18-04 レダの憂鬱(3)輝き
ノックしたあと「レダです」と名乗ると、数センチだけ扉が開き、内側から覗く青い瞳と目が合った。
レダの目線より低い。目を疑った。いまさっき一緒に階段を下りてきて、この扉をノックするとき消音の障壁を解除してもらったばかりのエリノメが室内にいたのだ。
「えっ?」
いまエリノメは廊下を歩いて奥の居室に向かったはずなのに、ノックしたレダよりも先に会議室に居た。
薄暗い廊下の奥の方を見たけれど、当然だけどそこにエリノメの姿はなく、いま会議室内からドアを開けていることに驚きの声を上げた。
さっき上の部屋にダミーの部屋を用意していたこともそうだが、これほど警戒レベルを引き上げた警備が必要なのかと思い、逆にキモが座った気分になった。
エリノメがレダの来訪を告げると、扉は開かれた。
レダが室内に入ると髪を整える素振りをみせながら慌てて席を立つ少女の姿が目に入った。
ベルセリウス家も金髪碧眼だが、少女の髪はよりシルバーに近いプラチナブロンドで、瞳も薄いブルー。
手間をかけた編み上げの髪と、細い首、小さな顔……。
俗世に疎いレダにも、このコがサナトスに求婚した王女だということは一目見ただけで理解した。
同時に、ああ、このコかと妙に納得した。
レダはシェダール王国の王女がどんな顔をしているのか興味があった。
シェダール王国はマローニに暮らすレダたちを戦火の渦に巻き込んだ敵だし、その敵のトップがどんな顔をしているのか見てみたかったというのは確かにあった。それはサナトスも同じだろう。
断れない縁談である可能性が高いからこそ、ブスだったらサナトスが気の毒だな、ぐらいに考えていたのだが、一目見ただけでレダは少女の本質を理解した。
それは少女の女性としての魅力を形容するため、外見的な美しさ、可愛らしさも然ることながら、それよりも敢えて言うなら人が身に着けている気品というかプライドではない気高さのようなもの。加えて魔力を伴わないオーラのようなものが一般人とはかけ離れていて、レダはこの時、初対面のビルギットに圧倒されてしまった。
少女の出で立ち、凛とした立ち振る舞いが完璧だった。
同じ会議室内にいるトリトンも、シャルナクも気付いていない。
この絶望感が男に理解できるわけもない。
サナトスが次期魔王に指名されることはすでに決定されている。そのときノーデンリヒトも併合することも決まっている。レダには不安があった。国王に並び立つ王妃としての風格そのものが自分には欠落していることを知っていた。そりゃあアスラを従える精霊王であることも手伝って、精霊信仰のある同族からの支持は大きい。だけど、それはレダ本人の魅力ではなく、あくまで精霊アスラと契約したからに他ならない。
国王に並び立つ王妃としてはかなり見劣りするのだ。
そして思い知る。
まるで太陽のように熱量を放つ魂の輝きがそこにあった。レダには喉から手が出るほど欲しくて欲しくて、望んでも手に入らないものを、少女はすでに持っていた。
サナトスが苦虫を噛み潰したような顔で、ずっと不機嫌に背を向けていた理由も分かったし、戦争を終わらせるため、もう一人でも犠牲を出さないように考えると断る理由のない縁談を断ると言った、その理由も分かった。正室であるレダよりもはるかに格上の女が側室に入ろうというのだ。
サナトスが反射的にこの縁談を断ったのもきっと自分を守ろうとしてくれているのだと、そう理解した。
なにしろ女であり、敵であるレダですら彼女に初めて会い、挨拶を交わした、ただそれだけ。だがその瞬間に理由もなく幸せな気持ちになってしまった。
同時に、レダの頭の中は敗北感に支配された。たったいまエリノメに対して力の差を見せつけられ、今はこの王女に女としての魅力で打ちのめされたところだ。本来なら立ち直れないほどの精神的ダメージを負ったのかもしれないが、実はそうでもない。
なぜなら一目見ただけ、たったそれだけで目の前のこの可憐な少女に好感を持ってしまったから。
きっとサナトスも同じように感じただろう、いいえ、サナトスは男だ。レダのように最初から敵視するようなことはない。サナトスがこの少女の魅力に気付かないワケがない。
もし本当に気付いてないのだとしたら、サナトスは女を見る目がない男ってことになる。そんな男に見初められたレダとしては、気付いていると信じたい。癪に障るけども。
そりゃあ自分のオトコに横からコナかけて側室に入ろうなんて女は敵視して当たり前なのだが、レダの立場でもこのコを悪くは思えなかった。
そんな少女がレダと目が合うと、少女はゆっくりと視線を下げて、完璧なお辞儀をしてみせた。
「ビルギット・レミアルド・レーヴェンアドレールです、よろしくお願いします」
……。
……。
呆然としてどう答えたらいいのか分からないレダに、トリトンが答えを促す。
「レダ? 返事を」
ハッとして姿勢を正す。
「あ、はい。レダです。見ての通りエルフなので姓を名乗る風習はありませんが、戸籍ではレダ・ベルセリウスとなっています、ああ、関係ないこと言っちゃった。どうしよ、私ったら何を言ってるんだろ……」
焦ってしまって言葉に窮したレダだったが、サナトスの妻であるということは伝わった。
ビルギットはお辞儀を解いて凛とした立ち姿を崩すことはなかった。
えっと、何を話せば……いいのか……などと悩んでいても、ビルギットは姿勢を崩さず、じっと立ったままレダを見ている。何故この状況で固まってしまっているのか、そもそもヒト族女性との重婚姻の話し合いで何をどう話せばいいのかすら分からない。
「えっと、あの。ビルギットさんよろしく。とりあえず座ろ。実は私もサナトスに聞いたばかりで混乱しています、何を話したらいいのか分かんなくて、それでも顔だけは見てやろうと思って大切な会議の御邪魔をしてしまいました」
ビルギットはさっきまで座っていた椅子に戻り、言われた通りに腰かけた。
会議していた男たちもみんな一言も漏らさず事の成り行きを見守っている。
二人っきりのほうが話しやすいとは思うのだけど、そういう訳にもいかなさそうだ。
今日の緊急招集会議は当初、ダリルの件をメインの議題になると予定されていたのだが、ビルギットが外交官として和平の話し合いをしていると聞いた。サナトスやアリエルが退室したあと2時間近くたつのにまだ話し合いが続いているということは、この縁談を進めることが前提なのだろうか。
ここでシャルナクが口を開いた。
「レダさん、私たちがいまここで話し合っているのは、あくまで和平の可能性についてなんだ。どれぐらいのスピードで和平が成立するかということも含めてね。もちろんサナトスくんやレダさんにとって大切なことだから、私たちだけで決めるつもりはない。決断はレダさんとサナトスくんがすべきことなんだが、その前にちょっと説明させてくれないか」
「はい、お伺いします」
「レダさんがここに顔を出したという事は、サナトスくんからおおよその事情を聞いたと理解するが、それは正しいかね?」
「はい、婚姻を求められたと」
そういってレダはビルギットにチラと視線を送った。瞬間、ビルギットはレダと目が合うことを嫌い視線を落とす。
シャルナクは二人の視線のやり取りをみて、話してもよさそうだと判断し、続けた。
「まず結論から話すことを許してほしい。ボトランジュは王都プロテウスとの和平を前向きに検討している。次にその理由だが……」
そういうとシャルナクはこれまでのボトランジュ、ノーデンリヒトが戦渦に巻き込まれていった過程と、どんどん追い込まれてしまったことにまで言及した。
16年間行方不明だったアリエルたちが戻り、ノーデンリヒト砦前での帝国軍撃破、マローニ解放、セカ解放までをたった1日で終わらせたという電撃戦だった。
ノーデンリヒトはドーラ魔族の力を借りて、セカから王都プロテウスを中心に時計回りに侵攻し、フェイスロンドを解放後に奪い、そしてダリル領主まで打倒し、その領土を占領してしまった。
ボトランジュで反攻しセカを取り戻してからまずそこで反撃をするための土台作りをすべきだったのかもしれない。とにかく勢力の拡大が急すぎて、新たに占領した支配地を統治する兵士がまるで足りないのだ。
ダリル領軍が壊滅したことによりダリル衛兵隊も自動的に解散。このままでは治安維持もままならない状況であること、そして無尽蔵に伸びる国境線、領境線に配置する人員が圧倒的に不足している状況なのだという。
ボトランジュにはセカの経済圏が残されているが、帝国軍とアルトロンド軍、王国軍が三つ巴の分割統治で治安が悪化、特に帝国軍とアルトロンド軍による略奪に遭い、復興する予算もアリエルが拠出したドラゴンを王都のハイソサエティオークションで売ってその一部を補填した程度だ。
その資金もいまは10万もの兵士たちを食わせるための兵站にどんどん吸い上げられていて、ヘタに復興予算に回してしまうと軍の金庫と食糧庫が空になる。
もともと過疎地であり1年のうち数か月は確実に雪と氷に閉ざされる経済力の低いノーデンリヒトやドーラの兵士たちが集結したとしても現状アリエルたちが先行して最前線にいる敵を殲滅してくれているからこそ、兵士は直接戦闘を避けることができている。おかげさまで奇跡的に低い損耗率で戦えているが、いかんせんこの侵攻スピードは想定外だった。
正直、アリエルが戻っていない半年以前の状況が現在も続いているのならば、王都プロテウスに帝国軍が攻め込んでくれたほうが有難かったが、いまの状況下でアルトロンドとプロテウスが帝国の手に落ちると、プロテウス市と繋がる形で隣接するセカの防衛が非常に難しくなる。ほぼ無血で勝ち取ったダリルもフェイスロンドも支配力を浸透させる前に帝国軍の相手をしなければいけなくなり、結局撤退することになってしまっては元も子もない。
実際問題として、帝国軍の狙いはアルトロンドを素通りしてのプロテウス侵攻だけに留まらない。
ノーデンリヒト軍として参加しているヒト族の兵士の大半はボトランジュの義勇兵だ。かき集めるだけかき集めても圧倒的に頭数が足りない。
王都が陥落すると、プロテウス側の防御の薄いセカも一気に奪い取られるだろう、ダリルとフェイスロンドに分散しているノーデンリヒト軍は王との陥落により南北に分断されることが最悪だ。セカを経由してフェイスロンド方面に兵站を確保していたノーデンリヒト軍は補給線も維持できなくなりダリル方面でも苦戦を強いられることになる。
結局のところ戦争は数なのだ。
休戦協定など相手が滅亡してしまえば紙切れ同然。何の役にも立たないではないか。
シャルナクは言い切る。
帝国軍が予定通り王都プロテウスに侵攻してしまえば、次は一気にセカを落としに来るのは確実。いまアシュガルド帝国が圧倒的に有利な状況にあることは間違いないと。
王都プロテウスがアシュガルド帝国の手に落ちることは、なんとしても防がねばならない。
今は国内で内戦を続けるような余裕など1ミリもないというのが現状なのだ。
シャルナクはレダの心の内を見透かしたようなことをしゃあしゃあと言って弁明した。
まずサナトスが決めたことをレダが許可するかということが重要であるべきなのに、そこをスッ飛ばして和平の先まで話が進んでいることにはさすがに辟易したが……、これは政治家として正しい判断なのだろう。
そしてビルギット王女がサナトスとの婚姻を申し込んだのも政治的な判断なのだろう。
レダもあまり頭を使うのが得意な方ではない。だがしかし正直なところレダも我が身に降りかかることながら、サナトスから話を聞いたとき、表情には出さなかったが内心では『その手があったか!』と膝を打ったのも確かだ。それが他人事じゃないので次の瞬間には青ざめる羽目になるのだが。
現実的に和平の話が持ち上がるのはおおよそ戦争の勝敗が決まった時じゃないかと思っていた。そんなの何年先になることやらと精神的に疲れてもいた。
敵の数に押されてしまって、一時は寒さの厳しいドーラ大陸に非戦闘員を逃すという選択肢も話し合われたほど兵士の数も減り、敗戦色濃厚だったのだが……アリエルが戻って反転攻勢をかけて以来ずっと快進撃が続いているのだけど、勝つと領土が広がり、補給線を維持するだけでも兵士が多く必要なのだと。
そういえばレダもサナトスも防衛戦しか経験がない。
攻めるほうの戦争をしたことがないのだ。勝てば勝つほど占領地が増えて、補給線を維持することが難しくなるということを頭でイメージすることができなかったのだが……。
こんこんと説明するシャルナクの意図はレダにも理解できた。
サナトスとビルギットの婚姻、これはノーデンリヒトと王都プロテウスだけじゃなく、ボトランジュもドーラの魔族たちにもメリットしかない。ウィン・ウィンの関係になるだろう。
この降って沸いたような婚姻の話を少しでも前に進めたいという気持ちは理解できる。戦渦に疲弊したボトランジュ、ノーデンリヒトの民にとってそれは憎しみの終わりを意味し、もう同族同士で殺し合うなんてことしなくてよくなるのだ。
はあ。
レダは小さく息を吐いた。
シャルナクはレダを説得するため、この縁談を相手側から提案してくれたことがどれほど素晴らしい結果になるのか、半ば興奮気味になっていたが、正直なところレダにはそんなことどうでもよかった。
というのも、サナトスが次期魔王に選ばれてからというもの、これまでもドーラのノーデンリヒト大使でありサオの母親でもあるアンテを通してドーラの豪族たちからうちの娘をサナトスの側室に……という話は何度もあった。
だけどその手の話はサナトス本人が直接固辞していて、見合いにまで漕ぎ着けたこともなかったので安心してはいたのだが。
そもそもエルフは種族的に女が多い。比率は男子1に対して女子8と言われている。レダの生まれたエドの村でも、移住先のフェアルでも正確な数は分からないが圧倒的に女の方が多かったという記憶がある。
自分の父親が側室をもうけなかったのは単純に経済力不足だったのと、1番最初の妻 ドロシーが奴隷狩りに攫われてしまって、側室を入れる許可が出来なかったからだというのもなんとなく分かっていた。
エルフの村のお金持ちの家には4人、5人と奥さんいるのは普通だったし、通い妻や外妻と言われる、夫をもたぬ女が多く存在していることも良く知っている。悲しいかなエルフ族には圧倒的女余りの状況でも子孫を増やすため、独特の女社会があった。
要するにレダとしてはサナトスが次期魔王に選出された時点で2番目、3番目と、複数の女が家に入ることも当然覚悟の上だったのだ。なのでシャルナクがいかにサナトスの縁談に甘い言葉で唆しにきたとしてもレダの心はたいして動くこともない。
何しろレダには、とっくの昔から覚悟が出来ていたのだ。
その側室希望の縁談相手がこれまでのようにドーラの豪族の娘だったりしたのなら、単にレダが2番目の奥さんと仲良く暮らせればいいだけの話。
理屈は簡単、サナトスは現魔王フランシスコの妹ロザリンドの子なので、いかにドーラの豪族であってもサナトスのほうが格上ということになるし、そもそもからして次世代の魔王を引き継ぐ紅眼はサナトスしかいない。サナトスがヒト族との混血であってもルビスである事実は覆えることはない。しかるにレダが平民の、ただの森エルフの出身であっても、サナトスと結婚した時点で立場はレダのほうが絶対的に上ということになるのだから。
それほどまでに一夫多妻の女の序列は家庭内の権力と共に序列として強力に作用する。あのジュノーやロザリンドですらアリエルの隣に並び立つだけでも立ち位置と順番があり、序列の指示に従っているのだし。
だがその法則をそのままスライドして今回の縁談に当てはめると、話はややこしくなる。
お相手は元ノーデンリヒトの宗主国、シェダール王国の王女さまということになり、ボトランジュを含めたシェダール人にとって、サナトスよりも王女のほうが格上なのだ。
宗主国の姫と結婚するのに、側室に入れ?
いやいやいや、無理っしょ。
そんなん無理。絶対無理。
そんな王都プロテウスを見下したようなことがおいそれと許される訳がない。しかもだ、正室が育ちの悪い森エルフであればなおのこと。レダは食事の時のテーブルマナーすらできないのだから。
「詳しい説明をしていただき、ありがとうございます。この縁談を断る理由がないことも分かりました。でも国王さまはこの縁談をご存じなのですか? 王女殿下の地位でサナトスの側室に入るのは許されないと思います。縁談を進めるために私はどうすればいいですか? 一刻も早く戦争を終わらせるために、私は何をすればいいですか?」
シャルナクはサナトスの縁談を進めるのにひとつ大きな障害だと思っていたレダがすんなり前向きな姿勢をみせてくれたことで表情を綻ばせた。断ると言って会議室を出て行ったサナトスを説得するのにもレダが賛成してくれると大きく前進するだろう。
気丈に振る舞うレダだったが、寂しそうな表情が不安を物語っていた。




