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18-12 ルーの決断(5)世界樹


 手首から止めどなく流れる鮮血は、乾いた土に交わると素早く吸収されて、周囲を赤黒く染めてゆく。

 ルーのマナがたっぷり溶けている濃い血液が覇王樹の実を包む土壌に沁み込み、そこに湛えられてゆく。


 周囲の木々や草々が慌てふためいたようにざわめきはじめた。

 木々たちには今いったい何が起きているのか分からないのだろう、しかし強烈な違和感がこの地に芽生えたことだけは感じ取っていた。


 どこからともなく風が吹く。木々のざわめきの中、ルーの血液により大地は染められてゆく。


 ひとが作り出すマナは動物性のマナだ。植物が作り出すマナとは違うから相容れない。

 そこで逢坂ルーはいま自分の流した血液を元素変換することで、血液に溶けた高濃度のマナを液体という姿のまま魔気へと変換した。変換レートはマナ1に対し、魔気が500ほどであろうか。


 ほとんどロスのない恐ろしく高効率な交換だった。

 これは簡単なことではない。マナと魔気を変換するなんて、四つの世界でもルーにしかできない芸当だった。これは大気中に魔気がほとんど含まれないアルカディアでずっと暮らしていたルーの研究成果。魔気がないなりに作り出す必要があったのだ。そしてアルカディアで隠遁生活を続けるうち、マナと魔気がもともと同じものだということに気付き、相互に変換するすべをあみだした。

この魔法技術のおかげで逢坂ルーは日本でもオートマトンを使うことが可能となるほど、純度の高い魔気を作り出すことが出来る。


 高純度、加えて高濃度の魔気を液体として与えられた覇王樹の反応は早かった。


 マナを魔気に変換してからしばしも待たず、実を植えた地面を突き抜けて光を放ちはじめた。。

 まるで放射線が土を抜けて光が届くように。


 鬱蒼とした深い森の中にぽっかりと日差しが差し込む中心部に特別扱いされたように1本だけ、周囲の樹木よりも突出して高くそびえ立っている古木があった。いまやその古老の木が異世界からの侵略を受けようとしていた。


 覇王樹はターゲットを定めるとすぐさま発芽し、ぱぱっと葉を展開する。そしてみるみる枝が分かれ、何十枚も葉をつけ始めるのが肉眼で見えるほどに覇王樹の生長速度は早く、常識的に植物の成長速度とはかけ離れているものだった。


 芽が出ると同時に根も広がり始める。すぐさま老木に向かって浸食が始まった。

 水面下ではないが、土の下ではいま植えられたばかりの小さな実が、この森でも類を見ないほど巨大な老木に向かって攻撃を仕掛けていた。根から侵入して樹の幹まで入り込む気なのだろう。


 老木の枯れた枝が音をたてて折れ、落ちてきた。この老木に支配されていた周囲の木々たちも枝を揺らし、ざわざわと葉擦れの音をたてはじめ、明らかな緊急事態を周囲に知らせる。


 弱った同士の戦いである。勝負は長引くかと思われたが、ものの15分ほどで、あっけなく勝負は決した。

 この地を支配していた老木の葉がみるみる紅葉しはじめ、周囲をざわめかせる風に落葉するのとは対照的に、覇王樹の成長は爆発的な加速をみせた。


 破竹の勢いで周囲に根を伸長し、幹はどんどん太くなり、勝負が決してからわずか数分で数メートルの高さになった。


 覇王樹は生命を司る世界樹になることができる、唯一の樹木でもある。

 敵対する樹木と根が触れ合うことで、相手から生命力を奪い、奪った生命力を我がものとすることができる。覇王の名に恥じぬ、植物種として四世界でも最強と言われるその力を、いまここでエルダーの、ごく小さな区画を支配していた老木に見せつけたのだ。


 逢坂ルーは覇王樹の生長速度から、もうこの森には覇王樹の成長を妨げることができるものはいないと確信した。


 そしていつのまにか逢坂ルーは、勢い増す覇王樹の若木の根に足をからめとられていた。

 逃げようと思えばいつでも逃げられただろう、いまこの状態からでも逢坂ルーの力をもってすれば、逃れることは容易い。しかし逢坂ルーはそのまま、覇王樹の為すがままに身を任せた。


 足を巻き取られ、腕をからめとられ、樹皮に同化するまで半日もかからなかった。


 逢坂ルーは、覇王樹に養分を吸い取られながらも自分の血液に混ざったマナを少しずつ魔気に変換し続け、やがて意識が保てなくなると、マナから変換される魔気の濃度は限界を超えて、肉体そのものが硬質化し、その身が魔導結晶になってしまうまでそう時間はかからなかった。


 まるで植物のように16000年を生きた逢坂ルーの人生は、自分だってどこに居るのか分からないような、深い森の中で、誰に看取られることなく、誰にも知られることなく、孤独な最期を迎えたのだった。


 覇王樹は逢坂ルーの肉体から養分になるものを搾れるだけ搾り取って吸収し続けた。魔気を栄養にして遥か数千メートルという高さにまで成長する覇王樹にとって、魔導結晶はこの上ない養分となった。


 これからこの巨大な大森林をだけでなく、地面の繋がっているところを行きつくところまで。

 大陸の全てを実効支配しなければならないのだから、覇王樹にとってスタートダッシュするのに好都合この上なかった。


 夜になると覇王樹は根と根が触れているネットワークを使って、どんどん広範囲に支配をひろげていった。覇王樹に忠誠を誓わない樹木たちは根から浸潤して食われ、たちまち紅葉し、枯れ果てることになった。


 多くの樹木が枯死したが、その侵略するスピードが植物としては破格だったため、エルダーの樹木たちのうち、大多数は覇王樹の支配下にはいった。服従か死か! シンプルな二択を突き付けていたにすぎない。


 エルダー大森林はじまって以来、いや、スヴェアベルムの世界が始まって以来、森を形成し、静かな暮らしを営んでいた植物たちにとってこれほどの激震はなかっただろう。


 そして樹木たちの動揺は森と一緒に暮らすエルフたちにも伝わった。


 何が起きているのか分からない不安もあったが、生きている森に敬意を払うエルフたちには事の推移を見守ることしかできなかった。もちろん横のつながりのある集落同士で連絡を取り合ったりはしていたようだが、そういうことも含めて、地面の下で接続された根と根のネットワークでつながった覇王樹にとって、エルフの動きは手に取るようにわかった。


 朝になり、また夜が来る。


 何日が経っただろうか、覇王樹は樹齢にしてまだひと月にも満たないというのに、樹高300メートルを超え、全方向に広く枝を広げ、誇らしげに立っていた。


 それはこの森を支配する新たな王の誕生だった。


 覇王樹が見えるところで生活していたエルフたちにとって、その巨大なシルエットは畏怖の対象でしかなかった。エルフたちの中には森の神が現れたといい出すものや、あの樹は『よくないモノだ』と警鐘を鳴らすものもいた。


 信心深く、森と生活を共にするエルフたちにとって、覇王樹の存在は無視できるはずもなかった。



----


 さらに少し時間が経過する。

 アリエルたちがダリルマンディでユピテルたちと死闘を繰り広げていたころ、覇王樹にかすかな異変があった。300メートル以上もあるという高木であり、その枝ぶりも広く、直径にしておよそ400メートルはあるだろう、そんな巨木がひとつだけ、まるで漂白されてしまったかのように、真っ白なつぼみを付けた。


 いちばん太い枝から垂れ下がるようについたつぼみは、ユリのつぼみのようにも見えた。

 しかし大きさは数メートルという巨大さであり、つぼみが膨らんでくるにしたがって、次第に光を放ち始めたことから、下界から見上げるエルフたちの目にもとまった。


 エルフたちはその樹の生長速度と巨大さに恐れを抱いていたし、覇王樹が見える場所に住んでいるエルフたちはキラキラと輝くつぼみが膨らんできたのも見えていて、それが何を産むのか知らなかったせいか、やきもきするだけだったが……。やがて絶望を知ることとなる。



 ある朝、夜露に濡れたつぼみが先端から亀裂が生じた。


 花弁はなびらが開き始めると、眩いばかりの光が漏れ、それは虹のように七色のスペクトルを分離させて、遥か天空に向かって虹を打ち立てる。


 全方向に向かって放射される光が落ち着くまで数分はあったろうか。

 その光は世界樹が霞むほど遠くのエルフに集落でも観測されたという。


 覇王樹の花弁は5枚花びらのユリのようにも見えたが、その中から白い、ただただ白い玉のようなものが発生した。個体が光を放っていたのか、それとも光が実体を持っていたのかは分からない、ただただ白い物体としか表現することはできなかった。


 花弁が完全に開ききると、真っ白な玉はするりと滑り、落下を始めた。


 回転しながら落下する物体は手足を折りたたんで、丸くなった人のように見えた。


 落下の最中さなか、それは光のしずくを撒き散らしながら手足を広げた。


 魔法による翼が実体化するさまは遠くからでも視認できるほどだったという。

 透き通った金色の翼を翻した "それ" は、翼に風を受けると落下速度をキープしたまま、水平飛行へと移行を試みた。


 長い白髪は暴風を受けたかのように激しく振り乱し、まるで星の欠片のようにキラキラと輝く光の粒を撒き散らしながら虹の尾を引いて旋回を始めた。


 きらきらと輝くものは覇王樹を中心に、周回軌道を見つけたかのように旋回を始めた。


 まるで色を塗り忘れた線画のようにも見えた真っ白なものの正体は、きらきらと輝く、透き通るような美しい肌をもった精霊だった。


 精霊は魔法の翼を得て飛行していたが、その姿はエルフよりもヒトに近しく見えた。


 ただつぼみから生まれ落ちた時からずっと目を閉じたままだった。

 しかし眠っているわけではない。眼球に頼らなくとも、森の植物が目となり、耳となり、360度全方位の視界と気配を真っ白な精霊に送っていたのだった。


 精霊の姿はアルカディア人、逢坂美瑠香おうさかみるかをベースに、何から何まで漂白してしまったかのように真っ白な存在。


 精霊は覇王樹に襲われて養分を吸い取られてしまった逢坂ルーの成れの果てだった。

 いや、成れの果てというのは少し違う。


 逢坂ルーだった。は16000年を生きて、精霊となった。

 ようやく偉大な師と同じ境地に至ったのだ。


 キュベレーが何を見ていたのか、何を思っていたのか。

 何を守っていたのか、その極地を知る立場にまで上り詰めた。


 精霊を生んだ覇王樹を、ザナドゥでは世界樹と呼ぶ。


 そして最強の植物には最強の魔法生物が守護者として付き従う。

 いまだ樹体は300メートルあまりと、まだまだ小ぶりではあるが、支配する森の広さと樹木の数ではアマルテアの世界樹を上回る勢力を誇っていた。もう将来は約束されたようなものだ、世界樹はこれから何万年も時間をかけて成長し、樹高3000メートルを超える巨木になるのだろう。


 アマルテアの世界樹がそうだったように。




----



 色を塗り忘れた線画のような姿をした精霊は、きらきらと輝く光を振りまき、虹の尾を引きながら、まるで飛行を楽しむように世界樹の周囲を旋回していた。


 精霊は旋回から宙返り、きりもみとアクロバット飛行を一通り試したあと、翼を畳んで真っ逆さまに落下し、樹木の上にバサッと音をたてて落ちる。どこの誰とも知らない樹木だ。しかしその樹は世界樹の支配下にある。


 落ちた場所に精霊の姿はなく、次の瞬間にはその場から十数キロ離れたエルフの集落に現れた。


 巨樹から何かよくないものが落ちたのをエルフたちはただ眺めていたところに、その恐ろしい物体は狙ったように瞬間移動して現れたのだ。


 世界樹から最も近い、300人規模の比較的大きなエルフの集落だった。

 それも狙ったように、長老エルフの目の前に落ちてきた。


 世界樹の精霊は、支配下にある植物をアドレスとして管理し、瞬間的に移動することができる。

 ゾフィーのように時空を渡る転移魔法とは手法が違う。

 世界樹の精霊は魔法を使わず、マナも使わず、木々の根が繋がるネットワークを介して、根から木々を渡っての移動だった。


 世界樹の精霊とは魔法生命体でありながら、情報の塊のような存在だった。


 広大な大森林にくまなく張り巡らされたネットワークの全容、得難い情報の全てが精霊の閉じられた瞼の裏に映っている。


 もちろん、そこに生活するエルフが何をしているのか、どんな話をしているのか、何を企んでいるのか、そこにある植物が聞いたり、感じたりしたことが、つつみ隠されることなく、ストレートに精霊に送られるのだった。


 16000年前、スヴェアベルムから軍を率いてきたジュノーのいけ好かない叔父、アーカンソー・オウル・ソスピタが、ゾフィーを伴ってアマルテアの世界樹を攻略しようと侵攻してきたときも、攻略部隊の動きや会話内容に至るまで、その全てがキュベレーに送られていたのと同じく。


 ルーも支配下に置いた木々を通じて、エルフ集落の情報を得ている。村の座標も、エルフたち個人のアドレスも、森の中の情報はすべて精霊へと集積される。


何の前触れもなしに、突然ひとの前に現れることなど造作もなかった。エルダーに住むエルフには、もはやプライバシーなど欠片も存在しないのだ。すべてが筒抜け、すべてが精霊の管理下に置かれることになった。


 突然、真っ白な精霊が予告もなく目の前に現れたエルフの長老は、驚いてしまって言葉が出ずにいた。しばらくの沈黙が流れたあと、精霊はひとつだけ問うた。


「森を出てゆくか、世界樹に服従するか、それとも戦って死ぬか、好きな選択肢を選びなさい」


 白い精霊になったルーはエルフたちに究極の選択を突き付け、ほとんどのエルフたちを世界樹の支配下に置いた。とはいえ、世界樹を中心に十数キロは不可侵の誓いをさせ、森を焼かない、むやみに森を拓いたり、木々を伐採しないことを条件に、これまで通り森で暮らすことを許したというだけ。


 これまでどこの国家にも属していなかったエルダー奥地のエルフたちが、世界樹の支配下に入る、ただそれだけのことだった。別に税金を治めろと言われることもない、ただ秩序を守っている以上はそこに暮らすことを許されると、ただそれだけのことだ。


 中にはルーを精霊とは信じず、その高圧的な物言いに反発し戦うことを選んだ集落もあったが、森に暮らすエルフたちが森を敵に回して戦えるわけがなかった。ルーは敵対すると決めた集落の子どもにすら容赦することなく全員を皆殺しにした上で、樹木の栄養分として吸収し、滅ぼされた集落はまたたく間に荒廃して森に飲み込まれた。



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