01-06 はじめてのまほう
2021 0718 手直し
「ではまず、起動式からじゃな。わしは魔導の研究を200年ぐらいやってるでの、分からんことがあったらその都度質問しなさい」
200年っ!?
アリエルは度肝抜かれてしまって開いた口が塞がらなくなった。
この世界の人間はそんなに長生きできるものなのか?
「いえ、200年? って、人はそんなに長生きできるんですか?」
グレアノットは真っ白なあごひげをいじくりながらニヤリと笑った。その言葉、待ってましたとでも言わんばかりに。
「ああ、そうよの。高位の魔導士は歳をとるのがゆっくりになるのじゃよ」
つまり、魔導師を突き詰めれば長生きできるということだ。
不老不死になれるかもしれないという人類普遍の夢はあっさりと打ち砕かれる訳だが、歳を取るのがゆっくりになることが実感できるまで何十年もかかるらしい。先生によると歳をとるのがゆっくりになるのは爺さんになってからなのだとか。
肉体は若いまま年を取らなければ理想なのに。
歳をとるスピードは種族によっては例外もあるそうで、たとえばエルフ族は種族的に長寿だという。しかも生殖できるようになる14歳ぐらいまでは普通にヒト族と同じぐらいの成長を見せ、そのまま200歳ぐらいまではヒト族でいう20歳代の若い身体を保つのだそうだ。
先生が言うには、一般的にエルフ族の寿命は300年以上と言われていて、その長寿命の秘密はおそらく、マナに対する理解度が関係しているのではないかと考えられているとのこと。つまるところ人族が100年かけて辿り着く魔導の境地にエルフ族は10年そこらで到達してしまうのだから、エルフ族は13~14歳になると、だいたい先生の境地にまで至るということなのだろう。
「そうじゃの、アリエルくんが転移魔法を望むのなら、エルフの魔導を求めてみるのが近道かもしれんの」
―― はぁっ
ため息が出た。
魔族の次はエルフときた。この調子だと獣人ネコ耳娘やら、ミノタウロスやらサイクロプスやらが出てきても不思議じゃない。
アリエルはお返しとばかりに唇の端っこ、口角をニヤリと持ち上げてみせた。
ちょっとやる気が出てきた。何に対するやる気なのかは分からないが、この世界、面白そうだと思った。
アリエルの不敵に笑う顔を横目で流しつつ、先生はまず青い表紙の本をもって最初のページを開いた。これが俗にいう初めての魔導教本というものだ。魔導を学ぶものはみなこの青い表紙の教本から学ぶことになっている。
「ふむ、では起動式からじゃったな」
一応アリエルにも起動式が何か? と、その程度のことは分かっている。ポーシャとクレシダにちょっと聞いた程度の知識だけど、子どもが火遊びを覚えるとロクなことはないので詳しいことまでは教えてもらえなかった。今日こそ魔法の講義を受けて魔法使いになる第一歩を踏み出す。
起動式は、神代文字と呼ばれる文字を繋げて、魔法をセットするためのものだという。神代文字を入力する際には、末端からマナの漏れた指で文字を書くだけでいい。それを目でしっかりと辿ってみることで、頭の中に起動式がセットされる。
ふむ。なるほど。
自分のマナで書いた文字を眼球から入力し、網膜に映すと脳に情報が送られるということだ。
起動式がセットされたら次は術式を唱える。
術式は呪文とも言うし、詠唱するとも言うが、何でもいいらしい。
ただ正式には『術式を唱える』というらしい。
開いた本をアリエルに手渡して、見たこともない文字を指さして先生は言った。
「一番初級の生活魔法は、トーチじゃな。この本を見ながら起動式を指で書いてみなさい。トーチはこの2文字じゃ。起動式を書いたら術式じゃな。精神を統一して、静かに、他のことは考えず、ただ、指先に火を灯すことだけを考えながら術式を唱えるのじゃ『トーチ、燃えろ』」
先生の指にポッと火が灯った。
……なぜ燃えるんだろう? 分からないけど、とりあえずやってみることにした。
本を見ながら、起動式を指で書く、2文字。イメージ、イメージ、イメージ……
指先からマナがにじみ出てくるイメージで……と言われてもよくわからないから、適当にやってみる。
アリエルは少し、ほんの少しだけ既視感を覚えた。
この神代文字というもの、見たことがあるような気がした。
今日はいろいろとテンション上がる出来事があったので、脳が疲れているのだろうか。
既視感なんてのは疲れた脳が作り出す幻想だ。
アリエルは気を取り直して、言われた通り青い表紙の魔導教本に書かれてある通り、起動式を書いて網膜にインストールした。
「トーチ、燃えろ」
―― ポッ。
……。
……。
アリエルの人差し指に火が灯った。本当に火がついた。ライターの炎のように小さな火を使えるようになったのに、驚きも喜びもなく、ただ真顔で指先についた炎を眺めている。
この魔法は……。
「どうしたんじゃ? だいたいの生徒は初めての魔法を成功させたら大喜びするもんなんじゃが?」
アリエルは嬉しくなかったわけじゃなくて、ただ単に魔法が使えてほっとしたような感覚だった。
それよりも神代文字というのを知っていたことに驚いた。日本語でもなければ漢字とも違うし、前世で学んだどんな文字とも違うのに、なぜか知っているのだ。
アリエルは仕切り直すことにした。
「えーっと先生、これどうやって消すの?」
「あ、ああ、もう要らないでも、消えろでもええからの、頭の中で念じるだけでマナの供給は止まるじゃろう?」
アリエルは素直に『消えろ』と念じてみたら、指先から炎がフッと消えた。
いままで火が出ていた指。
アリエルは左の人差し指をまじまじと観察しながら、今の魔法、トーチの魔法、指から炎が出た魔法。成功したことは分かった。初めて魔法を使ったアリエルでも理解できた。だけど疑問が残った。
「……あれ? これはおかしいです先生!」
グレアノットは少し困ってしまった。
子供に初めてのトーチの魔法を使わせたときの反応は、だいたい、大喜びと相場は決まっているのだが、この子は喜びもせずに冷静に観察したり分析したりしている。もしかするとこの子はやりにくい生徒なのかもしれない。
グレアノットは訝しげに聞き返した。
「ふむ。魔法は成功しておるよ? 何がおかしいのかね?」
「…………ちょ、ちょっと待ってください、いまの起動式と術式の意味を教えてください」
「ほう! なんと」
魔導学院で教授職をしていた経歴のあるグレアノットもこれには驚いた。
齢7歳で、いま初めて魔法を使ったこの子は、確かに起動したトーチの魔法を起動式から検証してみたいと、そう言っているのだ。
「ふむ、魔法を学ぶにはまず使ってみよという格言がある。遠回りになるとは思うが……。よかろう、まず、起動式の2文字は、1字目が火の魔法、2字目が、ちょっと説明は難しいが、ゆっくり、小さくマナを放出するという意味だと言われておる」
グレアノットはちょっと難しい内容を子供にでも分かりやすいよう苦心しながら説明することにした。
「術式は1節の2文字。『トーチ』というのが、あのトーチという魔法の形を示し『燃えろ』で着火したというわけなんじゃが……これで分かるかの?」
アリエルは納得した様子でもなく終始何かを疑う表情で思案しながら試してみることにした。
いま得た情報を総合すると、最初の神代文字は〈火の魔法〉で2文字目は〈ゆっくりマナを放出する〉これを網膜から脳にセットしたうえで、術式は〈トーチ〉という定型文を定義し、そして〈燃えろ〉で点火だ。
頭で考えた結果と実践の結果を一致させるよう、実験を繰り返すアリエル。
さっきの起動式を書いて、術式は「燃えろ」とだけ言ってみた。
すると左手の人差し指から火炎放射器のようにメラメラと噴出したのを見てアリエルは少々驚いた。室内でこんな火力を放出したら火事になってしまう。
だけど納得したような顔をしてすぐに火を止めた。
「んー、なるほど。そういう事か」
落ち着き払って何か一人で納得したように頷くアリエルに対して、たったいま前で起こった現象に動揺を隠せないグレアノット。いまアリエルがやって見せたことは、魔導師を志した者が目標とする高位魔導師にしか実現することができない、詠唱破棄または術式省略という技術の初歩の初歩なのだから。
「な、ア、アリエルくん、キミは、い、いま何をし?……」
「え? 何? ああ、すみません火事になっちゃうところでしたね」
「いや、違う違う。いま術式から一節を省いたじゃろ?」
「あ、定型文のトーチという術式を省きましたけど、何か?」
「何か?とな。はあ……、アリエルくん、いま自分が何をしたか理解しておらんのかの?」
「えーっと、はい、省けるだろうってところを省いてみただけですが……、たぶん、これ二節目も省けますよね? きっと」
グレアノット先生は、完全に詠唱を破棄して見せようというアリエルの行動に興味を持ったようで庭に出ることを提案し、二人は庭で魔法の実習をすることになった。
ここは高緯度の北国だから夏でも風は頬に冷たい。日差しはそれなりにきついが、帽子をかぶらずとも熱中症になるほどでもない。青空授業にもってこいの良い気候だ。
グレアノットの魔導教室は初日からアリエルの魔法が危険だと言う理由で青空教室となったが、アリエルは庭に出る道中までも、しきりに左手の観察をしながらブツブツと独りごとを繰り返している。その姿はまるで魔導学院で魔導を探究する熱心な学生のようだった。
「よかろう、ではやってみせてくれんかの」
アリエルは「はいっ」と切れの良い返事をして、庭に出るや否や右手で起動式を書いただけで指先から炎が出た。言った通り、術式を省略することができた。ただし魔法の威力はトーチなんてレベルじゃなく、火炎放射レベルの大きな炎が、メラメラと。
次にアリエルは、落ち着いた表情のまま、炎が出ている左手人差し指を、親指に変えて見せた。
火の出る指が、人差し指から親指に変わったのだ。
そして 頭の中で消火の合図をすると、
―― フッ!
と火が消えた。
「んー、そうか、なるほど」
また独りで納得してみせるアリエルの所業にグレアノットは少し眉根を寄せて訝る。
それもそのはず、いまアリエルがやって見せた魔導技術は、魔導学院の中でも教授クラスの者が何十年研究しても一握りの者しか達成することができない技術だったからだ。
「アリエルくん、それは詠唱破棄という高等技術なんじゃ。どうやったのかちょっと説明してほしいの」
説明を求められたアリエルのほうも、この違和感をどう説明したらいいのか分からず苦慮している。
つまるところ、起動式にも術式にも左手の人差し指から炎を出すなんて記述はない上に、一度出した火を消すときは念じるだけで消えてしまう。
これはおかしい。そもそも点火するのに『燃えろ』なんて術式が必要なんだったら、消すときも『消えろ』なり何なり術式が必要なはずだ。それなのに消すときは何も要らない。念じるだけでマナの供給が止まる。ってことは、この魔法は、部分的にだけどみんな無意識に詠唱せずに使ってるってことじゃないか? というのがアリエルの考えだった。
人体の中からマナというものが生み出され、それの放出と、停止をコントロールできるという事だ。
心臓のように自分の意志で動きをコントロールできるものではないが、マナの操作、これは呼吸のようにある程度なら自分でコントロールできる代物だ。
アリエルはうまく説明できなかったがグレアノットは要点をうまくくみ取って正確に理解した。
グレアノットにとって、この年端もゆかぬ教え子は、魔法などと言う学者ですらよくわからない仕組みのものを理屈で理解しようとしていると、そういうことだ。
「確かに理屈ではそうじゃが……それだけで詠唱破棄は絶対にできん」
もしそれができるなら、アリエルじゃなくとも、魔法の先生がその話をしただけで、誰だって、先生だって詠唱を省略することができるはずなのに、そんなことは誰にもできないという。
……まあ確かに、ある意味そうなのかもしれない。
魔導学院で詠唱破棄の研究者が火の魔法の術式を省略するためには火の理を解する必要があるらしい。そのまま、理を解するので、理解する。ということ。つまり魔法の本質を理解することで初めて術式詠唱が要らなくなるのだそうだ。
「アリエルくん、キミはこの火というものについて、どのように理解しているのか、このグレアノットに教えてはくれんかの?」
「え? 魔法でも焚火でもロウソクでも、火を燃焼させるにはまず燃料が必要ですよね。燃えているのは燃料なんですから。ってことは、マナ燃やしてるのかなと思っただけなのだけど。だからマナが燃料で、指先から出しながら火をつけるだけじゃないの?」
グレアノットは少々の苛立ちを感じた。アリエルと少し話が食い違っていて、どうにもアリエルの言ってることに理解が追い付かないのだ。
「では質問を変えようかの。火は4元素の一つにして、4大属性のうちの一つ。その火というものをアリエルくんはどう理解しておるのか? それを聞かせてほしいのじゃよ」
元素、属性……。アリエルはその言葉の指す意味が何なのかを知っていた。
だけどなぜこんな場面でその単語が出てくるのか? 説明に困ってしまった。
グレアノットは『火』という、単純に物体が燃焼することによって起こる現象を『元素』と言ったのだ。まるで意味が分からない。
アリエルにとって元素とは『スイヘーリーベボクノフネ』で覚えた周期表のアレだ。
先生は学校の理科で習ったことをどう理解しているのか、それを質問されているのだろう。
「はい、えーっと、火とは単純に燃料を燃焼させることで温度が高くなって、部分的に発光している状態で、というか、燃焼の結果の現象です。元素なんてありませんし、属性? もたぶんありません」
説明が分かりにくかったのだろうか、グレアノットは脳をフル稼働させているらしく、すぐに反応することができなかった。
「え?分かりにくいですか……えーっと、そうですね、鏡に写った、鏡の中に世界なんてありませんよね? あれは単に光の反射という現象です。火に属性があるというのは、鏡に写った像を世界と言ってるようなものじゃないでしょうか。それが魔法だろうと火事だろうと、油が燃えたり、木が燃えたり、火が燃える、燃焼するためには、燃料が必要ですよね。火魔法トーチはマナを燃やします。燃焼ですね。マナが可燃物であることは間違いないと思いますから……俺は、マナを火魔法の燃料だと理解しました」
せっかくキメ顔を作って見せたアリエルだったが、日本で学んだ小学生レベルの化学であっても今のところグレアノットの理解の外だった。
「ふむ。ちょっと分からない。じゃがアリエルくんはハッキリと術式を省略して魔法を起動したのは確かじゃからの、キミは理を解しているという事なのじゃろう」