18-15 リンダ―・イヴォンデ(3)カリストの話
更新が半年あいた・・ごめんなさい、反省しています。
今年はもうちょっと頑張ります。
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11月、ノーデンリヒトの夜明けはかなり遅く、8時ごろにようやく太陽が顔を出し、正午になっても太陽は高く登らず15時半にはもう西の方角に沈む。アリエルたちが戻る前のノーデンリヒト人の生活は太陽の動きに連動していて、夜が明け、太陽が昇り始めたら朝。また太陽が沈んだら夜という生活をしていたのだが、ゾフィーが転移魔法陣を設置してから、多くの施設でセカ標準時が採用されるようになった。
ボトランジュ領都セカからノーデンリヒトのトライトニアまで、北東に直線距離で約800キロメートルある。
ノーデンリヒトは高緯度に位置するので、初冬ともなると時差はなくともセカと比べて40分ほど日の出時刻が遅くなる。具体的には朝、太陽が顔を出し、空が明るくなりはじめてからセカの転移魔法陣に乗ってノーデンリヒトの来たらまだ暗いという事も多々あるのだ。
セカとトライトニアでは気温もずいぶんと違うので、ノーデンリヒトに向かう者たちはあらかじめ防寒着を厚く着込んで転移魔法陣に乗らなければ、いきなり凍えてしまうことにもなりかねない。
ベルセリウス家の敷地に隣接した空き地、アリエルの修練場だった広場に転移魔法陣を仮設してしまったせいで、この夜明け前の空が白んでくる時間帯だというのに、もう通学の学生たちで賑わっている。
これは本気で転移魔法陣を移設したほうがいいなと思った。
アリエルはノーデンリヒトの朝、人々が動き始めるころ学生たちに混ざってノーデンリヒト魔導学院に来ていた。師であるグレアノットを訪ねるでなく、魔導学院の別館に間借りしているカリストの治癒院のドアの前に立っていた。
カリストは帝国の召喚魔法とかいう、闇雲に投網を投げて、かかった人間を攫うような魔法でこの世界に無理矢理連れてこられた被害者でもある日本人だ。つまり、現在のアリエルたちと同じ経緯でこの世界にやってきた方法でこっちの世界にきたひとだ。
アリエルたち以外の召喚者は拉致されて異世界に連れてこられたようなものだし、このカリストという名も神聖女神教団からいただいた洗礼名だ。この世界では日本人であったことすら否定されているように感じる。
カリストはいまから18年ほど前、勇者キャリバン率いる勇者パーティーの一員としてノーデンリヒトに派遣されてきた。うち2度目の派遣の際、ノーデンリヒト北の砦の戦闘でアリエルたちに敗れると教会に戻ることなく帝国軍第三軍を離反。別に逃げることもなくマローニの魔導学院で診療所の手伝いをしていたのだが、旧友であるグレアノットがノーデンリヒト魔導学院の学長に任命されたことから、ともにノーデンリヒトで魔導を追究すると決めたのだという。
カリスト自身、日本人として日本で暮らした時間より、はるかにスヴェアベルムで過ごした時間のほうが長くなってしまった。とっくの昔にスヴェアベルム人であり、こちら側での生活の基盤もできている。
その昔、勇者パーティにいてヒーラー職に就いていたころは賢者の二つ名で呼ばれていたが、今はもうその二つ名で呼ばれることもない。ただ治癒魔法を上手に操ることのできる老人なのであるが……。
近頃はその、ただ治癒魔法を上手に操ることのできる老人であるはずのカリストが、北の地ノーデンリヒトの魔導学院でにわかに脚光を浴び始める事態になっている。
というのも、話は少し前にダリルの敗戦で決着した、ダリル・フェイスロンド紛争に端を発する。
この紛争、ダリルの侵攻を受けたフェイスロンド軍が神聖典教会から門外不出の治癒魔法の起動式を奪ったことで、治癒魔法の起動式が流出するという魔法史に残る大事件が起きてしまったのだが、その結果、教会の最重要機密である治癒魔法の起動式はフェイスロンド軍だけにとどまらず、魔王軍とともに行軍したノーデンリヒトにも伝わった。
神聖典教会から治癒魔法を奪うことを決定し、実行したカタリーナ自身がいま現在ノーデンリヒトの魔導学院に客員教授として在籍しているのだから当然と言えば当然だし、逆を言えばアリエルの爆破魔法も帝国にパクられてるんだから、魔法なんて技術には著作権やら特許権なんてものは認められず、パクれるものならパクったもん勝ちという、まるでルール無用のデスマッチなのである。
で、そのカタリーナも今はカリストと同じノーデンリヒト魔道学院にいるということが重要で、それが何を意味するかというと、治癒魔法が教会から門外不出の秘術ではなくなったということである。
カリスト自身、ゆるがぬ信念のもと、ボトランジュやノーデンリヒトで治癒師としてやってきた。
現在もノーデンリヒトで治癒師としてケガ人の治療にあたってはいるが、マローニやノーデンリヒトに攻めてきた帝国軍と表立って戦うようなことはしなかったし、ノーデンリヒトについたからといって、治癒魔法を誰かに教えるといった事もしなかった。
帝国軍を離反してノーデンリヒトについた。しかし明確に敵対するなどということもしなかった。
帝国軍第三軍に編入されてはいるが、カリストの名は女神からいただいた洗礼名であるし、勇者パーティーとして従軍する治癒魔法使いのなかでも、瞬時に欠損部位までをも再生するという治癒師として最高位の実力でありながら、その技を敵国であるノーデンリヒト人に使うことはあったとしても、その技術や起動式を流出させることはなかった。
自分は帝国軍の考え方についてゆけず離反し、今は敵方であるノーデンリヒトに身を寄せながらも、だからといって帝国軍と敵対するわけではない。ただ、傷ついた人がいたら、できる限りの力をもって治癒を試みる。それがカリストの治癒師としての矜持だったのかもしれない。
魔導師として、また人としての節度を保ちながら、あくまで人道的に治癒師として活動していた。もちろんグレアノットの良き友人として親交があったのだが、ついに教会から奪われた治癒魔法がフェイスロンド魔導学院の学長、カタリーナ本人からノーデンリヒトに漏洩してしまったのだ。
自分から治癒魔法が漏洩するという心配がなくなったカリストは、胸のつかえがひとつ降りたことをグレアノットに明かした。
つまり、カタリーナからノーデンリヒト魔導学院に治癒魔法の魔導理念と起動式が伝わったことで、もはや治癒魔法は教会だけの魔法技術ではなくなったという事である。
これはカリストにとって重大な転機だった。
これまで機密扱いだった高位治癒魔法の起動式が一般に公開されたも同然なのだ。
もうひとつ言うと起動式をノーデンリヒトに伝えた当のカタリーナ本人は、治癒魔法の起動式を完ぺきに再現したにも関わらず治癒の効果は表れなかった。学生に治癒魔法の起動式を教えても、これがなかなか再現できなかったのだ。フェイスロンドでもダリル軍に対抗するため学生含む魔導兵たちおよそ500名が治癒魔法を学んだが、使えるようになったのはわずか20名ほどであった。
そしてカリストのように欠損部位を再生するほどの、いわゆる最高位の治癒魔法を使えるようになった者は唯の一人もいなかった。
とはいえ、高位の術式をとなえてすぐに使えるようになるのなら、魔導大学院で学ぶ必要もないのだが……、それでも教会と断絶したノーデンリヒトに、最高位の治癒魔法を使える治癒師がカリストしかいないのだった。ちなみにもう一人、ブライという男は高位の治癒魔法使いとして未だノーデンリヒト軍の治癒士として多くを救っているが、ノーデンリヒト軍に所属しているため、学生に魔法を教えるヒマなどない。
もう一点、治癒魔法を学ぶ上での問題があった。
これは言わずもがななのだが、そもそもからして治癒魔法を再現するために誰かがケガを負う必要があるので、治癒魔法を再現するのは過酷を究めるのも無理はない。
カタリーナいわく、治癒魔法は起動式を書いたからといって誰にでも使えるようなものではないのだと。なぜなら、これまで人類が日常的に使ってきた魔導の起動式は16000年前、誰でも魔法を使えるようにとジュノーが考案した火風水土の四属性魔法とは明らかに系統が異なるからだという。
帝国で学んだ治癒魔法の起動式はジュノーも「こんなの知らない」と言ってたので、教会のオリジナルなのだろう。つまりジュノーは起動式を書くフリをしながら自らの権能の無詠唱治癒魔法をうまく使って、教官の審査を切り抜けていただけだ。
なにしろジュノーが考案した四属性魔法起動式と教会の起動式では、仕組みがまったく違うため、ジュノーの起動式に慣れた魔導師が扱うには相当な困難があるのだ。
その習得の困難さはまるっきり言語体系の違う言葉を習得するに等しい。
そこまで習得が困難な治癒魔法であるのに、学生たちの人気は非常に高い。
カタリーナがノーデンリヒトにきて教鞭をとるようになってからというもの、ディオネの魔法陣研究を抜いて、いま一番人気になっている。
そんなもん、理由はいわずもがなである。
さすがに治癒魔法を使えるようになると、治癒師として一生食いっぱぐれないからだ。日本人の感覚では、ドイツ語を覚えたら医者の資格がもらえるみたいなものなのだから、学生たちが治癒魔法に殺到するのは無理もない。
ゆえに治癒魔法を学ぼうとする学生が多く、ある意味"必死"で治癒魔法を試そうとするため、魔導学院の学生でありながらいつも生傷の絶えないという異常事態が発生していたのだ。
学生たちの自傷行為は主に強化魔法をかけて走って転ぶなどというもので、重大な傷害を起こすものはさすがにいなかったが、それでも魔法の練習をするためにわざと怪我をするというのはよくない。
さすがにこのままではいけないと、事態の収拾を図るべく学院側が対策した結果、カリストに白羽の矢が立ったのだった。
これはもうあらかじめ分かっていたことだが、ノーデンリヒト魔導学院学長であるグレアノットが旧友のカリストに頼んで治癒魔法の基礎を教えることになった。カリストは学生たちに治癒魔法の起動式入力を指導する見返りに、魔導学院敷地内にある別館で小規模な治癒院を開いてるというわけだ。
そして魔導学院の始業前だというのにカリストの治癒院の前には多くの学生たちが詰めていた。
ある者はドアの前に直立不動で気を付けの姿勢を崩さずに立っていて、またある者は即席の土魔法で作ったのだろう、自作のベンチに浅く、ちょこんと腰掛けて雑談している。
数えてみると5人いる。カリストは弟子を取らないと聞いたことがあるのだが……。
順番待ちをしているような5人の生徒の前に割り込んでドアをノックするのもマナーに反する気がする。アリエルはドアの前まできて、ここに集まった5人の中にひとり、見知った女学生がいることに気が付いた。以前、ディオネに会いにきたとき講義を聞きに集まった子だ、確かアリシアって名前だった。
アリシアのほうもアリエルの来訪に気付いたようで、目が合った瞬間、座っていたベンチからぴょんと跳ねるように立ち上がり、その瞬間に今まで座っていたベンチはサラサラと音もたてず砂になって地面に戻った。
「おっと、確かアリシア……だったね。おはよう」
立ち上がったアリシアの足もと、土魔法で作ったベンチがサラサラと砂になって崩れた。地に還すとき小山が残らず、形跡が分からなくなった。土魔法は目的のものを作るより、戻すときにより高い技術が要求される。見た限りではいい腕だ。正直まともに魔法を鍛錬したことがないアリエルには出来ないかもしれない。パシテーが見ていたら感心するだろう。
名前を憶えてもらってたことで少し機嫌をよくしたアリシアはぺこりとお辞儀をして答えた。
「ここに集まっているのはみんな弟子志願です。アリエル・ベルセリウスさん」
ベルセリウスの名を聞いて、座っていた者たちはみんな立ち上がり、姿勢を正した。
アリエルはノーデンリヒト国家元首の息子だということを時折忘れそうになっているが、これが正しい反応だった。国家元首トリトン・ベルセリウスを国王とするなら、アリエルは継承権を持たない王子サマなのだ。物理的な血縁は切れてしまったから微妙なのかもしれないが。
どちらにせよこれではお互いに疲れるし、いいことはない。
「そっか、朝早いのに頑張るな。ところで順番待ち? 並んでるとこ悪いけど、患者さんじゃないのなら順番を譲ってもらえないかな? いいかな、みんな。ちょっと急ぎの用があってさ」
「私が一番乗りだったのですが、弟子入りに口を利いていただけるのなら喜んで」
と言い、手のひらでどうぞ先にと促し、他の四人も意義を持たずそれで納得しているようだ。
カリストはマローニに居た頃から弟子志願なんてそれこそいっぱい居たはずなんだけど、弟子をとったという話を聞かないから……弟子を取る気がないのかもしれない。
弟子入り志願者は基本的に出待ちだ。だからドアの前でカリストが出てくるのを張り込んでいる。
弟子志願者が来たのなら同じ志願者同志で順番が成立するけれど、アリエルは違う。
アリエルのちょっとした用事のほうを優先してもいいということだ。
「俺が推薦したら絶対に断られるぞ?」
「あー、それは困りますね、どうぞ、口利きはなかったことに」
そう言うと女子生徒はアリエルに代わり、ドアをノックしたあと、
「アリエル・ベルセリウスさんがおみえです」
と言ってくれた。もう弟子になったように振る舞っていて可愛い。
弟子というより秘書を兼ねて雑用を引き受ける。サオにはできない気遣いだ。
アリエルがありがとうと会釈すると、数秒溜めて中からカリストは少し訝しむような声で答えた。
「ふむ、開いておるよ」
アリエルは声をかけてくれたアリシアに向けてにっこりと微笑んでみせた。
「その路線でいいんじゃないか? ほぼ弟子じゃないか」
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カリストの診療所とはいっても待合スペースがなくて、教官室のような感じの机と、あと本棚が壁を見えなくしていて、もう一つ奥に向かう扉があるので、そっちが診療室なのだろう。この殺風景な部屋はアリー教授たちの部屋と似たような作りだ。
まだ早朝だというのに講義の準備なのか、カリストは革のカバンから書類の束を引っ張り出し、机の上に並べているところだった。さすが魔導師だ、とっくに齢100を超えてるだろうに、初めて会ったときから歳をとったようには見えないし背中も曲がってない。シャキッとしている。
カリストは作業を中断することなくアリエルにちょっと訝し気な視線をやる。
突然の来訪に困惑気味といったところか。アリエルはちょっと遠回しに話をすることにした。
「ご無沙汰してますカリストさん、今日はちょっと聞きたいことがありまして」
「おぬしがわしにか?」
「はい、ちょっと召喚者のことで」
「帝国軍を離反したとはいえ、元日本人であることに違いはないのでな、仲間を売るようなことじゃなければいいぞ」
「じゃあ、えっと、遠回しに聞くのは苦手なので、えっと……リンダ―ってひと知ってますか?」
リンダ―と聞いたカリストは少し首をかしげて考え込むような表情を見せた。
「リンダ―? ほう、何年ぶりかのう、その名を聞いたのは……」
カリストはリンダ―を知っていた。




