17-46【真紗希】審問機関ジュライ(6)ゼリアス・アイアス
「ほう、その娘がトーマス・ショット教区長を殺したというのですか? それは傑作です。まだ年端もゆかぬ少女ではありませんか。まったく、どんな手口で殺したのか? トーマスに少女趣味はなかったはず……、油断させて毒でも盛ったのでしょうか?」
「それはアンタらの手口でしょ。私は毒なんて使わないよ」
「むう、やりにくいですねえ。いま死因を調べていたのですが、トーマスもミルファストも致命傷となるような外傷が見られませんでした。まったく、キミのような子どもなら油断するのも頷けますね、まるでお人形さんのように可愛いですしね。トーマスは腕のいい工作員でしたが油断したのですね。あのトーマスが倒されただなんて亡骸を目の当たりにしてもまだ理解できなかったのですが、ようやく事の全貌が見えてきましたよダレン、しかしベルセリウス派の魔導師というのは間違いないのですか?」
「違うってば。それ憶測が入ってるよ。私ベルセリウス派だなんて名乗ったつもりないんだけど? 確かにアリエル・ベルセリウスと行動を共にしていると言ったけど、ベルセリウス派の魔導師だといった覚えはないよ」
「なるほど! 確かに、憶測が入ると情報の精度が下がりますねえ、ではキミはなぜあの大悪魔ベルセリウスと行動を共にしているのですか? そこをはっきりさせないから誤解が生じるのですよ」
「ああ、私は妹。アリエル・ベルセリウスの妹なんだ」
上等な服を着た年配の男は労せずして重大な情報を聞き出すことに成功した。真紗希がまたペラペラと自分のことを話すのを聞いたダレンは、またぞろみんな殺されてしまうのだろうなと思ったが、何も口をはさむことはなかった。なにしろ司教は真紗希に興味があるようで、狂気に満ちた目がまるで好奇心旺盛な少年のように見えたからだ。
「ほう、偽名を使ってらしたのですね、いけない子だ、でも私知ってるんですよ、アリエル・ベルセリウスの妹はグレイス・ベルセリウスという名です。ようこそいらっしゃいました、異端の姫さま。審問機関ジュライはあなたを心より歓迎いたします」
上等な服をきた初老の男は、司教さまと呼ばれていた。真紗希はダレンから聞いて知っている。
司教ということは、ジュライ・ガルエイア支部のナンバー2だ。
そう、たしか名前は……。
「アンタはゼリアス・アイアス司教だっけ? さっきのブルネットの魔女のくだり、ちょっと詳しく聞かせてほしいのだけど?」
「んんん? キミはベルセリウスと行動を共にしているのでしょう? 当然ブルネットの魔女も一緒にいるのではないかね?」
真紗希のイメージするパシテーは、とにかく毅然としていてしっかり者だが、そのイメージはパシテーが他人にそう見られたい姿であって、本当のパシテーは割と頻繁に間の抜けたボケをかます天然キャラだ。
もしかして、出しちゃいけない場面で天然キャラ出ちゃったのかもしれない。
「ディル家の家族みんなさらってしまうのかな? もしかして」
「もしかしないですよ、それが事実なのです」
「じゃあこんな所でモタモタしちゃあ居られないよね……。仕方ない! パシテーの尻拭いをしてやろうじゃないのさ」
真紗希はマスクを外し、素顔を曝し、腕まくりをしてぶんぶんと拳を振り回した。
そして後ろ手に縛られているアプロードは今の言葉を聞き逃さなかった。
ディル家の家族がどうしたという話をしていて、パシテーという名前が出てきたのだ。アプロードからすると一度も会った事のない姉の名がこの場面で出てできた、その理由が分からない。
「モタモタするのは私も本意ではありませんからね、話が早くて助かります。でも残念ですね、あなたはもう、かの地へは戻ることができません」
ゼリアス・アイアス司教は柔らかな身振り手振りを交えながらダレンに命じた。
「グレイス・ベルセリウスを捕えよ。今日はなんと得難き日なのでしょう……」
司教は狂喜し、完全に勝ち誇った顔でいま目の前にいて仮面を外した少女を捕えるよう命じた。
しかしダレンは応じない。
「あいにく私の力では司教さまのご期待に応えることができませんが?」
「なにを弱気な。見たところ年端もゆかぬ子どもではないか、すぐに捕えて本部へ移送する」
「いえ、手を出すのは得策ではありません、私の予想では全滅します」
「何を言ってるのですか。手強いのでしたら全員でかかりなさい。これは女神ジュノーのご意思なのです」
「「「はっ!」」」
すでに強化魔法を施したまま待機していた男たちは、3人でフォーメーションを組んでジリジリと包囲を狭めている。戦闘は始まった。
真紗希は短剣を抜かず、迷うように視線を泳がせ、ただ立ち尽くすダレンに問う。
「アホばっかりだな。ジュノーがそんなこと言うかっての。ダレンって言ったよね、アンタどうすんのさ。ここを出ていくなら追わないよ」
「今度会ったときは敵なんじゃなかったのか?」
「いや、大事なことだから二度言って確認してるのと、あと興味本位なんだけどさ、アンタ仲間が倒れて、まだ生きてるうちは熱くなってたけど、死んだ瞬間にクールダウンしたよね? 怒りとか、悲しみとか、私に対する憎しみとか、そういう感情的なものを感じなかったんだけどさ、やっぱ暗殺者には感情とかないの?」
「私がお前の提案に合意したのは彼我の戦闘力を比較して、私に勝ち目がないと思ったからだ。たとえ任務に失敗したとしても仲間の遺体を回収し、なるべく多くの情報を集めて報告せねばならない」
真紗希は、仲間の死に心が動かないような奴でも、自分の命に対しては執着すると思っていた。
だがこの男は自分の命よりも命令された任務を優先させるよう作り上げられている。目の前で仲間を殺した相手と極めて落ち着いた話ができる男だし、異端者を殺すという行為を正当化しようともせず、淡々と話した。
正当化という行為は、周囲に自分たちの行いが誤解なきよう、間違っていないのだと、知らしめるための表現だ。正義を語る者たちが自らの行いを正当化する必要があるのは、それがいけないことだと分かっていながら実行した悪行だからだ。
だがこのダレン、人を殺すことを正当化する必要がない。なぜなら心の底から悪いことをしたなどとはこれっぽっちも考えてないからだ。
自分の脳で物事を考え、判断するということを放棄し、上からの命令に従っているだけ。それはとても楽な生き方だ。自分のしてしまったことに罪悪感に悩まされたりしなくてすむのだから。
「そっか、自分の死についても特に思うところはなさそうで安心したよ」
「たとえ私が今日ここで死ぬのだとしても、それは女神ジュノーのご意思だ」
ダレンは短剣を抜くのと同時に強化魔法を唱え、網膜にその起動式が映し出されたかどうか? という刹那、プツッと糸が切れたかのように、急に脱力し倒れた。
戦闘がいま始まるかと緊張感高まったとき、この中では一番腕の立つダレンが倒れた。
周りの者たちは何が起きたのかまるで理解できず、迂闊に動くことも出来なくなった。
真紗希は倒れたダレンのことなどまるで気にも留めず、アプロードの転がされている所に向かうと間に立っていた男二人がさっと道を開けた。強化魔法をかけて短剣を構えた戦闘員がいるのに、まるで危機など感じていないかのような素振りでダレンを倒した黒装束の女が無造作に間合いを詰めてきたのだ、無意識にでも間合いを広げるため自然と道を開けることになる。
アプロードは黒装束の少女がいつの間にか、気付かない間に手に持っていた短刀でロープを切ってもらい、手足が自由になった……。そのときアプロードは黒装束、黒髪の少女の黒い瞳に魅入られた刹那、視界に眩しい光を感じた。
ハッと息をのむ。頭で理解できなくとも肉体は直感で理解した。これは強化魔法だ。アプロードは漲る力で、身体が羽根のように軽くなったのを感じた。自分の起動式ではない、この黒装束の女が付けてくれたバフだということは理解するに容易かった。
次の瞬間、アプロードは縮地と見間違えるほどの速度で剣を奪った男に掴みかかり、短剣の反撃を読んで関節を逆手にとった。速度で圧倒的優位に立つとバランスと重心を崩して倒し、相手が転がって間合いを広げたときにはもう、奪われた剣をその手に取り返していた。
アプロード・ディルは、父エンドアと、兄であり二世議員のカストルという政治家の家に生まれて育った。それが16年前のアリエル・ベルセリウス襲撃の際、世話になった先輩を失ったことから領軍に志願したという経緯がある。
だがしかし、アルトロンド軍としては魔族融和はどうでもいいとしても、財政再建のためとはいえ軍縮を声高に叫ぶエンドア・ディル議員はことのほか煙たい。その実の息子が軍人として送り込まれてきたのだから、当然だが軍の機密に触れるような地位を与えられるわけもなく、領軍を希望して軍に入ったが、体よく何度も厄介払いのような異動があって、いまや南ガルエイアなどという貧乏人の暮らすバラック街の衛兵に甘んじている。
体よく窓際に押しやられ、干され続けているのだ。
普段は閑職に甘んじる昼行燈のような男だが、しかし剣の腕前は千人隊長なみにキレる。
奪い返した剣を抜いて構えた。
――ぐらっ……。
しかし強化魔法をかけてもらったはずのアプロードがバランスを崩して片膝をつく。
頭がフラフラする、めまいの感覚を払拭しようと意識を前に集中していた。
「強化魔法を強めにかけてるからね、加減しないと内臓や脳が耐えられないよ」
アプロードは普段自らが使っている強化魔法よりはるかに強力なバフであると理解した。レベルの低いアルトロンドの戦場魔導師では、せいぜい障壁魔法ぐらいしか張れないのに、ノーデンリヒトの魔導師というのは空恐ろしいものがある。
しかし言葉を聞いて納得しただけでなく、精神が研ぎ澄まされて体調が一気に回復してきたのを感じた。生命力にあふれる感覚、自分がかけるよりはるかに出来のいい強化魔法の効果も相まって、無敵感に酔いしれるほど力がみなぎっている。
「おお、おおおおっ!」
「一時的に脳にダメージを受けたみたいだから治癒魔法をかけたおいた。ここは私に任せて、アンタは家族のところに戻るといい。あとで話があるから」
「ありがとう、恩に着る! キミなら一人で切り抜けることができそうだ。だが私もキミには聞きたいことがある、全てが終わったら会えるか?」
「聞きたいことって何かな? 言いたくないことは話さないよ?」
「キミはディル家の話をしているときにパシテーと言った、その件だ」
「あ――、言ったっけ! わかった、用事を済ませたらこっちから会いに行くよ、パシテーも一緒にね」
「そ、そうか! わかった。約束したぞ……、えっと……、グレイス・ベルセリウス?」
「ちゃう! 私は真紗希、発音が難しいけどマチャアキって言ったら殴るからね。どこんとこヨロシク!、気を付けて」
「わかったマサキ、そっちこそ気を付けてな!」
アプロードが倉庫を出てゆこうと踵を返すのと同時にゼリアス・アイアス司教は激を飛ばす。
「あなたたち、逃げられたら懲罰ですよ……」
3人はターゲットを真紗希からアプロードに変え、この倉庫から逃げられる前に取り押さえようと……追い、加速したそのとき視界が一瞬フラッシュする。
後を追おうとした男のうち一人が目を押さえた。
「何をしているのですか、急ぎなさい」
「はっ、はい。いま光が目に入りって目の前が……」
ゼリアス・アイアスはそのとき、この男は何を言ってるのか? と思った。それだけだった。
自分の視界には特におかしなことはなかったのだ。
しかし次の瞬間、驚愕とともに異変が訪れた。
―― べこっ! ぼごっ! ぐちゃっ!……。
鈍い音がして、壁に鮮血が飛び散ったあと、たった今までヒトだった物が無造作に散らばった。
アプロードは振り返らずに倉庫を出て行った。後を追う戦闘員はもうヒトの体をなしてない。
最後に残ったゼリアス・アイアスは、弾け飛んだ部下たちの血しぶきを頭から浴びて、息もできず、瞬きもできない、そして身動きもできない。がくがくと体の芯からくる震えを抑えることができず、奥歯がガチガチと音を立てる。
ゼリアス・アイアス司教は部下が弾け飛び、全身から血肉を噴き出して肉塊となり倒されたのを見た。
このデタラメな魔法は古書に記述があり、この魔法について神聖典教会の魔導部でも意見が分かれ、激しい気論が繰り返されたこともある。
『ひかり』と呼ばれる。しかしその『ひかり』は絶望をもたらすひかりだ。
その光を見たものは全身の毛細血管から霧状に血液を噴き出し、まるで蝶が蛹から羽化するように背中の皮を破り全身の骨が飛び出すほどの人体破壊をもたらす。
神話の時代、灰燼の魔女リリスが使ったという伝説のロストマギカだった。




