18-06 レダの憂鬱(5)サナトスの思い
ビルギットの告白はある意味衝撃的だった。
レダですら会ったことのない本家ベルセリウス家のアルビオレックスとその妻リシテアと話して、ここに来る前からサナトスを狙っていたということなのだから。
「最初から縁談を持ち出すつもりだったの?」
「はい、でも最終手段でした。強引にメリットだけを押し出して婚姻を迫ったため、結果的にサナトスさまのご気分を害してしまいました。本来ならまず和平の話をある程度進めてから相談するつもりでした」
「その順番に意味はあるの?」
レダは問うた。
「はい、和平の話が進んだところで縁談となると嬉しいことが重なって皆さんに祝っていただけると思ったのですが、私の力不足でした。精一杯のぞんだ和平の話し合いが不調に終わり、その結果、最後の最後で切り札的に縁談を持ち出したせいで打算的な面ばかりが際立ってしまい、政略結婚色ばかりが目立ったように感じます。これはビルギット一生の不覚でした」
「そっか。分かった……」
ビルギットに続きレダも席を立ち、重い椅子を戻した。
視線の先にはビルギット。
机を回り込み、ビルギットの前に立つとレダはゆっくりと語りかけた。
「あなたが敵である私たちと人生を共にするのには相当な苦難があると思います。祝福されるばかりではなく、軽蔑するひと、批判するひとも少なくないと思います。それはそれは大変な覚悟なのだろうと思います。でもそれは私たちも同じなのです、これまで虐げられてきたエルフ族の中にはヒト族に対する憎しみを糧に生きている人も少なからずいるのです。同じ国の中で、同国人が殺し合ってきた。プロテウスとボトランジュに別れて暮らしている兄弟家族も多くいるのに、お互い殺し合った。友人だと思っていた者から肉親を殺された人が多くいます。私だってそうです。ノーデンリヒトやボトランジュで、あなたは憎悪の対象になりますよ? また逆に王都では私はヒトではなくモノとして扱われ、差別の対象になります。あなたの歩もうとする道はイバラの道です。一歩足を踏み出すごとに痛みを伴うことになるでしょう。それでもあなたは私たちと共に、苦難の道をゆこうとするのですか?」
レダの問いはまだ13歳のビルギットに重大な決断を強いるものだった。
ビルギットは反射的な即答はせず、いまレダに言われたことを頭の中で考えた。
王都プロテウスとボトランジュが争うきっかけになったのは、アリエルと明確に敵対していた神聖典教会が教会派の議員を使ってボトランジュに対してネガティブなキャンペーンを繰り返したからというのは確かにあるが、プロテウスとボトランジュの関係は、やはりアリエルのダリル領主殺害というショッキングな事件があったせいで決定的に悪化してしまった。
ベルセリウスとは戦うべからずと警鐘を鳴らし、幾度となく元老院議会で証言した前王国騎士団長、ショーン・ガモフを弱腰だとして失脚させてからというもの、ブレーキを失ったプロテウスは明確に道を誤る。
当時の王国騎士団長、ショーン・ガモフが徹底的なリサーチの結果『ベルセリウスとは戦うべからず』と猛反発したのにもかかわらずだ。
ビルギットは当時の議事録を読み漁り、なぜいま王国がこんなにも衰退してしまったのか、なぜ今滅びに瀕しているのか、何がいけなかったのか、何を間違えたのか、その理由を徹底的に調べていた。
当時の王国騎士団長、ショーン・ガモフはベルセリウスとは戦うべからずと言って議会で証言した。
その主張はこうだ。
ボトランジュとノーデンリヒトがアリエル・ベルセリウスにつくのはほぼ間違いないこと。
アリエル・ベルセリウスがブルネットの魔女とわずか2名でダリルマンディを襲撃し、市街戦を繰り広げて領主を暗殺したと報告を受けているが、ダリル領主の死因は剣で斬られたことによる出血多量だった。無詠唱で爆破魔法を使う高位の魔導師なのに、状況証拠では剣をもって一対一で戦ったようにしか考えられなかった。お互い合意の決闘だったのではないか? これは明確な疑問点だった。
また、ボトランジュと武力紛争になった場合、多大な損害を受けることも試算して計上していた。
そしてその結果、国力の低下が避けられず、アシュガルド帝国の脅威に対して対抗することはできない……と。
ビルギットがこの世界に生まれる前、すでにガモフは今日の状況を予見していたということだ。
あの日、あの時、元老院議会が間違った選択をしなければ、少なくとも今のような八方塞がりといった最悪の状況にはなってなかったのかもしれない。
ビルギットは少し不安そうな瞳に眼力を込めなおして答えた。
「はいっ、間違いは正さねばなりません」
会議室に沈黙が流れる。
はた目からはお互いに手の届く距離で視線をそらさず、瞬きすらせず、睨み合ってるようにしか見えないのだが、誰も口を挟むことは許されない。レダがダメだと言ったらこの縁談は白紙撤回されてしまうから。
「覚悟できてるならいいでしょう。私もサナトスをずっと独り占めできるとは考えてなかったしね。ただし、ひとつだけ重大な条件があります」
「はっ、はい。条件が何であれ最大限に努力します」
「そんなにかしこまらなくていいよ。でもね、本当に大変なのはこれからです。サナトスは頑なに結婚はしないって言ってるから、私たちが何を言ってもたぶん無駄。下手に口を出すと逆効果になりかねないから、私は受け入れると言うに留める。あとはあなたがどうにかしてサナトスをその気にさせて首を縦に振らせること。もうひとつ、サナトスにくっついてる精霊アプサラスに気に入られること。アプサラスは嫉妬深いからね、私でもサナトスに触れた手をつねられることあるし、気難しいけど頑張って。私はあなたを認めています。そう……アスラもあなたならいいって言ってる」
レダの後ろからサラッと砂が落ちてアスラに姿を変えた。
アスラはレダの影に隠れながらビルギットの顔を窺っている。
ビルギットも絵本でしか見たことのない大精霊を初めて目の当たりにして、声が上ずってしまう。
「はいいいいっ! えっと、あの、よろしくおねがいします!!」
「いや、まだ決まってないよ。あのツノの生えた頑固者を口説き落とさないといけないし、アプサラスは基本的にヒト嫌いだから本当に注意してね」
「ありがとうございます、ありがとうございます」
何度もお辞儀をしながら感謝の言葉を繰り返すビルギットの姿に、多少困惑するレダ。
会議室に居た者はみんな立ち上がり、拍手でレダの決定を祝福した。無表情ながらエリノメも拍手しているところをみると、この縁談は本当に王国を救うものになるのかもしれないと、そう思った。
しかし当のビルギットはというと、ここまで張りつめていた糸がプツンと切れてしまったかのように、その場にへたり込んでしまった。
さすがに疲れたのだろう。今日はもう話は出来なさそうだ。
ビルギットは襲撃者があるかもしれないとのことなので、2階にはフェイクの警備厳重な部屋を空き部屋として用意しておきながら、裏をかいて1階の部屋を使うことになった。もちろん、ビルギットは最重要人物としてエリノメが警備を担当するので、警備については何の心配もないのだが……。
長引いた会議が終わったら、遅れてディナーの予定だったが、ビルギットは疲れているということで、食事は部屋に運ばれることになった。
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ビルギットが退室した後も、トリトンたち、グローリアスの面々、そしてアルトロンドの代弁者としてディル家の二人も協力し、和平案のひな型を作ることができた。長時間の会議でみんな疲れてはいたが、それでも一気に和平が現実味を帯びたことにより、疲れていることも忘れて、草案を完成させた。
レダはビルギットが退室したのを見送ったあと自分も二階の居室にもどった。
ドアを開けるとサナトスが暖炉に薪をくべているところだった。
サナトスはレダがビルギットと会ってどんな話をしてきたのか気になっているのだろう、顔は暖炉の方に向けたまま、横目でレダのご機嫌を窺うように見ている。レダの目にはそのぎこちない姿を見て、なんだか可笑しくなってしまい、いつの間にか笑いがこみあげてきた。
レダは微笑んだままにじり寄り、悪戯っぽく上目遣いでグイグイとサナトスに迫った。
「ねえ、どんな話をしてきたか、気になるでしょ?」
「いや全く。縁談は断るって言っただろ」
「そうなんだ。私は認めたよ」
「はあ? なんでだよ、俺は認めてないぞ? アスラも認めたのか?」
「アスラも認めたよ」
レダは情にほだされるかもしれないが、アスラに限っては絶対そんなことはないと思っていたサナトスにとって衝撃的だった。とにかく精霊というのは気難しい。契約したマスター本人であれば対等か、もしくは遜るような態度をとるが、基本的に人嫌いだし、他人からの干渉を一切受け入れない。
サナトスの背中からニョキニョキと生えるように現れた水色の髪、アプサラスが侮蔑を含んだ視線をレダに向けた。
「これは浮気ネ! 節操のなさはアホなアスラにお似合いなのサ」
すぐさまアスラが飛び出したがいつものように応戦することはなかった。
ただひとこと、
「アプも会ったら分かるわサ」
「ワタシのサナトスを誘惑しようとする敵の親玉なんかと会う訳ないわサ。レダも籠絡されたみたいだし、この尻軽女、ワタシのサナトスと別れてもいいのよ」
「籠絡なんてされてないよ。でもね、向こうが真剣なんだからサナも真剣に考えてあげて。その上で断るのならそれはサナの決断として私も支持するよ」
「政略結婚だぞ? あいつは奴隷を解放して魔族の人権を取り戻すって言ったさ。でもな、あいつ自身の人生はどうなるんだ? エルフのため、魔族のため、戦争を終わらせるためって言えば何でも美談にしたがる奴らは大勢いるけどな、だからと言って自分の人生をないがしろにするような奴のことは信用できない」
「そっか、やっぱサナトスはあの子の将来やこれから先の人生のことまで考えて断ったんだね」
「好きでもない相手と結婚なんて、相手を選べない奴隷と同じ境遇なんじゃね? 奴隷解放すると言いながら自分は奴隷と同じことしますなんてドっから見ても頭おかしいだろ。俺はイヤだね。政略結婚なんてクソだ、メリットとか利益とか、そんなのは商売とか政治の中でだけやってほしいぜ」
「ふうん、サナトスはあの子の決意を奴隷と同じだと感じたんだ……」
「俺は愛のない結婚はする気がないからな」
「あの子は王族なの。シェダール王国の王位継承権第一位の王女。自分が好きになった男の子と恋愛なんかできると思う? 言ってたわよ。中年で世間知らずの王侯貴族かまだ5歳のアムルタの王子のどちらかと縁談がきているらしいわ。国の利益のために政略結婚するのが当たり前なのかな。でもいまプロテウスは絶体絶命よね、帝国軍が攻め込んできたらその縁談も消えるかな、たぶんあの子は帝国の偉い人のものにされてしまうのでしょうね。ねえサナトス、私のような平民出のエルフには理解しづらいけど、王族って自由が無いよね。でもあの子、私に言ったよ。サナトスを選んだのは自分の意志だって」
サナトスは暖炉に薪をくべるままその姿勢でかたまり、レダの話に耳を奪われていた。
レダはそんなサナトスの後ろからそっと肩に手を置いた
「サナトスも気が付いてるでしょう? あの子は誠実だし、国と国民を深く愛してる。戦争を終わらせたいと考えてるのも同じだし、サナトスも真剣に考えてあげて。私からはそれだけだよ」
サナトスはレダの方を振り向くことなく小さく頷いた。
それからレダはベッドで子どもたちに挟まれたまま寝てしまい、サナトスはというとソファーでひとり難しい顔をしながら一人で考え事をするのであった。




