17-56 日本人の影
一方でカトレアとその子どもたちが万が一怪我でもしたらすぐに治癒魔法をかけられる位置をキープしながら一緒に出てきた真紗希はというと、サオに小言を言い始めたパシテーを尻目にアプロードたちと合流した。アリエルが見えた、ジュノーも来ている。ゾフィーとサオと、いつぞやプロテウスに行ったとき屋台を案内してくれた女の子だ。
またぞろ女好きの兄がひっかけてきたのかと訝ってみたのだが、どうにも空気がこわばっている。
今朝ゾフィーに表情のことで苦言をいってしまったこともあって、まず最初にゾフィーの表情から顔面にへばりついていた微笑みが消えていることに気が付いた。
最初こそ今朝、ゾフィーの作り笑いについて苦言を言ったからかと思ったけど、どうやらゾフィーだけじゃなく、アリエルもジュノーもロザリンドも同様に、神妙な顔つきだった。
「兄ちゃん迎えに来てくれてアリガトネ。ところでゾフィー? あれ?、ジュノーも? どうしたのさ? そっちもう終わったん?」
アリエルは気配で分かっていたのだろう、驚くこともなく無言で頷いた。だけど真紗希が『どうしたのさ?』と問うたことで、アリエルも言葉に詰まってしまい、これまで感じたことのないような神妙な空気になってしまった。ジュノーも、ロザリンドも、サオも。それに今朝、笑ってる顔が嫌いだとハッキリ言ったゾフィーも、みんな何かおかしい。これは何かあったなと直感したが、アリエルたちはさっきまでダリルで戦争をやっていたことは自覚していたので敢えて触れないようにした。
「出迎えご苦労であった! なあ、こちらパシテーの家族なんだけど……」
真紗希はカストルに肩を借りて剣を杖につくことで何とか立ち上がることができたアプロードを先に治癒させることにした。
「っとお、わたし強化魔法を強めにかけるって言ったよね、なんで無茶するかな。ああもう、脳にダメージうけてるし……。ジュノー頼める? このひとパシテーの弟なんだ」
ジュノーは何も言わずに傷ついたアプロードに歩み寄り、アプロードの受けた傷を確認したあと温かい光で照らしだした。
するとアプロードの傷はみるみる癒えてゆき、額や手の甲に残る古い傷跡すらも消えてしまった。
だいたいこんなときジュノーは『真紗希ちゃん、あなたの治癒魔法で十分救えるわよ』ぐらいのことは返してくるのだけれど、そんな言い返しなどせず、治癒に臨んだ。
真紗希はその時、ジュノーの目が赤く充血しているのに気が付いた。
なにか泣くようなことがあったのか、ジュノーがついていながら? 守るべき人物を失ったということなのだろうか。わからない。
ジュノーはアプロードの治癒を終えると続けて言った。
「肩に矢を受けてる人いるし、こっちの子たちほとんど耳聞こえてないわよ? 鼓膜にダメージ受けてるけど、ここにいる人たちって、もしかしてみんな身内?」
パシテーは少し小首をかしげながらも頷いた。そのときパシテーもジュノーの様子が違うことに気付いた。
「ジュノー? 何かあったの?」
「私は大丈夫、心配ないわ。えっと、パシテー、このひとたちは私たちの身内ってことね、じゃあそっち矢を抜いて。こっち先に子どもたちの治療するから。みんな念のため防御陣形お願い」
ジュノーはそういったが、サオは言われる前から盾を展開したまま全員を庇える位置にいるし、エアリスはサオをサポートするよう位置取りしている。ゾフィーとロザリンドはいつ戦闘開始してもいいようオフェンス位置に立っていて、アリエルはというとワラワラ集まってくる敵兵たちをただ眺めているだけだった。
「くっ……」
苦悶の声を漏らしたのはイングリッドだった。
事前の断りもなく肩に刺さった矢が引き抜かれていた。パシテーの土魔法だ。
さすがのジュノーでも痛みをなくしてしまうことはできないが、治癒フィールドのおかげですぐさま治癒されるのだから痛みは瞬間的なものだ。現に矢を抜いた瞬間に傷は治癒され、跡も残らなかった。
ジュノーが治癒フィールドを使うと、赤い髪は風を受けたように吹き上がり、温かな光に包まれる。
そのさまを目撃した神殿騎士の一部が足もとに剣を置いて武装解除をはじめた。
大勢は包囲を解かず、この場にいるパシテーの家族たちを捕えようとしているようだが、ごく一部の者たちにはこちらを害しようとする意思がないように思えた。
真紗希は少し違和感を感じていた。
当然パシテーもなんだかこわばった空気を感じていて、皆の顔色をうかがうように落ち着きなく視線を泳がせていたし、真紗希は深く眉間にしわを寄せて訝った。
「ジュノーが小言もをいわずに私の失敗の尻拭いしてくれた。絶対おかしい。兄ちゃん、何があったのさ」
ジュノーは真紗希から視線を外して、小さな子どもの頭をなでているし、ゾフィーだけならまだしも、あの空気読まないことでは定評のあるサオですら神妙な顔つきで何も話そうとしない。
いま神殿騎士本部から飛び出して合流したとき皆を守っていたハイペリオンの幻影も吹き飛んだ、しかしサオも来ていることでパシテーは新たな幻影を作り出すことに躊躇していた。どうせ一発でかき消されるだろうし、アリエルたちが来た以上は、もはや幻影の魔法は不要だ。
アリエルはぐるっと周囲を見渡し、アルトロンド領軍と神殿騎士たちが続々と集まりつつあるのを確認しながらも、まだ余裕の表情を崩さず言った。まるで時間を稼いでいるかのように。
「あ、ああ。パシテーの家族を紹介してくれないか」
パシテーは抱きかかえた男児をアプロードに預けると、ふわっと地面に降りてまずは後ろにいる女性の手を引いて前に出てきた。
「セラエノ母さんなの、お父さんの二番目の奥さんなの」
セラエノはパシテーがすごくお世話になったということで、アリエルに何度も何度もお礼を言い、パシテーが「もういいの」と止めるまでお礼を言い続けた。
「アリエル・ベルセリウスです。いまは訳あってアルカディア人ですが、ノーデンリヒト出身です」
パシテーは弟妹たちをアリエルに紹介し、アリエルはゾフィーをはじめとして家族を紹介した。
カストルとアプロードも妻と子どもたちをアリエルたちに紹介したあと、ちょっと話に入らないよう遠慮して距離をとっていたダイネーゼが呼ばれた。
「ダイネーゼさん、その人たちは? ノーデンリヒトに連れて行くのか?」
「はい、妻と娘の受け入れをお願いしたい。ふたりをノーデンリヒトに」
アリエルはダイネーゼの妻と子に奴隷の烙印が押されていることを察し、ジュノーに目配を送った。
娘と視線の高さを合わせるため、ジュノーが跪いたのをみたダイネーゼはあたふたとえらく動揺したが、ジュノーはそんなオヤジのことなど構わずハーフエルフの娘に名を聞いた。
「名前はなんていうの?」
ハーフエルフの娘は答えることができず、狼狽する父親に視線で助けを求めた。
アルトロンドではエルフは奴隷なので、家族以外のヒト族とは話す機会なんてない。ダイネーゼは優しく頷いた。
「私はジュノーっていいます。あなたの名前は?」
「ス……ステファン……」
エルフ女性特有の高い声だったが語尾が少しかすれた。
ジュノーに困らされているエルフ少女を見かねたサオが割り込んだ。エルフにはエルフ、同族のほうが心も開きやすいと思ったのだ。
「私はサオっていうの、よろしくねステファン」
ヒト族のジュノーとは見えない壁を作り出したステファンだったが、同族の女性からサオの名を聞いたことで瞳を輝かせた。サオの名はエルフ族の英雄として何千キロも離れたアルトロンドの地まで轟いている。
「お父さん! ノーデンリヒトの防人と同じ名前だよ!」
それを聞いたサオは顔をひきつらせた。
図らずもジュノーから一本取ってしまったのだ、後が怖い。
しかし当のジュノーはムキになることなく、ちょっと肩をすぼめてみせただけで治癒魔法を発動し、ダイネーゼの妻と娘につけられた奴隷の烙印を跡形もなく消し去った。
シャツの首を指で引いて肩の後ろを確認すると、
「はい、烙印は消しておいたわよ……」と言ってステファンの頭を撫でてやった。
真紗希の疑惑は確信へと変わった。
「兄ちゃん! ジュノーがサオに怒らないのおかしいよ!」
「え? 怒ってないけど、でもあとできっちり泣かしてやるつもりなんだけど? そうね、たしかにおかしいわよね……」
ジュノーはアリエルの手をつかんで強引に真紗希の前まで引っ張った。
「真紗希ちゃんには、あなたが説明しなくちゃ」
アリエルはキッと睨む妹の視線をうまくかわしながら、あたりを見渡す。
アルトロンド軍の司令部からも、神殿騎士団総本部からも、出せるだけの人員が出て遠巻きにアリエルたちを包囲していて、城塞の外に伝令が走ったのだろう、外郭にある領軍の基地から兵士たちがどんどん流入している。その数は膨れ上がり、いまでは1000を超える人数が集まり始めていて、見物人たちには退去命令が出されたようで、集まってきた野次馬たちは追い払われ、口論が始まっていた。
アリエルは周囲をぐるっと見渡し、急ピッチで戦闘態勢を立て直す領軍、衛兵隊、神殿騎士団、まだまだ各陣営の準備が整っていないのを確認するとゆっくり話し始めた。
「実はな、ダリルマンディで襲撃を受けたんだ」
「兄ちゃんたちを襲撃? 誰だそのバカは」
「ユピテルとプロスペローだよ」
……。
……。
……。
……。
アリエルにその名を聞かされ、数秒、時間が止まったように固まってしまった真紗希だったが、自分の耳を疑い、確かに聞いたはずの名前をもういちど聞き返した。
「はあ? 誰だって?」
「ユピテルとプロスペロー、ああクロノスと言わなきゃわからないか……」
このときアリエルがプロスペローと発した言葉にブレナンが反応した。
一瞬、目が合ったけど真紗希は声のトーンを上げて問い詰める。
「クロノスなんてどうでもいいって! ここにユピテルがきたの?」
「ああ」
「それでどうしたん?」
「転移で逃げられた。でもな転移先に腕のいい治癒師がグリモアもってスタンバってなければ殺せたと思う」
アリエルはユピテルを撃退したという。だけどその表情はすぐれなかった。
真紗希はいちばん聞きづらいけれど、いちばん知りたかった質問をした。
「さすが兄ちゃんだな! でもみんな揃いも揃ってお通夜みたいな顔してるってことは、こっちにも被害が出たってこと?」
「ああ」
「そっか……。みんな浮かない顔してる理由がやっと分かったよ」
真紗希はユピテルが襲撃してきたと聞いたとき、もしやと思い心臓が締め付けられるような感覚に陥った。ユピテルという狂神のやることは、過去に同じ陣営でいっしょに戦ったことからよく知っている。とにかく相手の大切に思っている者を人質にとっては目の前で無残に殺し、人の悲しむ顔だったり、絶望するさまを見て性的に興奮するという異常者だったから。
そして今ここで真紗希はアリエルの身内で大切なひとが殺され、周りの者たちはみんな自分に対してもこれほど気を遣っていることに一抹の不安を覚える。
真紗希は自分とアリエルとの共通の家族、つまりアルカディアに残してきた両親がターゲットにされたという事なのだと察した。そんなこと真紗希にとって当然、分かっていたことだし、覚悟もしていたことだ。
「どっちが?」
真紗希は絶望のなか、『誰が?』ではなく『どっちが?』と問うた。アリエルたちの自分に対するこわばりの空気感で、命を落としたのは自分の大切なひとだということが直感として理解したのだ。
真紗希は耳を塞ぐこともせず勇気を出して、両親のうちどちらが殺されのかを聞いていた。
しかしアリエルはもっとも残酷な答えを吐いた。
「どっちもだ。俺とお前は両親を、ジュノーもお母さんを失ったよ」
……。
……。
真紗希は少し考えたあと気落ちした様子で「そっか……」とだけいうと、ジュノーの手を取り、そしてハグした。
お互いに同じ悲しみを共有した者同士、かける言葉もない悲しいハグだった。
アリエルにもう一度死んでもらえば、時間を巻き戻すことが出来るかもしれない。
だけどそんなことはもうやめようと心に誓って、兄についてここにいるのだ。一瞬だけ心が大きく揺らいだけれど、それも強い心で立て直した。ユピテルのおもちゃにされてしまったということは、父と母はもう二度と『小さく閉じた輪廻の輪』に戻れない。ユピテルが裏切りを許すはずなどないからだ。
父と母の命は永遠に失われたと考えたほうがいい。
もちろん真紗希もそうだ。ヘリオスやユピテルの手下として、封印されたアリエルたちを見張るために転生を繰り返してきた。監視対象に情が移って敵に寝返った真紗希に次の転生はない。これは両親ともども、真紗希も覚悟していたことだ。
「すまん、俺の力が足りなかった」
アリエルの言葉を受けてハグを解いた真紗希は「いまどうしてるの?」と。アリエルの顔を見ることもせず、力ない視線を足もとに落とした。
「ああ、後で顔を見てやれ」
「……ん、分かった。でもな、私たちも兄ちゃんの側につく以上、覚悟はしていたよ。ユピテルなんて狂った神相手に戦争するんだからね、父さんも母さんも自分たちが標的にされることは分かってた。前世でも、前々世でも、何度も話し合った結果だよ。だからって力の差が大きすぎるから何を対策してもダメだろうって言ってたんだ。ただ、兄ちゃんたちの味方でいたかったんだ。私だって日本に居たら同じ目に遭わされてたかもしれないよ。だから兄ちゃんこそ気にすんな。私が死んだとしても気にしなくていいから」
「気にするよ! 気にするから死ぬとか言うなって」
「で? 私にそんなこと言うためにみんな雁首揃えてききたのかな? 違うよね? それとその子は、たしかB級グルメ屋台のガイドさんだろ?」
真紗希は目ざとくビリーがこの場にいることまで訝っていた。
当然だが、何の用もないただのB級グルメ屋台ガイドの女の子が兄についてくるわけがないことも知ったうえでだ。
「ビリーのことはまたあとで説明するよ」
アリエルは今日ここに真紗希が神殿騎士団総本部に居たことまでは知らなかった。パシテーとは別行動でグローリアス(トラサルディ)やコーディリアがたてた作戦の手引きで神殿騎士団総本部に潜入していたのだろうか、パシテーの父親に差し向けられた暗殺者をツケてアリエルたちがここに来たのはダイネーゼの部下、ケント・ブレナンが王都の教会でプロスペローたちを目撃したという話を聞いて、そのときの状況などを聞かせてほしいと思ったからだ。
アリエルはダイネーゼに声をかけ、ケント・ブレナンを呼んでもらった。
ここからが本題だ。
「はっ、はい?」
ブレナンは突然の指名に驚くこともなく、落ち着いた様子で応じた。
さっきプロスペローの名を聞いた時、おおよそ察しがついていた。
「ブレナンさんに聞きたいことがあるんだ」
「もしかしてプロスペロー・ベルセリウスのことですか?」
「察しがいいな、会ったのはここで間違いないのかな?」
そりゃあ察するだろう。
プロスペロー・ベルセリウスはプロテウスにある高等部学習院での同級生、卒業後も同じ役所に就職したというから。プロスペローと一緒に過ごした時間だけをとればアリエルよりもずっと長いし、親交も深いだろう。そのうえプロスペローはボトランジュ領主の次男であり、次期ボトランジュ領主であるシャルナク・ベルセリウスの一人息子という血縁でありながら、領民どころか国をも裏切ってアシュガルド帝国に寝返ったというのだから、高等部学習院同窓生の間でもかなり話題となった。もちろん悪名だが。
そこにいま、そのアシュガルド帝国を敵として個人でケンカしているアリエル・ベルセリウスがプロスペローの名を出して、そのうえでブレナンに聞きたいことがあるという。
そんなブレナンを捕まえて『察しがいいな』などと言われたところで誉め言葉とは捉えられず、逆に溜息しか出ない。どんなに酒を飲んでいて前後不覚であっても察してしまうぐらい分かりやすい流れだ。
「はい、以前私たちが領境の町であなた方に襲撃されたときの、あの件で商談に来ていました。いまから正確な日時は事務所に戻れば分かりますが20日ほど前だったと思います」
「そっか、同行者が3人いたと聞いたが?」
「はい、そのうちひとりは身長2メートル以上の小山みたいなやつで、目深にかぶったフードつきローブと、あと真っ白な仮面をかぶってましたね。目で覗き込む穴や、息をする空気穴のようなものがひとつもない、真っ白な卵のような仮面でした」
「あー、そいつはたぶんさっき会ったから、そいつ以外のやつを教えてほしいのだけど? 車椅子に乗ってた男はいなかったかな? と思って」
「車椅子ではありませんでしたが、白仮面の他は女性が二人でした。顔も体格もものすごくよく似ていたので、おそらくは双子ですね、黒髪で小柄なヒト族の女性でした、年の頃はたぶん30歳前後かな? あまり見たことがない外国人っぽく見えたので印象深く覚えていたのですが、アリエルさん、あなたやあなたの妹さまとお会いしてたぶん、あの二人の女性はアルカディア人だったのかな? と考えるようになりました。間違えてたらすみません、でもそう直感しました」
なるほど、ブレナンは『東洋人だった』と言いたいわけだ。




