17-42 【真紗希】審問機関ジュライ(2)
トーマスとミルファスト、そしてバリスの3人はエンドア・ディルの暗殺に失敗しただけでなく、暗殺任務のことも、そしてこちらの正体も知られているということだ。
このメモはだれかがこの屋敷を訪れ、死体が発見された時、この屋敷で一体何があったのかを知らせるために書かれたものだ。トーマス教区長が死にかけの年寄りの反撃にあって殺されたなどまったく信じがたいが……。
ダレンは起動式を書きながら、御者台に座ってじっとこちらを見ているヒューイにハンドサインを送った。
ヒューイはダレンの指が何の起動式なのかを読み取った。
(強化魔法だと?)
ダレンが戦闘モードにはいった。青物屋の配達だったものが、たったいま戦闘態勢に移行したのだ。
ヒューイは馬車を飛び降りるとエントランスを駆けすぐさまダレンの隣に立った。
メモを見たヒューイの目がすわった。
こんなメモを見てしまったのだ、もう青物屋の配達を装ってる場合じゃない。
ヒューイも自前で起動式を入力し、強化魔法を展開した。
(身体強化)
ダレンはひとまず、エントランスの変色部分に近づき、灰色の石畳に落ちて、ベットリと付着した赤黒いものに指先で触れてみた。表面は乾燥していて黒くなっているが、これは血液だ。完全に凝固しているから、この血がここで流されたのは、おそらく昨夜かそれ以前となる。だが3日前には普通に応対したので、異変が起きたのは3日前ダレンたちがここに野菜の配達に来たあとから昨夜までの間ということだ。
強化魔法を展開したヒューイは短剣を抜いて掌に隠し持つと、ダレンの傍らでその血の見分を待っていた。その血は誰の血なのか。
(やっぱ血っすね……)
「いやもう普通にしゃべる分には構わんだろ……。逆にこの状況で一言も声を出さないほうがおかしいからな」
言うとダレンは警戒心を露にしながらドアノブに手をかけ、重厚なマホガニーのドアを少しだけ押すと、やはり思った通り施錠などされておらず、ドアは音もなくスッっと動いた。
わずかな隙間から中を窺う。ドアの隙間から全方向に注意を払いながらゆっくりとドアを開いていった。
小さな別荘のわりにしっかりとした玄関ホールが姿を現す。
音がしない、気配もない、だれかいるとは思えない。だが玄関ホールは薄暗く、開けた扉から湿った空気がざわっと流れ出した。
全身のうぶ毛が逆立つ、普通じゃない圧力を感じる。ケツに焼けた鉄を突っ込まれたかのように肛門の縮み上がる感覚だ。
「ダレンさん、行かないなら俺先に行くっすよ、バリスが心配っす」
慎重に中の様子をうかがうダレンの肩を押しのけるよう、割って入ろうとするヒューイを止めた。
「先走んな、すでに緊急事態だ。いまの私たちはここでなるべく多くの情報を得て、それをジュライに持ち帰ることが任務だ」
ヒューイはバリスのことが心配なのだろう、言葉にすこし焦りを感じる。
連絡係とはいえこの二人も暗殺を生業とする審問機関ジュライの工作員だ、当然だがこの屋敷の間取りについて把握していて食料倉庫にしか入ったことがなくても、どの部屋が応接間なのかぐらい知っている。
とはいえ、屋敷の中に足を踏み入れると玄関ホールからすぐ二つ目の部屋のドアが空いていた。まるで「ここですよ」とでも言わんばかりに。
そういえば門が開けっ放しだった、エントランスに血が落ちていた。ドアに紙片が挟まっていた、そしてそのドアを開けて入ると、扉の開いた部屋がひとつ……。
明らかに誘導されている。
「まてヒューイ、ミエミエの罠だ。あからさま過ぎる、私たちはその部屋に入るよう誘導されているぞ」
「あー、俺さっきのメモなんて信じないっすけどね、でももしトーマスさんを倒すような奴がここに残ってたとしたら警戒なんてするだけ無駄っしょ?」
ヒューイの言葉は力強く、その表情も幾分か引き締まっているように見えた。
ひとは窮地に陥ったとき、真価を発揮する。普段はバカっぽい、うだつの上がらん奴だと思っていたのだが、どうやら評価を見直してやる必要があるようだ。
「確かにそうだな……」
ダレンはベルトのバックルから小さなナイフを引き抜き、手のひらに隠し、ヒューイにハンドサインでバックアップに回れと指示を伝えた。
応接間は廊下側から押すドアになっていて、左ヒンジだから左側が死角になっている。
ふたりは無音で歩を進め、ドアを行き過ぎた位置から部屋の右側を覗いた。
ひとが折り重なって倒れているのが見えた。足だけしか見えないが、ブラックスーツのズボンと革靴、そしてメイドの履く白い靴下と黒い革底のローファー。
スーツはトーマス・ショット教区長である可能性があり、上に重ねられているのはメイド服を着ているので、ミルファストかバリス……かもしれない。
ダレンは指でカウントする。
3、2、1。
ダレンを先頭に二人ほぼ同時に応接間に踏み込む。強化魔法の十分に乗った踏み込み、ヒューイはダレンと背中を合わせてドアの影、死角を受け持つ。
しかしそこにひとは居なかった。言い換えれば、生きた人はいなかった。
トーマス・ショット教区長が倒されていて、その上に重ねられているのはミルファストだった。
遺体は二人分、バリスがいない。
ヒューイは色めきたったように声のテンションが上がった。
「バリスは!」
二人とも周囲を見渡したが、バリスの遺体はない。
「俺、別の部屋さがしてくるっす!」
ヒューイが振り返りざまに応接室を飛び出そうとしたその時、バタン!! と大きな音がした。
閉まったというよりも、ドアを思いっきり蹴飛ばした結果、勢いよく扉が閉まったような音だ。
咄嗟に一歩引いて、音のした方に身構える二人……。
だがしかし、こんなにも強く扉が閉められたのに、視界には誰も映らなかった。
身を低くして短剣の構えを崩さず、なぜいま扉が勢いよく閉まったのか、誰かいるのか? 分からない。なにも分からない。二人は閉じられたドアに近付くことも出来ず、半歩、また半歩とじりじり下がりはじめた。
ドアにばかり警戒している二人に、背後からいきなり女の声が聞こえた。
「ん――。プロだと思ったけど、素人だったか……」
二人同時に振り返った。
ダレンを対称に扉と反対側! つまり背後に回り込まれている。
瞬時に振り替えると、そこには褐色の下地に目の部分から赤い血涙のラインが印象的な仮面をつけた、黒い装束の女が立っていた。女?というより年の頃12前後の少女だった。黒装束に腰まである黒髪の艶が印象的だ。
アルトロンド南部に伝わるゾフィーの仮面で顔を隠しているということは、面が割れたくない理由があるということだ。
正面玄関扉にメモを挟んだり、応接間のドアを開けっぱなしにしたりなどしてこの二人をここに導いた
正確には、扉があって、ダレンとヒューイがいて、トーマスたちの死体が重なっていて、その向こう側に少女が立っていた。
いま激しい音をたてて扉をバン!と閉めたのは、ダレンとトーマスを振り向かせるため。
素人だったというのは、振り返った判断力を値踏みされ、二人の実力が大したものではないことが露呈してしまったということだ。
ダレンもヒューイも一歩も動けないばかりか、言葉を発することも出来なかった。
口元しか見えない仮面の下、どんな表情をしているかは窺い知れないが、唇だけは饒舌に動き要求を突きつける。
「ねえ、ジュライって何?」
当然だがその問いに答える者などおらず、二人は口をつぐんだ。
話せない理由があるということだ。




