18-08 ルーの決断(1)
時系列は少し戻る。
魔王フランシスコ自ら、7万もの魔族軍を率いてセカに集結し、塩人形イカロスとのひと悶着あった直後のこと、アリエルと再会を果たした逢坂美瑠香はゾフィーにその正体を『ルー』だと見破られた。
『ルー』はアリエルの前身、最初の人生。ザナドゥのアマルテアでベルフェゴールを育て、魔法を教えた先生であり、姉だった。
ルーは自らの師であり世界樹の精霊でもあるキュベレーを殺されたことでアルカディアの主神テルスを今でも憎んでいることを明かした。アリエルはテルスの情報を共有するため、アスティが残してくれた覇王樹の果実つまり、アマルテアから持ち出した世界樹の実をルーに渡すことで宿敵テルスの情報をアリエルと共有することとなった。
そしていまも世界樹の実はルーの手の中にある。
ルーはアリエルの口利きで、ノーデンリヒト魔導学院の図書館を自由に使っていいという約束を取り付けた。ルーが図書館で何を調べているのかというと……、エルダー大森林について、ありとあらゆる情報を得ようとしていたのだ。
エルダー大森林、大陸の西の端っこにある、とてもとても広い密林である。
およそこんな形をしているというのは王国の地図で分かっているが、それも正確ではないだろう。
最西端あたりは人類未踏とまで言われていて、その先は海が広がっていると言うが、実はシェダール王国も、領有するフェイスロンド領もそこまで支配力が及んでいるわけではない。
フェイスロンドの西部はただ地平線の果てまでだだっぴろい平原が続く、何もない土地であるし、開拓するならまずそこから手を付けるのが当たり前で、平地すら手付かずで残されているようなところを飛ばして、その向こう側の大森林を開拓するメリットはない。
ジェミナル河の南岸に広がる広大な三角州に密林が広がっていて、どこまでが河で、どこからが海なのかすらも分かっていない。
一般に手に入る精度の王国地図によると日本がまる二つすっぽり入るぐらいのスケール感で、あれほどだだっぴろいと感じたフェイスロンド領の数倍の広さを誇る。これはアリエルが生まれ育ったノーデンリヒトが北東に広がる人類未踏の山岳部分の地形がよく分かっておらず、先人が船で海岸線をぐるっと回ったのを地図に記載しているだけであることが伺える。
あてにならない地図ではあるが、人類が実際にその足で歩いて測量した部分だけでも、およそ日本でいう四国が複数入るぐらいの広さがある。
ルーはその大森林の規模を考えて、ひとつ大きな手ごたえを感じていた。
この世界、スヴェアベルムは覇王樹が生長するために必要な魔気の濃度が薄いが、その分、エルダー大森林ほど巨大な密林があるなら、覇王樹の生長に問題はなさそうこと。
そしてこの世界には覇王樹という種の植物は存在しないこと。
いくら巨木でも30メートルから50メートルぐらいしかない。この世界の植物はアマルテアほどの生存競争の結果、現在の地位を確立したわけではないことが分かる。
いまこの世界に覇王樹の実が根を下ろしたとしたら、それは特定外来種のようなものだ。
おそらくはこの世界に明確な覇王樹の天敵となりうる生物はヒト族ぐらいしかいない。
逆に養分になるものはふんだんにあり、しかも生存競争の相手が戦う力をほとんど持っていない。
覇王樹を持ち込んだことで将来的にスヴェアベルムの植物のうち、何パーセントかは絶滅するかもしれないが、それも生存競争だ。
もうひとつ、エルダーが最適だと考えた理由は覇王樹は広葉樹だから針葉樹よりもより近い種である広葉樹の方に支配する力が強いということだ。
ノーデンリヒトの森は大半が針葉樹だから、万が一にも生存競争に負けてしまうと、世界樹に育たないということも考えられる。広葉樹が支配しているエルダー大森林のほうが、覇王樹を育てるならば圧倒的に有利だ。
アリエルから預かった実は、アマルテアの世界樹が産み落とした最期の実だ。ザナドゥに戻る手段がない以上、世界樹の実を死なせてしまわないためにも、この世界に植えるしかない。
果たして異世界の地に根付いてくれるのか、心配ではあったが、逢坂美瑠香の心は最初から決まっていた。
まる4日の間、図書館で調べ物をした逢坂美瑠香は、ノーデンリヒト陣営についていまは平和に暮らしている教え子たち、韮崎、浅井を含めた4人のもとを訪れ「やらなければならないことがあるから、行くね」と別れを告げた。
その際、今は離れ離れになっているクラスメイトたちとは必ず合流できるようにするから約束した。
観空寺は、逢坂に対し、確たることは何もないのだが、決意めいたものを感じた。ただ、決意めいた……いや、何か言い知れぬ不安に似たようなものだった。イカロスが塩人形に替えられていたことについても空恐ろしいものを感じていた観空寺は、「かならずみんなと会えるからね」と言った逢坂の作り笑いに、なにかうすら寒いものを感じた。そう思わせるには十分なほど、隠し切れない狂気を含んでいた。
当の逢坂は休眠状態だった覇王樹の実に莫大な量のマナを送り込み、息を吹き返すことに成功していて、あとは手っ取り早く図書館で調べたエルダー大森林に植えるだけというところまできていた。アリエルたちが実の取り扱い方法を間違え、弱らせていたせいだ。
目覚めさせてしまった以上、すぐにでも土に植えてやらないと取り返しのつかないことにもなりかねない。
教え子たちと別れた逢坂は、すぐさまエルダーへ向かうため転移魔法陣に向かった。転移魔法陣はベルセリウス家と隣接するアリエルの工房広場にある。
ノーデンリヒトという辺境であっても魔法灯が柔らかな光を放っているので迷うこともない。アリエルの工房広場に差し掛かると転移魔法陣のあるポータル施設の前で衛兵が行く手を遮った。
「ストップ、いまは一時的にポータルを利用することが出来ません」
白い息を吐きながら衛兵が説明した。
「一時的とはどれぐらいですか? 魔法陣に何か不具合でも出たのですか?」
「いえ、警備上の理由です。なので数分から10分ぐらいで利用できるようになると思います、ここで待たれると移動をお願いすることになると思うので、どうかこちらでお待ちください」
逢坂はポータルを警備する衛兵がやたら低姿勢なことが気になった。
転移魔法陣を国の要所に設置するというのは、ある意味もろ刃の剣だ。特にここ、トライトニアは酷い。
なにしろ転移魔法陣と国家元首トリトン・ベルセリウスの屋敷が隣接しているのだ。さっき衛兵は警備上の理由だと言ってたが、こんな不用心な配置をしているのだ、警備上の問題がないわけがない。
たとえばノーデンリヒトに悪意を持った勇者クラスの力を持った人物が転移魔法陣に乗ってここに来たら、それだけで国家元首の命は容易に刈り取られてしまうだろう。
暢気なものだな……そんなことを、何となく考えていると転移魔法陣に動きがあった。誰かが転移してきたのだろう、数名の護衛と共にギラギラと目障りなほど極厚の耐魔法障壁が目の前に姿を現した。
この城壁のように強固な耐魔法障壁を見た瞬間、逢坂は戦慄を覚え、身構える。
耐魔導障壁といっしょに男が数人出てきたが、逢坂の姿をみてその場に立ち止まった。
後ろから子どものように小さな女が前に出てくると同時に、腰まである金髪ロングを柔らかく風に揺らしながら男たちを後ろに押し戻した。
逢坂と対峙するのはエリノメ・ベルセリウス。
ボトランジュ領主代理、シャルナク・ベルセリウスの護衛として夫に同行する。シャルナクは今夜もトリトンやトラサルディたちと夜遅くまで会議するため、セカから転移魔法陣を使ってノーデンリヒトにやってきたのだ。
逢坂は殺気を押し殺しながらも通路の真ん中に立ち、これほどまで分厚い障壁を張ったまま夜を歩く女に対し、一歩も引かず道を譲る気もさらさらないと言わんばかりに睨みつけた。
エリノメは目の前に立っている女を一目見ただけでタダ者ではないと判断し、シャルナクにひとこと、小さな声で「逃げて……」と言った。
シャルナクは混乱した。薄暗い路地に小さな影が見えた。
エリノメは「逃げて」と言った。だけど強力無比な障壁を使い、防御に極振りした戦闘力が帝国の勇者を軽く凌駕することはシャルナクもよく知っていて、油断からか少しだけ反応が遅れた。
「逃げてって言ってるの!! 早く!!」
エリノメの急告! 尋常ではない『なにか』が起こっていると直感したシャルナクが身構えたそのとき、エリノメは逢坂の姿を見失った。




