
「可愛いのは生まれつきだけど、オバケはちょっと納得できないのよ」
ちょっと強引ではあったけれど、女たちに納得を取り付け、ずっしりと重い宝石のような白銀の卵をネストに入れて持ち帰ることにした。
「よっこらしょっ……と」
卵を持ち上げると、マナを吸い取られるような感覚があった。これが噂に聞くマナドレインか。
刺激を与えないよう、丁寧に、慎重に、そーっと卵をネストに沈めたけれど、ネストを通じてまだマナドレインは続いている。なるほど、ずっとネストに入れっぱなしもできるわけか。こりゃ便利だ。
「はあっ、マスター………、心底アホなのよ……。アタシ知らないからネ」
「なあてくてく、ところで話は変わるけど、ちょっと聞きたいことがあるんだ」
「あ、そういえばそんなコト言ってたのよ?」
そうだ。そもそもからしてアリエルはテックを使役したり、ドラゴンと戦うためにこんな北の果ての山に来たわけではない。転移魔法陣を守っている精霊に聞きたいことがあったのだ。
「えーっと……」
「ミツキのいる世界に戻る方法なら知らないのよ」
てくてくはアリエルに取り付く島も与えなかった。
「え? ちょ……、そか、じゃあいいや」
まさか先読みされて一蹴されるとは思ってなかったので一瞬たじろいでしまったのだけど、てくてくに記憶を覗かれたのだから、細かい説明なんか今更いらないだろう。
てくてくは異世界である日本に触れた。この世界で5000年を生きた精霊が日本に行くための方法なんて知らないと言うのだから、きっとその方法は闇の魔法ではないと言う事だ。
消去法で一歩だけ日本に、美月に近付いたような気がする。そう考えれば落胆もない。ここがだめならまた別の手掛かりを探すだけのことだ。
「兄さま気の毒なの」
「そうだよね、せめて5秒ぐらい気を持たせてほしかったよね」




