17-63 思惑(2)
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パシテーの父エンドア・ディルは毒を受けていてかなり衰弱していたところに長時間の説教に遭い、少しの間だけ意識を飛ばしていたが、その後は回復し、ハッと目を覚ましたと思ったら飛び起きてすぐさま正座に戻るという離れ業をみせた。
当のフィービーにエンドアが教会審問機関による毒で衰弱していることを知らなかったことと、エンドアも持ち前に打たれ強さのせいで、気を失っても説教を聞いてるフリができたため怒り心頭のフィービーには伝わらなかったということらしい。
フィービーによると続きはまた明日ということになるそうだ。
その後エンドアがフィービーに手を引かれベルセリウス家の門前に立ちチャイムを鳴らしたときにはクレシダが大急ぎでお茶会の準備を整えた頃だったので、会食場で顔見せと挨拶を済ませた。
お茶会はトリトンとエンドアを筆頭に和やかな雰囲気で進行したが、アリエルの日本の両親に不幸があったことを理由にパシテーと結婚する話はほんのしばらく延期することになった。
エンドア・ディルは32年前、王都に逃がれたまま行方知れずとなった妻と娘が無事にノーデンリヒトで保護されていたことに対し、何度も何度も、くれぐれもお礼を繰り返し言った。
パシテーはアリエルの婚約者であるし、結婚したらパシテーの家族はベルセリウス家の親戚となる。
家族の繋がりを重んじるベルセリウス家としては、婚姻関係じゃないにしても、パシテーをアリエルの妹として受け入れている以上、もう20年以上前から身内なのだから、
「ディル家の方々とは、ずっと以前から家族でしたよ」と温かい言葉で応えた。
これから難しい問題は多々あるだろうが、エンドアがパシテーの婚約を認めたことで、アリエルはいつでもパシテーと結婚できることになり、都合のいいタイミングを見計らって結婚するということになり、これにはアリエルの妻たちも同意した。
アリエルとパシテーは足掛け18年もの長きにわたり婚約者として過ごしてきたが、そろそろ名誉婚約者と呼ばれそうになってきたところで、最大の障壁であったディル家の問題が一気に片付き、あっさりと結婚することが許されたのだった。
お茶会で一通り、平和に世間話を終えたあと、ノックの音がした。
トリトンが合図を送るとドアが開き、クレシダが入ってきた。トリトンが「いますぐ!」と急かして集まったVIPたちが会議室に集まっているらしい。
アリエルは関係ないので同席を断ったが、魔王フランシスコもハリメデもこの場に居ないので、ダリルマンディの状況を説明するのにどうしてもアリエルが必要だということで押し切られた。
だがはいそうですかと受け入れられない者がいた。
ジュノーだ。
今日一日はゾフィーの邪魔が入らないところでゆっくりしたいというジュノーが食い下がったが、アリエルができるだけ早く終わらせるということでゾフィーに引きずって行かれた。孫たちを独占させろとか叫んでたから、きっとアイシスとハデスを両手に抱える気なのだろう。ロザリンドの順番がほとんど回ってこないのは気のせいだろうか。
一方、アリエルも嫌々ながら参加を強要された緊急招集会議では、
・ノーデンリヒト国家元首 トリトン・ベルセリウス
・ボトランジュ領主代理 シャルナク・ベルセリウス
・グローリアス代表 ノーマ・ジーン
・グローリアス幹部 トラサルディ・センジュ
・グローリアス幹部 ヴィルヘルム・ダイネーゼ
・シェダール王国外交官、ビルギット・レミアルド・レーヴェンアドレール
・アルトロンド評議会議員 エンドア・ディル
・アルトロンド評議会議員 カストル・ディル
・ノーデンリヒト軍、次期魔王として サナトス・ベルセリウス
・ベルセリウス派 魔導派閥 アリエル・ベルセリウス
まずはこの場にいる者の中で初対面の人がいたので各自順番に名乗る必要があった。
立場上「敵」であるエンドア・ディルとカストル・ディルのアルトロンド評議会議員二名と、やはり国王から外交官として親書をもってきたビルギットが会議に同席することに対して疑問が投げかけられた。
シャルナク代理だ。
「これはこれはレミアルドさまが外交官としてこの場にいらっしゃるということは、頭の固い元老院議会もとうとうノーデンリヒトを国家承認したと考えてよろしいのでしょうか?」
「いいえ、公にはノーデンリヒトを国家承認したわけではありません。ノーデンリヒトを国家承認できないのは私の力不足でもあります」
「ほう、では国王の個人的な考えではノーデンリヒトを認めていると、だからこそ王女殿下を外交官として親書をもたせたと? そういうことでしょうか?」
「国王は公人でありますから、個人的な考えなどありません。私が外交官としてこの席に座しているのは、私が志願したからです」
「志願の理由をお聞かせ願えますか?」
「はい、それはわが国シェダール王国と係争中にある、ボトランジュ、及びノーデンリヒトとの和平です」
「お言葉ですが、シェダール王国の見解では、ノーデンリヒトもシェダール王国の領地なのではないですか? 私はボトランジュ領主の代理でこの場に居ります。なぜ私が領主の代理としてこの場に居るかと言いますと、王都プロテウスに領主を人質に取られており、再三の返還請求をしているにも関わらず、未だ交渉すら進んでいないからです。和平の話し合いはまず人質にしている領主の身柄を解放し、領主と話し合うべきだと愚考しますが」
「はい、私もプロテウスに戻る際にはアルビオレックス卿と身柄を引き換えるための人質としてこの場におりますので、微力ではありますが、お手伝いができると考えています」
シャルナクは身を乗り出して同列に座るトリトンを睨みつけた。なぜそんな大切なことを事前に打ち合わせがなかったのかと責める視線だ。
トリトンがチラッとアリエルに視線を流した。するとシャルナクも大まかに現在置かれている状況を理解することが出来た。さすが兄弟といったところか。
「ふむ。なるほど、レミアルドさまの立場が少しだけ理解できました。なぜ? 王女殿下が? どういった経緯で人質に? という情報が抜け落ちていますが、それも明かしてもらえるのでしょうね」
「和平を進めるのに必要な情報でありますれば」
と前置きしたうえで、
「今朝の話です。王都プロテウスは東門からベルセリウス派魔導師の襲撃を受け、決死で防衛するも敵わず敗北しました。その結果、和平へと話し合いの第一段階として、条件などのすり合わせをするため国王が任命権を行使されました。人質という名目ではありますが外交官という身分を与えられ、ノーデンリヒト代表、トリトン・ベルセリウス卿により滞在を許可されました。和平交渉を一歩でも前に進めることが目的です。収穫なしにプロテウスへ帰れるとは考えていません」
アリエルは反射的にビルギットの顔をみた。
ただならぬ気をまとわせていて、覚悟を決めた強い眼差しをシャルナクに向けていた。
言葉を受けたシャルナクも気圧されてしまうほど。
なにしろいまビルギットは、和平の話が進まなければ帰る気はないと言った。つまり、和平しないと現在プロテウス城で人質になっているボトランジュ領主を返さないと言っている。
シャルナクは思わず立ち上がって詰め寄りそうになりつつもぐっと抑えている。常日頃から王都プロテウスののらりくらりとした態度に煮え湯を飲まされてきた男だ。いま自ら人質と告白した王女殿下そのひとの口から、和平交渉しないなら人質交換はしないとキッパリ言われたからだろう。
周りはみんな敵、もしこの中の誰かひとりの機嫌を損ねただけで和平なんて話が進まないということをきちんと理解しながらの和平交渉をしようとしている。それでいながらいまの強気の発言と、シャルナクの悔しそうな顔を見るに、会議は完全にビルギットのペースで始まったとみて良いだろう。
アリエルは少し離れた位置から二人を見ていて、ビルギットの覚悟もそうだが、シャルナクを手玉に取っていることに感心した。まだ14歳ぐらい、中等部出たてぐらいに見えるのに、ずいぶんキモの座った子だ。
「ああ、アリエルくんちょっと説明してほしい。ダリルマンディが戦闘なしで陥落したことは報告で聞いた。だがそれがどういった経緯でプロテウスを襲撃したのか、かいつまんでくれて構わないから、簡単に話をきかせてくれないか」
どうすっかなー案件である。
アリエルはジュノーたちとゾフィーが面倒ごとを持ち帰ってくるかどうか? という件で賭けに負けている。もちろんビルギットを攫ってきたことについてゾフィーに事情を聞きもしたが、言い分は至極真っ当としか言いようがなかった。
「いやそれが大した話じゃないんだ、ちょっと誤解をしないで欲しいのだけどさ、俺ちょっとゾフィーにお使いを頼んだんだ。ボトランジュ領主をいつ返すのか聞いてきてくれって。だって返す気なさそうだしさ」
「おお、それは助かる……」
「セカで王国軍のおっさんに託けたの俺だしさ、あんまりなしのつぶてだと気になるし。だから俺の使いだと言えば話を聞いてもらえるだろうと思ってさ、んで言った通りにしたら一方的に絡まれたらしい。いやあ、ホント酷いよね、けっきょく仕方なく身を守りながらお城を訪問したらしいけど、攻撃意思のない人とは戦闘にならなかったみたいだから大丈夫だよ?……たぶん」
ビルギットは奥歯に何か挟まったような言い訳を織り交ぜたアリエルを睨みつけた。
言い返したいことは山ほどあったが、深く深呼吸して平常心を取り戻すことができた。
ビルギットがプロテウスを出る前、荷車いっぱいの着替えなど一通りの準備を終えた時点で、戦闘のあった東門付近での騒ぎが大きくなっていたのを知っている。だがビルギットは正確な死者数など知る由もなく、第一報をもってきた騎士団の青年の言った騎士団300が全滅という数字でしか、ゾフィー・カサブランカの戦闘力を理解していなかった。
しかしシャルナクはゾフィーの名を聞いただけで上着の内ポケットからハンカチを出して汗をぬぐった。
アリエルたちが勇者として帰還した日、ノーデンリヒト砦での攻防戦。
その光景を目の当たりにして、今も脳裏には鮮烈に焼き付いている極限の力。
ゾフィーが微笑みながら剣を一振りしただけで、数百、あるいは千に届くかもしれない帝国兵が真っ二つに切断された。
剣が届く間合いではなかった。倒された者は自分が何をされたのかすら理解してない者が多いようにも見受けられた。
シャルナクの妻エリノメは、その昔アリエルたちと敵対し、何世代にもわたり戦い続けてきた女神イシターと呼ばれていたこともある、そういった。
アリエルは神話の破壊神アシュタロスだといった。
ジュノーは神話で灰燼の魔女リリスと呼ばれてはいるが、その正体はあの神聖典教会が信仰する女神そのものだといった。
そして、ゾフィーこそが神々の中で唯一の戦神であり、神話では鬼神ヤクシニーとして記録が残っていること。
そこまで話したうえで更に事態はよくないとエリノメは言った。
ゾフィー・カサブランカが封印されていた時点では、アリエルとジュノーの2人が合流したところで、これまで何とかなっていた。しかしゾフィーが合流したとなると、もはやスヴェアベルムの戦力ではどうすることもできないこと、そしてアリエルたちの目的はスヴェアベルムにないのだから、早々にこの世界から退場してもらうのが得策だと。
さもなければテルスが来る。
テルスが来たらこの世界も無事では済まないことも、エリノメはすべてを包み隠さずシャルナクに伝えた。
シャルナクは頭を抱えた。
アリエルたちが力を貸してくれたおかげでいま反攻に出ることが出来、怒涛の快進撃を続けているが、もしあの日、アリエルたちが戻ってなかったらと考えるとぞっとする。戦況の分析からすでにボトランジュもノーデンリヒトも敗北していたことは誰の目にも明らかだ。
アリエルたちの力は強大すぎて、いともたやすく世界を壊す。いや、世界のほうが脆すぎるのだろう。そんな危うい力だが、ノーデンリヒトには必要な力だ。アリエルはノーデンリヒト陣営ではないと言ってるが、明らかに家族を守るために行動している。まぎれもなくベルセリウス家の男であった。
シャルナクはアリエルの力が暴走したら世界は終わると言われても、アリエルに頼るほかないことを十二分に承知していたのだ。なにしろ戦に敗北したらボトランジュにも、ノーデンリヒトにも未来はない。世界の終わりと同義なのだから。
アウトローという言葉の意味が重く肩にのしかかる。彼らは言葉の通り、法の外にいる。
アリエルたちは自由だ。この世界では法ですら彼らを縛ることはできない。
法を執行する国家権力ですら手を出せないほど、彼らの力が強大なのだ。
ゾフィー・カサブランカが単独で王都を襲撃したのだとしても、今さら驚くことではない。




