17-47【真紗希】審問機関ジュライ(7)亡命希望
神聖典教会の魔導部というのは、この世界の魔導において起動式を発明したジュノーに次ぐ功績がある。ただし16000年もの長きにわたって、教会独自で治癒魔法を精錬し何千の改良を経て、人体の欠損部分を再生させるほどの治癒魔法に昇華したし、魔法攻撃も物理攻撃も、その大半を無効化すると言われる神器を製作するエンチャント技術がある。ただそれら最新鋭の魔導技術を一般に公開していないので功績とはかけ離れたものになるが。それでも神聖典教会の魔導部は魔導の最高学府、魔導学院とは違った道を究めようとしていた。
ダレンはこの女と関わると全滅すると言った。極めて正確な戦力分析だった。
あのときダレンの忠告を聞いていれば全滅することはなかったのかもしれない。だがしかし、そんなことを言ったところで後の祭りだった。
しかしゼリアス・アイアスはがくがくと震え、膝に力が入らずいまにも腰を抜かしてしまいそうなほど恐怖しながらも狂喜していた。
「すっ……素晴らしい! 古の神々が使ったとされる"ひかり"ではないですか! 初めて見ましたよ! 原理は? 起動するのに何節の詠唱が必要なのでしょうか、まさかノーデンリヒトでは古代魔法を再現しているのですか! おおっとこうしてはいられませんね、属性はなんなのです? 私は光属性だと確信を持っているのです、ですがこれについては議論が割れているのです……」
右半身に弾け飛んだ部下の血しぶきをかぶり、それを拭おうともせず、目の前で4人の部下が全員倒されてしまったというのに、後先のことに加え、自分がいまどのような状況に置かれているのかすら理解していない。
「おおお、背中が破れて背骨が飛び出していますよ! これは肉体内部からの破壊と見ました、とすると体内、特に胸部あたりで何かが破裂したのでしょうか……否! 違いますね、もしそうだとすると破裂は胸を破るはず……ああ、本当に今日は何と得難い日なのでしょう、魔法の残滓から闇が感じられません! あたたかな温度を感じます、これはもしや光属性ですよね(キリッ」
ゼリアス・アイアスはたったいま全身の血液を撒き散らした部下の死体にヨロヨロと覚束ない足取りで歩み寄り、何をするかと思ったらその肉片を手に取って検分を始めた。目の前でたった今、部下を肉塊にした敵に対し、教えを乞うているのだ。
この男も清々しいまでに狂っている。
真紗希は男の問いに答えず、ほかの3人を先に殺して1人だけ生かしておいた理由を分かりやすく説明した。
「おい、全世界に散らばったジュライ工作員の名簿を出せ」
真紗希が要求したのはジュライを一網打尽にすることのできる名簿だった。
あちこちに工作員を潜り込ませている諜報機関の最重要機密だ。
しかしそんなものがこんな支部にあるわけがない。最も警備が厳重な神殿騎士団本部か、もしくはジュライのトップ、ホムステッド・カリウル・ゲラーが持っているはずだ。
もちろんこんな倉庫を偽装している末端の支部にそんな最重要機密があるとは考えていない。殺す前に念のため聞いておいたという程度のことだった。しかしゼリアス・アイアスは想像とは違う反応を返した。
「いまの魔法の原理を教えてください。その情報と引き換えに、あなたさまの求めるファイルの在処を教えましょう、それでいかがでしょうか」
「おいおい、こんな魔法の原理なんてものと引き換えに仲間を売るのか?」
「はい、おっしゃる通りです。私には最初から仲間などおりませんので。では先にこちらから情報を提供します。あなたさまの欲するファイルはガルエイアの城塞内、神殿騎士団本部にあるホムステッド・カリウル・ゲラー司祭枢機卿の居室に、厳重に保管されています。あなたさまのその力でしたら、あるいはたどり着けるかもしれません。ああ、古代魔法での戦闘! みてみたい、みてみたいです。私もその現場に居合わせたいと思っています……さあ、ひかりの原理を、あれは属性魔法なのでしょう?」
真紗希を呼ぶ呼称がキミからあなたさまへグレードアップしている。本当に分かりやすいほど現金なやつだ。
この男の狂いっぷりは常軌を逸していて、魔導に堕ちた狂人といえば分かりやすいだろうか。真紗希も長く転生を繰り返しているが、さすがにここまで狂ったやつは珍しい。
そういえば王都の魔導学院で修復しているという聖剣グラムはヒト族以外を切り刻むのに都合のいいエンチャントがされているという、こんな奴らが居てこそできる発想だ。
「約束した覚えはないけどさ、まあいいや。今の魔法は光属性だからね、アンタには使えないよ」
光、ひかり、ヒカリ。その正体は粒子でもあるし波でもあるといわれる、宇宙最速のものだ。
その速度は真空中で秒速約30万キロ。スヴェアベルムで地球と比べるのは憚られるが、1秒で地球7周半という速度だ。その速度を超える物は物理的に存在しないと言われている。
光とは人の目、つまり網膜が光を感じることで目に見えるという現象につながる。
いま言う"ひかり"という魔法の原理は、きわめて単純だ。
ジュノーが発明した起動式魔導における利点は、網膜に起動式を映すことで、それまでヒトが操作することが出来なかったマナを操作することができるようになったということだ。
自分の使いたい魔法の起動式を書き込んで、マナを操作する、これによって人々の生活は驚くほど豊かになった。
だが起動式魔導には無視することができない不具合を引き起こすことがある
網膜に起動式を書き込むと、本人の意思に関係なく魔法が発動するのだ。
もっとも光属性魔法というのは一般の魔導師には扱うことができないため、これまで特に問題視されることはなかったし、光属性を持つ者の中には高レベルバフ魔法を他人にかけることができるというメリットもある。
さすがにジュノーのように戦場全体を一瞬で血の海にするほどの広範囲に死をばらまく魔法とは比べ物にならないが、同じ光属性をもつ真紗希にとって、単体での使用は難しものではなかった。
アプロード・ディルには神話級の神々の使う超ハイスペックな強化魔法をバフとして与え、敵であるジュライの戦闘員には肉体を破壊する起動式を書き込んだ。これは一度発動させてしまうと真紗希の治癒魔法では救えない、取り返しのつかない魔法だ。
ヒトというのはたいてい、目の前に死をちらつかせると従順になる。圧倒的力量を見せて、自分の力ではまるで及ばないことを分からせることで、相手を従順にさせるという狙いがある。いまさっき殺してしまったが、ダレンもその手で死体を片付けさせたうえに、この支部に案内させることに成功した。
しかしゼリアス・アイアスには逆効果だったらしい。
「おおおっ! やはり光属性なのですね、非常にレアケースでございます。私の知る限り、神話の時代を駆け抜けた神々を除いて光属性魔法を使えた者は歴史上でも類を見ません。ですが、似た魔法をアリエル・ベルセリウスが使ったという報告を受けています、もしやあなたさまが兄というアリエル・ベルセリウスも光属性をお持ちなのでしょうか……」
真紗希は頭をひねったが、知らないのも無理はない。
この男のいう似た魔法というのは、その昔、アリエルはノーデンリヒト北の砦で勇者キャリバンたちパーティーと戦闘になったときに使った、魔導師が書いた起動式をスリ替えるという技術だ。あの戦闘で生き残った教会関係者が報告したのだろう。
真紗希の"ひかり"は、魔法の起動式の含まれた光を相手の網膜に直接書き込むという魔法だ。
眼球の奥にある網膜は、光を感じる器官であることから光属性でいともたやすく起動式を書き込むことができる。それは生まれながらに光を操る権能を持っている真紗希には難しい操作ではない。
だがアリエルの使ったそれは自分のマナで書いた起動式を転移魔法で転送し、スリ替えるという手法をとっている。誰のマナとも溶けて混ざる親和性の高い異質なマナを持つアリエルにしかできないオリジナルだ。
その話は真紗希もパシテーから聞いて知っている。魔導師を目指す子に対して使用を禁じた魔法だとも聞いた。ゼリアス・アイアスはその魔法と混同しているのだろう。
「兄ちゃんのは違うよ、あれは転移魔法の技術なんだ」
「おおおおおっ! 転移魔法!! それも重大なロストマギカではないですかあああ! なぜ上層部はアリエル・ベルセリウスを敵としておるのでしょうか、爆破魔法だけに留まらず、まさに難解な転移魔法のロジックをも解き明かし現代に再現するとは……、魔導探求の終着点ですよ! 極致に至る道を彼は歩んだのですね。あなたの言うのが本当ならば、アリエル・ベルセリウスは人類の指導者になるべきお方です。最大限の敬意を払うべきではありませんか。まったく、教会の組織とは腐っていますね、狂っているとしか思えません」
「あははは、面白い! 狂ってんのは誰がどう見てもアンタじゃん」
「いいえ、狂っているのは教会上層部でございます。ホムステッド・カリウル・ゲラー司祭枢機卿も結局はカネが欲しいだけですよ。私はそんな俗なものに興味などありません、すべては魔導の探求のためでございます。ところでですね、あの、私なんでもします、何でも致しますから、ノーデンリヒトに連れて行ってはいただけないでしょうか……」
まさかの急展開だった。さすがにそう来るとは思ってなかった真紗希はさらにあと2歩引いた。
「ええー、イヤだよ。あんた何人殺したのさ、エンドア・ディルの暗殺を企てたのもタダじゃ済まないと思うけど?」
「魔導の探求は牢屋の中でもできますし、私は神聖典教会の魔導に明るいです。もし死刑を言い渡されそうになったら私の魔導知識を交換条件に命乞いをします、こう見えて私、高位治癒魔法、エンチャント付与魔術、そして経戦能力を高めるマナ回復魔法について教会でも屈指の知識を持っておりますゆえ……」
「いやいやいや、本気で言ってんの? パシテーのお母さんとかカタリーナとか、教会大嫌いなひと多いんだけどなあ……」
「カタリーナ学長でございますか! 存じております。あの天才もノーデンリヒトに逃れておるのですね、過去に何度かお会いして議論を交わしたことがございます。彼女も素晴らしい理論をお持ちですよ。ですが魔導理論構築では私のほうが上をいっておりました。シェダール王国最強と嘯くセクエク・アルドも、私が魔導学院に残らず、教会に入ったからこそ最強だなどとのたまえるのですよ、私が魔導学院に残ってさえいれば、アルドなど次点! 私の次でありました」
「いや、アンタがノーデンリヒトに行ったらまず、ほぼ確実に殺されると思う……」
「はい、それも女神ジュノーのご意思です。あああ、口惜しい、両親はなぜ私をノーデンリヒト人として産んでくれなかったのか! いま激しく後悔しているところであります。私の人生は魔導の探求のため……、もしそれが叶わないのであれば、いっそのこと私に、今見たあの"ひかり"を使ってくださいませ、光属性の魔法で強制的に起動式を書き込まれる感覚っ! あああああぁぁぁ、体験したい、魔導の極致に触れてみたい……」
「引くわあ……、こいつガチだ……」
「ええ、ガチですとも、ガチで何か不都合でもありますか? ひとの身でありながら魔導を探求しようというのは、ある意味神々に対する挑戦なのですよ? ガチにならず高みには1ミリも近づけませんゆえ」
小刻みに肩を震わせながら片膝をついて跪くポーズをとっている。
正直、真紗希はこんな男に1ミリも興味がないばかりか、絶対に関わりたくないのだが、こういうサイコパス気味の人物は、意外と魔導師として大成する者が少なくない。
実際に身内を殺されかけたパシテーや、教会が大嫌いなサオに殺されるも良し、ノーデンリヒトで死刑判決を受けて公開処刑されるもよし。とにかくこの男をよそにやりたかったというのもあるが……。
「アンタ、ノーデンリヒトに向かったら確実に逮捕されるし、きっと死刑になってしまうよ?」
「それも女神ジュノーのご意思であります」
「何もかも女神ジュノーで済ませるのも嫌がられると思うけど? 本人に」
「私の信仰は他の女神信者とは違っておりまして、妄信しておるわけではありません。女神ジュノーは我々魔法を一切使うことのできなかった下々の者にまで起動式を使うことでマナの寵愛を受けることを許してくださったのです。この世界が開闢して幾億の年月を経ても、女神ジュノーの寵愛に勝るぬくもりを、人類は得られておりません。私の女神ジュノーへの愛は魔導を探求するものとして最大限の称賛であります」
真紗希は、この狂人をアリエルに会わせてみたいと思った。確かに狂っているようにみえるが、その実、起動式を発明したジュノーの功績に尊敬の意を見せているだけだ。
「よっしゃ、そこまで覚悟があるなら紹介状を書いてやる」
「はいっ、羊皮紙とペン、封書もございますよ、持ってきますので少々お待ちくださいませ」
鼻歌でルンルン言ってるのが聞こえた……。
しかもスキップで走って行った!
真紗希はこの男の一挙手一投足に、いちいちドン引きしながらも、自分は絶対にかかわりたくないが、この男はカタリーナに殺されるぐらいがちょうどいいと思った。
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真紗希は、ひとつ、衛兵に見せる書状を手渡した。これは封筒に入ってない、誰にでも見せて困らないタイプの書状だ。
「これはセカの街に入るところでも、中央の丘の上に教会にいる衛兵でもいいから、手渡すこと。書いてあるのを読めばわかると思うけど、後ろ手に縛られて逮捕されると思うから抵抗しないように。そのあとアンタはノーデンリヒトに移送されることになるよ」
「ありがとうございます」
次に閉じた封筒を一通、これは先ほどの衛兵向けの書状にも書いてあるのだが、魔導学院のディオネ助教に向けた書簡だった。なぜディオネなのかというと、真紗希自身、ノーデンリヒトではディオネぐらいしか知り合いが居ないという単純な理由だ。
そこにはこの男の正体について、悪事についても克明に記されているし、エンドア・ディル暗殺にかかわっていることもすべて書いてあるので、パシテーの母さんの髪がメデューサになる未来しか見えないのだが、本人たっての希望なので、ノーデンリヒトで死ぬように取り計らってやった。
真紗希はゼリアス・アイアスに二通の書状を手渡すと、
「まあ、幸運を祈るよ。死んでもしらんけどね」といって、姿を消した。
ゼリアス・アイアスはいま姿を消した魔法にも分析魔法を忘れず、マナの残滓を検証したりしていたが、一通り調べると死体を下した馬車に馬をつなぎ、自ら手綱をひいて倉庫街を出て行った。
サルバトーレ高原をわたって直接セカに向かうなら2日ぐらいの距離だが、いったんプロテウスに出た後北へ向かうほうが安全な道のりである。だがしかし、プロテウス軽油でで行くと倍の4日かかってしまう。
魔導に飢えて熱望する魔導師に遠回りという選択肢はない。
ゼリアス・アイアスは司教という地位を捨て、わざわざ逮捕されるため、セカへと急ぐ。
「さらばですアルトロンドよ、楽園の扉に至る唯一の道を往きましょう、いざゆかんセカ! いざゆかんノーデンリヒト! 待っていなさい、全ての魔導はひかりへと集約するのですよーー!」
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