03-12 精霊を訪ねて (改訂)
20170805 改訂
「さむっ」
ここは岩場のくぼみ。浅い洞窟。
こんなところに神殿があるのか。
気配を探ってみると、この神殿近くには何もいない。
だが、神殿から1キロほど北方向の上の方、つまり山を登る方向になんだか訳が分からないほどデカい気配がある。
アリエルは心底肝を冷やした。
おいおい、マジかよ……、精霊ってのは『これほど』のモノなのか。
行くべきか引き返すべきかと迷う。なにしろ気配が巨大過ぎるのだから。
パシテーが一緒だったらこんな危険な選択は絶対にしないのだけど、ひとりだったらいざとなったら、形振り構わず逃げだせばいいことだし、これほどまでに強大な気配で存在する『精霊』とやらに興味をそそられたことが、そもそもの判断を鈍らせた。
『好奇心は猫を殺す』という諺がある。
これは猫が9つの命を持っていてそう簡単に死なないにも関わらず、身の丈に合わない冒険心を持つがゆえに命を浪費し、その身を滅ぼしてしまうという戒めなのだが、いまのアリエルはまさにこの状態にあった。
あっちに行けば必ずや自分よりも強い何かが待ち受けているというのに、それでも好奇心に抗えず、万が一戦いになってもいいようにと、[ストレージ]に[爆裂]のストックを多めに持って行く程度の準備で澄まそうとするのも浮足立っている証拠だ。
神殿から外に出るとドンヨリと曇っていて風も緩やだった。雪山に登るコンディションとしては良くないし、天候が急変すると遭難の危険性が高まるのだけれど、いつでもどこでも土魔法でカマクラを作って火魔法で暖を取ることが出来る魔法使いにとって、雪山登山はそれほど困難な事じゃあない。
ただここは驚くほど寒い。ノーデンリヒト出身で寒さには負けないという自負はあったけれど、秋物の軽装で訪れるにはいささか荷が勝ちすぎるのが北の地の雪山だった。
標高も高く、体感では『寒い』ではなく『痛い』とさえ感じるほどの低温だった。
だいたい魔導師は耐熱の障壁を逆に常時展開することで温度変化をある程度抑えられることから
多少の寒さはものともしないのだけど、アリエルは耐熱障壁(初歩の魔法)を使えない。
ノーデンリヒトの冬に培った魔法技術は、マナ暖房。
魔法とまでは言えない、マナの操作技術。防御魔法の層と肌の間にマナを気化して加熱するだけの簡単なものだけれど、一歩間違えれば火だるまになってしまうという難しさがある。だけど幸いにも再生者というレッテルが貼られている。火だるまになって多少火傷を負ったところで死にはしないだろう。
マナ暖房の温度を上げ気味に調節しながら、山の上のデカい気配のところへ向かう。
雪が深くて足もとが覚束ない。雪庇やクレバスを踏み抜いても洒落にならないので積雪の表面を撫でるようゆっくり、慎重に[スケイト]で滑りながら登っていく。
しかし精霊って、こんなにも恐ろしい気配なのか? 尋常じゃないのだけれど。
物語中盤にラスボス級の敵と出会う『負けイベント』でもあるんじゃないかと勘ぐってしまうほど『べらぼう』にでかい気配だ。
神殿から少し登ると尾根に出た。神殿のある標高がそもそも高かったらしい。
しばらく縦走し別れ道を左に取ると、遠くの方に氷河によって大きく浸食された圏谷がその姿を現す。
頂上付近は雲に隠れていて見えないが、なかなかの絶景だ。
この浸食地形の右側がややオーバーハング気味の岩壁。そう、この岩壁を登った先にあのデカい気配がいまもあり続ける。
30メートルの岩壁でも魔法を使えれば岩壁なんて簡単な障害物でしかない。
ちょっと重力の向きがおかしくなるのでスマートに歩いて登ることは出来ないけれど、助走をつけ、前傾姿勢で壁を駆け上がり、雪庇の裏側に生えた大きなツララを[ファイアボール]で破壊して岩壁の上に出た。
そこはサッカーのグラウンドが2面とれるんじゃないか? ってぐらいの平坦地があって、その向こう側には、いやーなオーラを脈々と吐き出し続けている洞窟が口を開けている。
少し霧が出ていて上空は真っ白だが、今のところは視界に不安はない。
あそこに精霊テックは居る。禍々しいオーラを放ちつつ、恐ろしいほど巨大な気配を抑えようともせずに。
アリエルは覚悟を決めて洞窟の前に立ち、一歩足を踏み出して、大きな声で呼びかけた。
「精霊テックよ! お前に会いに来たぞ。ちょっと聞きたいことがあるんだ」
反応がない……。だけどこの洞窟の奥に居ることは分かってる。
こんな雪山まできて居留守を使われたからと言って、はいそうですかと帰るなんてことできない。
アリエルはしっかりとお断りをしたうえで、洞窟に足を踏み入れた。
「入りますよー?」
周囲に気を配りながら洞窟をツカツカと奥に奥に入っていく。
するといままで感じていた巨大な気配が怒気に変わり、威圧のプレッシャーへと変化した。
やばい。もう膝がガクガク震えるぐらいビビってる。
引き返したい衝動に駆られるというよりも五感の全てが『この場所に居たくない』と叫んでいる。あの日、エーギルが放った怒気など比べ物にならないほど強力な威圧を受け足がすくみあがり、呼吸のしかたを忘れてしまったかのように息苦しい。
ハッと気づいた。見られている。
アリエルは洞窟の奥に目を凝らす。
中に行くほど薄暗く、奥が少し広くなっていて、気配の主は瞬きもせずこちらを凝視していた。
―― ハアァァァ……
戦慄する呼吸音。
そして、洞窟の中を埋め尽くす殺気。
目が合ったその高さと、目の大きさから察するに、かなりの大きさだ。
精霊テックは魔法で巨大化できるのか、それとも最初からこれほども大きいのか。
「精霊テックよ、俺は戦いを望まない。どうか怒りを鎮めてはもらえないだろうか」
殺気を放ちながら問答無用で近づいてくる。人が走るよりもかなり速い。
空のように澄んだ青い双眸が光って糸を引く……。
吸い込まれてしまいそうな美しい眼差しは殺気を孕み侵入者の息の根を止めるほどのプレッシャーを放つ。
[スケイト]で下がり、奥の闇から仄暗い出口付近にまでくると精霊の姿を視認することができた。銀色の鱗に覆われた高さ6~7メートル程度の……。
「ド……、ドラゴン? マジか」
ぞわぞわと全身の毛が逆立つ。
それはこの世界で絶対に出会ってはいけない不幸の象徴だった。
あらゆる生物の天敵、食物連鎖の頂点に君臨するドラゴン。
ここドーラのドルメイ山脈を住処にする銀鱗の氷龍は、白竜とも呼ばれ、信仰の対象にもなっている古の龍族だ。ドーラの民はこの災厄に、畏敬の念を込め『氷龍ミッドガルド』と名付けて畏れた。その名は人族にも広く知れ渡り、ノーデンリヒトの片田舎で育ったアリエルですらその存在と名は知っているほどの悪名だった。
ドラゴンの巣に堂々と立ち入った己のアホっぷりを悔やむ暇なく、ドラゴン怒りのブレス攻撃が始まった。
人族の使う炎系魔法とは明らかに違うその密度と量は、高さ6メートル以上もあるドラゴンが余裕で出入りできる洞窟が火炎筒になってしまったかのように隙間なく高温の炎に包まれ、取り付く島もない。
「テックさん、もしかしてドラゴンに化けてらっしゃいます?」
龍族は人語を解す知能はあるらしいが、アリエルの問いに答える事はない。
ただ長いひと一息のブレスがまだ終わらず、熱せられた岩肌が赤く溶け始めて、雫になって飛び散っているところが見えた。
こ……、こいつは、マズいかもしれない。
岩なんてそうそう溶けるものじゃない。暖炉やガスコンロの炎で、いくら石を熱したところで、溶けるなんて話は聞いたことがない。工房で鉄を打つために真っ赤に赤熱させるぐらいの温度では溶かすことが出来ないんだ……。気温は氷点下という厳しい環境でだというのに、こんなにも短い時間でやってのけるとは……、何というデタラメな火力なのだろうか。




