17-58 ジュノーの要求
20220424 時系列修正
ビルギットはアリエルがどう答えるのかを知っていた。ビルギット本人もプロテウス城にいて、ただ蝶よ花よと浮かれた生活をしてきたわけではないのだ。当然、アシュガルド帝国軍とアルトロンド領主の不自然な癒着についても疑っているからこそ、アリエルの回答はおよそ正しいことも良く分かっていた。
それはアシュガルド帝国の侵攻があるのではないかと危機感を持ちながらも、元老院議員として、なんら有効な手を打てていないということにもなるのだが。
それでもだ、それでも。どうにかしてアシュガルド帝国から王国民を守りたい、その一心でいまここに立っている。
いまの状況を整理してみる。
アリエルはただ無為に時間をダラダラと過ごしているように見えて、義勇兵として加わった帝国軍第一軍の動きを見極めようとしていた。現状はただの包囲作戦だし、神殿騎士団と規模が縮小した領軍と、実践経験のない衛兵隊が集まっている。
ゾフィーのパチンでどこへでも転移する神出鬼没のベルセリウス派を包囲したところで、爆破魔法のいい的になるだけのこと。そんな基本的な事実すら知らされず愚かな作戦を遂行しているのだ。
「16年前の戦闘でアルトロンド軍は何を学んだんだろうな」
16年前、14万もの圧倒的な数で押してきたアルトロンド軍は、アリエルの爆破魔法のいいカモになり、ほとんどいいとこなしで、ただ無駄に命を散らした。
いまあらためて考えると、これも帝国軍の策略だったとすれば、よりしっくりくる。
アルトロンドはもう返しきれないほどの借金を背負わされ、それと引き換えに他国の軍隊を領内に引っ張り込んだ。神兵たちに命令がくだってアルトロンドが攻撃されたら負けは確定だし、神兵たちがまっすぐ王都プロテウスに向かったとしても、背後の魔王軍に対応するための兵を割かなければならないため、やりようによってはプロテウスが電撃的に落とされるってことも考えなきゃいけない。
アリエルは自分の考えていた帝国侵攻説に確信を得、腕組みをしながら神殿騎士たちの陣を眺めていると、ビルギットが前に回り込んできた。どうあってもこの場で話をしたいらしい。てか現時点でものすごい数の敵兵に囲まれてるんだけどな。
ビルギットはこの期に及んで希望的観測を口にする。
「神兵はベルセリウス派を包囲しても無駄だってことを知ってるからここに現れないのではないですか? 密集していると爆破魔法のいい的になりますし」
「だからさ、そこまで知っているのなら義勇兵なんて名目で10万の兵士を送り出すんじゃなくて、勇者を何人か派遣してくるんじゃないかな?って思うんだ。皇帝直下第一軍の腹は痛まないしな。それとなビリー、最悪の事態を想定して、その事態が起きないように先手を打つのがいい指導者だよ、最悪の事態が目に見えていながらお花畑に居るようなら王都は早晩にでも滅亡するぞ」
「現状で一般の義勇兵7万程度の攻撃でプロテウスはびくともしません。もちろん想定外の戦闘力を持った相手でなければ、そうやすやすと落とされることもありませんから」
神兵の目的が王都プロテウスだという可能性について否定的な理由をつけるビルギットだったが、いまの状況ではアリエルの言ったとおり、神兵たち10万が機を見て一気にプロテウスへと雪崩れ込んでくる公算が高い。しかしビルギットは10万の精鋭の力を甘く見ている。仮にも神兵という仮面をかぶっているが、皇帝直下第一軍の精鋭部隊だ。
アリエルが「帝国軍を甘く見ない方がいい」と言ったところ、横からカストルが口をはさんだ。
「ちょっといいですかな?」
「どうぞ?」
アリエルが快く応えるとカストルは驚くべきことを言った。
「神兵が10万というのは3カ月前の話ですよ? いまは25万、いや30万ぐらい入ってきてると思います」
神兵という名の敵国の潜入兵の数が思いのほか増えていることに危機感を感じたビルギットは、信じられないといった表情で詰め寄る。
「プロテウスは帝国義勇兵7万との報告を受けていますが?」
元老院議員でもあり、この国の王女殿下でもあるビルギットに詰められるカストルは汗を拭きながら答えた。
「セカの件があってからアルトロンドでは、足りない兵力を補充するのに一般市民の中から従軍経験者を募集しています。現状、アルトロンドは大勢の兵士を失ってしまいましたし、アシュガルド帝国でも義勇兵を募集しましたから」
「兵力が足りない? アルトロンドは20万の兵力を保持しているのではありませんか? アルトロンド軍が20万に加えて神兵30万、50万もの兵士を集めていったいどこの軍と戦うおつもりなんですか?」
「いえ、レミアルドさま。アルトロンド領軍の規模は現在3万8000、いいとこ4万といったところです」
「王都プロテウスにはセカ撤退後に20万と報告ありましたが?」
「書類に記載された数字が実際の値でないことはよくあることです」
「アルトロンドを守る兵士がたった4万、そこに国王が認知していない帝国兵が30万? アルトロンドはプロテウスを裏切る気ですか! そもそも義勇軍であれ、他国の軍を受け入れるためには事前にプロテウス元老院に申請し許可を得る必要がありますよね、もしそれが事実ならプロテウスは黙っていませんよ」
怒りを露にするビルギットを制し、アリエルは呆れたように溜息をついた。
「なあビリー、さっき言ってた教会派の議員秘書ってのがたぶん俺と同じアルカディア人でな、この世界にいるアルカディア人ってのはみんなこの世界に召喚されてくるんだが、俺のように離反しなければ全員が帝国軍に配属される。つまり、黒髪の小柄な女というのはアルカディア人であり帝国軍人なんだよ」
「どういうことですか?」
「アルトロンド領軍、衛兵隊、神殿騎士団は何も知らされてないんだろうな。そして領主ガルベス家は、帝国から莫大な借金をしている。いまの戦費も帝国からの資金援助だろ」
つまりアルトロンドは帝国の占領下にあるといって過言ではない……ということだ。
帝国から兵士を30万も借り入れるなんて申請を出したところで、王都が許可するわけがない。
アルトロンドの兵力は、書類上、帝国兵が7万もいるのに、4万じゃ抑えきれないってことで20万と水増しして報告しているのに、実際は7万どころか30万も潜入していたなんて悪夢としか言いようがない。
ビルギットはダイネーゼをキッと睨みつけ、ダイネーゼは無言で頷き、カストルは黙ったまま目を伏せた。アリエルはここで言葉を止めて組んでいた腕をほどき、顎に手を当て、少し小首をかしげて考えた。
ビルギットは訝った。まだ何かあるのかと険しい視線を投げかける。
そんなビルギットの心の動揺とは裏腹に、アリエルは『もしかすると面白いことになるかもしれない』と考えていた。神殿騎士団の中に、武装解除し、跪いている者が何人かいるからだ。
教会も神殿騎士団もジュノーの名前を使って、権力を手に入れることが目的なのだろう。もしくは権力に付随するカネや地位、名声も手に入る。だけど、いま包囲命令が出ているはずなのに、武装を解除してこちらに向かって不戦の姿勢を示す者がいる。それも最前列でだ。
教会関係者も、権力目的だけじゃなく、当然だが本心から信心深い者もいて、これは完全に推測だが、少なくとも半分か、それに近い者たちは本当の女神信者かもしれない。
いまカストルの話によると帝国からの義勇兵つまり神兵は30万にもなるという。
もとから居た領軍のやつらはセカからの引き上げ組も含めて3万8000と聞いた。これに神殿騎士団が加わっても5万ちょっとってトコか。加えて予備役の招集やら退役した軍人を再雇用してるというから、それも合わせて仮に10万としても、合わせて40万になる。
さすがに40万の兵士たちが一気に雪崩れ込んできたら王都なんて簡単に陥落してしまうだろう。
うち30万は士気の高い帝国第一軍だし。帝国軍は魔導師がグリモアを装備しているから、王国軍と同数でもプロテウスの旗色は悪くなる。
ダリルからアセット高原を越えてアルトロンドに最初の難民が押し寄せてくるのが、おそらくは10日前後、難民の数が多くて手に負えなくなるまでそれから10日といったところか。つまり20日後には難民が手に負えなくなる。パシテーのお父さんがどれだけ動いてくれるかは疑問だけど……それにしても、ちょっと事態の進行スピードが速すぎたか。このままじゃノーデンリヒト軍の動きも間に合わない。
となると教会の中で真に信仰を重んじる者たちがどれだけいるか分からないが、うまくすれば時間稼ぎぐらいには使えるんじゃないか?
「なあジュノー、ちょっとお願いがあるんだが」
「……」
ジュノーは不機嫌そうな眼差しを向けた。
「あのさ、神殿騎士や後ろの領軍さ、負傷者いっぱいいるみたいだからさ、ちょっと治癒してやろうか。ちょっと広範囲で、輪っか出るぐらい」
「イヤよそんなの」
「師匠! そんなの絶対ダメです。神殿騎士は消毒ですよ、師匠がやらないなら私がやります」
腕まくりをして、いつものように音鳴らさない指ポキポキしながらサオがしゃしゃりでてきたが、ロザリンドに後ろからシャツの襟を引っ張られた。
サオとは違ってジュノーは冷静だった。
「何か企んでる?」
アリエルは視線を空に向けて「さあ?」と答えた。
「ふうん、じゃあ条件と引き換えに」
「分かった、俺にできることなら」
「背中の開いた真っ赤なシルクのドレス買ってもらってない。買う買う詐欺はやめて早く買って。それも私だけに買ってくれなきゃヤダ」
「ええっ、それはちょっと……。特別扱いはダメだろ、みんなに買うから。な」
「ゾフィーはビリーを攫って面倒ごと増やしたし、常盤は突っ立ってるだけで何もしてないじゃん。私は真紗希ちゃんの失敗も咎めることなく、黙ってパシテーの弟を治癒したし、サオの生意気な顔をつねってやることもなく、女性たちの烙印を消したのよ? 私すっごく働いたんだからね。いい? 私は働き者なの、理解してくれてる?」
「そ、それはもう、頼りにしてる……」
「それと今日と明日だけでいいから、あなたを独り占めにする権利が欲しい。ゾフィーや常盤には触れさせないから」
ジュノーがわがままを言って困らせるのは、だいたいからしてゾフィーへの対抗意識が強く、横目でゾフィーを意識しながら、からかい半分だったりするのだけど今日のジュノーはいつもと違う、じっとこっちをみながらだ。
いつもなら微笑みながらゲンコツの一発でもくれてやるゾフィーが今日は笑ってないし、ロザリンドも口を真一文字に結ん何も言わない。ジュノーも母親を亡くしていっぱいいっぱいなんだ。
そして、仮にまた転生したとしても、ヘリオスはもう二度と転生させることはない。もう会えないことも、なんとなく理解しいて、まだ実感できずにいるが、もう永遠に失われてしまったことを理解していて、どうしたらいいか分からないんだ。
「約束するよ。俺はヘリオスを倒して、転生の秘法を奪い返す。そしたら一番先にジュノーのお母さんに使うから」
「何を今さら。そんなの当たり前。それは私も考えてるし、1万年と6400年も前にも同じセリフを聞いたし。なので今さら改めて言われてもねって感じ。さあどうするの? 条件を飲むならカタチだけでも女神サマの振りをするわ。面倒だけどさ、敵と敵じゃないやつは別れてくれた方がやりやすいし」
ぼさーっとしていて何もしてないと言われたロザリンドが小さな声でボソッとこぼした。
「ツンデレ女神wwww」
それをキッと睨むジュノーに、パシテーも加わる。
「ジュノー、甘えん坊さんなの」
「パシテー覚えてらっしゃい、わたしけっこう根に持つのよ」
絶対知ってる。たぶん身内でそれを知らないのはエアリスとてくてくぐらいだ。
あと、ジュノーの突き付けてきた条件というのは、すべてアリエルには決定権のないことだった。
こういった事柄について決定権のあるゾフィーなのだが、当のゾフィーは、いつもとは違う冷たい視線をジュノー向けながら顎を上げ、見下ろすような目線で言った。
「今日だけなら。明日はダメ」
「じゃあ明日の朝まで」
「ダメ、そんなこと許すぐらいなら私が出て全て片付けます。ここに来てないシンペーという人を倒せば解決なのよね? そうしたらジュノーの出番もないし、独り占めもなし。すべて解決よね」
「ゾフィーのケチ! なによそれ、皆殺しにする気? これだから脳筋古代人は!」
この時ビルギットが小さく何度も頷いていた。
ゾフィーは魅惑的な目から紅い瞳がみえなくなるぐらい細めながら「今日だけ。いい?」とジュノーを諭した。
「じゃあドレスに合わせてかかとの高い靴も買って。赤い靴がいい」
いまアルトロンドに30万もの神兵(帝国兵)が潜入しているとして、その数を半分ぐらいに減らすことが出来たら、王都はギリギリ持ちこたえるだろうか。ノーデンリヒト人としては、王都と帝国が潰し合って消耗戦に突入してくれた方が都合がいいことは確かなのだが。できればノーデンリヒトとドーラ軍で勝てるぐらいまでドロドロに消耗してくれるとありがたい。
ここで神兵を半分、15万倒したとして、王都攻略が困難とみた帝国が狙いをアルトロンド併合一本に絞られてしまうと予定が狂ってしまう。
やっぱり神殿騎士団を利用した方が面白いかもしれない。
「ゾフィー、靴もいいか? この件はジュノーに任せた方があとあと楽が出来そうだ」
「そうね、私は殺すことしかできませんから」




