18-02 レダの憂鬱(1)苦悩するサナトス
時系列にミスありましたので修正しておきました。
一方、ビルギットに政略結婚を申し込まれたサナトスは自室に戻っても気分は晴れなかった。
サナトスがレダとの居室に戻ったときはアイシスとハデス目的でアリエルの妻たちが居座っていたのだが、その時はただ会釈だけして、誰とも話さずベッドの端っこに背中を向けて腰かけた。
レダはサナトスが緊急招集会議から戻ってからというもの、一言も喋らず難しい顔をしていることが気にかかった。サナトスがこの国の王になることは決まっていて、いまいち政治のことが分からないレダにも、今後はこういうことが増えるということも、頭では理解しているのだが……。
しばらくして、ずっと俯いていたサナトスの視線がドアの方に移動するとノックの音がした。
気配を読んだのだろう。
レダが返事をすると「入っていいか?」と、アリエルの声がした。
レダは「どうぞ」と応えた。
ドアは静かに開き、アリエルが入ってきたのに、サナトスは憮然とした態度で、まるで駄々っ子のように顔をそむけた。レダはこの二人の間に何かあったのかな?と思い、軽い気持ちでアリエルに聞いた。
「会議でどんな話をしたんですか? サナトスずっとこんなです」
アリエルが来たのを見て飛びつくアイシスと、モジモジしながらもアイシスが離れたことをいいことにジュノーにべったり甘えるハデスの姿があった。可愛いさかりの孫たちを前にして仏頂面で目も合わせようとしないサナトスの態度で分かる。
当然だがサナトスにも、今回ビルギットが申し出た政略結婚を成立させることが戦争を終わらせる一番の近道だという事を知っているということだ。
アリエルはそんなサナトスの後姿を見て、自分たちが育てられなかった息子がいま立派な大人になっていることを確信した。
「んー、これはサナトスがレダに話すことだよ。俺たちが居たら話しづらいだろうから俺たちは退散するとする、ジュノー、ハデスをレダに。ゾフィー、ちょっと転移頼むわ」
レダはアリエルが何のことを言ってるのか、良くわからないまま、名残惜しそうなジュノーからハデスを引き受けた。
いつもはサナトスも大好きで甘えるアイシスも今日ばかりはお父さんの様子が違うことを察したのか、レダにくっついて甘えた。
アリエルたちがゾフィーのパチンでどこかへ消えてしまったあともサナトスは相変わらず、意図的に視線を合わせないようにしながらずっと壁の隅っこを見つめて物思いにふけっている。
レダもサナトスが話してくれるまで何も聞かないことにした。
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サナトスが振り返ってレダの顔を見たのは、子どもたちが睡魔に勝てずストンと眠りに落ち、部屋の明かりを落としたあとだった。
「レダ……話を聞いてくれ」
「はい」
ベッドに穴を開けてしまわないよう、サナトスの角につけるキャップを握りながらレダは応え、ベッドに正座をして話を聞くことにした。
サナトスはレダの目を見ながら、何度か視線を泳がせながらも、またすぐレダの目に視線を戻す。
心の中で葛藤していることはレダにも手に取るようにわかった。
「あのな、レダ。聞いてくれ」
「はい、聞くと言いました」
レダから見て、サナトスは明らかに挙動が不審だった。
まるで悪い事をしたのがバレて叱らる直前のハデスみたいな顔でレダの視線に耐えられなさそうにしている。レダもサナトスの実直さに惚れていっしょになったのだ、嘘をつけないのも魅力だと思っている。
それでもサナトスは何も言えなかった。
この期に及んで、どう話すべきか、頭の中で話を組み立てているようにもみえたが……。
「難しく考えなくてもいいわよ、直球でどうぞ」
駆け引きなんかガラにもないことしなくていいから、ストレートに話せとレダが促した。
レダはサナトスが緊急招集会議に呼ばれて、アリエルの妻たちがアイシスとハデスのいるこの部屋に押しかけて来たときサオに少し話を聞いていたのだ。
シェダール王国の王女が来ていて、和平の話し合いをしていると。
ノーデンリヒトはアリエルたちの帰還により、一気に戦況がひっくり返った。
破竹の勢いで進軍して、あのだだっ広くて何もない、ただ地平線の彼方まで平原が続くフェイスロンドだけじゃなく、南のダリル領までも速攻で落としてしまったと聞いた。
シェダール王国とノーデンリヒトは現在も停戦中で、春までは停戦を継続するという取り決めがあるから、なぜこのタイミングで和平の話し合いが必要なのかと訝った。
春まであと4カ月もある。
4カ月もあれば何らかの手を打てるはずなのに、なぜそうしようとしないのかと、そこまで思いを巡らせたところでサナトスが重い口を開いた。
「帝国軍がターゲットをノーデンリヒトからプロテウスに変えたらしい。ノーデンリヒトと帝国は停戦してるし、王都プロテウスとも停戦してるけど、プロテウスと帝国はなにも約束してないんだ」
「回りくどいです。直球でどうぞ」
「あ、ああ。あのな、和平するのに政略結婚を申し込まれたんだ」
「相手は?」
「王女」
「ええっ? 王女っていま来てる本人?」
サナトスは無言のままゆっくり頷いた。
レダはごくりと生唾を飲み込むと少し取り乱したように視線が落ち着かなくなった。
本人が直接 結婚を申し込んだってことだ。
それが政略結婚であれ何であれ、それは単純に見合いをすすめられたなんていうレベルの話じゃなく、本人が直接求婚したということだろう。
レダは気が遠くなるのを感じた。
なぜならレダがサナトスと結婚した当時の情勢では、サナトスはヒト族ではないのでノーデンリヒト領主を世襲することすら困難だと思われていた。
結婚後は王都プロテウスからの侵攻を防ぎ、戦争を生きぬいたあと争いのないマローニの街で、家族とひっそり、仲良く暮らしてゆけたらいいなあと、平凡な夢を見ていたのだが……。
それがいつしかこの国ではエルフ族の人権が剥奪され、エルフであるという、ただそれだけの理由で奴隷にされてしまうという法律が制定された。
もはやエルフの身でありながら、幸せな家庭を築こうなどとは、とんだ高望みとなってしまった。
そしてレダを取り巻く環境は大きく変化する。
魔王フランシスコが次の王にサナトスを指名したことにより、サナトスの代でノーデンリヒトとの国家統合が実現し、サナトスはノーデンリヒトとドーラを治める王となることになった。
レダもサナトスとの結婚前までは一夫一婦制の家族を望んでいたのだが、結婚したあとから、まさかサナトスが次期魔王に指名されるとは考えてもいなかった。そしてレダ自身も王族になってしまうというのも、当然予想していなかった。
だけどサナトスは王族だった。それも次期国王になると決まったことで、いまでこそ縁談はほとんどないが、それもサナトスが見合いすら断っていただけで、当初はいくつも縁談が舞い込んでいた。魔王フランシスコも4人の奥さんいるし、魔王の息子でサナトスのイトコたち二人の王子にもすでに奥さがん二人ずついるから。
惚れた腫れたという恋愛結婚ではなく、政治的意図で進められる縁談もあるのだ。
いつかサナトスも2人目、3人目と複数の奥さんをもらう事になる……それも分かっていたのだが、縁談の相手がまさかシェダール王国の王女だなんて。しかも直接会って、本人が直接求婚したという。
この縁談は断れない。
それぐらいのこと、レダにも分かる。
しかし向こうから和平の申し入れがあり、王女を嫁に出すなんて考えもしなかった。
なぜならシェダール王国も神聖典教会の提唱する魔族排斥を推奨し、エルフを奴隷化することにより労働力を得ているのだから、サナトスと王女の縁談を進めるうえで、レダの存在が重い足かせになることは簡単に予想できる。
レダがエルフであるということ。
ヒト以下の存在とされているシェダール王国との縁談を進めるのに、いちばんの障壁はレダの存在そのものになる。当然だが、そう考えるのが自然だし、何よりサナトスの苦虫をかみつぶしたような顔が、何か話しづらい事態になったことを饒舌に物語っている。
政治には口を出したことがないレダにも、そこまでは自ずと察することができた。
分からないのはそこから先のことだった。
「えっと、あの、わたしの立場はどうなりますか?」
「立場って?」
「王族と王族の婚姻をするのに、私のような平民出の女は邪魔になるよ」
……えっ?
サナトスは「邪魔だなんていうな!」と言いかけて、途中で言葉を飲み込んだ。
レダはサナトスの言葉に被せるように続けた。
「だって私がここにいたらその王女、サナトスの側室になるんだよ? しかも私の下になるし。魔族排斥やってるシェダール王国がそんなこと認めるわけないよ。だってあそこじゃエルフは奴隷だし」
その笑顔はどこか寂しげに見えた。
「そんなこと俺が認めねえし。……第一、俺だって魔族だ」
「でもあなたが王女と結婚したら王国との戦争は終わるでしょ? 会議でそういう話をしたんじゃないの? だから私に話し辛かった……って思っちゃうよね、普通」
サナトスは心を見透かされたように感じ、急に恥ずかしさがこみあげてきた。
「そんなこと絶対に認めない。こんな和平しないほうがいい。和平なんて別の方法を考えればいいんじゃね?」
「でもさ、和平が成立したら、みんなもう家族を、子どもを戦争に取られたりしないんだよ? ノーデンリヒトもドーラも、ボトランジュもみんな戦争なんてイヤなんだ。一日も早く和平してほしいよ、わたしは」
無理して、強がって、作り笑いを崩すことなく、レダは夫婦のベッドで寝てしまったハデスの髪を優しく愛おしく撫でながら「この子たちには戦争なんてさせないでほしいな……」とつぶやいた。
サナトスはレダの言葉にどう答えたらいいか分からなかった。
少しの沈黙のあと語った言葉は、具体的にどうするか?ということではなく、単なる希望に過ぎなかった。
「俺はレダを離さないし側室なんかいらない。戦争は終わらせる。絶対に終わらせるから」
「ありがとう。でもね、わたし知ってるんだ。あなたは大勢の人を救えるなら、必ず救う人だもの。その縁談は受けるべき、そうしたらノーデンリヒトは戦争終わるじゃん」
「いや断る! 断って別の方法を考える!」
「無理でしょ、常識で考えて私いない方が平和的に話が進むよ? 」
「なんだよレダ! おまえ俺と別れたいの? 不満があるなら言ってくれ、俺バカだから分かんねえよ」
レダの後ろ向きな態度にイライラしながらも、ネガティブなことには徹底的に反発するサナトスの必死さを見ていて、レダもサナトスに愛されていることが実感することができた。
さっきまで気落ちしていた瞳にも力が戻り、いつもの強気なレダを取り戻してゆく。
「不満なんてないですよ。でも側室を受け入れるかどうかは正室である私に決定権がありますよね?」
そうだ、サナトスがレダを説き伏せて、レダがそれを許し決定するのがこの世界の一夫多妻のルールだ。
サナトスはビクッとしてレダの瞳の前で硬直した。蛇に睨まれたカエルのように。
正室の権利を発動させたレダにサナトスができることは『お願いすること』だけなのだ。
「この件について、あなたは黙っていてください。今から私がその王女とやらと話してきます」
すこしイラついたように眉をしかめながら、正座していたベッドの上から反動をつけて"ぴょん"と飛び降り、ボキボキと指を鳴らし、腕をブンブン回して関節を温めていた。
これは戦闘時レダが門外に打って出るとき、何度も見た間接慣らしだった。
「えっと、レダ? 何してんのかな?」
「準備運動!」
「激しい運動する気かよ! 相手は普通の女の子だからな!」
「分かってるわよ、シェダール王国の王女がどんだけのもんか、拳で語ってくる」
「拳はやめろ、頼むから!」




