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17-59 ヘミングウェイが見た女神(1)羨望

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 一方、こちら神殿騎士団本部、時間は約6時間前まで戻る。


 ここはガルエイアの神殿騎士団本部、今日は午前中から陥落したグランネルジュと、ダリル防衛をどうするか?という問題で、今後の方針について意見が割れて紛糾している。


 騎士団長が不在のいま、この神殿騎士団本部を任されているのは、ディスコード・ヘミングウェイ。神殿騎士団では、ホムステッド・カリウル・ゲラー騎士団長に次ぐ役職で、二人いる副団長のうち仕事として騎士団本部から出ることがない事務方じむかたのトップだ。


 騎士団の幹部たちと今後のダリル方面の戦略について話をしたいたら、ドアがノックされた。

 会議室を訪ねてきたのはまだ若い騎士見習いの男だった。


 なんでも鳩の世話を担当している教会ボランティアの男が、グランネルジュからの鳩が帰ってきたといい、メモの入ったカプセルを持ってきたのだという。


 よほど重大な会議でなければ鳩のカプセルは優先される。

 なぜなら、鳩にメモを託すという時点で、一刻も早く知らせる必要のある危急の用なのだ。


 カプセルは緑色に黄色の線が2本入っている。確かにグランネルジュからの伝書だ。


 グランネルジュ大教会にある神殿騎士団はガリオー・シュトローム隊長が仕切っていたはずだ。

 シュトローム隊長はグランネルジュ大教会に駐在していた神殿騎士団西方面隊トップであり、グランネルジュ方面に派遣されていた団員80名を指揮する最高責任者だ。ガリオー・シュトロームはじめ、グランネルジュの神殿騎士たちはダリル軍が侵攻してきた時にも教会信者を守るのに尽力したという。その報告は聞いたが……。


 いまは北の魔王軍と結託した人類の敵、ノーデンリヒト軍と交戦中だと思われる……、鳩を飛ばすということは戦況は芳しくないのだろう。


 受け取ったメモは鳩の足につけて飛行の邪魔にならないカプセルに入っていたものであるから小さいのも必然だった。ヘミングウェイは老眼を患っており、小さな文字を読むのが苦痛であったため、取り次いだ団員にメモの内容を読み上げるよう命じた。


 見習い騎士の青年はカプセルを開けてメモを取り出すと、まずは息を吸い込んだ。このまま会議室に響き渡る声で、この場にいる全員の耳に入るよう張り上げようとしたのだが、書かれていたのは驚愕の内容だった。


「えっ?」


 失態だった。会議室に居た全員が冷たい視線で青年を睨みつけた。


「なんだねキミは、そんなことではいつまでたっても見習いだぞ?、落ち着いて読み上げよ。活舌よくな。セリフを噛んだら訓練場を50周だ」


「は、はっ! りょ、了解しました! 読み上げます」


「はははは、それは噛んだことにならんのか? 走るか? おい」


 会議室は少しの間だけ和やかな雰囲気に包まれた。しかしその空気はすぐに凍り付く。


「グランネルジュにて、女神ジュノーの降臨を目撃した。しかし女神はノーデンリヒトについたため真偽は不明だが、降臨の御姿は予言の壁画通りであった。次、神殿騎士団長ホムステッド・カリウル・ゲラー司祭枢機卿カーディナルビショップがノーデンリヒトの捕虜になった。次、ナルゲンにて評議会議員、エンドア・ディルがノーデンリヒト人と密会している現場を認めた。密会の相手はハーフエルフ『フィービー』と、飛行術を操る『ブルネットの魔女』、文責ガリオー・シュトローム。……以上です!」


 そういって見習い騎士の青年は踵を鳴らして敬礼し、次に気を付けの姿勢へと移行した。


 読み上げた内容に、一同みな驚愕し言葉を失ったが、すぐ落ち着きをなくして声を荒げる。


「「「女神ジュノーが降臨なされたのか」」」


「いやまて、だがなぜノーデンリヒトなどに? なぜだ? 偽者ではないのか? ちょっとその報告書をこちらへもってこい! 間違いではないのか」


「いやまて、女神ジュノーの降臨を預言されたのは教皇さまである。教皇さまの預言を疑うとは何事か! 間違いであるわけがない」


「おおっ、ほら見ろこれを! 本当に女神ジュノーが降臨されたと書かれておるではないか。預言の壁画どおりだったと!」


「ではなぜノーデンリヒトにつく! 道理がないではないか」


 ヘミングウェイは手を出し、小さな小さな文字でびっしり書かれてある小さな報告書を受け取ると、手を伸ばし視線から遠ざけて書かれてある文面を凝視した。


「静粛に。そんな大声で怒鳴り合わなくても聞こえています。ちょっと情報量が多いので整理しなければなりません。女神ジュノーが降臨されたとなれば、それが嘘偽うそいつわりであっても噂だけが先走ったとしても極めてデリケートな事案なので、すぐさまこの報告書をもって教皇さまにお知らせしたいのだが、ゲラー騎士団長が捕えられたとも書かれている、これは由々しき事態であるし、騎士団長の件が収まるまで私がこの場を離れることが出来なくなってしまった。よって教皇さまに報告書を直接お渡しする役目はダニエル部隊長に任せる。同時にエールドレイクへ向けて鳩を飛ばすように」


「はっ! では私は早馬で」


 すぐさま出てゆこうとする気の早いダニエルを呼び止め、報告書をカプセルにいれ、蓋をしめてから手渡した。


「おいおい、報告書も持たずにどこへ行く気だ」


 恐縮するダニエルに報告書を手渡す。


「頼んだぞ、私の権限では対応を決めかねる。その件についてもすぐ返信が欲しいと伝えるんだ、ついでに議員会館にも寄ってアレクセイ・ドマノフ議員にも口頭にて報告しておいてくれ、あの人は情報が遅れるとうるさいからな」


「了解しました!」


 ダニエルは踵を慣らし、敬礼すると早足に会議室を出て行った。


「次に、エンドア・ディルの件だが評議会議員ともあろう者がブルネットの魔女と密会していたというのは見逃せないな。ガリオー・シュトロームはいつガルエイアに戻る?」


「ナルゲンから鳩が飛んだのだとすると、徒歩の行軍であと2日はかかるかと。馬を連れて迎えにやりましょうか?」


「うむそれがいいな、女神ジュノーが降臨されたなんていう最高レベルの情報をなぜナルゲンにくるまで報告しなかったのか! そこが疑問なのだ。シュトロームに直接会って私自らが聞きたい。どうせすぐエールドレイクにも呼ばれるんだろうが、先に話を聞きたい」


「確かに! 女神ジュノーが降臨されたというなら、すぐさま報告すべきです! なぜアルトロンドに入ってから鳩を飛ばしたのか、その理由が知りたいですな」


「うむ、あともうひとつ! これも急ぎだクラソン! 審問機関ジュライに情報提供を求めよ。たしかディル家に工作員が潜入しているはずだ。エンドア・ディルはかねてから怪しいと思っていた。今回、ブルネットの魔女との密会が発覚した以上、向こうは全力で姿を隠すだろう、そうなってしまったら厄介だ、エンドア・ディル議員とその家族たち全員をこの場に連れてこいと命じろ! 手段は問わないが、全員ちゃんと話のできる状態で逮捕してくるんだ。そしてすべて可及的速やかに遂行せよ。どれひとつとしてのんびりしていいものではないぞ!」



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……それからしばらくして。


 ヘミングウェイ副団長は静かな執務室で、主にゲラー騎士団長がノーデンリヒトに捕らえられたという情報を確認するのに奔走していた。ホムステッド・カリウル・ゲラーは神殿騎士団長であるが、神聖典教会では教皇に次ぐ司祭枢機卿カーディナルビショップという非常に高い地位におられる VIP中のVIPだ。


 司祭枢機卿という地位は、教会的には領主よりも上の地位であり、教会内という限られたコミュニティでは王族と同等の権力を持っている。


 そんな者が何を血迷ったか、フェイスロンド領主が少しエルフの血が混ざっているということに目くじらを立て、自らの手で捕えてくるなどと言って戦場に出たまで良かったが、あっさりと敵方に捕らえられてしまったというのではガルエイアに残る部下たちとしては、何とも言えず、情けない気持ちになってしまう。


 王都サムウェイにある神殿騎士団本部に逮捕、監禁していたボトランジュ領主、アルビオレックス(中略)ベルセリウスを王都側に奪われたことが悔やまれる。


「カナンよ、ボトランジュ領主とその奥方の身柄をこちらに譲ってもらえるよう、なんとかプロテウス側に圧力をかける口実はないか?」


「はい、そうですね。あれは大悪魔、アリエル・ベルセリウスのセカ襲撃が原因だと言われてますからね、プロテウスの老人たちは王都がセカ港のように跡形もなく吹き飛ばされるんじゃないかと怯えているのです。だからちょっとやそっとの圧力じゃあ返ってくることはなさそうです……」


「そうか、もし本当にゲラー騎士団長がノーデンリヒトに捕らえられたのだとすれば、こちらも決断せねばならん。万が一に備えて元老院を動かすしかない。トーマス・トリスタン議員に即時連絡をとるように。ボトランジュ領主の身柄を神殿騎士団に戻すよう議題の提出、票の取りまとめを依頼しろ」


 トーマス・トリスタン議員は元老院株をひと株保有する王侯貴族である。

 端的に言うと、現国王とはイトコの関係にあり、王都サムウェイ区を治める自治体の長でもある。


 王都サムウェイ区は王城から南西に位置し、フェイスロンドと領境を接する、風光明媚な丘陵地帯で、丘の上には神聖典教会のサムウェイ大教会が神々しく建っていて、そこに至る坂道の登り口には神殿騎士団サムウェイ本部がある。そんな王都サムウェイ区であるから、教会からの影響力は、極めて強い。


 つまるところ、ビルギット王女殿下とは何かと衝突する政敵であり、今回も人質に出した張本人であるトーマス・トリスタンは、国王のイトコということでビルギットとは親戚関係にあるが、明確に教会の意思を強く反映する議員だということだ。


 そしてトリスタン率いる政治派閥はガチガチの教会信者で占められているから、王国の舵取りをするべき元老院議会をある程度、教会有利に動かすことができるのだ。


 トーマス・トリスタン議員には大きな野望があった。

 それは現国王の跡を継ぐはずだった2人の王子が相次いで病死したせいで、王位継承権の1位がまだ幼い少女だったビルギット・レミアルドに移行したことに端を発する。


 トリスタンも王位継承権となれば、レミアルドが第1位になった時点でも7位程度になるのだが、実力的にはビルギットのすぐ下とされていて、ビルギット王女が居なくなりさえすれば、実質的には自分が次期国王を十分狙えると考えていた。


 つまりこういうことだ。

 トーマス・トリスタンを次期国王になれるよう、教会が支持を表明してやる。その代わり、ホムステッド・カリウル・ゲラー司祭枢機卿の救出を助けろという取引を持ち掛けるということだった。


 しかしヘミングウェイは今日、王都プロテウスがゾフィーの襲撃に遭ったことも知らなければ、幽閉されているボトランジュ領主と引き換えにビルギットが人質に出されたという事実など知る由もなかった。



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……それからまたしばらくした頃。


「なあクラソン、ジュライからの報告はまだか? 鳩を飛ばしてからもう4時間が経過しているではないか。行き違いになるかもしれんが、ディル家の情報を受け取りに行ってこい。鳩を飛ばすという意味を分かっておらんのかジュライの奴らは」


「はっ、了解しました」


 クラソンが立ち上がって敬礼したとき、ノックの音がして、乱暴にドアが開き、騎士服の男が敬礼したあと大声を張り上げた。


「報告します。エンドア・ディルとその家族を逮捕し連行したのですが凱旋広場にて抵抗され、現在戦闘になっております」


「なにを手こずっておるか、多少怪我をさせたところで治癒師を呼んでやるから構わんよ、エンドア・ディルは病床に伏していると噂だが?」


「いえ、アプロード・ディルです。衛兵隊の! アプロード・ディルが乱入したせいで、被害甚大であります!」


「アプロード・ディル? たかだが衛兵隊ひとりに被害甚大だと? 訳が分からん。分かるように説明せよ」


「はっ! カストル・ディルとその妻子、エンドア・ディルの妻と、娘のイングリッド・ディルなど合計8名を護送中に背後から突然馬に乗ってアプロード・ディルの襲撃を受けました」


「ええい、厄介な。被害状況は?」


「はっ! 死者19名、重傷者6名、軽傷者5名、合計30名。なお、軽症者のほうは治癒魔法を受けて、持ち場に戻りましたが、重傷者を治癒できる治癒師が現場にいないため死者は増える可能性があります」


 ヘミングウェイは目の前が真っ暗になるのを感じた。

 なぜそんな大事だいじになるのか。確かにアプロード・ディルの家族は妻と子ども2人を既に捕えている。だがそれは事情を聞く前に姿を消されないようにするためだというのに。


「死者……19名だと……」


 そこまで大規模な戦闘になっているとしたら、同じ凱旋広場にある西側のアルトロンド領軍司令本部からも兵士たちが出ているだろう。


 そして穏便に済ませられるようなことではなくなってしまったということだ。


「訓練している見習いのやつらも全員、装備を付けさせて凱旋広場に出させろ、絶対に逃がすなよ」


 廊下に出ると、ヘミングウェイの命令を待たず、先んじてフル装備をつけた者たちが強化魔法の起動式を唱え本部を飛び出してゆくのが見えた。


 ヘミングウェイは狭い廊下を急ぐフルプレートの騎士たちの道を塞がないよう、脇に立って見送ると、自らも強化魔法を唱え、早足で建物を出て行った。


 門から凱旋広場に出ると、そこには実絶に尽くしがたい悲惨な状況があった。

 石畳がめくれてあちこちに大穴が空いていて、そこに少なくない数の騎士が倒れていた。


 目を覆わんばかりだった。


 何人が倒されているのか、すぐには分からないほどに。



 ヘミングウェイは神殿騎士団副団長とはいえ、事務方の出身で、いわゆるホワイトカラーというやつだ。だから戦闘した経験はないし、これほど酷い現場を見たこともなかったのだ。


 すでに騎士団とアルトロンド領軍が展開済みであり、包囲は完了しているように見えた。


 しかしあれはなんだ? 広場の中心でピンク色の花びらが渦を巻いて、まるで生き物のように流動している。盾を構え、身を隠しながら前進する教科書通りの戦闘をする部下たちの足元が弾け、次々と倒されていった。空気が切り裂かれたようにうなりを上げると、またひとり、またひとりと若い命が散ってゆく。


 そして広場の上空、ある時は波となり、あるときはたぐられたリボンのように複雑な動きを繰り返していたピンク色の花びらの集合体は、一カ所に集まりはじめ、すぐさま空に浮かぶ黒装束の魔女へと姿を変えた。


 その姿を見た者はみな戦慄の色を濃くした。

 16年前にアルトロンドを襲った災厄。事務方のヘミングウェイでも訓練に参加したら何度も何度も仮想敵として対応訓練をしたのだ。初対面であっても、アルトロンドの兵士たちは皆知っている。


 剣の届かない上空を目まぐるしく飛び回る黒装束の女。髪色は黒に近いブルネットだった。



「「「「「「「「 魔女だあああああっっ!! 」」」」」」」」


 領軍のほうから悲鳴に似た叫びが聞こえた。

 そうだ、あれがブルネットの魔女だ。意外にもヘミングウェイに驚きはなかった。なぜなら数時間前にエンドア・ディルがブルネットの魔女と密会していたと報告を受けていたからだ。そしてこの場にはエンドア・ディルの家族たちが集められている。騎士団に捕らえられては都合が悪いのだろう、いまここに現れたのはきっと騎士団にディルの家族を奪わせないためだ。


 だがしかしブルネットの魔女の対処法はこちらも承知している。

 帝国軍のように竜騎兵をもっているなら難しいものではないのだが、アルトロンドにはそんな都合のいいものはなく、魔女が飛行魔法を解除し、地上に降りてくるまでは手も足も出ないことは分かっている。そして神殿騎士団は弓兵を制式採用していない。あくまで弓を引いて矢も射ることができる重装歩兵であり、射かけた矢を魔法で軌道修正するなどというスキルは持ち合わせていない。狙い撃ちではなく、集団で号令に合わせて前方に矢を射ることで面制圧を狙うことを主任務としている。


 ともすれば、当然だが狙いは地上にいるディル家の者たちだ。ブルネットの魔女に手を出したところで捕えられる気がしないし、上空から一方的に狙い撃ちをされるだけだ。


 ヘミングウェイが落ち着いていると思ったのだろう、剣と盾だけ持って駆け付けたクラソンがすぐ傍らにいて「副団長、指揮をお願いします」と言った。みなヘミングウェイの方に視線を向けた。

 相手が相手だ。もはや指揮系統不在で戦える状況でもない。


「負傷者を後ろに下がらせろ! ひとまずは身を守りながら包囲を完成させよ。私は領軍の司令官と打ち合わせを試みる。ここは共同戦線を張ったほうが得策である」


 クラソンは数名の若い騎士を引き連れて、すぐさま倒れている者たちの中から生存者を見つけ出し、石畳の上をゴトゴト引いて後方へと移動させた。しかしブルネットの魔女は倒された仲間を助けようと近付く者には攻撃を加えてこなかった。大悪魔とはいえ、もしかすると話が通じる奴なのかもしれないとその時思った。だがしかし常駐の治癒師はすでに疲労の色が見えている。領軍サイドの治癒師がどれだけやれるか分からないが、こちらはこれ以上ケガ人を出せなくなった。


 あまり旗色は良くない。

 ヘミングウェイは大声でアルトロンド軍のゴーランド司令を呼び、現場判断での共闘を決めた。


 神殿騎士たちが隙間なく盾を並べて包囲を切らさず敵を逃がさないようにしながら、ブルネットの魔女に対する攻撃は領軍の第一陣が揃うのを待たず、招集に集まった順に弓兵メインで行うことになった。

 領軍の弓兵は精密射撃のできる専門職だ。空を自在に飛び回る魔女に対抗するには遠隔攻撃が効果的だというのは16年前の戦いで結果が出ている。

 神殿騎士はアルトロンド領軍と協力することで初めて魔女に届く攻撃手段を得ることになった。


 もっとも、パシテーの姿は幻影なので、肉眼に映る魔女を精密射撃したとして、その狙いが正確であれば正確であるほど命中しないというパラドックスが生じるのだが、闇堕ちした魔導師を狩る訓練を受けた最精鋭部隊ではないホワイトカラー出身のヘミングウェイには、違和感を覚えることすらできない。


 遠巻きに、遠巻きに、離れたところで盾を構えて、少しずつ確実に包囲を完了させ、すぐ背後に領軍所属の弓兵を配置すると、速やかに隊列を組んでゆく。


 そして号令。



「放て!」




―― シャシャシャシャパパパパッパパパッ!


 後方から遠隔攻撃を担当する領軍の弓兵たちが一斉に矢を射かけたのだ。


 ヘミングウェイは風を切って頭上を越えてゆく矢を見送り、おおよその着弾地点を凝視する。


 16年前の戦闘でブルネットの魔女の弱点は露呈していた。弱点とは闇魔法を使うとき飛行中であっても動きが止まることだ。その時を狙ってバリスタを撃つか、弓矢など遠隔物理攻撃を用いて一斉射撃を行う。これは領軍弓兵が訓練するとき、通常メニューに組み込まれている対空戦闘である。魔女対策というだけでなく近年アシュガルド帝国に新設された空軍の、つまり飛行船や竜騎兵の脅威に対抗するものである。


 弓兵たちは最初の号令のあと、各個自分の判断で次々と矢を放つ。

 花びらを巻きながら高速で移動する魔女に向けて、狙い、撃ち、そして視認誘導を行う。


 しかし当たらない。時に流動的に、時に瞬間的に、緩急のある動きに翻弄されるばかりで、当たる気配すらない。ゴーランド指令は弓兵のうち一小隊にだけ、ディル家のものたちに狙いを変更するよう指示を出した。数の差を生かした二面攻撃である。


 するとどうだ、地面に敷き詰めてある石畳がみるみるうちにめくれ上がり、矢を防ぐ簡易的なトーチカを作り出した。土木建築魔法技師の使う者の数十倍のスピードで、矢を放ってから、それが届くまでの間に、壁と屋根を展開してしまった。


 魔女は弓兵の視線と射角を見ただけで、狙いを把握しているのだ。

 ブルネットの魔女とは単に魔力がどうとかという問題ではないことを見せつけられ、ヘミングウェイは開いた口が塞がらなかった。


 その構築された壁は強固で、降り注ぐ矢などでは傷もつかず、刺さりもせず、すべてを跳ね返した。

 カラカラカン……と乾いた音を立てて、力なく矢が落ちる。


 ヘミングウェイの中で、ブルネットの魔女というものは恐怖すべき悪魔ではなく、もしかすると……ただひたたすら優秀なだけの魔導師ではないかという考えがよぎった。


 なんだそうだったのか……と思った、次の瞬間、ヘミングウェイの頭上を越えて、何発か白っぽい光の玉が撃ち込ま……。



 ―― ドッゴオ! ドドドド!



  ―― ドドオオオォォォンンン!!







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 次に気が付いた時、ヘミングウェイは空を見上げていた。

 なぜ空を見ているのかが分からなかった。そう言えば、高原に寝転んで、草の茎でもくわえて、風に吹かれるのが好きだったのを思い出した。そうだ、自分はこの草の香りと、頬を撫でるそよ風と、そして、すぐ隣に腰かけて、自分の髪を撫でてくれる彼女がいて、広いつばの帽子をかぶっていて、寝転んで空を見ている自分の顔を、上からのぞき込むんだ……。


(ああ……、ベナリー……)


「xxxx!! 副団長! △△△! 〇〇〇〇xx〇〇〇!!」


 いや、ベナリーではない?


 空を見ている自分の顔を覗き込んだのは、部下のクラソン? だった。

 なんだか必死で何かを訴えている。おいおい、慌てる必要などないよ、まずは落ち着こう。落ち着かないと、正しい判断ができないぞ……。


「副隊長! お気を確かに! 必ず助けます! ええいこっちだ! 治癒師をこちらにまわせ! ヘミングウェイ副団長の治癒をはやく!」


 クラソンの叫び声が聞こえるぐらいには耳が回復し、混乱して夢を見ていた脳ミソも徐々にではあるが何が起きたのかを思い出し、状況を把握し始めた。


 ヘミングウェイが上体を起こそうとすると、身体のあちこちに激痛が走り、力なくまた石畳に転がってしまった。左のわき腹が痛い……。


 痛む部分を手で押さえようとしたけれど、肘から先の腕が……、ない。

 高位の治癒師が必要だ……。


 高位の治癒師か……。


 まず頭に浮かんだのはジュライのゼリアス・アイアス司教だ。


 しかしヘミングウェイは、あの気持ち悪い男に頼むのは、なんだか嫌だなあとか考えながら、クラソンの助けを借り、その場に座ることができた。


 クラソンの慌てぶりとは対照的に、ヘミングウェイはどういうわけか冷静だった。


 そして今まで飛んでた頭の方も徐々にはっきりしてきた。


 服を脱いでみないと断定できないが、わき腹から大量に出血している。だがしかし、腕の出血を止めれば、すぐさま命がどうなるといったこともなさそうだということにしておく。なにぶん、医者ではないので、診断は感覚で行う。


 脇の下に手を入れて、腕から出血させている動脈を止める。

 状況が分からない。領軍たちのほう、弓兵に多大な被害を受けたようだ。


「クラソン、何かで強く縛ってくれ。いまは止血だけ急いでくれ、私の治療など後回しで構わん。治癒師が残っているなら重症者から助けるんだ。あと状況を! 私はどれぐらい気を失ってた? いま戦況はどうなっている!?」


「副団長は重症です! いまは何も考えないでください」


「クラソン! こんなときは、もう助からないとしても『軽症だ、必ず助かる』というんだよバカ者が! 私はどれぐらい気を失っていた!? 答えろ!」


「は、はいっ! 爆破魔法が撃ち込まれてからおよそ5分ほどです。包囲は破られていませんが、敵の人数が増えました」


「なに? どういうことだ!」


 クラソンの肩を借りておぼつかない足取りで、なんとか立ち上がり、一歩二歩と前に出るヘミングウェイが見たもの、それはチラッと見えて、視線を流して、ハッとしてまた二度見してしまい、言葉もなく、痛みも忘れて、脳が理解するのに時間がかかるものだった。



 神殿騎士たちが包囲する中央にには何人かの男女が居て、そのうちの一人が、見事なまでの真っ赤な髪を翻していたのだ。


 もしかして、もしかして……。


 狼狽えるヘミングウェイの目の前で跪く者が出始めた。

 今朝の情報がすでに騎士団の中で広がっていて、疑うことなく信じ込んでいる者が少なくないようだ。剣も盾もその場に捨ててしまう者が後を絶たない。女神に向かって武器を構えるなど言語道断だ。


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