03-09 エドの村にて
アリエルたちは倒した男たちから冒険者登録カードだけを奪って、死体を片付けることもせずその場を離れた。ファンの町を出てから何キロぐらいなのか、地図を見ておおよその現在地から推測するに、ここから15キロほど南に行って山に入るとマローニの魔導学院図書館で情報を得た転移魔方陣の神殿があるはずなんだけど……。
もう少し行ったところにエドって村があるはずなので、そこで情報収集をすればいい。
しばらくは丘陵地帯が続いたのだけど、それを過ぎるとあとは埃っぽい乾燥した原野が広がっていて、草もまばらにしか生えてない。
行く先、遠くの方に山脈が見えている。距離にしてあと20キロか30キロか。
このうっすらと砂に埋もれた道がエドの村へ続いてることは間違いないはずなんだけど、馬車の通った轍がどうも薄くて蹄の跡がほとんど見えない、原野と道と、パッと見ただけの色じゃ判別できないほど難しい道になっていた。
ということは、エドって村はこんなにも好景気に湧くアムルタにありながら、荷車を引く馬車ですら、ほとんど通行がないということだ。景気が良かろうが産業が衰退していてゴーストタウンになってようが構わないんだけど、踏み跡を見失って道を間違えるのが怖い。ちょっとスピードを落として、いや、歩いた方がいい。
アリエルが珍しく地に足をつけて歩いていると、前のほうから大小7つの気配が近付いてきた。地図によるとこの先にはエドの村しかないから、きっとこの道で合ってるはずだ。人の通行もないわけじゃない。アリエルは明確に通行人であろう気配を感じている。
さっきも冒険者ギルドにちょっと顔を出しただけでパシテーがエルフ混ざりだということがバレてしまった。こんな原野を二人で歩いてるところ、またぞろ盗賊みたいなエルフ狩りの連中に出会うのはいただけない……。もうあんな連中とは会いたくないと思っている。
せっかく草っ原しかないような埃っぽい原野で道に迷うという面倒くさい事態だけは避けられたことを少し喜んでいたというのに、前から来る7つの気配が視界に入ってくると、いやな予感と言うのは当たるもので、アリエルたちにとってもっとも会いたくなかった奴らが行列を作っていた。
砂埃を上げながら近付いてくるのは男が5人……、後ろ手に手かせをはめられ、首にロープを繋がれて、無理やり引かれていくのは顔にいくつもの切創があるエルフの女児、明るい茶髪? エルフにしては珍しい髪色だが5歳ぐらいか。その後ろにも首を繋がれて、14~15歳ぐらいか。自分と同い年ぐらいに見えるエルフの少女で、こっちの子にも顔には見るに堪えない傷がつけられている。
二人は5人の男たちに引かれ、涙を流しながら、連れて行かれたくはないのだろう、少し抵抗しているように見えるが、やはり力の強い5人の男たちには抗えず、強引に引きずられていく。
この土地は嫌いだ。何もかも。
アリエルは目深にフードをかぶり、剣を抜いて行列の進行を止めると男たちも各自強化魔法を展開して剣を抜いた。
「おいおい、これは俺らの戦利品だ。横から奪うってのは感心しないぜ」
「じゃあ俺がお前らから奪って戦利品にするよ」
「おいおい、こいつは上物の純エルフだ。片方は若年だし栗色の髪はレアだからな、キズモノでもいい値が付く。お前らのやろうとしてることは盗賊行為だ。この場で殺されても文句は言えないんだぜ?」
「大丈夫だよ。証拠なんて残さないし、ひとりも逃がさないから」
「くっそ、こいつらたった2人でやる気か!」
「ぶっ殺せ!」
剣を構えたか構えなかったか。ドスドスドス!と低い衝突音が聞こえて、今まさに戦闘を始めようとしていた男たちの時間が止まった。パシテーの短剣は寸分の狂いもなく急所に刺さっていて、5人の男たちはたぶん、いま自分が死んだことも理解していないだろう。
男たちを瞬時に倒し、止めを刺した短剣はパシテーの周囲に集まった。
一本一本、ナイフに付着した血脂を拭き取りながらパシテーは独り言のようにつぶやく。
「こんな世界……」
アリエルは泣いて怯えてる女の子二人をパシテーに任せて、5人が死んでいることを確認した。
こいつらみんな穴を掘って埋めておくことにする。さらわれた女の子たちの村に報復の手が及ばないようにするためだ。
女の子たちは脅威が去ったというのに、まだ二人抱き合っていて、パシテーの語りか掛けにも応じない……と思ったら、パシテーにフードをとるように言われた。なるほど、黒ずくめのフード男が居たら1ミリも安心できないよね。
フードを取って顔を見せると、少し安心したようで、パシテーの話に耳を傾けるようになった。
フードは怖いんだ……、やっぱり。気を付けよう。
手枷も鉄の首輪も、パシテーが魔法で外してあげた。ロープも何もかも、あいつらの持ち物は掘った穴にまとめて放り込んだところだ。どんな名探偵が来ても追跡されないよう、証拠なんて1ミリも残さない。
「はい、あんな悪い人たちも、悪い人の道具も、もうみんな地獄に落ちてしまったからね。もう大丈夫。ところでキミたち、エドの村のひと?」
「……はい」
「じゃあ、いっしょに帰ろう。送っていくから」
小さな子はレダ。大きな娘さんはセキといって、二人は姉妹なんだそうだ。
エドの村に住んでて、エルフ狩りがきたら隠れて過ごしてたらしいのだけど、今日は間が悪く、見つかってしまったんだそうだ。2人が攫われそうになったところを助けに入ったお父さんが動かなくなるまで殴られていたらしく、姉のセキはそっちの心配をしていた。
子どもの足に合わせて歩くと日が暮れてしまう。二人の父親のことも心配だからちょっと急ぐ必要がありそうだ。とりあえず小さなレダ肩車して[スケイト]。セキはパシテーが手を引いて飛ぶことになった。
「レダちゃんあっちのほうがよかった? ごめんね、兄ちゃん飛べないんだ」
「兄さまは年頃のエルフの女の子に触れたらダメなの。魅了されるの」
本当に魅了がないと損したような気分になってきた。
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雑談しながら南に向かっていると、これから向かう先、エドの村のほうから気配がひとつ。けっこうな速度で近付いてくる。速い。これは強化魔法をかけて思い切り走ってるぐらいの速度だ。
気配の主が視界に入った。男だ。
なんとなく状況が理解できた。ボコボコに殴られたような顔で左目は瞼が派手に腫れてしまって片目は見えてないんじゃないかってぐらいだ。例えるならヤンキー学園物映画に出てくるやられ役のような風体をしてるし、もう一つ、この男エルフだから、十中八九、この子たちの父親だ。しかも危険なことに剣を抜き身のまま手に持って走ってる。躓いて転んだら自分の持ってる剣で死ぬよ? そんな事故、少なくないんだからね。
いきなり問答無用で襲われそうな気もしないではないので、こっちも一応、念のため抜き身の剣を持って、わざと見せつけるようにする。
「止まれ、そして剣を収めろ。話はそれからだ」
「おおおぉ、セキ! レダ!」
こんなにボコられてて、普段の顔が丸っきり想像できない顔をしてるというのに、さすが娘だ、肩車で俺に乗っかってるレダを確認した。お父さんで間違いないらしい。だけど念のため剣は鞘に収めてもらい、強化魔法を解除してもらった。
「あの人さらいどもはどうしたのですか」
「お父ちゃん、だいじょうぶだよ。怖いひとたちは地獄に落ちたって」
「じ、地獄……」
「大丈夫ですよ。奴らはもう報復に来ることもないから」
「は、ありがとうございます。本当に何とお礼を言っていいか‥‥…」
お礼を言われたところで、自分たちに出来ることはもうない。今日この場を去ったとしたら、また明日にでも奴隷狩りが来てこの娘たちをさらっていくかもしれないのだ。こんな胸糞悪い事にヨソ者は関わるべきじゃなかったのかもしれない。
「この子たちの疵は?……、誰が?」
パシテーは相当ボコられて片方の目が開いてないような父親を責めようとする。
父親もその意図を察したのか、アリエルたちに訴えかけるような言葉を使った。
「誰が?……誰が好きこのんで妻や娘の顔に刃を立てるものか。常に支配する側に居る人族には、娘の顔に刃を立てる親の気持ちなんて絶対に分からないでしょう。絶対に」
パシテーを制止しようとしたが、制止などいらなかった。
自分たちの力ではどうしようもない残酷な現実がここにあるのだから。
「妹が失礼なことを言ってしまったようだ。悪かったよ。南部はひどいと聞いてはいたのだが、まさかこれほどとは思ってなくてね」
この父親、エルフで名をタレスと言い、家は代々鍛冶屋を営んでいたが最近は鍛冶なんて辞めて狩人として生計を立てているとか。
なにかお礼をしたいというのでこの子たちの家に行くことになったんだけど、転移魔法陣のある山へ向かう途中でもあるし、実はタレスの鍛冶工房に少し興味があっただけ。お礼なんて、これから入る予定の山の情報だけで十分だ。
アリエルたちはタレスの案内で2キロほど南に行って、わかりにくい山道をつづら折りに折れてしばらく行くとエドの村に着いた。
村に入っても誰もいない。もう老人とはぐれエルフしか住んでないらしく、人族の寿命ならば20年を待たずに廃村になってしまうであろう限界集落だった。エルフだとあと100年ぐらいは安泰なのだろうか。
ここは別段綺麗な訳でもなく、ただ寂れた集落としか形容しようのない荒んだ村だった。
村の一番奥の外れに工房があり、中にはもう使われていない炉が寂しそうに埃をかぶっている。
そこで自分が打った剣や包丁を名刺代わりに見せて、同じ鍛冶職人として工房の見学をさせてもらった。
南方諸国の鍛冶屋は砂鉄に炭を混ぜて鉄を作ってる。かなり古いハガネを打つ。
どっさり埃が溜まった工房の資材庫を覗いてみると、念入りに油紙に巻かれた鋼のインゴットを発見。
50キロはあるな……。
「あ、これハガネですね。ちょっと見せてもらっていいですか?」
ハガネとみると黙ってられないので油紙をめくってみて目を疑った。
不純物が混ざって波打つような地模様が入っている。この特徴は一目見たら忘れられない。
「こ……これは……、ウーツ鋼だ。ウーツ鋼じゃないか」
タレスに譲ってもらえるよう交渉すると、娘を助けてくれた人から金はもらえないからそっくり全部持って行ってくれと言う。こんな貴重なものを、タダで全部?
前世、日本の高校生だった頃から興味があったのだから、多少興奮気味になってもバチは当たらない。
「ありがとう。まさかこんな所でこの鉄に出会えるとは思ってなかった」
「私はもう妻や娘たちの顔を傷つけてから、刃物を打つことをやめたんだ。これを打って形にしてもらえるのなら、この鉄たちも本懐を遂げることができる」
「そういうことなら遠慮なくいただきます。あ、そうだ。実は俺たち、この村から山に入った所にある神殿の調査に来たんですけど、そこに転移魔法陣があるのを存知ですか?」
「精霊の神殿は村から1キロぐらい奥に入ったところにあるけれど……あそこはもともと精霊が住んでたところだし、転移魔法陣なんてあるのか? 初めて聞いたが……。神殿は精霊が狂ってからは禁則地になってるから、この村のモンであそこに入る奴はいないはずだが……」
「え? 精霊が狂った?」
「神殿に住んでた精霊の名は炎のイグニス、使役してたのはトリム。精霊使いトリムだな。千年前、この村に住んでたけれど、ある日イグニスは狂って精霊使いトリムを焼き殺し、村に火を放って大勢を殺したんだ。しかし偶然近くの村に来ていた大魔導師フォーマルハウトがイグニスを討伐し、村を救ってくれたと言われてる」
まったく、精霊が狂ったなどと言われては、風の精霊アリエルと同じ名前を付けられた者として悲しむべきことなのだが、エルフの大魔導師フォーマルハウトも勇者系で、ピンチになると颯爽と駆けつけて助けてくれる人だったんだな……。
「旅の人、助けていただいた上にお願いをするのは申し訳ないのだが、もし転移魔法陣なんてものが本当にあって、それを使ってここじゃない別の土地に行けるのなら、どうか私たち家族をそこに連れて行ってはいただけないだろうか。ここじゃなければどこでもいい。もし連れて行ってもらえるのなら、ミスリルを800グラム。これが俺の出せるすべてだ。足りなければ娘たちだけでも連れて行ってほしい」
ミスリル? この世界では国家が管理するほど貴重な金属で、魔法のノリがいいことから7年前、グレアノット師匠からもらった魔導結晶のついた指輪の、金属部分がそれにあたる。
ムチャクチャ高価で、希少なレアメタルだ。
「ミスリル? 失礼だが、なぜそんな高価なものを持ってるか聞いていいか?」
「俺のミスリルはこの山のずっと奥にある廃ミスリル鉱山からわずかにとれるものを独自に精製したものだ。……攫われてしまった妻をいつか買い戻すため、3年かけてコツコツと集めたものだが、娘たちを逃がせるなら娘を優先させたい」
「わかった、もし転移魔法陣が健在で、使えるなら引き受けよう。ただし転移した先が安全なところだったらの話な」
工房からタレスさんの家に戻ると、先を急がなければならないことを理由に、早々にお暇することにした。パシテーはレダにくっつかれて、振りほどいて家を出るのに難儀するほど懐かれていたけれど、また近くを通った時には必ず寄ると約束して、やっと開放してもらえたようだ。
アリエルはタレスさんの案内で神殿へ上がる登山道の入り口まで来た。
シェダール王国より更に南のこの土地の低山、標高はたぶん500メートルぐらいしかないんじゃないかってぐらいだけど、鬱蒼と茂る蔓植物、日本で言う『葛』のようなのがいっぱいで、登山道を分からなくしてる。森に入るとこういうのはなくなるのだけど、直射日光が当たる岩場のような場所には、こんな蔓植物が多い。
ちょっと土を掘ったらカブトムシでも居そうな、腐葉土の発酵した匂いがする深い森の中で、道が二つに分かれていた。左に向かうとタレスさんが今でも足しげく通っているという廃ミスリル鉱山で、右に折れて急坂を上がれば精霊イグニスの神殿だ。
坂を上りきると、空と原野が一望できる、まるで展望台のような場所に出た。山の中腹にあるエドの村も見える。ここは景色がいいノーデンリヒトでは見られない、また違ったタイプの絶景だった。
半ば諦めていて、転移魔法陣なんて存在しないのではないかと思っていたせいでそんな安請け合いをしてしまったのだが、神殿を調査してみると、2メートル四方ぐらいの一枚岩が5枚、十字の形に並べられていて、この石板からは何か普通じゃないような、オーラに似たようなものを感じる。
要するに、よく分からないけど何か感じるってだけの話だ。
どうやらこの一枚岩、ミスリル鉱がわずかに含まれているようで、岩を踏むだけでマナの通りがいいことが分かった。十字に配置された5枚の石板は、おそらく正確に東西南北の方向に向いている。
アリエルは言葉を失った。
これをどこかで見たような気がしたからだ。
だがしかし、どこで見たのかは分からない。もう少しで思い出せそうなのに、思い出すことができないもどかしさに苦悶する。
自分はここに来たことがあるのだろうか、ただこの十字に並べられた岩が、ただひたすらに温かく懐かしいい。
「兄さま? どうかしたの?」
「い、いや……。俺さ、ここに来たことあるっけ?」
「来たことがあるの?」
「いや、それが、思い出せないんだが……」
アリエルは思い出せないまま、しゃがみ込み、石板にむけてまるで虫眼鏡で精査するように調べていくと、地べたの一枚岩に手を触れた瞬間、スイッチが入ったように起動し、青い光とともに一枚岩から神代文字で書かれた魔法陣が浮かび上がった。
石板から魔法陣が立ち上がったのを見て、パシテーが驚いた声を上げた。
「魔法陣が起動したの!! 兄さま離れるの!」
慌てて半歩飛退いたアリエルは、起動した魔法陣に強烈な既視感を覚えた。
ぐるっと円形に何百文字もの神代文字と、文字と文字を接続するための基盤の配線……。
複雑に折り重なり、そしてタイミングとスイッチで違う接続に変わる。
「あっ……」
あれはまだ7歳のころ、グレアノット師匠に魔法の手ほどきを受けていた頃、フォーマルハウトの魔導書で比較的多用されていた、転移魔法の座標と座標を繋げる魔法の起動式となっていた、32文字の文字列が神代文字として浮かび上がっていた。
そうだ、最初からアリエルの記憶にあったのは、こっちのほう。魔法陣から立ち上がる神代文字の文字列を見たことがあり、それを無意識に覚えていたことから、フォーマルハウトの魔導書を見たとき、強烈な既視感に襲われたのだ。
腕を引っ張って魔法陣から引き離そうとするパシテーの手をそっと握ると、アリエルは「大丈夫だよ」といって、安心するよう促した。
アリエルはこの魔法陣が危険なものではないことを知っていた。
この光、神代文字……、この魔法陣を知っているのだ。
いつの事か? 誰とここに来たのか? 思い出そうとすると記憶にもやがかかったようになってしまって、何も思い出せなくなってしまうのだが……。
それでもアリエルは、なんだかとても懐かしく、
嫌な感じなど、微塵も感じなかった。
「ふむ……、子供のころに感じていた疑問がひとつ、とけたよ」
そういうとパシテーはくわっと眉根を寄せてアリエルを睨んだが、アリエルは微笑みで返し、魔法陣の確認を続けた。
魔法陣はアリエルが触れることで起動することが分かった。
逆に言うと、パシテーが恐る恐る触れても、まるっきり何も変化はなかった。つまり、アリエルが起動のキーとなっている。
5枚すべての一枚岩で試してみたが、起動して魔法陣として立ち上がるのは北と西の2枚だけ。他は起動しなかった。もしかすると壊れているのかもしれない。
アリエルは気軽に触れるが、もと魔導教師のパシテーは起動した魔法陣を検分する手を緩めない。
「兄さま、なぜ起動したの? 起動のトリガーは何なの?」
「知らないよ。みただろ? 手を触れただけだ」
「おかしいの。そんなんで起動するわけがないの。魔法陣に描かれている文字は神代文字なの。魔法の起動式と同じ文字だけど、仕組みがかなり違っていて、一般的に魔法陣を起動するには莫大な魔気が必要なの。兄さま、何か心当たりはないの?」
「知らないよ。ちょっと安全かどうかわからないからさ、パシテー。降りてもらえる?」
「嫌なの」
「パシテ……「嫌なの! 一緒に行くの!」」
名前すら呼び終わるのを待たず言葉を被せられ、拒否されてしまった。
どうあっても一緒じゃないと嫌だと言う。
「起動しない魔法陣もある。壊れてるかもしれないってことだからね、もしかすると出口なんかないかもしれないんだぞ?」
「兄さまは起動式を甘く見過ぎなの。魔法陣が立ち上がったのなら向こう側も必ず立ち上がってるはずなの。絶対大丈夫」
パシテーにしてみれば置いていかれたくなかったからこそ出た、口から出まかせ。そうでも言わないと、この兄弟子は頑として、絶対に首を縦に振らないことは分かってるのだから。
そして、アリエルのほうも、パシテーがそこまで太鼓判を押してくれるのなら……と、少し気が大きくなったのも確かだった。
それでは、と。
魔法陣の光も収まり、静かになった神殿で、とりあえずいちばん開けた景色が見える、空に近い西の一枚岩を踏んで、上に乗ると僅かばかりのマナが流れ込んで魔法陣が起動した。
まるで魔法陣から風が吹き出したかのように錯覚する。
「あれっ??……これって……」
思わず声に出る、この感じ……この感覚、アリエルには覚えがあった。
いつだったろうか……。
一枚岩から浮き上がった多重魔法陣が徐々に上がってくる。
空気が震えているのが分かる。
パシテーがアリエルの腕を掴む、その手に力がこもった。なんだかんだ言って怖いのだ。
しかしアリエルのほうは、得も言われぬ安堵感に包まれていて、その感覚を懐かしんでいた。
一瞬、ぐにゃりとした。という、非常にありきたりな表現を使わせてもらおう。
ワープで亜空間を旅するような描写などなく、空間に半回転ほどのひねりを加えたような、そうとしか説明できない奇妙な感触だった。視覚的には光の中とでも言えばいいのか、目を開けていられないほど真っ白な空間に飛び込み、光が引いていくとそこは別の土地だったとしか言いようがない。
パシテーはアリエルの腕にぶら下がるように腰砕けになっていた。
「無事か? 身体の一部をあっちに忘れてきたとか、そういうことないか調べて」
「ないの。大丈夫なの。兄さまは? 無事なの? 大丈夫なの」
「お前さっき絶対大丈夫って言ってなかったか?」
などと心配して見せはしたが、アリエルはこの転移魔法陣が安全だということを知っていた。
何故かはわからないけど、転移魔法というものを過去に何度も使ったような気がするのだ。
そしてこの転移魔法陣はとアリエルにとって心地よいものだった。鼻をかすめるような懐かしい匂いを連れてくる。
「兄さま? 大丈夫なの? 大丈夫なら大丈夫って言うの」
「あ、ああ。大丈夫だよ」
見渡してみたところ、20メートル級の巨大な広葉樹がうっそうと茂っている森で、岩場のちょっと高いところに立っていて、アリエルとパシテーが踏んでる石板こそ、さっきエドの村のトコにあった石板と同じものだった。
秋だというのに妙に蒸し暑く、足もとの一枚岩には大量の蔦が繁茂している。
これらをまず切除しないことにはここの調査ができない。
この神殿も放棄されて長いらしい。緑に飲み込まれている。
[ストレージ]に収納しているアイテム類もすべてアリエルの座標についてきたようだ。物理的な座標が変わっても自分を基点に座標が生成されるのだろうか。[ストレージ]だけは謎魔法だ。
パシテーも身体や装備品、持ち物に至るまですべてを点検したが問題なしとのこと。
「んー、よし転移成功ってことでいいかな」
「うん。ここは? すっごい森……、もしかしてエルダーの森なの?」
「初めででわかんないけど、たぶんそうだろ。西の岩に乗ったら西に飛んだんだろうね」




