18-13 リンダ―・イヴォンデ(1)
ビルギットがサナトスに求婚したあと、サナトスが自室に戻り、レダがビルギットと話したあと、ビルギットの覚悟に和平が現実に見え始めた大人たちが到底終わることがない話し合いを続けている。
夜も遅くなりビルギットにも疲れが見え始めた。和平の話し合いは短時間では終わらない、翌日も、またその次の日も話し合いは続くのだから今日は一旦和平の話し合いはお開きにしてビルギットを客間に帰すと、トリトンやシャルナク、アルトロンド評議会議員の二人、エンドアとカストル、そしてグローリアスの三人が薄暗いロウソクの明かりの中、アリエルが出したあの、ジュライの秘密書類を食い入るようにチェックしていた。
この男たちは朝までコースだな‥…と思ったアリエルはもうその場を離れ、女たちの待つネストに戻ろうとしたそのとき、トラサルディのふとした独り言のような言葉が小耳に挟まってきた。
「リンダ―・イヴォンデか……」
リンダ―? 確かホムステッド・カリウル・ゲラーに07(ゼロセブン)を納品した書類にサインしてあった名だ。そのリンダ―のファミリーネームがイヴォンデ?
アリエルには小耳にはさんだイヴォンデという名前に心当たりがあった。
メラク・イヴォンデと、アトリア・イヴォンデ。
アリエルがマローニの中等部に通っていたころ同じクラスにいた同窓生だ。イヴォンデという姓は確かにそうそうある姓ではないが、今日パシテーがナルゲンでその二人に会ったと聞いた。
そしてアリエルにはどうしても会いたくなかったらしく、適当な用事を思いついて、まるで逃げるようにそそくさとその場を去っていったのだという。
なんというか酷い塩対応にアリエル自身『おれ……あの二人に嫌われてたのか……』と内心傷ついていたのだが、ここにきてイヴォンデの名前がこんなところから出てくるとなると、そそくさと逃げるように去って行ったという姉妹の行動が怪しく思えてきた。
パシテーは "あの二人、絶対何かあるの……" と疑って、追跡用のカプセルを付けたと言ってたが、このタイミングでイヴォンデの名が出てきたことがアリエルには看過できなかった。
エンドア・ディルがパシテーの父親だという事はメラクやアトリアには知られてないだろうし、パシテーの父親を暗殺しようとしているなんて、そんなこと黙って見過ごすほど恥知らずだとは思わないが、もう18年も接点のなかったイヴォンデ姉妹の名前が、こうも立て続けに出てくるとなると、あれもこれも偶然だとは思えない。むしろ全部繋がってんじゃね?とすら思えてくる。
終わった和平会議の席で、そろそろ寝室に戻ろうといったん席を立ちドアノブに手を出したあと振り返ったまま、そんなことを考えていて、全く動かないアリエルに気付いたトラサルディは何か思うところがあったのだろう、俯き加減に鋭い眼光を向けてアリエルに問うた。
「知っているのかね?」
仕方なくアリエルは応える。
「いや、リンダ―ってひとは知らないけど、イヴォンデという名前の知り合いがいるからさ」
ほう・・と少し息を吐いて食いついたのはパシテーの実弟、カストルだった。
「イヴォンデ……南方諸国、アムルタよりもずっと南、イシュウ王国に起源のある姓ですね」
ボトランジュ人は北方人で、所謂白人だけど、メラクとアトリアはどっちかというと南方系、アルカディア人で分かりやすく例えると、カンボジア、ベトナム、フィリピンなど東南アジア系の血が混ざっているように感じた。
これまで違和感も感じなかったのだけど、よくよく考えてみたらあの二人は目立っていた。
アリエルは念のために聞いておくことにした。
「で、トラサルディ叔父さん、リンダーって人物のこと、知ってるの?」
トラサルディはアリエルの問いにはあえて答えず、さっき出したジュライの名簿を指でなぞり目を通しながら、次のページをめくると、なぞる指が上のほうで止まった。
そして納得したように一度コクっと頷いたあと視線をアリエルに上げ、指でトントンと名簿を指しながらゆっくりと視線を上げた。
「リンダ―・イヴォンデ。ここにも名前があるね、……」
暗殺に使われる07(ゼロセブン)の納品書にあった名前だ。
ジュライの名簿のほうにも名前があるという事は、ジュライの構成員ということだ。
トラサルディは続ける。
「うーーん、リンダ―・イヴォンデはウォンドルレートに小さな薬店を出してる、何と説明すればいいのかな、いまいち言葉が不自由なんだが腕のいい薬師なんだ。もう二十年にもなるかな、センジュ商会とリンダ―・イヴォンデは取引相手という関係だよ。だが10年ぐらい前にもう薬を作るのはやめるって言われてそれっきりさ。高齢だから特に不審に思わなかったが……そういえばダイネーゼ商会も取引あったのではないかね?」
多くの視線がダイネーゼに移る。
察してか、ダイネーゼが取り繕うように答えた。
「うちは取引じゃない。妻や娘が病気になったとき薬の調合をお願いしたことがあるんだ。1年前もお世話になったから薬を作るのをやめたというのは違うと思う。教会の治癒院ではエルフの患者は診てもらえないからね、センジュ商会もリンダ―の薬を求めたってことは、エルフのための治療薬ではないのかね?」
そう、この世界では治癒魔法を独占している教会の治癒院が医療を支配していて、怪我や内臓の損傷などには治癒魔法を使い、感染症や炎症、頭痛や腹痛などの対処療法に薬を併用する。だからエルフが病気になったときは自分の自己回復能力で治すか、教会以外の薬師に頼んで薬を調合してもらうことになる。
治癒魔法の効果が絶大であるため身体を治癒するための薬品そのものに対する需要がそれほど多くはないため、薬師という職業人口が少ないのだが、そもそも薬師になるには魔導学院で薬学を専行する必要があったはずだ。
パシテーの父、エンドアが疑問を口にした。
「審問機関ジュライなんて教会の中でも過激派に属するんじゃないかね?、そんな奴がエルフの為に何かしてくれるとでもいうのかね?」
エンドアにとって教会の息のかかった者がエルフのために薬を調合してくれるなんて思ってもみなかったのだが……その問いに対するダイネーゼの答えはエンドアの考えている斜め上だった。
「いや、リンダ―・イヴォンデは帝国人だと思うが?」
少し自信なさげな声色だったが、その発言にみんなが息をのみ、表情は険しくなった。
トラサルディが問う。
「ほう、興味深いね。なぜそう思ったのかね?」
「リンダ―・イヴォンデのペンダントの十字架が神聖典教会のものではなく、女神教団のものだったんだ。それじゃ根拠として薄いかな」
アンクはシンボルで、神聖典教会も、神聖女神教団も同じシンボルを使っている。
しかし神聖典教会のペンダントアンクは十字架型で、帝国の神聖女神教団のアンクはプレートにアンクの形を浮き彫りにしたものなんだそうだ。これはアリエルも知らない豆知識だったのだが、そう言われてみれば、帝国の教団関係者はみんな銀色の金属板に浮き彫りの十字架を首から下げていた。
そして偉い人ほどプレートに宝石がちりばめられている。
また、トラサルディが言うにはリンダ―は言葉が不自由らしい。
帝国人なのに言葉が不自由? ってことは外国人なのか? さっき南方人だと聞いたがアリエルが昔、南方諸国を旅した時、ちょっとしたアクセントの違いほどにしか言葉に差異なかった。
この世界では、ノーデンリヒトも、シェダール王国も、アシュガルド帝国も、またドーラに住む人たちも、みんな一つの言葉で通じる。ウェルフも、カッツェもベアーグも魔人族も、もちろんエルフもヒト族も同様にだ。この世界に言語はひとつなのだ。カッツェはネコ語になることが多いけど、種族固有の口癖のようなもので、話が通じないほどじゃあない。
リンダ―・イヴォンデ……。
言葉が不自由か……。
アリエルはちょっと気になっていることを試してみたいと思った。
ほんとうにちょっと。思い付きレベルのことなんのだが……。
「え? マジで!? リンダ―・イヴォンデってホンマに帝国人なん? ほな言葉なんやけど、こんな感じの訛りは帝国のどっかの地方であるん? あったらええねんけどなあ、もしかしたらアルカディア人かも知れへんよ」
……っ!
……っ!
アリエルがいきなり関西訛りのキツいスヴェアベルム語を使って話したものだから、リンダ―・イヴォンデを知る二人の表情が険しくなった。
トラサルディは驚きを隠せずに問うた。
「似ている。リンダ―・イヴォンデは言葉が不自由だった。まさかアルカディア人だったのかね?」
アリエルは二人に向けてさらに質問で返す。
「ちゃうねんちゃうねん、そこまでは知らん。ただな、俺の知ってるイヴォンデ姉妹が独特の訛りの効いた言葉を使うねん。もしかして、リンダ―・イヴォンデもこんな感じなん?」
「あ、ああ、正直分からんが確かに似ていると思う。ものすごい訛りのせいで話が通じにくくてな、息子が通訳してくれないと話が伝わらないほどなんだ。ところでリンダ―・イヴォンデがアルカディア人というのは本当なのかね? 詳しく話を聞かせて欲しいのだが」
「いや、俺も実は分からないけどさ、この世界でロウ毒(ヒ素)なんて暗殺ぐらいにしか使わないんだろ? しかもそんな需要の少なそうな毒物を高品質で精製する技術なんて発展しないでしょ? 普通……。アルカディア人なら、あるいは最初からその方法を知っていたのかもしれないと思っただけ。話戻すけど、この訛りはアルカディアの物凄く狭い地域の方言である可能性が極めて高いんだ」
調子に乗って関西訛りで話しているが、アリエルの頭の中は冷静に考えを巡らせていた。
リンダ―・イヴォンデがアルカディア人なのだとしたら、過去に召喚された元日本人である可能性が高い。
言葉が通じないのは何故だろうか。もしかすると側女を拒否したのかもしれない。
仮に側女を拒否して言葉を覚えられなかったのだとしたら、神聖女神教団から出向という名の厄介払いをさせられてアルトロンドに放り出されたのかもしれない。
そのリンダ―がヒ素を合成していて、シェダール王国の王族を暗殺した疑い、パシテーの父親を暗殺しようとした疑い、アリエルにとって、それは考えるのもイヤな推察だった。
パシテーのお父さんの命を狙った一味にメラクたちの身内がいるというのはかなり気まずい。
リンダ―・イヴォンデが日本人だとして、なんでアルトロンドでヒ素なんか作っているのか。審問機関ジュライとアシュガルド帝国が手を組んで、次期国王になるべき王子を二人も暗殺し、トーマス・トリスタンという男を国王に据えて体のいい傀儡にするつもりだったのだろうか。
いや、もしそうなら今現在の状況と合致しない。二人の王子を暗殺して自らの手駒になる男を玉座に座らせるという回りくどい作戦を辛抱強く実行していたのに、皇帝直下第一軍の精鋭部隊が直接王都プロテウスに攻め込むため何十万という規模をアルトロンドに駐留している。
どう考えても作戦を考え、実行している黒幕の性格が違う。
たしかトラサルディによれば、いまアルトロンドに集められて、王都プロテウスの喉笛を狙っているのは帝国陸戦隊の中でも最精鋭の第一軍だと言ってた。だが日本からの召喚者は帝国陸戦隊第三軍、つまり弟王エンデュミオンの私兵だ。
ということはトーマス・トリスタンをプロテウス城の玉座に座らせて、傀儡にしようとしている? 黒幕はアシュガルド帝国ということになるのか?
……、違う。
アリエルは考えをリセットした。
エンデュミオンにそこまでの我慢強さがあれば、クーデターなんぞというイチかバチかの出たとこ勝負はしないと思う。リンダ―・イヴォンデに接触してうまく話を聞き出す必要があるけど……。
そうだな……。
「ねえ父さん、ぜんぶマルっと丸く収める手があるんだけど?」
トリトンは露骨に眉をしかめて訝った。
「なあアリエル、あのなあ……トーマス・トリスタンとやらが二人の王子を暗殺したとでも告げ口するつもりなんだろうが、残念ながら相手は王族の端くれだからな。絶対に言い逃れのできない証拠がなければ口に出すこともできないぞ」
「ええっ? 告げ口なんかしないって、めんどくさいじゃん」
アリエルの悪そうな顔を見てトリトンはもっとイヤそうな顔になった。
「なんだか聞いちゃいけない気がするんだが……まあ、ひとまず聞いてみようか」
「トーマス・トリスタンをさらっ「いやもういい! 聞かなかったことにする!」」
アリエルの言葉を途中で遮ったトリトン、ギリギリのところでストップが間に合った。
「ええー、ひどいなそれ。でも勝手に行動するよ?」
「なあ、本人がまだ了承してないが、ノーデンリヒトとしてはサナトスとビルギット王女殿下の婚姻を前に進めたい。縁談の妨げにならないよう配慮してくれるならアリエルの行動についてとやかくいうつもりはないよ。むしろやってくれと思ってる」
なるほど、トリトンとしてもリンダ―・イヴォンデを放っておくことはできないけれど、それでも今は手いっぱいでリンダ―まで手が回らないということか。
トリトンはアリエルが何をしようとしてるのか聞くまでもなく了承した。
なのでアリエルは好きなようにすることにした。
結局みんな疲れて頭が回らなくなるまで議論は続いた。ノーデンリヒトの冬は日の出が遅い、そろそろ人が動き始める時間帯になって、ようやく東の空が明るくなるような状況だ。いつまでも外が暗いからといって長話をしていたら昼になってしまう。
トリトンはひとまず今日の会議を締めくくることにし、ジュライのメンバーと記されているリンダ―・イヴォンデの件は全権をアリエルに委ねることにした。
全権、つまりノーデンリヒトにとって審問機関ジュライは敵。要人暗殺までするような集団なんだから、ジュライのメンバーは世界のどこに居ようと全員指名手配にして捕らえる必要があり、当然メンバーであるリンダ―・イヴォンデは、捕らえるも生かすも殺すも、身柄の処遇はアリエルに任せるという意味だった。




