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18-11 ルーの決断(4)覇王樹

 逢坂ルー転移魔法陣ポータルを使ってひとまずセカへと移動し、セカで転移魔法陣ポータルを乗り継いで、遥か西にあるエルダー大森林の山岳地帯、アスラ神殿へと飛んだ。


 神殿に出た逢坂ルーはまず神殿の柱と柱の間から星明りを受けて艶めかしく輝く夜の森を見下ろすと、かすかに微笑みがもれた。

 アスラ神殿も切り立った岩場の高い位置に作られていて、とても見晴らしがいい。


 森独特の樹木の香りがする。

 森で暮らし、森で育ったルーにとって緑の匂いは遠い記憶の扉を開き、幼き日を思い出させた。

 

「いい匂いがする。ここはワクワクする……」


 エルダー大森林はこの世界ではドーラ大陸の極圏と並んで、人を寄せ付けない秘境とされている。

 過去に何度も正確な地図を作るため、ヒト族の探検家がエルダー大森林に入ったというが、いまだにその全容までは分かっていない。手元の地図ではいま居るこの場所から南西に向かって1500キロも人の手が入ってない手付かずの大森林が広がっているらしい。一応ここもフェイスロンド領に含まれるとのこと。


 その広さは地図でもはっきりせず最南端あたりは誰が確認したのか分からないが、手元の地図を信用するならば、日本の本州がふたつスッポリ入ってしまうほどの広さがあるという。


 森の奥地となるとシェダール王国の支配力が及んでいるわけではないが、それでもジェミナル河の流域、河口付近のデルタを含めると王国の広さの約25%から30%はエルダー大森林に食われてしまっている。


 逢坂ルーはこの未開の地に目を付けた。


 拳をぎゅっと握り、気合を入れなおすと背後に転移の光を感じた。

 塩人形オートマトン1体が追いついてきたのだ。


 オートマトンが来たのを確認すると脇にどかせ、アスラ神殿を構成する石の構造物、ここでは石畳を魔法でもちあげてめくり、いま自分たちが転移してきた中央の石板にピッタリ合うサイズに合わせて、音もなくそっと重ね合わせた。


 こうすることで転移魔法陣ポータルが作動しなくなる。こちらからも、向こう側からも転移不可になる、つまり転移先のこちら側から一方的にカギをかけたのと同じことだ。


 セカの転移魔法陣ポータルの利用者は、ほぼ100%がノーデンリヒト(トライトニア)にしか向かわないのでこちら(エルダー)に来るものはいないと思うが、動作しないことがゾフィーの耳に入るまでは、誰の侵入も許さない。


 これでしばらくは邪魔が入る心配はないだろう。


 イカロスはセカから別行動していてエルダーにはついて来させなかった。

 ノーデンリヒトで得た塩人形オートマトンディファイは今後、逢坂ルーが「もういい」と言うまで、アスラ神殿の転移魔法陣ポータルを守る守護者ガーディアンとなる。


 逢坂ルー転移魔法陣ポータルの上面に石板を乗せると、オートマトンを神殿に残し、トン、トン、トーンと三段跳びのようにホップ、ステップ、ジャンプし岩山から森に向かって飛んだ。



 手足を大の字に広げると、バサバサッと風を受ける音がした。五本の指を大きく開き、手のひらの部分を湾曲させて風を受ける。


 逢坂ルーは、風を受けて高く高く舞い上がった。


 これは魔法で飛んでいるわけではない。

 魔法で手のひらと手指の表面積を論理的に拡大し、翼を作っているのである。


 むしろパシテーのように土魔法として、地面に作用を求めて飛ぶ方が難易度的にも操縦の容易さという意味でもはるかに安全なのだが、それでも逢坂ルーはアナログではあるが、実際に風を受けて翼で揚力を発生させることで、グライダーのように飛行することを選んだ。


 なぜなら、そっちのほうが気持ちがいいからだ。


 逢坂ルーは飛行しながらも前を見ない。下界に広がる森を見ながら風を読んでいる。

 空気の冷える夜に上昇気流はあまり期待できないが、そこはそれ、風の魔法で少し手伝ってやるだけで、即席で作った手のひらの翼がバサッと音をたてて風を掴んだ。


 肩の筋肉がきしむのに、むしろ心地よいと言いたげに指をいっぱいに広げて上昇気流を受け止める。


 高度1000m


 1100m


 1200m


 まばらな雲に近付くように、ゆっくりとだが、確実に高度を稼いでいった。

 季節はもうすぐ冬に近いというのに、ノーデンリヒトからかなり南にきたせいか、エルダーの森は緑に茂っていた。


 雲がまばらにしかない上空1500mから見渡すと、森が真っ黒なタールの海のように広がる、単一種の樹木が支配しているようにも見えた。


 この高度からならかなり遠くまで見渡せるが、夜なので光量が足りず遠くの方は視認できない。


 森を注意深く観察していると、1500メートルの高さから人の気配が分かるほど集中していることに気が付いた。思ったよりも多くの人が森の中に住んでいるようだ。


 おそらくは森を切り拓いたりせず、森とうまく折り合いをつけて共存している、エルフという種族だろう。エルフはアマルテアにはいない、スヴェアベルムの固有種だ。このエルダー大森林が世界樹の支配下となっても共存してくれるだろうか……。


「今のうちにマッピングしておこうかな」


 人の気配を光点に変換し、視覚に投影すると、まばらに光の集落が見える。逢坂ルーは頭の中に地図を広げて光点を重ね合わせることで、エルフたちの隠れ里を視認することができるようになった。


 だいたいが50人ぐらいで小さな村落を作って生活しているようだが、中には500人以上が生活しているであろう規模の村も察知した。


 だがしかし、すぐに違和感に気付いた。

 森の中のある特定の区画にエルフたちが住んでいないのだ。


 逢坂ルーは頭の中で、そういった "エルフたちが忌避する土地" をマッピングして記録してゆく。

 森と共存する種族が立ち入らない土地には必ず何かある。


 探索は続く。


 しかしこの広大なエルダー大森林の中で、もっとも効率よく太陽光を吸収して、もっとも大きく、高く生長している巨木は、逢坂ルーが強く風を受けながら、1000キロを飛んでも、やがて東の空が白みはじめて、日の光が差し込んでも、目的の巨木を見つけることはできなかった。


 アマルテアでは覇王樹でなくとも樹齢数百年で200メートルぐらいにまでは生長するのに、ここの樹木は大きくともせいぜい50メートル程度。だいたい平均すると40メートル以下だ。


 そしてエルフたちが生活の拠点を設けない忌避地の中心に50メートル程度の樹木があることも分かった。

 このエルフたちが立ち入らない忌避地はあちこちに点在していて、逢坂ルーが偵察飛行した今日だけで20は発見することが出来た。


 一般的に高く生長するはずの針葉樹ですら、ノーデンリヒトの北の森で見た最高の樹木でも、高さにすると100メートルちょっとしかないのだ。


 やはり魔導学院の図書館で調べた通りだ。

 この世界の大気にはこんなにも濃く魔気が含まれているのに、これほどの大森林を支配できるほどの力を持った樹木が居ないのだ。


 ここの森の樹木は天敵から身を守るため大群をつくるイワシのように身を寄せ合っている。


 逢坂ルーは自分の都合のいい調査結果を得たのに、表情は微塵も変えず、うっすらと霧に覆われた大森林をジェミナル河に沿って下流へ向かうことにした。目的の高木が見つからないのだから急降下と上昇を繰り返すことで加速し、地図であやふやなことになっている森の果てを確認するついでに、エルフたちが住まない土地をピックアップすることにシフトしていった。


 翼にスピードが乗るに従い広げていた腕を後ろへとたたむと空気抵抗が小さくなってどんどん加速してゆく。時速にして200キロ、300キロ、そして350キロ……。


 風の魔法で作った翼を広げ、実際に風を受けて飛んでいるのだ。

 魔気の濃いこの世界ではまだスピードを高めることができるが……、逢坂ルーにとってスピードは重要ではなかった。

 これがアリエルだったらきっと最高速チャレンジするだろうし、ロザリンドだったなら急降下しすぎて墜落するのがオチなのだろうが、そういったお約束の展開はない。


 視界はどこまでも緑が続いていた。

 やがて大河の支流が細かく、網目のようになってきた。高度1500メートルから見渡してもどこまで続くか分からないほど広大な三角州デルタ地帯が広がっている。河口が近づいてきた証拠だ。


 河口の広さもいったい何キロあるのか分からないほどだ。ずいぶんと南に来たこともあって、植生も変わってしまって、いつのまにか、より多くの水分を必要とする、より低く横に向かって枝を広げる種が優勢となっている。


 スピードを落とし、高度を下げて低空飛行で植生を観察すると、この地域の樹木はツタ植物に巻かれてしまうような体たらくで、河口付近にはヤシのような木が林立している。アスラ神殿付近にもツタ植物は多くあったが、ここまで樹木に覆いかぶさるようほど優勢ではなかった。この地域の樹木は取るに足らない。エルダー大森林では北東部に生息する樹高30メートルから50メートルの広葉樹が最も優勢と見た。


 河口付近こっちに用はない。


 逢坂ルーは旋回して南側ルートを通ってアスラ神殿の方角へ、正確に進路をとった。


 もう半日以上は飛んでいる、疲れたのか、それとも飽きたのか、時刻はお昼を回ったぐらいだった。

 逢坂ルーはエルダー大森林の、どっちかというと河口から遠く、フェイスロンドに近い地域の、ひときわ大きなエルフの忌避地に目を付けていた。たぶんここだろうと。中心には樹高50メートル以上の大木があって、その周囲には同種の樹木も生えていない空白地を形成していて、底まで見渡せるほど澄んだ泉がいくつも点在していた。


 ひときわ高く、大きな古木が目立つ。

 こいつがここ周辺のボスだ。


 逢坂ルーは旋回しながらゆっくりと高度を下げ、大木の根元に降りた。それは周囲の樹木からみると明らかに高くはあったが、すでに枝の半分は葉を付けていない、死にゆく老木だった。


 音もなく着地するとまずはこの老木にぺこりとお辞儀をしてみせた。

 樹肌にコケがむしていた。

 根元からは弱々しく若木が出ようとしていて、枯れた枝にはカビが侵食している。


 老木はもうとっくの昔に全盛期を過ぎていて、あとはゆっくりと朽ちてゆくのを受け入れているように見えた。


 逢坂ルーは次の嵐に耐えられそうもない老木に敬意を払い、片膝をついて一礼したあと対話を試みる。


 老木の根元に歩み寄り、右手のひらを幹に押し当て、目を閉じた。


 この世界では魔法の概念は魔導学院の日々たゆまぬ努力によって解析と理解が進んでいるが、スピリチュアルな分野は16000年前のザナドゥよりもずっと遅れている。


 魔力の源であるマナという概念は当然知られているが、そのマナに動物性と植物性があるということはスヴェアベルム人の間ではまだ知られていない。それどころか、血の通った動物にしかマナは存在しないとまで信じられている。これは大きな間違いだ。


 動物性のマナは人の体内で作り出され、魔力として使われる。動物性のマナは水溶性であることから、血液に溶けて血管を通って全身をめぐる。このマナが起動式によってプログラム通りに魔法として具現化するのである。


 一方、植物性のマナは植物が光を触媒として二酸化炭素を消費して酸素を作り出すように、この世界の空気中に高い濃度で存在する魔気を消費して、マナを放出している。これも光を触媒とするので光合成と言って差し支えないだろう。この植物由来のマナは動物性のマナとは異なり、水には溶けず空気に溶ける揮発性の高いものとなっている。


 逢坂ルーが今日、半日かけて空を飛び、エルダー大森林を観察して回った理由は一つ、この地に『覇王樹』の実を植えて、世界樹に育つかどうかを見極めたかったというのがあった。


 アリエルにより託された覇王樹の実は、16000年もの長きにわたって休眠状態にあり、いまとても弱っている。この子がこの土地でしっかり根付いて、最初の生存競争に勝利するため、逢坂ルーはこの場所を選んだ。


 そしていま、枯れゆく老木に触れて、言葉ではない言葉で対話している。


 植物にも言語がある。

 ヒト族やエルフ族のように声帯から発せられるような物理的言語ではなく、根と根が触れ合って伝わる信号のような、いわばネットワークのようなものだ。


 これは樹木に限らず、草やコケなども含まれる。

 植物には目が無くても、その身につけた何万もの葉が感覚器官となって、空気を読み、風を読む。

 地面にびっしりと張り巡らされた根は隣の樹木と絡み合って連絡し合う。


 森のなかの、たった一本の木が感じたことを、森の植物全体で共有することができるというわけだ。


 世界樹の精霊、キュベレーに育てられたルーだからこそ、樹木と対話するすべを身につけていた。


 しかしルーがいくら問いかけても老木からの返事はなかった。息吹は感じるし、周辺を囲む木々と比較できないほど莫大な生命力をもっていて、まだ生命活動は続けているはずなのに、昼下がりの日光に光合成していても、老木はただひたすら眠っているかのように寡黙だった。


 この対話で分かった事は、老木にまだ生命力が多分に残っていることと、植物の根と根が触れ合うことにより繋がるネットワークは健在あること、そしてこの老木はこの区画で最も巨大で最も年老いていて、最も力のある樹木であることが分かった。


 老木は黙して語らず。

 だがその周囲の木々はざわめき始めた。


 逢坂ルーが閉じていた瞼を開き、刮目すると、


「弱い……」


 小さな声で、吐き捨てるように、そうもらした。


 逢坂ルーはその場で服を脱いだ。

 下着も、靴下も、髪留めもなにもかも、身に着けているものは全て外してストレージに収納したあと、ぺたぺたと冷たい湿地帯を歩き、ちょっと助走をつけてざぶんと泉の深みに飛び込んだ。

 秋も深まっていてもう冬になろうかという季節だ。この土地は冬でも葉が落ちることがない常緑の地であることは分かっていたが、それでもさすがに身が引き締まるぐらいには泉の水は冷たかった。


 一気に体温を奪われる。

 そのまま3分、4分……と沈んだままだったが、逢坂ルーは泉の底から揺らめく水面みなもを通して、青く澄んだ空を眺めている。


 まるで草原にでも寝転がって、風を浴びながら草でもくわえて雲の行方を追っているかのようだが、逢坂ルーはそれを水中から同じことをしている。


 考え事をしていた。


 今からすることを考えているわけではない。これからのことはもう決めているのだから。


 これから起こることが怖くて、少し怖気付いただけ。


 覚悟がしっかり決まるまで、水中から水面を通り越して、高い空を見ていたのだ。


 どれぐらい沈んでいただろう。


 逢坂ルーは泉の水で身体を清め、ゆっくりと水面に出た。

 水魔法なのだろう、まるで泉の下からせりあがる台に乗っているかのように出て、水面に立つ。

 そして水面に波紋を起こしながら土を踏むと、老木を指さし一気に目の前の地面から土をガツンと削ぎ取った。老木の根元、寄り添うような位置に、直径にして1メートルほどの丸い、真球をくりぬいたような穴だった。


 ストレージからそっと取り出したのはアリエルから託された覇王樹の実。

 育ての親であり、魔法の師匠であもあった世界樹の精霊キュベレーが残した最後の実だった。


 実は弱っていた。生命力の塊ともいえる覇王樹の実とはいえ、それでも16000年もの長きにわたる休眠状態で、アリエルから手渡されたときすでに死にそうになっていた。


 もう待てないのだ。

 いまこの覇王樹の実を土に植えたところで、エルダーの木々に攻撃されてしまえば、たちまち枯死することは免れないだろう、それほどまでに弱っている実に再び活力を与えるためには、天敵のいない土地で、さらに好条件の土地を探して植えてやることしかなかった。


 条件とは、美しく澄んだ水が大量にあること。

 空が開けて見えること。そして、少なくとも周囲に数十キロぐらい支配している樹木があって、その樹木が抵抗できないほど弱っていること。


 つまるところ逢坂ルーは昨夜から1500メートルの高空を飛んで、今にも死にそうなボスを探していたということだ。


 逢坂ルーは掘った穴に覇王樹の実をそっと置くと、いま掘ったばかりの土を元素変換して、真新しい、何も混ざってない土を作って埋めた。土には植物が育つための栄養素が含まれているが、同時に雑菌も多分に含まれている。栄養素は育てる過程で追加してやればいい、そんなことよりも異世界の雑菌に死にかけた種子が抵抗力を持っていないことのほうが大問題だったのだ。


 覇王樹の実が土に植えられた。

 16000年前この地でこの実を植えたアスティは、実を休眠状態から目覚めさせることも出来なかったが、逢坂ルーはすでに微弱ではあるが魔気呼吸を始めた実に、エルダーで何千年も生きた老木を供物として捧げたのだった。


 要は生贄のようなものだ。


 そして逢坂ルーはそのまま、裸のまま手首に爪をあてて勢いよく引くと、手首を走る太い血管を傷つけた。


 ぼたぼたと音をたてて鮮血が流れ落ちる。


 手首の傷から止めどなく流れる血液が、たったいま植えたばかりの覇王樹の実の真上に落ちて土にしみ込んでゆく。



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