17-44 【真紗希】審問機関ジュライ(4)
ヒューイの脈が止まった。しかしダレンの心は平静を保っていた。ガキの頃からよく自分になついてくれてたヒューイがいま死んだというのにだ。
一瞬だけふと頭に浮かんだことがある。人知れずどこかに埋葬されたというバリス・ドイルより幾分かマシな死だったと思った。しかしダレンはすぐにその考えを否定した。他人の死を自分の尺度で見てよかったかそうでなかったかを決めるなどナンセンスだ。
ヒューイを看取ったダレンは、まだ命が救えるのではないかと希望があったときよりも明らかに冷静さを取り戻し、亡骸となった後輩の手を胸の前で組んでやりながら、真紗希の知りたい情報を包み隠さず、すべてを話すことにした。
ウソを言ってこの場を逃れられたとしても、逃げおおせるヴィジョンがこれっぽっちも見えないのだ。ここで命を奪われて腐り果てるか、それとも命を落とした仲間たちの亡骸を回収して、ここであった事の顛末を上に報告するか。突きつけられた二択には選択肢などなかった。従順に聞かれたことに答えるのみだ。
そうしてダレンは重い口を開いた。
「審問機関ジュライ、私はジュライの諜報員だが、ここには定期連絡にきた。お前の推測通りだよ、ジュライは異端者や女神の敵を見つけ出して消すためにある。こっちも聞かせてほしい、お前のほうこそ何者なんだ?」
「何者?ってどう答えたらいい? 自己紹介すればいいのかな?」
「お前がどこの誰で、どんな組織の人間で、ここにいる理由を教えて欲しい」
「どこの誰って聞かれるのが一番困るかな。えっと名前は嵯峨野真紗希、アルカディアからきた。どこの組織にも属してないけどアンタらの敵、アリエル・ベルセリウスと行動を共にしているよ。ここに居る理由は、まあ、成りゆきってところかな。でも私が偶然ここに立ち寄ったから暗殺者は死んだし、エンドア・ディルを救うことができた。つまりアンタらジュライからすると私は敵ってことになるね、これでいい?」
ダレンはいま聞いた情報を頭の中で整理し、フル回転で纏めている。
アルカディア人などと言われても一般人ならばおとぎ話ぐらいでしか知らないのだが、教会関係者は噂ぐらい聞いたことがある。
確か帝国が召喚する勇者がアルカディア人のはずだ。
ベルセリウスと行動を共にしているということは、勇者がベルセリウス派に属しているということ。そしてどういう訳かベルセリウス派の者がエンドア・ディルの別荘にきて、暗殺を阻止した。つまりベルセリウス派はエンドア・ディルとなにか繋がりがあるということになるのだが……。その繋がりが分からなかった。
「じゃあジュライの本部と支部の住所、偉いやつの名前しってるだけ全部……」
交互に質問して答えることになったようだ。誰もそんなルールは決めてないのだが、ダレンに異を唱えることはできなかった。本当はもっと聞きたいことはあったのだが。
「ジュライ本部はガルエイアの神殿騎士団本部の中にあるらしい。私は入ったことがないのでよく知らない。支部も私が所属しているガルエイア支部しかしらない。住所はアウターガルエイア西へラルズ市場の11番倉庫。ジュライでいちばん偉いのはホムステッド・カリウル・ゲラー司祭枢機卿だよ。よその支部のえらい人はしらない。自分の所属ているガルエイア支部長がアンドレ・ヘミング大司祭、つぎがゼリアス・アイアス司教、あとここで死んでるトーマス・ショット教区長ぐらいだ」
「ホムステッド・カリウル・ゲラー……。またあのオッサンかあ。でもたったそんだけ? 審問機関って全国に広がってるイメージだけど?」
「たぶんこういうことも想定してるんだろうよ、各支部は独立していて横のつながりはほとんどない。私たちは仲間とすれ違っても分からない。お互いに顔も名前も知らないんだ」
「そっか、アンタからはもう大したことは聞けないみたいだね。じゃあ大したことは聞かないけどさ、最後にひとつ関係ないことを聞かせてほしい、これは興味本位なんだけどさ、ひとを暗殺するっていったいどんな気分なんだ?」
真紗希の質問は、自分が選ばなかった暗殺という役割について、本職のプロに聞いてみたかった、それだけの話だ。興味本位レベルというのもウソじゃない。
「別に? どんな気分といわれてもな、敵を殺すのに気分なんてないさ」
ダレンの言葉には澱みも何もなかった。言いづらくもなく、ただ聞かれたことに答えただけのような、まるで感情が感じられない言葉だった。
「エンドア・ディルはアンタの敵だったのか?」
「私の敵じゃない。女神ジュノーの敵だ」
「清々しいな、なるほど。その屈折した理屈で今まで何人殺したのさ?」
「さあ、24、5人ぐらいかな。だが全員が異端者か異教徒だよ? 女神に誓って私が殺した者たちはすべてが死ぬべき者ばかりだ」
「それを真面目に胸張って言うのスゲエわ。じゃあアリエル・ベルセリウスも当然死ぬべき者に入ってるんのか?」
ダレンは今の質問を誘導尋問だと警戒した。
「それを正直に言ったら私は殺されるんだろう?」
「私は約束を守るって言ってんじゃん。それにアンタらには無理だしな」
「アリエル・ベルセリウスは女神ジュノーの敵だ」
「アホか、アンタほんと何も知らないんだな。ジュノーはアリエル・ベルセリウス第三の妻だよ」
「はあ? お前は何を言ってる」
「私はウソは言わない。いま言ったのが事実だよ。ジュノーは神聖典教会を許さない。女神の敵はアンタらだ。もうひとつ、やっぱり私も教会なんてロクなもんじゃないと思うわ、だから敵対することに決めた。もし次に会うことがあったら、死ぬべき者というものがどんなか身をもって教えてやる。話は終わりでいいよね? ここの死体はどうするんだ?」
「葬ってやりたいから引き取らせてほしい」
「じゃあすぐに片付けて連れて帰ること。施錠まではしなくていいから戸締りもよろしく。私は帰るけど、次あったら敵だから、そのつもりでね」
「あ、ああ。分かった……」
ダレンは覇気なく答えた。本当に生きて帰れるのか? 本当に開放してもらえるのか? と疑心暗鬼になっていた。なにしろジュライでは異端者を捕えたら拷問と治癒を繰り返し、洗いざらいすべて喋らせてから殺すなんてこと、珍しくなかったのに、自分は本当にこのまま帰っていいのかと半信半疑なのだ。
ただ、次会ったとき敵ということは、かけてもらった治癒魔法を解除されるだけで死ぬのかな? とか、とりとめのないことを考えていると、さっきまで目の前にいたはずの仮面の少女が忽然と姿を消していて、息をのんだ瞬間に空気のにおいが変わったのを感じた。
すこし空気が動いたのを感じ、あたりを注意深く窺ってみると、ダレンの背後、応接間のドアが数センチだけ開いている。さっき音を立てて勢いよく閉じられたドアが、仮面の少女が消えたことで数センチ開いている。
ダレンは恐る恐るドアの隙間から外を窺い、正面玄関の扉も同じように少し開かれていて、外から明かりが差し込んでいることに気付いた。
どうやら本当に自分は見逃してもらえたのだと思った。
しかしホッとしてなど居られない、ダレンは強化魔法を強めにかけて3人の遺体を馬車に積み込み、食料倉庫で穀物を入れる麻袋を拝借し、三体の死体にかけてから、言われた通り、戸締りをしてからそそくさと御者台に上がり、ガルエイアに向かって馬を走らせた。ゴトゴトと揺れるサスペンション機能の付いてない荷馬車ではギャップで跳ねて積み荷が傷む。死んでいるとはいえ仲間だった者たちを積んでいるのだ、できるだけ早く支部に帰って報告したいのはやまやまだが、奥歯をかみしめてスピードを落とした。
左右に揺れる荷台をみるとヒューイの死に顔が露になっていた。
ダレンは何も言わずにズレてしまった袋をかけてやった。
ヒューイの死は突然だった。だけど仲間の死に立ち会っても特に心が動くこともなかった。怒りの感情を露にして復讐を誓うわけでもなく、悲壮に暮れて涙を流すわけでもない。まだ悲しいという感覚まで追いついてないだけかもしれないが、親しい人が死んだからといって涙を流す人の気持ちはまだわからなかった。
物心ついたころから異端者を告発し、闇に葬り去るような仕事ばかりをしてきたダレンは、ガキの頃からよく知るヒューイが目の前で殺された現場に立ち会っても、心が動くことはなかった。
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ダレンが馬車でガルエイアに戻ったのはそれからしばらくしてのことだった。
城塞都市とよばれるだけあって、小高い丘をぐるっと強固な城塞で囲んでいるのだが、それも昔の話、いまは城塞の中から人があふれてしまって、あの中は高級住宅街となっている。金持ちたちの楽園だ。
ガルエイア城塞門の検問所は入るのにチェックが厳しく、馬車は検問を待つため長蛇の列をなしている。その渋滞を避けるようにダレンは左に折れ、ガルエイアからセカ方面に向かう街道に入った。
ボトランジュとは長びく紛争のせいで交易もストップしているので、こちら方面へ向かう街道はいつもすいていて、すばやく移動できることから、距離的には多少遠回りでもこっちを通った方が早い場合がおおい。
……っ!
目の前を横切る小さな影。
子供だ。
馬車は急に止まれない。ブレーキ装置などついてない。
ダレンは両手綱を強く引いて馬を止めようとしたが、引っ掛けてしまった。
馬とぶつかり、まるで紙細工のように転がる子どもの姿をみた。馬はスピードを緩めるも、止まらない。
跳ねた子供は少年だった。しかし何回転かゴロゴロと転がったあと、すぐに上体を起こし、馬車上のダレンと目が合った。
ダレンは一瞥だけくれてまた鞭を入れ、馬車を加速させて事故現場を立ち去った。
法では馬車を止めて相手の介護をしなけばならないことになっている。だがしかしこの世界では貧しい子供が馬車に当たって示談金をせしめるような当たり屋詐欺というのも横行しているせいか、馬車を止めずに走り去ることも多くみられた。それが南ガルエイアの貧民街なら特にだ。
跳ねられた少年は街道にへたりこんで恨めしそうに逃げた馬車の方を見ていた。
何度か立ち上がろうとしたが、足を傷めたらしく立ち上がれなかった。街道の真ん中で座り込んでいる。
「大丈夫?」
通り沿いはさすがに貧民街には見えないが、裏通りに入るとバラックが立ち並ぶガルエイア南部。交通量は多くないがスピードを出す馬も多い街道のど真ん中で座り込んで動けない少年に声をかけた人がいた。
少年は走り去る馬車の背を見ていたが、声を掛けられて振り向く。
全身黒ずくめで、腰まである黒髪の女が立っていた。嵯峨野真紗希である。
真紗希は姿を隠してダレンの馬車を尾行していたところ、馬車と少年の事故を目撃したというわけだ。
「大丈夫だよ、大したことない」
真紗希のみたところ少年は足首を捻挫しているのと、あと馬にはねられたときの衝撃で左腕の尺骨にひびが入っている。この程度なば真紗希の治癒魔法で完全に治癒できる。それに尾行を外してもあの男にはマーカーを仕込んでいるから見失うことはないし、先を急ぐ馬車に少年が跳ねられたその理由の一端は真紗希にもあると思った。
真紗希が手を差し伸べて少年を起こしてやろうとした時、けたたましくホイッスルが吹き鳴らされた。
耳を覆いたくなる不快な音に眉を顰める。
「どうしたボウズ! 馬車に跳ねられたか?」
馬に乗った制服姿の男、この制服は衛兵というやつで、領軍のなかで警察のような役割を担っている。
国を守るのが国軍、領地を守るのが領軍、そして人々の暮らしから法と秩序を守るのが衛兵隊だ。
「うん、でも大丈夫」
少年は衛兵が到着したことで明らかに狼狽していて、引きつった笑いで気丈に振舞った。馬上の衛兵から目をそらして、痛くないワケがないのに大丈夫だと言う。普通は馬車に跳ねられたのだから衛兵にひき逃げ犯を捕まえるよう訴えるはずなのだが。
真紗希は本当のことを言おうとしない少年にかわってケガの状況を伝える。
「大丈夫じゃないよ、捻挫してるし、腕の骨にヒビが入ってる」
「むっ? お前は?」
「目撃者かな、いまこの子が馬車に跳ねられて立ち上がれないから助けようとしただけだよ」
「そうか、ありがとう。目撃したなら、逃げた馬車の特徴を覚えているかい?」
衛兵は精悍で凛々しく、一目見ただけで正義漢であることが分かる。まるで熱血主人公のような顔をしていて、その瞳からは市民を守る兵士として、プライドの高さが窺えた。
「馬車というより荷車に茶色の皮張りの幌、馬は栗毛で後ろ足二本が白かった。西に向かって走り去ってから1分ぐらい」
「すごいな! 的確な情報提供に感謝する。その少年を任せていいか? わたしは追わねばならんのだが」
真紗希が頷くと、騎馬衛兵の男は馬に拍車をかけ、颯爽と加速して追いかけて行った。
衛兵の男を見送った真紗希は少年に手を差し伸べ、引き起こしてやった。
捻挫した足首が痛いのだろう、苦痛に表情が歪む。だけど少年が衛兵とかかわりたくない気持ちもなんとなくわかってしまった。
「キミ、わざとあの馬車に当たったね? アホだ、それで逃げられてたらつまらないでしょ? 今日は運よくこれだけで済んだけど、馬に踏まれたり車輪に巻き込まれたりしたら死ぬことだってあるんだからね?」
それだけ言うと真紗希は道の端っこまで少年の手を引き「もう痛くないわよ。これに懲りたらもう二度としないこと。わかったね」と優しく諭した。
少年の足も腕も、転がったとき打撲した肩と腰も、痛みはスッと消えている。驚いて腕をぶんぶん振り回し、傷んだ方の足で地面をバンバンと踏んでみたが、まったく痛みがない。
いままで傍に立ってた黒装束の少女は背を向けて道の真ん中へと出た。そして一瞬、馬車が通りすぎると黒装束の少女は跡形もなく消えていて、少年がいくら探してもどこにもいなかった。
颯爽と姿を現して、自分を助けるだけ助けて、痛みと同時に姿まで消えてしまった。少年にとって黒装束の少女は幻のようにしか思えなかった。
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