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17-41 【真紗希】審問機関ジュライ(1)

 朝っぱらからゴトゴトと音をたてて、馬一頭で引けるサイズの、ちいさな幌馬車が街道をゆく。

 積み荷は新鮮な野菜と芋などの根菜、それに小麦の袋が三袋。幌馬車がいかに小さいとはいえ、それでも積み荷はえらく少ない。乗っているのは男が2人。


 馬の手綱を握っているのはヒューイ、25歳で妻と2人の子がいるという設定ではあるが、本当は恋人すらいない。幌のかぶった荷台でヒューイと背中合わせで座り、積み荷のリンゴを手に、ナイフで皮を細く長く繋げながら剥いてゆく手先の器用な男はダレン、30歳で店舗を持たない行商人、という設定。


 ダレンはガルエイアに家族がいることになっているが、親の顔も知らず教会の運営する孤児院で育ったこともあり、身内が誰もいないせいか、物心ついたころから洗脳教育を受け、同時に戦闘訓練を受けていた。


 二人とも生え抜きの狂信的女神教徒であり、これまでも、これからも神聖典教会のためだけに働く。


 二人の仕事は青物屋の配達ということになっているが、実際は女神の敵になりうる異教徒や、同じく神聖典教会しんせいてんきょうかい信者でありながら正当な教義に反した異端者の監視、報告するのが任務だ。だから表立って女神を信仰することもなければ、日曜に礼拝するということもない。ごく一般的な、いやむしろ信仰心薄い一般人を演じ上げ、今もこうしてやるきのなさそうな顔をしながら馬車に乗っている。


 女神を信仰する教会がなぜこんな薄暗い闇を背負ったような機関を運営しているかというと、当然だが、つい16年前まで教会の権力を相手に好き勝手暴れまわったアウトロー、アリエル・ベルセリウスの存在が大きい。


 いまから18年前、教会の最高戦力、勇者キャリバンを打ち破ったアリエル・ベルセリウスを討伐するため、セカに向けて侵攻した折、前騎士団長アウグスティヌスが戦死したことが大きな転機となった。


 神聖典教会にて、異教と異端を調査し、誰にも知られることなく問題を解決する必要性を強く説いたのが、かの司祭枢機卿カーディナル・ビショップホムステッド・カリウル・ゲラーだった。


 ホムステッド・カリウル・ゲラーは魔族排斥を強く主張した急進派の旗印だ。そんな男がアウグスティヌスに成り代わって神殿騎士団長を襲名し教会の最高戦力を掌握したとき、ひとつの機関が設立された。


 異端者や異教徒、特に神聖典教会に弓を引くような女神の敵を誰にも知られることなく、ひっそりと排除するための機関だ。ホムステッド・カリウル・ゲラーの指揮下にあることで一応は神殿騎士団の下部組織という名目ではあるが、実際には完全に独立している。


 審問機関ジュライ。


 設立した当初こそ取るに足らない小規模部署だったが、現在は国内だけでなく神聖典教会の勢力にあわせ、各地に工作員を送り込んでいる。


 ダレンとヒューイも工作員である。


 身分を偽った男が2人が、今日も朝っぱらからこんなにも乗り心地の悪い路面のギャップをいちいち拾ってケツを突き上げてくるような荷車を馬にひかせて、大の男が食材の配達にきた。


 若いトーマスは馬の手綱を引きながら、あくびをしてしまい、あくびのオマケとしてちょろっと流れた涙を片袖でゴシゴシと拭き取る。誰が見ても午前中ののどかな風景だ。


「ダレンさん、トーマスさんって、ディル家に何年目でしたっけ?」


 目的地にはすでに3人の同志スパイがもぐりこんでいて、中でも大ベテランのトーマス・ショット教区長は執事としてもう16年もの長きにわたり、潜入調査を続けている。


「大悪魔ベルセリウスが侵攻してきたころだから、今年で16年目? だな」


「うわ、マジっすか。16年も金持ちの屋敷でうまいもん食ってんのかあ、俺らとは違いますねえ」


「執事として16年だぞ? あんな汚らわしい異端者に『ご主人様』と頭を下げたりしてかしずくなんて屈辱的なことを16年も続けて、さまざまな情報を送ってくれたんだ。もしトーマスさんの情報がなければ、ディル派の議員があと5人は当選してるからな。私たちと違うのは食いもんじゃない、情報収集能力と、命令を実行する実力だよ。尊敬しろ、お前もトーマスさんみたいにデキる男になるんだ」


「そっかー、俺もウデあげて……バリスといっしょの屋敷に住み込みで暮らしたいっす!」


「わははは、おまえにはミルファストが似合いだ」


「いやいやいやいや! ミルファストさんはおっかねえっす」


 ミルファストは女だてらに素手で相手を組み伏せる技に精通していて、騎士団で行われる素手での格闘訓練に呼ばれたとき、その実力をいかんなく発揮してみせた。修練場は阿鼻叫喚あびきょうかん地獄絵図じごくえずと化し、騎士たちからいまも恐れられている。


「そういえばおまえ手合わせしてもらったんだっけ? いつだったっけか。たしかクスリ取りに来た日だったな。どうだった?」


 ヒューイは馬の手綱を引きながら、左腕をぐるぐると回す動作をすると、軽薄そうな三白眼がしかめっ面に変わった。


「いやあ、ケチョンケチョンにやられましたよ。肩外されたし……、まだ腕回したら痛みあるっす」


 手綱の右を引いて方向転換する馬車。

 街道沿いに立っている大きなニレの樹を目印に、馬車は細い道に入る。


 外の見えない幌馬車の中にいながらも、いま曲がったことで正確な位置を知ったダレン。そろそろ目的地が近いことを知って、まだ瑞々しいリンゴにかぶりついた。


(うっわ、酸っぱいなこのリンゴ)


「ミルファスト強いからなあ……力で向かってもダメめだな、私もミルファストには勝ったことない。だけどな、トーマスさんは別格だからな。手合わせしようなんて思わない方がいいぞ」


「ジュライ設立からずっとナンバーワンなんすよね、いっぺん戦ってるトコ見てみたいっすね」


「見てみたいか……どうせ見えんだろうがな。16年前の襲撃な、アリエル・ベルセリウスを倒すのに14万も兵士集めなくても、トーマスさんが出れば倒せたと思うぞ」


「マジっすか! ベルセリウスってアレでしょ? 勇者殺しの大悪魔で、神話のアシュタロスだとか言われてるんですよね、それほどなんっすか」


 半ば呆れ笑いの含んだ返答をしたヒューイを肩越しに見ながら、ダレンは声のトーンを下げて凄みを利かせる。


「ああそうだ。それほどなんだ。エンドア・ディルはもうじき死ぬからな、あの異端者が死んだらトーマスさんは長い潜入任務から解放されるが、あのひと優秀だからな、たぶん次はノーデンリヒトだろう」


「エンドア・ディルを殺したら、次は息子のカストルだと思ってましたよ。カストルはまだ生かしておくんすか? 異端者なんかさっさと殺してしまえばこの世界はもっと正しく回るのに……」」


「カストル・ディルも長くは生かさんだろうな、だがトーマスさんがノーデンリヒトに入ったら、ベルセリウスの命なんか風前の灯火だからな、そしたらアルトロンドの戦争も終わる。アリエル・ベルセリウスは確かに脅威だと言われてるが、所詮は魔導師だろう? 神殿騎士団のトップエリートが装備している神器を前にして、たかが魔導師がどれだけ戦えるか見てみたいものだ」


「長かったっすよねホント。俺、戦争が終わったらバリスを口説くっすよ」


「わはは、おまえこの前の配達の時、野菜に虫ついててバリスに嫌われただろうが」


「ちょっとマイナスなだけっす!その前にポイント蓄積してますからね、まだだいぶプラスなはずっす」


 ジュライの連絡員2人が青物屋の行商に扮し、いつものようにくだらない雑談をしながらターゲットの住む屋敷に着いたら報告を聞き、次の指令を伝えるだけの簡単な仕事だった。


 しかし今朝はどうやらちょっと様子が違うということに気が付いたのは、ディル家別荘の門の前についたあとだった。いつもは重厚に閉じられているはずの門が開けっ放しにされているのだ。


 アルトロンドでは、治安が悪かった時代が長く続いたという名残から、こんな郊外にある屋敷の門を開けっぱなしにしているなんてことあり得ない。


 この屋敷の門は格子門ではなく、外から中の様子がうかがえない、鉄の骨組みに板を張り付けたものだ。いつもは門の前までくると、門柱にあるチャイムを引いて使用人を呼び出す。すると扉につけられたスリットが開き、顔確認をするという段取りだ。トーマス・ショット教区長が執事としてディル家に潜入し、ゆっくりと毒殺すると決まってからそろそろ1年が経とうとしていて、病気療養と称して別荘に引きこもるようになってからは、週に2回、必ず同じルーティーンで連絡を取っていたのだから、門が解放されているという事実、これは明らかに異変なのだ。


 当然今日この時刻に自分たちが注文された青物を持ってくることは、ディル家で執事をつとめているトーマス教区長たちも知っていて、自分たちのために門を開放してくれたのかとも思ったが、トーマスひとまず許可なく敷地内に侵入せず門が全開状態だというのに、チャイムを鳴らしている。


 だがしかし返事もなければ、だれも出てこない。待てど暮らせど、何の音沙汰もないのだ。

 ダレンとヒューイの間に不穏な空気が流れ始める。


「うっわメンドクサ、段取り違うじゃないっすか。もしかしてこれも報告書に書かなきゃいけないんですよね……」


(声が大きい。小声でな、だがしかし、こんだけチャイム鳴らしても3人のうち誰も出てこないってどういう訳だと思う?)


(そうっすね、門は開けっ放しだし、もしかすると誰もいないとか……)


 ダレンは質問しておきながらその答えを聞き流し俯いている。いや、門から外、いま通ってきた道でしゃがみこんで俯いている。どうやら地面に何かを見つけたようだ。


(えっと、どうしたんっすか?)


 ダレンは荷台に乗っていて、この轍に気づくのが遅れたことに歯噛みしていた。


(くっそ、この車輪のわだち、車幅が広いんだよ。ひづめの跡も乱雑すぎる、馬二頭立て? いや四頭立てか……、轍が深い、重量も相当なもんだ。これは荷馬車じゃなくて乗用馬車サルーンが来ていたのか?)


 若いヒューイもダレンが何を言いたいのかなんとなく理解した。

 要するに、御者台に座って馬の手綱を引いていたのだから、このことにはヒューイが気づいておかなければならなかった。通りからニレの大木の角を曲がってから約5分、この車輪の跡に気づいていれば、ダレンだけ先に降ろして、別行動することができたのに。


(すんません! 俺ぼさっとしてました。でも俺たちがここに来るまで四頭立てなんてそんな目立つ馬車とはすれ違わなかったっすよね……)


(エンドア・ディルが出て行ったのか? それともあるいは……、我々以外の誰かに拉致されたか?)


(トーマスさんとミルファストさんがついててそんなことできるんっすかね? いま出てこないのもおかしいっす)


(たしかに、トラブルが起きたとは考えにくい……が、エンドア・ディルがここに居ないとなると大問題だ。仕方ない、あくまで注文を受けた青物屋の行商人として勝手口に荷物を下ろすぞ、おまえは異変を見つけたら知らせろ)


(了解っす、もう油断しないっすよ)


「青果の配達でーす! だれもいらっしゃらないのでしたら置いてゆきますよー? かまいませんねー!」


 そういってダレンは歩いて先導し、ヒューイは馬の手綱を引いて馬車を前に進める。

 この屋敷に居る人間は基本的に殺害指示の出ているエンドア・ディルと、父親の世話をしている娘がひとり。3人の使用人は全員が審問機関のメンバーだから、配達の荷物を勝手に下ろしてゆくぐらい構わないだろう。


 直進すると屋敷の横を通過して食材倉庫とキッチンへの勝手口がある。門から一歩入ると石畳になるので車輪のわだちは付かない。だがしかしまっすぐ行けば屋敷のエントランス、右にいけば食材倉庫とキッチンがある分岐だ。ここから右は石畳が敷かれていない。馬の蹄の跡は見えるが、これは多頭引きではない。ということは、多頭引きの馬車は当然だがエントランス、つまり正面玄関から入ったということだ。


 先行するダレンの背中に何かが当たった。

 声を出せない状況で仲間に合図するのによくとられる連絡手段、豆粒やドングリなどを指ではじいて飛ばしたものだ。


 ヒューイが何かに気づいたようだ。

 先行していたダレンは小走りで馬車に戻った。


 ヒューイはけっしてエントランスのほうを見るではなく、いま軽く駆け寄ってきたダレンと談笑でもしているかのような笑顔を作ってみせた。


(エントランスの奥、一部だけ黒くなってるっす、あれ血じゃないっすかね?)


 御者台は高くなっているからこそ良く見える。ダレンが横目でチラッと見ただけだと分からなかったので、ここは臨機応変に動かねばならない。


「わたしは正面玄関から声をかける、おまえはそこで待ってろ」


 そう言ってダレンはエントランスの石畳を正面玄関に向かって歩きつつ、ヒューイが言った黒くなってる部分を慎重に観察していた。もっと近くで見たいところだが、ヒューイの言った通り、どす黒く変色した血のようにも見える……。


 エントランスを歩き、正面玄関に近づいたダレンは、重厚なマホガニー製のドアに何か小さなメモのようなものが挟まっていることに気が付いた。


 周囲を見渡してみた。エントランスに落ちている黒いシミ以外はなにもおかしなものはないし、後ろの荷馬車からこちらをうかがうヒューイと目が合っただけだ。ヒューイもこの紙片に気づいていない。


 ダレンはそのまま淀みなく歩を進めて正面玄関ドアに挟まれている紙片に手をかけ、スッと引き抜いた。


 その紙片は恐ろしく薄く、高度な製法で作られたであろうパピルスで、罫線も極めて正確に引かれている。

 ダレンは慎重でこれまでミスというミスはしたことがなかったが、特に優秀というわけではない。だから30歳という中堅を担う年齢になっても連絡員などという補助役しか任せられない。


 あるいはこの屋敷の執事役を演じているトーマス・ショットであれば気づいたのかもしれない。

 このメモ用紙がこの世界で作られたパピルスではないこと、そこに気付けないから連絡員なのだ。


 ダレンは紙片の素材を不審に思うことなく、これはもしや潜入調査をしていたトーマスたちが自分に何かを知らせるため残したものかもしれないと思い迷わず紙片を開いた。


――――


 応接間の死体は教会が送り込んだ暗殺者だ。


――――


 ダレンは飛び込んできた文字を目にして、どっと汗の噴き出るのを感じた。

 このメモは状況説明として何があったのか克明に記されている。


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