03-18 大精霊テック その6
疲労で目やにがいっぱい出ていて、目が覚めてもすぐに目が開かなかったけれど、それでも起きて大丈夫なぐらいには傷も回復したようだ。這うようにしてカマクラを出るとテックはすぐそこに居て、例の氷漬けになったエルフ少女の遺体の前にいて別れの言葉をかけていた。
「なあテック、この子どうするんだ? 大切な人なんだろ?」
「ええ、この子はアタシの前のマスター。千年?……ぐらい前、ここで死んだの。アタシはこの子を守れなかった、アタシの後悔の濫觴なの。そしてここは霊廟。この子はアタシが居なくてなっても、ずっと、ずっとここで眠り続けるのよ」
洞窟の最奥に安置された氷漬けの女の子を見つめる、その優しい眼差しからツッとひとしずくの涙が流れた。その涙を拭おうともせず、テックはアリエルのほうを正面にみて、まるで台本でも読み上げるかのような台詞を言った。
「さあ、マスター。契約を行うのよ。アタシを何に宿らせる? モノであれば何にでも宿り、付き従うのよ。それともこの精霊の姿のまま使役する? 少し強力な魔法を使える従者ぐらいの力しか得られないケド、この世に生まれて五千年分の知識があるのよ。剣でも、本でも。さあ、マスター、アタシを何に宿らせるの? ……まずはマスターの名を刻むのよ」
「アリエルだ。アリエル・ベルセリウス」
テックの動きが止まった。アリエルというを聞いて、少女との思い出が、いくつもいくつも、脳裏に浮かんでは消えてゆく。遺体を前にして、守り切れなかったことを後悔しているはずなのに、思い出されたシーンのすべては、楽しかった記憶だった。マスターアリエルの屈託のない笑顔ばかりが走馬灯のように繰り返された。
「ア……、アリ……、アナタはアリエルって名なの? それは本当の名なの?」
「俺の名はアリエルだよ。女みたいだって笑うなよ。俺は気に入ってるんだからな」
まるで機能停止を起こしてしまったかのようなテックに向けて、アリエルは初めての命令を下す。
「では、アリエルの名において命じる。精霊テックよ、お前はこの少女の亡骸に宿って俺の従者となり、命が尽きるまで付き従え」
テックは目を閉じて跪き、無言のまま拝命すると、何か身振り手振りで氷を粉砕し中にあったエルフの少女を闇の触手で優しく抱き上げた。
そして瘴気がこの洞窟の地面を覆ったと思ったら大きめの魔方陣が起動し、暗い洞窟が眩いばかりの光に包まれた。
テックは魔法陣の中央に少女をそっと寝かせると、小さな声で「アリエル」の名を呼び、両手を大きく広げると、なんだかテックの表情が少し明るくなったように感じた。
さっきの「アリエル」は自分の名じゃなかったのかもしれない。
精霊テックの表情は険がとれて優しさが溢れていた。精霊の姿はエルフを模してるんだなということがよくわかる。あんなにイヤそうな目で見られていたのに、手のひらを返したかのようなギャップのせいかもしれないけれど。いまのテックはとてもいい表情を湛えている。
そして、テックの身体はエルフの少女を寝かせた魔法陣の上で パァッ! と儚げに霧散し、跡形もなく消えてしまった。
やがて魔法陣も徐々に光を失い消えてしまい、その後はこの暗がりに、ただエルフの少女が倒れているだけ……、という状況になった。
「あれ? 終わったのかな?」
冷たい岩肌に倒れているエルフの少女を抱き上げると、微かに体温を感じる。鼓動の音も微弱だが感じるし、人のものではないが、気配もちゃんと感じる。蒼白だった顔色が徐々に紅潮してきたということは、たぶんアリエルの無茶振りがすんなりと通ったのだろう。
いや、無理だと言われる未来しか予想してなかったのに、あっさりこの子に憑依してみせたテックの、その『なんでもあり』な能力に苦笑するしかなかったのだけど、さすがに生身になってすぐに、こんな氷点下の雪山で、しかもそんな薄着で、こんな氷のような地面に寝かせていると、いま蘇ったばかりだというのに、さっそくまた死なせてしまいそうだ。
アリエルは倒れている少女を抱き上げると、すぐさまカマクラに引っ張り込んで暖炉の火を大きくし、暖房を強めた。それでも不十分に感じたので、抱いて温めている。
テックとの戦いは一つもいいところがなく、全戦全敗。
だいたいテックはズルい。アリエルの記憶の中から、よりにもよって美月を出してくるあたり、最初から勝ち目なんか1ミリもなかった。
心身ともに大きなダメージを受けただけ。けちょんけちょんに、やりたい放題やられてしまった。
それでもテックには感謝している。心の底から望んでも叶わなかった夢を、ひと時の幻とはいえあんなにリアルに体験させてもらったのだから。
アリエルに抱かれるエルフの少女は、やがてうっすらと目を開け始めた。瞼の隙間からは、テックに似た翠玉の瞳をのぞかせる。手を添えて頬を撫でてみたけれど、まだまだ体温が低く、安定するのはまだ時間がかかりそうだ。
少女の心臓は弱々しく鼓動し、次の瞬間には止まってしまうかもしれないという心配は常にあるけれど、顔色は青ざめていた当初と比べると目を見張るほどの改善がみられる。悪霊が死体に憑依するというのは怪談話で聞いたことがあるけれど、まさにそういう類のものだった。
アリエルはこの少女を抱きしめながら、自分の傷の回復にすら足りないマナを少しでも分け与えて蘇生を後押しする。今にも鼓動するのをやめてしまいそうになっている心臓にマナを送り込んでテックの憑依を助けているのだ。
祈るように、ただ祈るように、マナを送り続ける。
どれぐらい時間が経ったろう、時間の感覚のない洞窟の中で、おそらくは一晩、いや二晩は過ぎたはず。
少女の心臓はドクンと跳ね上がるように拍動を強め、そして目を開けた。
「掌握したのよ」
あんな子どものような声だったテックは一転して女性らしい声を上げ、アリエルの腕の中で誇らしげに『そこそこ』ある胸を張った。
「マスター、助かったのよ。まだあまり動けないけどネ」
「ああ、テックお前いい女になったな」
「イイ女は生まれつきなのよ」
「あはは、そうだな、よかった。じゃあ俺は寝る……」
アリエルはテックが少女の肉体を掌握したのを確認すると精神力で維持していた『気』がフッと途切れて、その場で意識を闇の中に落とした。
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何時間気を失っていただろう……。
心地よい微睡の中、アリエルは徐々に意識を取り戻し、少しずつ視界がはっきりしてくるまで、何時間かかったろう。
時間の感覚がない。
どれぐらい経ったのだろうか。
太陽も月も見えない洞窟の中で、長時間にわたって夢と現を繰り返したことで時間の感覚がサッパリつかめなくなってしまった。身体のほうは受けた傷が深かったことに加え、再生のマナをテックの方に横流ししたのが悪かったのか、回復はしているけれど、まだ満足に動けない。
テックは?……、
いない、テックがいない。てか、控えめだけどそこそこあったはずのおっぱいがなくなって……、代わりに、ぺったんこな8歳ぐらいの女児がいる。
アリエルが目を覚ましたのをみて、ててててっと走ってきて顔を覗き込む女児。じっとみつめる翠玉の瞳と目が合った。
「目覚めたのよ。マスター」
「お?……、おおお?……」
縮んでる!子どもになってる!
「テックなんでちっこくなってんの? どうしたの? あと3日ぐらいで胎児になったりしないよね?」
「マスター、アタシのことは『てくてく』って呼ぶのよ。精霊のテックはもう居ないの。いまは『てくてく』それがアタシの名前。今はこんなだけど、アタシの身体は夜になるとボンボーンってなるのよ。ちょっと障害が残ったみたいだけど不都合ないのよ」
「夜? ぼんぼーん? てくてく?」
「マスター2日も寝てたのよ。ホント……キズが開いたら楽に死ねるほどの致命傷なのに、自分の治癒ほっぽってアタシにマナ送り続けるなんてアホの所業なのよ」
「アホアホ言うなよ。俺は俺に出来ることをしただけだ。『結果オーライ』という言葉は俺の最も好きな言葉のひとつでもあるんだからな」
『てくてく』が、旅の道連れになったことと、お互いに無事だったことを喜び合ったりして、お腹がすいてることに気が付いて、ストレージから何か出して食べようかと思った矢先のことだった。
満足に動けない怪我人と、千年ほど眠ってて体を動かすのに慣れてない少女が籠っているこの洞窟に、突然、押し殺した気配と、隠し切れない強者から溢れ出すような殺気が充満した。
何か敵性の者が洞窟内に侵入したということだ。
戦う気マンマンの闘気を隠そうともせず、出て来い! と言わんばかりだ。
いま襲われたらひとたまりもないというのに。




