17-48 【イングリッド】馬車にて(1)
一方、アプロードがジュライの偽装倉庫に踏み込んで、ゼリアス・アイアスたち教会の工作員に捕えられたころと時間を同じくしたころダイネーゼたちは昨日から馬車を走らせるため、ダイネーゼ商会の各支店に立ち寄り、披露した馬を交換しながら、ほとんど寝ずに馬車を走らせている。
同乗するイングリッドは頭の堅いガチガチのアルトロンド軍人な兄、アプロードを説得して家族だけでもボトランジュに逃がすという説得が不可能であると判断し、まずは父エンドアの跡を継ぐ形でアルトロンド評議会議員をつとめる長兄カストルを訪ねた。
カストルは領都エールドレイクにほど近い外郭都市に住んでいたため、かなり遠回りではあったが、さきに話の通じやすいカストルを説得し、家族全員を馬車に乗せている。
いまダイネーゼの馬車は、エンドアの第二の妻でカストルとイングリッドの母、セラエノとそしてカストルとその妻ナターシャ、娘のエブリーとまだ生まれて10か月しかたってない乳飲み子ハンクスが乗っている。父であり同じくアルトロンド評議会議員をつとめるエンドアが暗殺されそうになったことで、ひとまず家族だけでもボトランジュに避難するといって家族全員を連れ出した。
いまダイネーゼの馬車でセカに向かうところだ。もちろん道すがら、途中のガルエイアでアプロードとその家族にも声をかけて、半ば強引に連れてゆかねばならない。強権を発動するのにカストルの力が必要なのだが……。イングリッドはカストルとその家族を乗せるとき、ひとつウソをついた。
もともと政敵であり、自分たち奴隷商人に都合のいい法案を可決させるために裏から議会を操っているなど、黒い噂の絶えないダイネーゼと同じ馬車に乗り合わせるなどというと、また何時間もかけて事情を説明する必要がある。そんなのんびりと一から十まで説明する時間が惜しかったのだ。
イングリッドはダイネーゼの正体をカストルに明かさず、父の古い友人と騙して同乗させた。だがそれがさきほど、疲れた馬を交換するのにダイネーゼの屋敷に立ち寄り、そのときエルフの女性が二人同乗してきたことで、ダイネーゼの正体がバレてしまった。それ以降、カストルは仏頂面を下げて、かれこれ1時間以上ひとことも口をきいていない。
「お兄さま、えらく不機嫌な顔をされてますね。エブリーが委縮しているではありませんか」
「まさか妹に騙されるとはな……。どこかで見たことがあると思っていたんだ、そうでしょう? 奴隷商人、ダイネーゼどの」
「はい、ですが最初から私の馬車に奥様はじめご家族みんな一緒に同乗していただけるとは思えなかったので、私は自己紹介を控えさせていただいたというわけです。失礼しました、ヴィルヘルム・ダイネーゼです。そしてこちらが私の妻のシーラと娘のステファンです。ステファン、この人はエルフの味方をしてくれてる人なんだ、怖くないからね、ささ、挨拶を……」
ダイネーゼの妻は純血エルフ女性で、娘はハーフエルフだった。
どちらもずっとダイネーゼの屋敷からほとんど出ることなく、引きこもった暮らしをしているせいか、他人と接するのに慣れていないらしく、不機嫌なオーラを出すカストルの事を怖がっているように見えた。
「ほらお兄さまが不機嫌だから女の子が怖がっています」
「まてまて、私が悪いのか? いやそれは酷い、私はこれまでずっとエルフの人権を取り戻すために日夜戦っているというのに、どういう訳か政敵であるダイネーゼどのの家族がエルフで、私の顔をみて怖がっている。こんな酷い話があるか? これじゃあまるで私のほうが悪者ではないか」
「そうですよ。ここで機嫌を損ねるようなひとは悪者です、そうですよねーエブリー」
「父上が暗殺されそうになったというのもウソではないだろうな?」
カストルの疑惑の目がイングリッドに向くと、イングリッドは待ってましたとばかり、封の切られた封筒をカストルではなく、母に手渡した……。
セラエノは封筒の中から便箋を取り出すと、ハンドバッグの中からモノクルを取り出し、手紙に書かれている文字を追った。
最初は背筋を伸ばして厳格な姿勢で臨んだが、数行、たった数行を読むと、食い入るようになり、そして表情を綻ばせた。
そう、この手紙の差出人はパシティア・ディルであり、そこにフィービーの無事も記されていたからだ。
「エンドアが暗殺されそうになったというから悲しい知らせかと思っていたら、なんと素敵なことなのでしょう。この手紙はいつ届いたのですか? イングリッド」
「昨日、こちらのダイネーゼさんが届けてくださいました。お兄さまは嫌ってらっしゃるようですが、ダイネーゼさんはディル家の恩人です」
「ちょっと待ってくれ、母上、私にもその手紙を見せてください、いったい誰の手紙なんですか?」
「パシティア・ディル。あなたの姉ですよカストル。最後まで読んで、ほらダイネーゼさんに協力してくださいって書いてあるじゃないですか。あなたも協力しなさい」
パシティア・ディルと聞いてカストルは苦虫を噛み潰したような、なんともばつの悪そうな表情をみせながら、イングリッドにジト目を送った。
自分がまだ学生だったころ、研修旅行でセカに行ったとき観劇した『100ゴールドの賞金首』に出てきた、飛行術を操り、舞台狭しと大活躍したクォーターエルフ、『パシテー先生』は今でも鮮烈に覚えているし、社会人になり父親の政治基盤を分けてもらう形でアルトロンド評議会議員になった後からでも、自分のできる範囲でパシテー先生の出自について調べたことがある。
その結果、カストルが生まれる前、いまから32年前に王都で人を殺したとして指名手配されていることも突き止めた。カストルはイングリッドに相談したが、二人の胸の中に留めておくよう釘を刺して、もう姉について調べることをやめたのだった。
特にアルトロンドと敵対しているアリエル・ベルセリウスと何か関係している疑いが極めて強くなったあたりで、両親に報告できないと思ったのだ。
満席でぎゅうぎゅう詰めの馬車の中、何とも言えない沈黙が続いたが『これはダメな話だろう?』と言いたげなカストルの視線に気付いたのは母、セラエノ・ディルだった。
「カストル、あなたもしかして知っていたのですか?」
カストルは母親の目を見ることができず、答えることも出来なかったが、その問いにはイングリッドが答えた。
「私はお兄さまに聞いて知ってました」
母と妹が同盟を組んで自分を責め立てるパターンだ、これは分が悪いと思ったカストルは、傍らですやすやと寝息を立てて眠っている長男を抱き、やっと寝かしつけた妻に助けを求める視線を送ったが、妻はすでに自分の味方ではなかった。
「私はお義母さまのほうに付きます」
慌ててダイネーゼの顔を見るも、すでに視線は窓の外……、遠い目をしている。
「カストル、洗いざらいすべてを話しなさい、いまここで」
「いえ、今日は勘弁してください、ダイネーゼ氏のご家族も同乗しています、また折を見て……」
「ダイネーゼさんはすでにご存じですから大丈夫ですよ」
ダイネーゼが知ってるということは、政敵に弱みを握られているということだ。
「なぜだ? なぜダイネーゼ氏が姉上のことを知っているんだ?」
ダイネーゼはすでに半分怒ってるセラエノに「私が話しても構わないでしょうか?」と許しを得た上で話し始めた。
「実は私たちの商工会議所グローリアスの幹部が秘密で会合していたところ、アリエル・ベルセリウスの襲撃を受けまして……、捕まってしまったのですよ。そしてグローリアスはもう商いを続けてゆくことが出来なくなったのです」
「ほう、それは朗報ではないですか……」
「お兄さまは黙って聞いてください。ホントお父さまと同じ反応。さあ、ダイネーゼさん続きをどうぞ」
「はい、カストル・ディル議員もおそらく、薄々気が付いておられるのでしょう?」
「何を? とお伺いしてもかまわないでしょうか?」
「いやだなあ、あなたのお姉さんであるパシテーさんは、アリエル・ベルセリウスと常に行動を共にしているベルセリウス派の魔導師です。そしておそらくこれは私のカンなのですが、アリエル・ベルセリウスの側室である、もしくは婚約者である可能性が極めて高いです。つまりカストル・ディル議員。アルトロンドの敵である大悪魔アリエル・ベルセリウスはあなたの義兄だという可能性についても、頭に入れておいたほうがいいでしょう」
カストルは少し俯いて息を吐き、観念したような顔になった。
「母上、イングリッド、すまなかった。まさか姉がアリエル・ベルセリウスとそんな関係になっていたなんて……、いや違うか、これは当然予想しておくべき範疇だったのかな。しかし私がそれを知ったのはベルセリウスのアルトロンド侵攻があったあとなんだ。12万のアルトロンド軍人が殺されて、父上も、私もベルセリウスを憎んだんだ。アプロードは自分を可愛がってくれた先輩が戦死したことで軍属になった。ここまでこじれてしまったあとで、姉がブルネットの魔女だったなんて、信じたくなかった……というのが正直なところなんだ」
「私が話しても良いですか?」
ダイネーゼがまだ話足りないという。セラエノはどうぞと促した。
「カストル・ディル議員。あなたは魔族排斥に反対し、融和運動を推進する議員でありながら、魔族排斥というものが、いったいどれほどの悲しみを生んだのか。頭で分かっているつもりで、何も分かっちゃいないのではないですか? いまから32年前の出来事はご存じなのですよね? 王都プロテウスのイーストグランドで、ひと区画を延焼させる火災がおきました。原因は盗賊やゴロツキといった類の者たちが、アルトロンドから逃れてきたエルフをさらおうとする、エルフ狩りです。その時の戦闘で老エルフがひとり、エルフ狩りの盗賊が3人死にました。いまも二人のエルフに放火殺人の容疑がかけられ、指名手配されています」
「その事件は知っているよ。亡くなったエルフは、私の大母にあたるフィービーの祖母で、エルフ狩りのうち一人を殺したのがフィービー、二人を殺したのはパシティアだった。これは事実として受け止めている」
「知ったような顔でもっともらしいことを言わないでいただきたい。なにが事実として受け止めているだ。当時のパシティア・ディルは、まだ10歳の少女だったんですよ。あなたの愛する娘さんと同じぐらいじゃないですか? 10歳の娘が、いったいどんな理由で人を二人も殺めてしまうのか。想像を絶する悲しみがあったのだと考えたことはないのですか? 私はブルネットの魔女と実際に会って、いちばん強く残った感情はやりきれない思いでした。ブルネットの魔女は見目麗しき、とても可憐な女性でしたよ。時代が違えば愛する家族に囲まれて、幸せに暮らしていたでしょう。人を殺したりなどという不幸に見舞われることもなかったでしょう。でもそんなあなたの姉が、どこをどう間違えれば、泣く子も黙る恐ろしい魔女になるのでしょうか? それを考えたことはありますか」
奴隷商人の口からこんな言葉が飛び出してきたこと自体が驚きだったが、カストルは今年9歳になる娘エブリーと、パシテーの身に降りかかった出来事を重ね合わせると手の震えが止まらなかった。
セラエノはパシティアがあのブルネットの魔女だということも実感を持てなかったが、幼いころを知っているだけに、あの可愛らしかった姿を思い出し、彼女の遭った不幸な出来事を思うと涙があふれた。
しかしアリエル・ベルセリウスという人物のことをよく知らなかったせいか、もしかすると結婚しているのだと思って、少しだけ安心しもした。
「これは本人から聞いた話なのですが、16年前のアルトロンド侵攻、あれはガルディア・ガルベス殺害を目的とした侵攻ではなかったそうですよ。単純にアシュガルド帝国に向かうつもりだったという話です」
「本人がそんなことを言ったのか? その言動の信憑性は!」
当時、カストルはまだ議員になっていなかったが、ダリル領主暗殺に成功したアリエル・ベルセリウスが、次にアルトロンド領主の命を狙ったというのが定説だったし、その定説に異議を唱える者など居なかったせいか、誰もおかしいとは思わなかった。
「ベルセリウス派は、サルバトーレから北東部の湿地帯を進み、ガルエイアを避けてまっすぐよどみなく東方面へと進みました。これは軍にいらっしゃるアプロード氏に聞けばわかることだと思うのですが、ベルセリウス派はガルディア・ガルベスのいるエールドレイク市方面には1ミリも興味がないような素振りで、まっすぐにバラライカへと向かっているのです」
「ちょっとまってくれ、何が言いたいのかはっきり言って欲しい」
「アルトロンドは騙されたのですよ。ベルセリウス派はアシュガルド帝国へ侵攻するため、アルトロンドを素通りするつもりだったのです。これはベルセリウス本人の証言と実際の戦闘データを重ね合わせて検証した結果、正しいことが証明されています。ではここで問題です。ベルセリウス侵攻する日時まで正確に知っていて、アルトロンドにウソの情報を流したのは誰なんでしょうね?」
「お兄さま、16年前のベルセリウス派の侵攻は、アルトロンドが罠にハメられたということなんですよ
「16年前のベルセリウス派の侵攻でいちばん得をしたのはアシュガルド帝国だな。ベルセリウスが来るぞ!と脅されてガクブル震え上がったガルディア・ガルベスは、アルトロンドで集められる全ての兵力を集めて、ご丁寧に帝国の防波堤役をやらされたというわけか。だがアシュガルド帝国に侵攻の日時まではっきり知ることができたのかな、その点ちょっと疑問が残るんだ」
「グローリアスは極めて高い確度でその人物を特定してますが、そんなことはさておきです。私の言いたいことはそんなことじゃあないんです。カストル・ディル議員も、わたしも、エンドア・ディル議員も、おそらくあなたの弟さんも、アシュガルド帝国の卑劣な計略にハメられて取り返しのつかない被害を被ってしまった結果、見当違いの人を憎んでいるのではないですか? よく考えてみてください。あなたのその憎しみを、実の姉に向けることは正しいことなのでしょうか?」
カストルは言葉が出なかった。何か言おうとするけれど、やっぱりその言葉が出てこない。
10歳のパシテーが経験した壮絶な人生に思いを馳せる。自分が10歳のころはどうしていただろう? 両親からの愛情を一身に受けて、裕福な家庭で何不自由なく暮らしていた。自分が不幸だなんて考えたことがないほど恵まれていたのに……。姉は10歳で家族から引き離されて、一人ぼっちになり、どんな気持ちで暮らしたのだろうか。ヒトとして生まれるか、クォーターエルフとして生まれるかの違いでしかなかったのに、その結果、姉弟は大きく違った人生を歩むことになった。
かたや順風満帆のエリートコース、父親の政治基盤を受け継いだ評議会議員として人々の信頼を集めた。
かたや三大悪魔のひとり、ひとを数えきれないほど殺した犯罪史に残る悪党ブルネットの魔女となった。
「ぐうの音も出ないな。打ちのめされたよ……」
カストルが頭を抱えていると、馬車の壁をゴンゴンと叩く音がした。
前部の押し窓を開くとブレナンが急を告げる。
「後ろ、馬が追ってきます。7騎確認です。どうします? 指示を」
「騎馬隊? 衛兵か?」
「ちょっと分かりませんね、でも追いつかれたら分かりますよ」
「分かりたくないな! 追いつかれないほうがいい」
「ああ、すみません。騎士服を着てますね、神殿騎士みたいです」
「もう追いつかれたのか!」
最悪だ!




