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17-62 思惑(1)

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 アリエルたちは自分たちの足で、ゆっくり歩いてガルエイア西門から出たところで、転移魔法を使ってひとまずはノーデンリヒトの転移魔法陣へと飛んだ。


 パシテーの家族とビルギットを実家に預けるためだった。


 初冬のノーデンリヒトの空気は冷たく、比較的温暖なアルトロンドと比較すると、気温は一気に10度以上は下がる。


 転移が完了すると皆一様に息が白み、パシテーの家族たちはみな温度差に我が身を抱いた。


 転移魔法陣はベルセリウス家と隣接するアリエルの工房広場に設置してあったが、いまやそこはセカ方面に飛ぶ通勤通学で利用されるため、けっこうな人混みだった。


 生まれて初めて転移した者たちはみんな何が起きたのか分からず、キョロキョロしながら狼狽え、後ずさりをはじめた。セカの転移魔法陣のように教会併設してるわけじゃないので、神殿のような作りではないが、雨や雪に降られたぐらいじゃ濡れる心配をしなくていい程度の屋根がついていた。いまは壁を付ける作業をしているらしかった。パシテーも細かい柱の継ぎ目などを見ながら、小さく何度も頷いている。腕のいい魔法建築技師を使っているのだろう。すぐ隣に前世のアリエルがまだ子どもの頃に建てた工房の塔がそびえ立っていて、デキの悪さが際立ってみえる。恥ずかしい。


 つい先日、ここでニュクスやインドラたち古代の神々と戦闘があったばかりだというのに。

 ってか、ここの地下にはパシテーとゾフィーにお願いして作ってもらった個室牢があるのだが、基礎工事で天井が抜けないか心配だ……などと物思いにふけっていると、声をかけられた。


「ノーデンリヒトへようこそ。でも次のかたが転移できませんので、転移完了されたら、速やかにこちらへ降りてください……」


 係員の人に促されるままに魔法陣を降り、すまんねと会釈したら、どこかで見た顔だった。


「ああっ、これはこれは、っと失礼しました勇者どのですよね、聞きましたよ! まさか社長の身内だとはつゆ知らず、失礼な態度で接してしまったことをお詫びします」


 アリエルたちに声をかけてきたのはセンジュ商会のマローニで番頭を務めていたコルシカだった。

 足が痛いといって泣き言を言い始めたエルフの女の子たちを乗せる馬車を都合してもらったことがある。


「あれ? なんでこんなとこにいんの? コルシカさんたしかマローニの偉い人だったんじゃ……」


「はい! 実はですね、うちの女将おかみさんが頑張ってくれたおかげで転移魔法陣の管理をさせてもらうことになりまして、私が管理部門を任されることになったんです! いまは研修として1から仕事を学んでいるところです」


「もしかして出世?」


「はいっ! 部門長ですよ! 大出世です。それもこれもあなたのおかげです。ありがとうございます。これからもご指導ご鞭撻のほう、よろしくおねがいします」


「おおお、おめでとう。さすがジュリエッタだ。センジュ商会に任せておけば間違いないな」


「はいっ! ありがとうございます。期待に応えられるよう、頑張ります!」


 深々と頭を下げるコルシカの姿と、転移魔法陣と、ノーデンリヒトに瞬間移動してきた事実と、そしていまセンジュ商会がこんな素晴らしい装置を管理すると聞いたダイネーゼが驚きを隠せずにいた。


「噂には聞いていたが、ノーデンリヒトはこんなものを……」


「ああ、言いたいことは分かる。流通革命になるからね、夜間の利用客が少ない時間帯にセンジュ商会が荷物を運んでる。あ、心配しなくてもトラサルディ叔父さんも一枚噛んでるからね、男性エルフたちの働き口として話してたと思う」


「おお、そうでしたか。さすがにあの人は抜け目がないな、これに噛まないわけがない」


「だいぶ殴られてたけどね、あははは、必死で縋って食い下がってたよ」


 興奮気味に話すトラサルディと、何も聞かされないまま突然転移させられたイングリッドはすぐさまその場で四つん這いになって転移魔法陣を調べようとした。まあ、イングリッドはそのの姿をみた母セラエノが「よしなさいみっともない」といってやめさせた。


 浮かれた二人とは対照的に、ビルギットはひとり、なんだか気分でも悪くしたかのように黙り込んでいた。

 ビルギットの様子に気が付いたのは実はロザリンドだけだった。普段ガサツだと言われているが、こういうところだけ敏感という、意外な一面を持っている。



 アリエルがビルギットの異変に気付かないまま一旦ここの建物を出て、ベルセリウス家の屋敷に向かうため、通りに出ようかとしたら、なにやら女性エルフ特有の高い声で、ガミガミ怒ってる声が聞こえてきた。


「ケンカしてんのか?」


 アリエルが怪訝そうに声のした方をみると建物から出たすぐ右の、壁の影になったところに正座させられてうなだれている男の姿と、えらい剣幕で怒り散らしているエルフ女性の姿があった。


 アリエルもあの説教を食らったことがある。

 みなも当然気が付いていたが、パシテーをはじめ、弟たちはもう目も合わせたくないらしく完全に無視していて、セラエノだけはアリエルに「申し訳ありませんが、早くこの場から離れましょう」と言って、怒れるフィービーとの対面を避けた。


「いやあ、俺的にはパシテーのお父さんに挨拶しない訳にはいかないんだけど……」


 言うと、とばっちりを受けたくないというセラエノたちの切なる願いをぶった切り、パシテーがガミガミモードのフィービーに向かって、普通に、本当に素っ気なく声をかけた。まるで母親があんなにも怒るなんてこと日常茶飯事なのだから、いちいち気にしてたらキリがないとでも言わんばかりに。


「お母さんただいまなの。お父さんのおかげで家族が神殿騎士に攫われて大変だったの。2時間追加なの」


「誰もケガしませんでしたか?」


「アプロードが大怪我したの。でもジュノーが助けてくれたの」


「追加は4時間にしましょう」


 フィービーとエンドアが簡易携帯型の転移魔法陣を使ってノーデンリヒトに来てからすでに6時間は経過してる。ということは6時間ぶっ通しで正座させられているはず。長時間にわたる正座を強いられることで、万が一にでもエコノミークラス症候群でも引き起こしたら命に係わるのだけど……。


「パシテー、いまどれぐらいやってんの?」


「たぶん6時間ぐらいなの」


 6時間というと、パシテーを死なせてしまったことで怒りを買い、我を忘れたガミガミ攻撃されたときと同じぐらいだった。まあ、ジュノーがいるから死ぬことはないだろうが、いくら何でもこれから更に4時間追加となると命の危険すら感じる。



 当のフィービーは家族を助けてくれたジュノーに丁寧なお辞儀をして礼を言うと、ずいぶん年老いてしまったセラエノに視線を移した。アリエルもパシテーも一度死んで異世界に転生しているので正確な時間は分からないが、おそらく二人の間には32年もの時間がたっていて、記憶の中の顔と整合性が取れないだろうが、当のフィービーはハーフエルフであるため、32年ぐらいじゃほとんど容姿に変化がない。


「セラエノ。元気してましたか」


 セラエノはゆったりとした動作で、深々と頭を下げて「ご無沙汰しております」と他人行儀な返事をした。


 パシテーの弟たちもぺこりと小さく会釈してみせたが、特にアプロードなどは平常心を保つことがうまくできず、露骨に表情をひきつらせていた。純血エルフだから姿は若いだろうと思っていたが、まさか少女ほど若く見えるとは思ってなかったのだ。ヒト族に換算すると14歳ぐらいにしか見えない姿に驚愕するほかなかった。むしろまだ12歳のエアリスと同い年ぐらいに見えるのだ。


 3人の中で実父のロリコン疑惑が浮上した瞬間だった。


 こんな時はけっして口を出すことがないジュノーが少し気になるような素振りでエンドアが正座させられているのを横目で見ながら小さな声でつぶやいた。


「パシテーのお父さん?」


「そうらしい」


「ふうん、助けないの? あのひと意識ないわよ?」


「「「「 えええっ?」」」」


 アリエルの目にエンドアはフィービーの説教にちゃんと頷きながら話を聞いているように見えたのだが、どうやらアレは失神してもパンチを出し続けるボクサーのようなものだったらしい。


 すぐさまパシテーが止めに入り、エンドア・ディルはレフェリーストップにより救われた。

 フィービーはまだ怒りが収まらない様子で、また明日4時間やるんだと食い下がった。


 アリエルはここの管理を任されてるというコルシカを呼び出し、担架をもってきてもらった。ここでしばらく休ませておいて、ベルセリウス家のほうに受け入れる体制ができたらすぐ迎えに来させるということで、エンドアとフィービーの身柄を預かってもらうことで話はついた。


 さてと、さすがにこの人数を一度にベルセリウス家のほうで面倒みてもらおうにも部屋たりるのだろうか。さきにトリトンに顔合わせするのが筋なのだろうが、気が重い。



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 それからすぐ。

 クレシダに先導されて訪れたトリトン・ベルセリウスの執務室では、でっかい机に書類の山があって、トリトンがモタモタするせいで書類仕事が終わらないのだろう、ガラテアさんが手伝わされてるといった絵面があり、アリエルの顔をみたトリトンは書類仕事の片手間で、面倒くさそうに言った。


「で、また客を連れてきてくれたのか?」


 ずらっと雁首揃えた人たちがぺこりとお辞儀する。

 ここは応接室ではなく、トリトンの仕事場であり、来客用のソファーも用意されてないし、大人数で押しかけると全員立ちっぱなしを余儀なくされる。


 アリエルの妻たちはパシテーを除き、サオやエアリスも含めて全員、孫たちの部屋に行ってしまった。

 今日はサナトスとレダも家族水入らずでのんびりするつもりだったらしいが、残念だった。

 まあ、アイシスとハデスを女連中に手渡せばサナトスとレダは解放されるだろう。


 パシテーは当然、アルトロンドに残してきた家族がお世話になるのだから同席しているとして、ここにはパシテーの弟妹きょうだいと妻や子たち、そしてもう一人の母、ダイネーゼとその妻と娘とブレナン。ここまではいい、問題はビルギットだ。


 なにぶん急な話で、執務室で仕事の手をとめさせてムリヤリ会合をねじ込んだため、アリエルサイドには座る椅子がなく、本当に申し訳なかったが……この申し訳なさはビリーの正体を知った瞬間、トリトンのほうにカウンターパンチとなって突き刺さるだろう。


「えっと、父さん。こっちね、この線からこっちがパシテーの家族で、このひとがお母さんで……」


 トリトンが椅子から立ち上がり、営業用のスマイルをキメて挨拶を交わした。トリトンもフィービーから話を聞いていて、パシテーの家族にはアルトロンド評議会議員が二人も輩出していることが調査済みであったこと、二人の政治信条が魔族排斥に反対し、根本的にはノーデンリヒトと考えを同じくするものであったため、パシテーの家族とは和やかに話が進んだ。


 外で倒れたエンドアが話せるようになったらゆっくり話をしましょうということで、クレシダがすぐさま動き、パシテーの家族たちは部屋を用意してもらった。エンドアとセラエノは同室だが、フィービーがどう出るか分からないので1室は余裕をもって残しておくこととなった。


 パシテーの家族たちはアルトロンドの情勢が片付くまでノーデンリヒトで生活してもらい、あっちが落ち着いたらその時の状況を見てどうするか考えるという方向で、しばらくはベルセリウスの屋敷で暮らせばいいし、状況が長引きそうなら家を用意するという約束をした。


「ところでアリエル? 今日はダリルマンディじゃなかったか?」


「ああ、朝のうちに終わったよ」


「「 は? 」」


「終わったって?」


 アリエルのとんでもない報告に、トリトンとガラテアは締まらないポカーンな顔で返した。


「ダリルマンディ速攻で陥落だよ。エースフィル・セルダルは律義な男でさ、フランシスコ義兄さんにダリル領を売り渡してから死んでくれたよ。今後ダリルは魔王が統治することになるね」


「まてまてまてまて、朝のうちに終わった? ちょっとそれは関係各位全員集めて緊急会議を招集しなくちゃならんじゃないか。ガラテア、すまんが全員集めてくれ。いますぐ会議しないと時間が足りん」


「了解だ。だがなあエル坊、お前さんやることが早すぎだ。予定を先に言っといてくれてもバチあたらんだろうが。政治のほうがモタついちまってよ、イライラさせちまって悪いがトリトンもほとんど寝る間もなくあちこち手を回したりしてくれてんだ。またトリトンが倒れたらノーデンリヒトはお前に任せるぞ? お前のせいなんだからな、お前が国王やれよ」


「イヤだよそんなの。面倒くさいじゃん」


「ガハハハ、マジでそれな。トリトンが国家元首なんかやるんじゃなかったって泣き言をいったのなんて10回や20回じゃないからな、だがこれだけ人口も増えてくるとそうも言ってられんのよ、当のドーラ王と作戦のすり合わせもしなくちゃならんし、侵攻のほうがこうまでトントン拍子で進んでしまうと、政治の遅れが深刻だ、最低でも方針の確認と今後の話もせにゃいかんだろう、アシュガルド帝国の動きも気になるしな」


「ああ、こちらのダイネーゼさんは情報の取り扱いが専門らしいから、手を借りるといいかも」


 トリトンとガラテアの鋭い眼光がキラッとダイネーゼのほうに向いた。


「ダイネーゼ? もしかしてダイネーゼ商会の?」


 トリトンの視線が眼力を増す。

 ダイネーゼは深々とお辞儀をしながら視線を上げる事はなかった。


「はい、アルトロンドで商いをしておりました。グローリアスでは情報を扱うこともしておりましたので、何なりとご用命ください」


 トリトンはすぐ後ろに立ってるエルフの婦人と、ハーフエルフの娘をみて全てを理解した。

 そして問う。


「センジュ商会とは話がついているのだな?」


「はい、家族を受け入れていただくという条件が叶いましたらダイネーゼ商会もグローリアスとしてサナトス・ベルセリウス、およびノーデンリヒト傘下に入ります。当社はアシュガルド帝国にも支店を許されておりますので、バラライカ、エルドユーノ、帝都フリーゼルシアまで情報収集しておりますし、こちら側から工作員を送り込むことも可能です」


 トリトンは小さく頷いて、ダイネーゼの家族を快く受け入れることを約束し、今日これから関係者を集めて行われる会議に参加するよう求めた。


 グローリアスの幹部、ヴィルヘルム・ダイネーゼはノーデンリヒトに永住を希望したので、奥さんの住居や娘さんの学校のことも考えなければならず、家を用意するまで、ひとまずはベルセリウス家で預かってもらえることになった。


 ダイネーゼの娘は学校に行けると聞いた時、ぴょんぴょんと跳ねて喜びを表現した。

 アルトロンドのエルフには何も権利がない。もちろん教育を受ける権利もないから学校はエルフを受け入れることがなかった。これからは人並みの学校教育を受けることが出来ることに、ダイネーゼは目を潤ませて喜んだ。


 ダイネーゼ商会の秘書兼番頭を務める、ダイネーゼの右腕、ケント・ブレナンは国中を飛び回る必要があるため、転移魔法陣の使用許可を申請した。これについてもすぐにパスが与えられるだろう。


「というわけだ、なるべく早くドーラ王と会って今後の事について話し合いがしたい。あっち方面は転移魔法陣がないから難しいだろうか? そこんとこ、アリエルにセッティングしてもらっていいか? こっちから出向いてもいいから都合をつけてくれ」


「分かった、今夜にでも行って伝えとく。それと転移魔法陣の件でも相談があるんだけど……、それはまた後でいいかな。先にビリーを紹介しないと」


「転移魔法陣の件は分かった。さあてと、やっとそちらの女の子を紹介してくれるんだな。どちらサマなんだ? また引っ掛けてきたのか?」


「エル坊の新しい嫁さんってトコか? わははは」


「えっと、本当は一番最初に紹介したかったんだけどさ、ちょっと言いづらくて最後になってしまったけど、この子、ビリーっていうプロテウスの子なんだけどさ……」


 ビルギットは一歩前に出て、ぺこりとお辞儀したあとウェストポーチから二通の手紙をアリエルに手渡した。


 なんとも厳つい封蝋で〆られている厚手の紙封筒だった。


 一通は王国騎士団の盾の紋章で封されていて、もう一通はキングクラウンを4枚の盾が囲む紋章、これはシェダール王家の紋章だ……。ちなみに4つの盾は王国建国時、国王に付き従った4英雄、つまり今でいうベルセリウス家、ガルベス家、フェイスロンダール家、セルダル家を表しているのだけど、うち2枚の盾はすでになくなってしまった。


 アリエルが受け取った封書をトリトンに手渡すタイミングで、ビルギットが深々とお辞儀してトリトンに向き合った。


「本日は、お忙しいところ接見のお時間をいただ感謝します。私はビルギット・レミアルド・レーヴェンアドレール。ただいまの書簡は国王ヴァレンティン・ビョルド・シェダールからの親書と、前王国騎士団長、ショーン・ガモフ氏からの親書になります。よろしくお納めください」


 二通の手紙を受け取ったトリトンは封蝋に押された紋章をみて、深いため息をついたあと、いくら何でも王家の紋章を見せられて着席したまま挨拶はできないので、トリトン、ガラテア揃って起立し、敬意をこめた挨拶で出迎えた。ただ、トリトンにしても王国騎士団に在籍していたのはもう何十年も前の話なので、ビルギットの名を聞いてもいまいちピンとこなかったし、レーヴェンアドレールを名乗ったことで、王侯貴族か何かの出身だろうと思った程度だった。


(外交官なのだろうか? いや、それにしても若いな、若いというより幼い。グレイスよりも年下に見えるじゃないか。まさかまたアリエルが手を出したなんてことないだろうな……)


 なんてことを考えていた。


 シェダール王国から国王の親書をもってきた相手なので、自分よりも格上のお客さまとして対応するのが礼儀だ。トリトンのほうが先に名乗らなければ失礼にあたるのだが、ビルギットに先を越されてしまったので、いつもより恐縮したまま名乗った。


「ノーデンリヒト元首、トリトン・ベルセリウスです。よくお越しくださいました。なにぶんアリエルは放蕩息子でして、王国からの使者を案内してくるなら先にいってくれたら準備もできたのですが、いやはやお恥ずかしいところをお見せして申し訳ないです」


「いえ、お気になさらず。私は人質ですから」


「「「「「「「 えっ? 」」」」」」」


 人質という言葉にアリエルとパシテーを除く全員の視線がビルギットに集まった。


「あの、人質というのはどういう意味なのでしょうか、突然のことでちょっと理解が……」


「はい、まだ数時間前の話なのですが、実はベルセリウス派の魔導師、ゾフィー・カサブランカさんにプロテウス城が襲撃されてしまい、私が人質になることで合意しました」


「「「「「「「 はあ? 」」」」」」」


「ちょ、ちょっと失礼します」


 そう言ってトリトンは書簡の封蝋を解いて親書を取り出した。


 まぎれもない国王の名で、急な話で申し訳ないが、レミアルドは実の娘であること、元老院議員であること、人質という体面をとっているがレミアルド本人が希望して外交目的でノーデンリヒト行きを自ら志願したので、外交官の権限を与えたということが書かれており、人質ではあるが外交官としての地位を保証してやってほしいとの旨書かれてあった。


 もう一通、トリトンの元上司、前王国騎士団長ショーン・ガモフからの書簡は絶対に開けて見たくはなかったのだが、立場上見ないわけにもいかず、嫌々ながらもそっと開き、まるで何か飛び出してくるびっくり箱を開けようとするように、指先で顔を背けながら便箋を取り出すと、横からガラテアがそれを奪っておもむろに広げ、トリトンの目の前にバンと置いた。


[ビルギット・レミアルド王女殿下の身と貞操の安全を命に代えても必ず守ること。万が一、レミアルドさまに指一本触れてみろ、地の果てまで逃げたとしても必ず探し出して殺してやる。このガモフ命に代えて]


 と書いてあった。

 トリトンはガラテアと顔を見合わせ、二人でお互いゲンナリした表情を見せ合った。


「これはこれは無知をさらしてしまいました。王女殿下の御名も知りませんでした。不勉強を恥じ、今後はこのようなことのなきよう心掛けます。まさか不肖の放蕩息子が王女殿下を人質になどと考えてもみませんでしたが、国王陛下よりの親書、確かに承知しました。国王の要請によりビルギット・レミアルドさまには外交官としての地位を保証いたしますので、人質だなんておっしゃらず、ぜひリラックスしてください」


 ちなみにノーデンリヒトは公的に独立国として承認されていない。

 しかし国王は個人的にではあるが、外交官として王女殿下を送り込んできた。


 つまり国王としてはノーデンリヒトを独立国として認めるということだ。

 シェダール国王の親書は、まぎれもなく親書であり、今後の二国間の話し合いにおいて、間違いなく一歩前進する内容だった。


「無理を聞いていただき、ありがとうございます。ガモフ氏の信頼厚ければこそ私のノーデンリヒト行きが許されました。トリトンさまの人柄あってのことです」

 

 ショーン・ガモフという男だが、トリトンの記憶では悪夢のようなクソ上司でしかなかった。

 それはガラテアにしても同じだが、とにかくトリトンが王国騎士団に居た頃のガモフは部下思いで誰にでも頼りにされる存在だった。しかし仲間思い、部下思いが高じて、騎士団員が傷つけられでもしたら相手が国軍であろうと鉄拳をもってカチコミに行くという鬼と化すことをよく知っていた。トリトンも昔、騎士団に放り込まれた当時にケンカをやらかして、ガモフとはひと悶着もふた悶着も経験している。



「わははは、そういやあトリトン、ガモフのおやっさんとガチの殴り合いになった事あったっけか、あれ何が原因だったんだ?」


「ああ、騎士団の中でちょっとしたケンカになってな、そのあとガモフのオッサンとも殴り合いになった」


「そうそう、二人とも戸板に乗せられて教会の治癒院に担ぎ込まれたっけか。たしか折れた骨の数でトリトンの負けが確定したんだった」


「負けてねえよ。どうみてもガモフのオッサンのほうが男前になってただろうが!」


 などと話しながらガモフからの親書を手に取り、ビルギットに手渡した。

 書かれてある内容を目で追うと、ビルギットは目を丸くして驚いた。ガモフが書いた書簡は親書とは名ばかりの脅しともいえる内容だったからだ。


 慌ててお詫びしようとするビルギットをトリトンは制止し、話を続けた。


「いえ、ガモフ騎士団長とは親書でこういうやり取りができるぐらいには親しい間柄ですからご心配なきよう。本当はもう裸足で逃げだしたいぐらいですよ。あのオッサンがこんなに怒ってるってことは、騎士団に相当な被害が出たのでしょうね?」


「はい、コテンパンにやられてしまいましたよ。私が人質に志願しなければ、国王が攫われるところでした」


 トリトンとガラテアはまるでこの世の終わりでも見たかのような苦渋に満ちた視線をアリエルに送ったが、アリエルはよそ見を決め込んだ。


「なるほど、心中お察しします。ところでビルギット・レミアルドさまが外交官としてノーデンリヒトに来られたからには、我が国とシェダール王国の間で何か取り決めをしたいと、そう考えてらっしゃるのですよね?」


「はい」


「分かりました、お疲れのところ申し訳ないですが、今日これから会議がありますので、ご同席お願いできますか?」


「もちろん、そのつもりです」



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