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17-66 和平会議(3)ビルギット・レミアルド・レーヴェンアドレール

「言い過ぎだアリエル、ちょっと話を戻そうじゃないか」


 トリトンに諫められ、アリエルはハッと我に返った。

 王女と外交官という二つの立場で和平に挑む話し合いに参加しているのだが、プロテウス議会の議事録に目を通しただけで分かる。これは最初から負けることが確定してたようなものなのに、何も約束せず和平だけを要求するビルギットにイラついたのは、確かにアリエルの落ち度なのだろう。


 だがどうだ、この感覚……確か。


 どんなにうまくいかなくても、けっして諦めず、無理を通そうとする強情さ……。


 ああ、そうだ。


 アリエルはようやく思い出した、サオだ。サオもそうだった。


 ノーデンリヒト砦の前で、勇者としてサオと再会した時、サオはこちらの情報をよこせといって無謀な戦いを挑んできたことがあった。あの時もそうだ、アリエルはサオのその不器用な生き方を見てイラついたことを思い出した。


 あのときサオは言った。

 自分には差し上げられるものなんて何もないと。だから要求だけ通させろと。


 相手の欲している交換条件なんて何も約束できなくても、自分には何もなくても、ビルギットはあの時のサオと同じように、背負っているものの重みに押されて、それでも、それでもと食い下がろうとしている。


 アリエルは得も言われぬ違和感を感じていた。


「あ、ああ……そうだな、言い過ぎたワリイ。だけど今回はばかりは帝国軍の侵攻が始まっても俺たちは関与できない、どうあっても外せない野暮用があるんだ。現状、このままだとプロテウスは帝国に占領されてしまうだろう。これは避けようがない事実なんだ。国王がビリーを人質にしたのも、父さんの知人が親書をしたためてくれたのも、ビリーをプロテウスからノーデンリヒトに避難させようとしたんじゃないか? 王国にも諜報部があるんだよ? 当然、国王たちはアルトロンドが王都に黙って30万もの帝国兵を隠してるって知ってたんだと思うぞ。トーマス・トリスタンには思惑があるんだろうが、ビリーを人質に出した国王の思惑は分かる、ビリーはいちばん安全な場所に逃がされたんだ」


……。


 ビルギットは瞑目して嗚咽するのを我慢し、呼吸を整えていた。


 まずは落ち着く。そう言い聞かせた。


 深呼吸をする。肺の中の空気をすべて吐き出す。そしてゆっくりと胸を膨らませように大きく息を吸い込む。


 やがて目を開けたとき、薄いブルーの瞳は力を取り戻していた。


「……ありがとうございます。おかげで目が覚めました。窮地に追い込まれ、どうしたらよいか分からずお恥ずかしいところをお見せしました。今日この場にお集まりいただいたすべての方に謝罪します。そして、私がこの会議で席をいただき、発言することを許されているということは、まだ和平の道が残っているということにほかならないと理解しました。我がプロテウスとノーデンリヒト、ボトランジュが過去のわだかまりを乗り越え、ともに手を取り合って団結し、帝国軍の侵攻に立ち向かうという道です」


 だけど涙は止まらなかった。

 ボロボロと大粒の涙がとめどなく流れては、ぼとぼとと音を立てて零れて落ちる。


 イヤというほどひどい現実を見せられた。嗚咽しながら、涙ボロボロ流しながら、背筋をまっすぐに伸ばす着座姿勢はアリエルですら見惚れるほど美しく見えた。


 ビルギットは健気にも気丈に振る舞った。


 誰ひとりとしてビルギットの言葉に頷くこともなければ、首を横に振ることもない。

 話の内容は到底受け入れられるものではなかったが、それでもビルギットの熱意と覚悟だけは空気を震わせて、魂から熱いものがひしひしと伝わった。


 ビルギットは正面にいるトリトンから視線を外し、ゆっくりと右隣にいるサナトスに視線を移した。

 目が合ったサナトスも表情を変えることはない。


「サナトス・ベルセリウスどの。あなたはノーデンリヒト次期当主であり、次期ドーラ王として、わがシェダール王国とどう対峙してゆくおつもりか、お聞かせください」


 サナトスはさっきアリエルがトラサルディに渡したファイルを見ていたところに突然ゲストから名前を呼ばれて少し困惑したような声を出した。


「え? 俺? 俺はただのボンボンだぞ。肩書も何もないしな。ここに座ってるのもイオさんが来られないから頭数を揃える為だし、俺には何をどうする力もないぞ? それでも聞くのか?」


 全く話を聞いてなかったわけでもないサナトスの答えに無言で頷くビルギット。


「あのさあ……。プロテウスの王女さまってことは、キミこそ俺たちの倒すべき敵ってことなのか?」


「ええ、そういうことになります」


「実は俺さ……、敵だ何だって言ってるけどさ、戦場で戦ってる兵士しか知らないんだ。それがだよ、プロテウスから命令して、兵士たちに戦争をやらせてる奴を初めて見たんだ。俺たちの倒すべき敵はいったいどんな顔してるんだろうって思ってたさ。ずっとね。それがまさかグレイスぐらいの女の子だなんて想像の斜め上すぎてな、そんな子からシェダール王国とどう対峙するのかって聞かれてもな。いきなりそんなこと言われてもさ、どう対峙したらいいか? なんて考えもつかないけど、俺は最初から戦争なんて大嫌いだよ、できることなら誰も傷つけてほしくないんだ」


「ありがとうございます、私たちの目指すところが同じだと分かっただけでも大収穫です。次はこの認識を共通認識にして、もう戦わないようにしてゆけたらなと、私はそう願っています」


「ちょっと待てって、調子が狂うな。見た目が若いのに何か話し言葉がずいぶん大人っぽく感じる、ビルギットさんって言ったね、ところでキミ、年いくつ?」


「16ぐらいに見られることが多いのですが、実は13です。あなたも見た目よりずっと優しい声で話されるので安心感があります」


「いや、16に見えないから、13ぐらいでピタリ賞だし」


「うふふふ、ありがとうございます。ところで倒すべき敵を目の当たりにし、少し話してみてどう思いましたか? 簡単に倒せそうに見えましたでしょうか?」


「倒すとかそういうんじゃなくてさ、素直に感心してるよ」


「ありがとうございます。あなたにお礼を言うのは何度目でしょうかサナトス・ベルセリウスどの。では最後にひとつ質問してよろしいでしょうか」


「ええっ? 公的な質問は国家元首にしてほしいな」


「いえ、この質問は個人的な興味本位です。なので議事録を取ってらっしゃるのならペンを止めていただいいて、オフレコでお願いしたいのですが」


「俺の発言で何も責任とらなくていいなら構わんよ、答えられることなら」


「はい、この質問は少し前に、あなたの御父上、アリエル・ベルセリウスさんにした質問と同じなのですが……、あなたの戦う理由についてお聞かせください」


「戦う理由を聞くのか? お前らが攻めてくるからに決まってんだろ? と言いたいところだけどな、いまはそうでもないか……。たしかに最初は王都のやつらがマローニに攻めてきたから仕方なく戦ってたんだ……そしてガキの頃からバカやってた幼馴染の友達が戦いの中、次々と死んでいった。そのときはやるせなかった、憎しみもあったな。でも悲しみのほうが大きかったよ。友だちが……仲間が、傷つくのはもうたくさんだ。もう誰も傷つけないでほしいと思ってるし、誰も傷つけたくない。戦争なんてもうとっくにウンザリなんだよ」



 ……。



 ……。



 ビルギットは少し俯き加減になって息を吐き、横目でアリエルを見据えると、少し寂しそうに微笑んだ。


 そして感心したように


「とても立派なお花畑じゃないですか」と言った。


 お花畑と言われ、サナトスは少しむっとしたが、当のアリエルは少し照れた笑いをみせた。


 ビルギットは微笑のまま椅子を引いて立ち上がると、サナトスに向かって柔らかな手を伸ばした。


「あなたのお花畑に、私も置いていただけませんか?」


 サナトスは一瞬、何言ってんだこいつ? みたいな顔をしたが、すぐにその言葉の意味を察したようで、それからは返答に困ってしまって、何も答えることはできなくなった。


 だがそれでいい。


 ビルギットはトリトンに向き直ると深々とお辞儀をして、全てを貫き通すような真剣な眼差しを向けた。


「ノーデンリヒト元首、トリトン・ベルセリウスどの……」


 トリトンも立ち上がって敬礼で応えた。


 ビルギットは言葉を続ける。


「和平を話し合う前提条件として、シェダール王国王女、ビルギット・レミアルド・レーヴェンアドレールは、ノーデンリヒト次期当主、サナトス・ベルセリウスとの婚姻を申し込みます。これは本人の堅い意思で約束するものです……。この縁談が成れば、わがシェダール王国も魔族の人権を元通りに戻さざるを得ないばかりか、レダさまがいらっしゃる以上、エルフ族に対する奴隷制度など言語道断! 即刻廃止となりましょう……。とはいえ、もはや私には切れる手札が一枚もありません、よろしくご検討くださいますよう、お願いします」



 ……。



 ……。



 しんと静まり返っていた会議室だったが、何事もなかったかのようにビルギットが着席したとき、ほっとしたような溜息が漏れた。


 全てを出し切ったビルギットが安どの溜息をついたのだった。


 心なしか肩にのしかかっていた重い荷物を降ろしたかのようにすら見える。



 アリエルはビルギットに敬意を抱いた。まるで『王族とはこうあるべき』という精神を具現化したかのようなことを平然とやってのける。正直、ビリーが外交官としてノーデンリヒトに来たとしても和平の可能性なんかなくて、王都にいても帝国軍にさらわれるだけだろうからってことで保護してやったぐらいの感覚だったのだが……。


 そこまでの覚悟を見せられると、アリエルもビルギットの肩をもってやりたくなるというものだ。


 アリエルは自然ににやける唇の歪みを我慢することができず、徐々に肩を震わせはじめた。


「くくくくっ……あはは……、すごいなビリー、びっくりしたよ」


「まだ何も決まっていませんから……」


「いや、ビリーは凄い。みなよ、本当なら諸手を挙げて賛成するだろうグローリアスの面々が渋い顔してるだろ?」


「……あまり歓迎されてないように見えて不安なのですが、理由があるのですか?」


「ああ、グローリアスは魔族の人権を復活させて、奴隷制度を廃止させるために多くの人を犠牲にしたんだ。だけどビリーは別のやり方で同じことを実現しようとしてる、それも誰も犠牲にしない方法でだ」


 この場にいるグローリアスのメンバーはみな言葉もなく苦悶の表情を浮かべている。

 アリエルに言われるまでもなく、ビルギットの覚悟の強さを見せられたのだ。


「アリエルさんが私のした提案に賛同してくださったのなら、本当に心強いです」


「コトがコトだけに賛同も反対もしないよ、それこそ二人で話し合って決めたらいいと思う。あ、違うか。レダの許可が必要だな? なあサナトス」


「政略結婚ってやつか?」


「言い方は悪いですが、そう取られても仕方ないと思います」


「断る! 愛のない結婚なんて意味はない。まったく……アプ置いてきてよかったよ、いたら絶対ややこしいことになってたしな。第一そんなことレダに言えないって、殺されるし」


「愛はあります」


「うそつけ! 今さっき初めて会ったばかりじゃないか。それに13ってまだ子どもだし」


「トリトンさまは王国騎士団に所属していたころ、王都プロテウスで13歳のビアンカさまと出会って、結婚されたのですよ? そして14でアリエルさんを出産されました。13歳で結婚するのが早いとは思いません」


 トリトンは指で頬をポリポリ掻きながら、サナトスからの厳しい視線をそらしている。

 事前にそこまで調べられていたとは……。


「べつに俺じゃなくてもいいんだろ? 父さんなんかどうだ? 嫁さん何人もいるからな、今さら一人ぐらい増えてもどうってことないんじゃね?」


「そんなことありません。さっき聞いたじゃないですか、戦う理由です。サナトスさまは仲間が傷つくのがイヤだと言いました。でもアリエルさんは魔族の女性を愛してしまったと。そしてサナトスさまが生まれて、ハーフだからこの世界じゃ生きていくのが厳しい、あなたの未来のためだとおっしゃいました。素晴らしい父親だと思います。でも国を治めるに相応しいのは仲間だけじゃなく敵すら傷つけたくないというサナトスさまです……それに……」


「それに? まだ何かあるのか?」


「アリエルさんは顔が好みではありません。でもサナトスさまは好みです」


 といって肩をすぼめ、おどけてみせた。


 サナトスは「バカバカしい」といって席を立つと、会議途中で逃げるようにズカズカ足音を立てて退席したが、ビルギットの提案は他の者たちには概ね受け入れられた。まだサナトス次第でどう転ぶか分からないこともあるが、トリトンとシャルナクは結婚の話が前に進むごとに、和平の話も同時進行させることで同意した。


 ビルギット一人の決断に敗北感を味わわされたグローリアスはというと、ビルギットの提案を軸に計画を進めるという方針になった。


 ビルギットはここにきて、会議室に居た者たちのうちサナトス以外の全員を味方に付けることに成功したのだった。


「よく頑張ったなビリー。だけど本当は俺の顔のほうが好みなんだろ? サナトス出て行ったからこっそり教えてくれてもいいんだよ?」


「この場で小さなウソを挟んで信用をなくすことはできないのでガチです」


 これはこれでショックだった。

 アリエルはここでも世代交代を感じずには居られない。


「悔しいな。だけどまあ、しゃあない。サナトスもあれで堅物だからな、頑張れよ。口説き落とせば和平の半分は成ったも同然だ」


 あとの半分は王国側の問題だ。

 ビルギットはここにきて縁談など持ち出す用意はなかったのだろう。国王も王妃も、まさか今ここでビルギットが結婚の話をしているなんてこれっぽっちも知らないはず。


 こっちで縁談を真に受けて和平を進めても、プロテウスが難色を示すことは容易に予想できる。

 なにしろサナトスは混血だし、そもそもすでに正室がいて、子どもも二人いる。

 王位継承権第一位のビルギットを側室にするなんて話がすんなり受け入れられるはずがないのだ。


 ビルギットはまだ和平の第一歩を踏み出したに過ぎない。

 これからがいばらの道だ。



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