18-05 レダの憂鬱(4)女神の存在
「おお、そう言っていただけると話が早いのだが……、地位の問題はボトランジュ代表代理の私ではタッチすることが出来ない、これはむしろ当事国の現国家元首であるトリトンが口をはさむべきだと考えている」
トリトンは腕組みをしながら深く考え込んでいた。
「うーん、こっちに振るか? 確かにそうだな、ノーデンリヒトはかつてシェダール王国の属領だったし、私自身ヴァレンティン国王に忠誠を誓った王国騎士団員だったことも確かだ。当時のショーン・ガモフ騎士団長には何発殴られたか覚えてないぐらい世話になったさ。その流れで王国元老院の議員たちにとってノーデンリヒトは未だ王国領だし、私などとっくに騎士の称号を剥奪されて教会からはアリエルに次ぐ世界第2位の賞金首になってしまった。確かに今こうやって王女殿下が外交官の権限でサナトスとの縁談をもってきてくれたのは本当に喜ばしいことだと思っているが……いや待てよ、外交官の権限?」
トリトンは思い出したように国王からの親書を再び手に取り、文章を追う。
文字を指でなぞりながら……文字を探すと、確かに外交間の権限を与えると確かに書かれてあった。
だいたい外交官が持ってくる国王の親書というのは、外交官がどんな話をするため派遣されるのかという目的が書かれているのだが、そういう目的のような事には一切触れられていない。
さっきアリエルが言ったことを思い出した。
王都プロテウスは帝国軍の動きを探っていて近々侵攻があることを知っているからこそ王女殿下をノーデンリヒトに逃がした……という話だ。
たとえ帝国軍の動きを知っていたとしても、逃がすなら王妃の実家のある南のアムルタに逃がすのがセオリーだと思ったからこそ『それはないだろうな』と考えたのだが、荒唐無稽ではあるがここにきて少しずつ現実味を帯びてきた
王国騎士団にいてノーデンリヒト領主を拝命し、ノーデンリヒト行きの馬車に乗り込む際ビアンカの手を引いてドアを開けたとき、見送りに来てくれたガモフ騎士団長に託された封書について思い出していた。
そうだ、あの日ガモフ騎士団長はノーデンリヒトに向かうトリトンに、わざわざ封蝋のされた書簡で、正式にノーデンリヒト守備隊長に命じると書かれた任命状を手渡されたのだった。
それは通常のパピルスではなく羊皮紙に直筆であり、まだ若かった頃の現国王の玉璽が押された正式な辞令でもあった。当時のトリトンはまだ19歳という若さでありながら、北の果てとは言え領地を治める辺境伯の地位と領主の肩書き。そしておよそ1000年続いたドーラとの紛争から領地を守るため北の砦を与ることになったため、トリトンは領主兼守備隊長という非常に重い責務を押し付けられたのだった。
そんなこと、いまはどうだっていい。
ショーン・ガモフから預かった書簡は封書の内面に薄いインクで文書が秘匿されていたのだ。
そこには『結婚おめでとう。大出世したなこの野郎、お前は俺の自慢だ』など、びっしりと祝いの言葉が綴られていたのだ。
ショーン・ガモフからの親書にはビルギットに手を出したり傷つけられるようなことは絶対にないよう完璧に護衛しろとのお達しで、ビルギットに指一本でも触れたら血の果てまで逃げても必ず探し出して殺してやると書かれていた。どこが親書だ!と思ったのも無理はない。
でだ。
トリトンはガモフ元騎士団長からの封書を指で開いて覗き込む。
突然封筒などにまで細心の注意を払うトリトンを訝ってシャルナクが怪訝そうな視線を送った。
「ガモフのオッサン、まーたこんなトコに隠してやがった!」
この封筒、二枚重ねになってることに気付いた。
ってことは封筒を一枚紙に開いて戻せば……。
トリトンは慣れた手つきでペーパーナイフを封筒の隙間に差し込み、重なった部分を開いた。
---- ガモフの書簡 ----
ノーデンリヒト国家元首 トリトン・ベルセリウスどの。
王都プロテウスだが、どんどん状況が悪くなっていて、国王の地盤も揺らぎはじめた。
ノーデンリヒトと休戦中の帝国軍の動きがどんどん活発になってきているし、近く何か動きがあるだろう。
アシュガルド帝国の動きが活発化している。皇帝直下の帝国第一軍が招集されたという噂がある。
ノーデンリヒトかあるいはセカに向けられると考えられる、あるいはプロテウスか。ノーデンリヒトが手薄になっていることは分かっている、休戦中だからといって油断することなきよう。
あってはならないことだが、万が一に備えて ビルギット・レミアルド王女殿下の護衛をお願いしたい。
ビルギット・レミアルドさまは特級外交官としての身分を与えられている。最恵国待遇で扱っていただきたい。暗殺者が送り込まれているかもしれない。人質というのはよくよく考えてみたら願ったり叶ったりであった。なんとかよろしく頼む。
時間がなく人目もあるので手短ではあるが、上記の件、心よりお願いする。
お前に借りを作るのは厄介だが、またいつか、どこかの安酒場で酒でもおごってやるから、今回の件、よろしくお願いする。
ショーン・ガモフ
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ガモフの封書の袋とじ付録のような書簡を読んだトリトンはこの短い文章の中からビルギットの『特級外交官』という文言に注目した。
トリトンはひとつ理解した。
先ほどビルギットが手札はもうないと言ったが、その実 まだ隠している最強のカードがあることを。
「なるほど、ではこれから話す内容は、レミアルドさまより出された条件、魔族排斥法案の即時廃止、王都プロテウスにおけるエルフ族の人権復活、奴隷精度の廃止及び即時解放を前提に和平の話を進めるとして、いまこちらにサナトス本人はいませんが今ここにはレダがいます。レミアルドさまはレダと婚姻後の地位について話し合う必要があります。これについて異論はありませんか?」
「はい、話し合いが大きく前進したように感じます。レダさま、よろしくお願いします」
ビルギットの言葉を受け、レダは隣に座っているトリトンに目配せを送った。
トリトンがコクリと一度小さく頷いたのを見たレダも回りくどい事や駆け引きのようなものはハッキリ苦手なので、女は度胸! と、直球で勝負することにした。
「えっと、私が気になっているのは、サナトスとビルギットさんの婚姻が決まったとして、私や子どもたちの立場がどう変化するかということです。これがまず一つ目……なんだけど」
ビルギットはちょっと意味が分からないといった表情で聞き直した。
「申し訳ございません、それは私が決められることではなく、レダさまが私に対して突き付ける条件なので……どうお答えしたらいいか……」
「ええっ? なんで? あなた王女でしょ? わたし平民のエルフなんだよ? 側室に入ると私の下なんだよ? 分かって言ってんの?」
「私が序列を入れ替えてレダ様の上に座るようなことがあっては、ドーラの民、とりわけエルフたちから強い反発が予想されます、そんなことをしたのではまた新たな火種ができてしまい、私の求める和平とは違ったものになります」
「でもそれじゃあプロテウスの人たちの感情が許さないのでは?」
「サナトスさまは半分ヒト族、半分魔人族、レダさまはエルフ族で、私はヒト族です。つまりヒト族の割合が1.5、エルフ族1、魔人族は0.5になりますから、これで押し通します」
---- えっ ???
レダはぴたりと動きを止めた。まるで石化にでもかかってしまったかのように。
本気なのか?
そんな単純な足し算で誤魔化すことが出来るのだろうか?
いや、考えれば考えるほどに混乱してしまって、頭の中ではもしかすると正しいんじゃないかって割合が
どんどん増えてくる。このビルギットという王女、サオなみに強引でありながら話術ではトラサルディの上をいくんじゃないか? とも考えられた。
「ほ、本当にそれでプロテウスの人たちは納得するのですか?」
レダが核心に迫るとビルギットは「はい」と即答で頷いた。
納得するという根拠を示さず、ただ頷くだけではレダも納得しないし、そのレダが納得できないのに、プロテウス民や王国元老院の議員たちがはいそうですかと納得できるわけがない。
いまさっき見たばかりの報告書で、王国元老院議会でトリスタン派の議員にやり込められたことを知っているシャルナクは訝る。
「その根拠をお示しくださいませんか」
その問いに被せるようにトリトンがガモフの紹介状の、いましがた開いたばかりの封筒のほうを掲げた。
「レミアルドさまは人質という名目でノーデンリヒトに送り出されているが、その実、特級外交官として密命を受けておられる。つまり……」
「レミアルドさまの決定は国王の決定か!」
「はい。国王は和平においてのみ決定権を私に譲渡くださいました。私は王位継承権第一位なので、将来は私が女王としてシェダール王国を治めることになります。おっしゃる通り、国王は帝国軍が侵攻準備をしているのを知った上で、私をノーデンリヒトに送り出したのだと思います。なので、逃がされたというのは違います。国王は私に、自分の国は自分で守れと言ったのだと、そう考えています」
シャルナクは唸った。
ビルギットの考えでは王位をサナトスに譲るわけではなくビルギット本人が戴冠し女王になる。
サナトスと結婚することで国家は家庭のように成立するということ。ひとつの国内で二つの国がある連邦制か、それと類似する国家形態をとろうということだ。困難だが王都プロテウスに暮らすヒト族の心情を考えると、一気に合併してしまうより、ひとまず連邦制を敷いた方がベターなのかもしれない。
本当にこの子は13歳か……と、空恐ろしいものを感じ、しばらく誰も言葉を発することが出来なかった。
沈黙を破ったのはプロテウス市でセンジュ商会を営むグローリアス幹部、トラサルディ・センジュだった。
トラサルディは小さく手を挙げ、疑問に思っている点を述べた。
「元老院議会には議会を通さずに承認された国王の決定を取り消す権限があったはずだが? 対策しておられるのですかね」
ビルギットは凛と背筋を伸ばし厳かに答える。
「元老院議会の決定を国王が承認拒否することができるのと同様に、元老院議会には議会を通さない国王の決定を否認する決議を出すことが出来ますが、現実にはそんなことできません。元々からして使われることを想定していないのです……。というのも、国王が議会を通さず、単独で決定権を行使することができるのは国家の緊急時、何よりもスピードが求められる判断に特化した制度だからです。今回のような国家存亡の危機ともなると国王は議会を通さず、いくつかの強権を振るうことになるでしょう。もちろん国王といえども平時には議会を通さず重大な法案に決定を下すようなことをしません。国王が議会を通さずに国家の重要な決定を下す、それは国王も相当の覚悟なしにはできません。そんな決定に対し意義を申し立てた議員は明確に国王と敵対関係になります。元老院議員のほうも当然ですが家族もありますし今の地位を追われるようなことはしたくないでしょう」
この発言には会議室が凍り付いた。
王国最高峰の元老院議会で政敵と渡り合ってきた13歳の王女が、歴戦の風格を垣間見せたからだ。
王女として生まれ、普通なら蝶よ花よと甘やかされて育ち、苦労なんてしようがないはずなのに、二人の兄王子が次々と暗殺され、悲しみに暮れる時間すら与えられず8歳の時には王位継承権序列第一位となり、望まずとも次期女王となる運命を踏み出した。
10歳で元老院株を譲り受け、元老院議員となり政治の世界で戦ってきたのだ。
「トーマス・トリスタン議員ならやりかねないと思うのだがね?」
「トーマス・トリスタン議員の主な後ろ盾は教会派議員たちです。私がサナトスさまに嫁ぐということは"あの" ジュノーの家族になるということです、すぐさま教会派が表立って私の敵に回るとは考えにくいです。もちろん裏で根回ししておいたほうが良いと思いますので、その件グローリアスにお願いできないでしょうか」
「教会は女神ジュノーを偽物として発表するでしょう、そううまくいくとは思えないのだが……」
「実は私も半信半疑だったのですけれど、今日の真昼間にガルエイアの神殿騎士たちを黙らせたのはジュノーでした。目撃者はここにもいらっしゃいます」
そういってビルギットはアルトロンド評議会議員、カストル・ディルとグローリアスのヴィルヘルム・ダイネーゼの席を示した。
眉をしかめるトラサルディにダイネーゼは頷いてみせた。
「神聖ドレイク教会の大聖堂にある壁画そのものだったよ。ジュノーが空から降りてこられるとき温かな光を放っていた。いきなり光ったと思えば頭上に光輪が発現していて驚いたよ、伝承の通りだった。重症者が多くいたんだが広がる光輪に触れたものたちはみんな傷が完治していたし、ジュノーの下りた足もと、石畳の隙間から草花が次々と湧き出すように葉を茂らせ、すぐさま花を咲かせたんだ、一歩、また一歩とジュノーが石畳を踏むたび、ガルエイアの殺風景な石畳は春の草原のように花がいっぱいになった。神殿騎士たちは茫然としていたさ。そしてジュノーは私たちを包囲していた神殿騎士たちを叱り飛ばして道を開けさせ、怯えていた私の娘の手を引いて西門から出たんだ。娘も興奮してたが神殿騎士たちはもっとだ。神殿騎士の隊長なんて跪いて涙を流してたぜ。圧巻だったよ、信じるとか信じないとか、そんな低レベルな話をしてるんじゃない。少なくとも降臨されたジュノーが偽物だなんて言ったら暴動が起きるんじゃあないかな」
ダイネーゼが太鼓判を押した。ジュノーが見せた奇跡の噂はすでにガルエイアに広がっていて、数日の間にアルトロンド全土へと広がるだろう。この国では女神教徒じゃなくてもジュノーに祈りを捧げるひとが多い。教会もみすみす事を荒立てるようなことはしないということだ。
そこまで言われるとトラサルディは食い気味に前のめりだった姿勢を崩し、背もたれに深くうなだれた。
グローリアスに出来ることは影響力のある元老院議員に対し根回しをするぐらいのことだ。
つまるところ、結論を言うとビルギットはサナトスと結婚するのに、誰の許可もいらないということだ。
だがしかし、これまでの話を聞いていたレダは少しずつ苛立ちを積み重ねていた。
「なるほど、分かりました。王族として立派だと思います。尊敬してしまいます。でも本当にそれでいいの? 初対面の良く知らない男性と結婚するのですよ? 本当に後悔しませんか?」
ここからレダとの会話は核心部分へとつながる。
ビルギットは立ち上がり、椅子を戻してから目礼し、表情を和らげる。
さっきまでの強い眼力のこもった政治家としてのビルギットではなく、さっきレダが感じたままの、魅力たっぷりの少女が作り出す、花のような優しい微笑がそこにあった。
「はい、王国諜報部から報告を受ける形ですが、すでに下調べも済ませております」
「下調べ? 結婚の話を前から考えてたの? いまここで追い詰められて自棄になって口からでたんじゃなく?」
「とんでもありません。正確にはボトランジュ領主アルビオレックスと、その奥方さま リシテアに相談し、お二人から助言をいただいてました。実際にサナトスさまと会って、この人となら……と決断したのは間違いなく私本人です。誰かに命じられたとか、王国を助けるために自分の意思に反して望まぬ結婚をするようなものではありません」
これには現ボトランジュ領主代理なんてことを押し付けられてるシャルナクも驚きを隠せず、トリトンは思わず「あんのクソ親父が……」などと声に出ていた。
レダも政略結婚と聞かされていたので、まさかそう来るとは思ってなくて「はいい?」などと素っ頓狂な声を出してしまった。
ビルギットは更に続ける。
「私も13になってから縁談がありました。一件は父王のイトコの長男で元老院議員を務める38歳の王侯貴族。興味が無いので良く知らないですが、元老院議員としては世間知らずのつまらない男です。もう一件はアムルタ王国の王族なので、こちらも親戚関係になるのですが、まだ5歳になったばかりで……。そのどちらかと結婚することになりそうだと聞かされたとき、私は絶望して涙にくれました。そしてあろうことかリシテアに愚痴をこぼしてしまったんです『ノーデンリヒトに家出したら受け入れてくれますか?』って。そしたらアルビオレックスがサナトスさまを自慢しはじめて、孫の嫁においでって言ってくれたんです。よくよく話を聞いたら顔も見たことがないと言ってましたが、自分に似て絶対に男前だからと、それだけは保証してくれました」
「「「「「 はああ? 」」」」」
いやもうその場にいた者たちみんなの開いた口が塞がらない。
その物言いにレダは少しビルギットのことが心配になった。
いくらしっかりしているように見えてもまだ13歳なのだ。
「えっと、男前って……」
「はい、ボトランジュでは外見も性格も男気も、何もかもいい男のことを男前というそうです」
「あなたサナトスの外見しか知らないでしょう? 性格なんて絶対に分かりようがないと思うのだけど」
「はい、性格なんていくらでも偽ることが出来ますから、無視はできませんが二の次ぐらいです。私はこれまでのサナトスさまとレダさま、おふた方の行動とその結果から判断しました。実際に何をしたか、どう戦ったのか、ノーデンリヒト人は二人のことをどう見ているのか、ドーラの人たちはどう思っているのか、ボトランジュ人たちがどう考えているか。良い話も悪い噂も、調べられることは全て調べてリサーチしました。ありとあらゆる手段を使って調べ上げましたよ」
ありとあらゆる手段……というところで、ビルギットの視線が一瞬だけノーマ・ジーンへと流れた。
なるほど、グローリアスからも情報を得ていたということだ。
トラサルディも一瞬の視線の動きだけでグローリアスからの情報漏洩があったのだと理解した。。
グローリアスも一枚岩ではなかったということだ。そしてビルギットがまだ13歳だからと甘く見ていたことを痛感させられた。ビルギットは海千山千の元老院議会で揉まれ、まだ13歳だというのにトラサルディを出し抜くほどのしたたかさを持っていた。
それもそのはず、ジュリエッタと密約して王国軍の備蓄する食料を裏取引でノーデンリヒトに横流ししたのもビルギットだということをもっと早くに自覚しておくべきだったのだ。
もっともアリエルたちの進攻速度が速すぎて、大量流入する難民のために食料を用意できるかどうか? という点では重大な計算違いが生じているのだが……。
シャルナクもトリトンも、この降って沸いたような好条件の和平案の裏に、人質の身でありながらボトランジュとノーデンリヒトの為に暗躍するアルビオレックスの姿、とくにドヤ顔で高笑いしている姿を幻視するほど得意になっているのが見て取れた。
シャルナクは腕組みをしてつぶやく。
「大人しく人質になっていればいいものを、手足を縛られて身動きが取れなくてもまだ大きなことを成し遂げようとするのは親父の悪い癖だ」
トリトンもそれに「まったく、早く引退してほしいぜ」と応えたが……、二人はボトランジュ領主であり、ベルセリウス家と領民たちを率いてきた偉大な父、アルビオレックスの往生際の悪さに笑いがこみあげてきたのだった。




