17-40 【真紗希】ゾフィーの微笑み(3)
「そっか……、ごめんなさい」
「なぜあなたが謝るの? ちょっと話が見えないのだけど?」
「簡単な話だよ、ガンディーナの反乱を鎮圧するためヘリオスが指名したのは私だったの。簡単に説明するとヘリオスに首謀者を消してこいって命令されたんだ。私がエミーリア・カサブランカの名前を知っていたのはそういうこと。でも丁重にお断りして逃げたけどね。でもいま海になってるってことは、私の代役を命じられたのはテルスだったってことになるから、結果は最悪だったってことよね」
「ふうん、もしあなたが引き受けていたら?」
真紗希には大陸を削り取り、海に沈めてしまうような大量破壊魔法もなければ、一つの種族を絶滅させてしまうような力もない。ただ誰にも知られることなく敵陣深くに潜入し、ターゲットを消し去る、所謂『暗殺者』としては四世界でも右に出る者はない。
だがしかし、ルナが十二柱の神々としてアルカディアの女神になったのは治癒の権能があったからだし、神話戦争に参加したのも治癒術師としてだ。
アリエルたちの敵がジュノーを真っ先に狙ってくるのがセオリーであるように、先陣を切って敵に突貫するゾフィーが真っ先に狙うのは、前線で治癒術師をつとめるルナだった。ジュノーは真っ先に狙われることを卑怯だとか卑劣だとか言って激しく非難するが、これは基本戦術なので卑怯でも何でもない。
ルナはゾフィーの襲撃を躱し、治癒術師として生存確率を上げる必要性に迫られたのだった。
そして自らの権能である光を操作し、光学迷彩という技術を確立した。更には気配を感じ取ることに関して四世界でもトップクラスの探知能力を持つアリエルですら、たまに違和感を感じる程度という気配消しの技術も身に着けた。
味方を助けるために、まずは自分の身を守る必要があった。だからこそ、完全なハイディング技術が必要だったのだ。
しかしルナの隠密スキルは一旦発動されてしまうと、敵どころか味方であっても存在すら感じられなくなるため、ヘリオスたち十二柱の神々はルナの戦場での運用について、大きな可能性を見出した。
誰にも気付かれず、難なく敵の懐深くまで侵入し、そして寝首をかく。
万が一戦闘になって負傷したとしても、ルナはジュノーとは違い、自己回復可能であるため経戦能力にも優れている。誰のサポートも無く、単独で敵陣深く侵入して、ターゲットを抹殺することができる。
暗殺者としてこれ以上優れた人材など居なかった。
それまでは暗殺という、人知れず敵を始末するという任務は闇の権能を持つニュクスが担っていたが、闇の権能持ちはそもそも光属性が弱点であり、暗殺の主なターゲットとなるジュノーとはとにかく相性が悪かった。
そこに白羽の矢が立った。
ヘリオスはルナに対し、優れたハイディング技術を使ってジュノーを暗殺してくるよう命じたのだ。
殺すだけでいい。殺すことに成功したら、ルナはその場で殺されても蘇らせてもらえる。
言い方は悪いが命の保証がされている鉄砲玉のようなものだ。
ルナも最前線で神話戦争を戦った歴戦の勇士なのだから治癒術師として参戦したとはいえ、敵を倒すことに戸惑いはない。だがしかし、暗殺専門の仕事をしろと言われるとハッキリ嫌だった。
傷を負った人を癒すという光の権能をもって生まれてきたおかげで治癒の女神となったのだから、それがどう転んで間違えたら暗殺専門になるのか。納得のいく話ではなかった。
理由はちょっと考えればわかることだ。
ルナの治癒の権能はそこまで強いものではなく、現代では教会が秘匿する治癒魔法のほうが単体の性能としては上だと考えられている。前々世で兄が事故に遭ったときも致命傷から命を救うことはできなかった。しかし反面、教会にもジュノーにも治癒することができない病気の治療ができるという強みがあるのだが……。それでもルナは治癒の権能の弱さを見限られ、治癒術師としてはお払い箱になったという事だ。
そして同じ治癒師として最高の力を持ったジュノーを暗殺してこいと命じられたとき、戦争から逃げ出すことを決めた。
『暗殺なんてイヤだね。お断りするよ。治癒師が不要なら私は帰らせてもらうけど? 構わないよね』
それまで仲間として共に戦った神々にそれだけ伝えると踵を返し、フッと姿を消した。
意外に思うかもしれないが、神々の中に、戦いから降りたルナを引き留めようとしたものは、ただのひと柱もいなかった。
ルナは戦争から抜けてアルカディアに戻り、怠惰な暮らしを続けていたところ、ヘリオスからの使いがきた。ルナはいつものように塩対応で帰ってもらおうとしたが、使いの者はルナにとって看過できない文言を吐いた。
ヤクシニーは既に討ち取られ、もう二度と我々の世界を脅かすことはない。戦争はじきに終わる予定だが、アルカディアは廃棄することになったというのだ。
ルナはその言葉に耳を疑った。
利益だけを追い求め、結束力の弱い神々にあのヤクシニーを倒せるわけがないし、アルカディアを廃棄するとはどいうことなのかと詰め寄った。使いの者は、いつも取り付く島もないほどぞんざいに扱われ、食い下がると目の前から消えてしまって二度と会えないルナに、これまで話を聞いてもらえたこともなかったので、少しだけ気をよくして知っていることをすべて話すことにした。
アシュタロスたちは倒されてまだ間がない。転生しているとしてもまだ赤ん坊であること。
次に力を付けてまた戦争が勃発するとしても、10年ぐらいは猶予があるはずだ。
ルナが眉間にぐいぐいとしわを寄せて訝っていると、使いの者はようやくルナを訪ねてきた用件を話す機会に恵まれたことに感謝し、ヘリオスからの召喚状を読み上げ、現状について詳しい説明を始めた。
「ガンディーナで反乱が起きています。ヘリオスさまは首謀者だけを排除することができるルナさまをご指名です。みごと反乱を鎮めた暁には、現在空席となっているルナさまの神籍を復活させ、アルカディアから退去したあとは最上位世界ニルヴァーナにて領地を授けると約束されました。こんないい話、そうそうございませんよ」
聞けば反乱の首謀者はエミーリア・カサブランカ。ダークエルフの族長であり、世界の敵、鬼神ヤクシニーの実の母だという。そしてアルカディアが廃棄されるというのは、アシュタロスとリリスを未来永劫、閉じ込めておくための牢獄を作るのに世界をひとつまるごと使ってしまおうということだった。
そのときルナは神籍を剥奪されていたので、階級では一介の下級神ですらなく、一般人と同等だったので、アルカディアに残る選択をしたら世界と一緒に廃棄されることは確実だった。
対してあの憎いヤクシニーの実母が反乱を起こしたという、それを討ち取るなどルナには容易いはずだとまで言われた。たしかにその任務そのものは難しい事ではないだろう……。
だがしかしルナはガンディーナのダークエルフが反乱を起こしたと聞いて『ああ、ヤクシニーは本当に討ち取られたんだ……』と思っただけで、たいして心は動かなかった。
ヘリオスの言いなりに手柄を立てて、神籍を復活させてもらったりとか。それは未来永劫、道具として使われることを意味している。ヘリオス本人は大盤振る舞いともいえる魅力的な条件を出してきたのだろう、だがしかし未だ神籍や領地などを与えてやれば大人しく言うことを聞くと思っているあたり、傲慢さが鼻についたのも確かだ。ルナにとってまったく魅力的に映らない条件なのだから。
そしてルナは、目の前にぶら下げられたエサを取らず、好条件の話も断った。
その後、連絡員の男は奇襲攻撃を担当していたニュクスに伴われ再度の説得に来たが、ルナは首を縦には振らなかった。もう引退したいといって断った。
もう月の女神という称号もいらない、与えられる領地も、歴史に名を遺す名声もいらない。
これにより、ルナの名は歴史から抹消され、アルカディアに残ったまま世界と共に廃棄されることが確定し、スヴェアベルムではヤクシニーが生まれないまま、終焉の地アルゴルにてアシュタロスとリリスが討たれた。
アルカディアに施された"小さく閉じた輪廻の輪"が起動し、ふたりの魂をアルカディアに縛り付けることに成功した。
ルナは棄てられた世界で、それまで宿敵だった嵯峨野深月の妹、嵯峨野真紗希として生きることとなった。
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「経緯ねえ、こっちはまあ、こんな感じかなあ。だから私が引き受けることはなかったと思うけど、テルスがやるよりマシだったかもしれないよね」
ゾフィーは溜飲が下がらず、少しの苛立ちを覚えた。
「ぜんぜんマシじゃないわよ? それともルナはヘリオスの命令を受けて私の母を殺したほうがよかったと思ってるの?」
「うーん、答えづらいなあ、ゾフィーも意地が悪いよね。でもそうだね、もしそうしていたらガンディーナは今も残ってるだろうし、ダークエルフが種族ごと絶滅することはなかったんじゃないかって思うじゃん。もちろんそうしていたとしたら、私は兄ちゃんの妹として生まれることがなかったんだろうけどさ」
ゾフィーは真紗希の話の内容が、なぜこんなにも飛躍して、自分の母を殺せばよかったなんてことになるのか、その意図を理解することができなかった。とにかく話の道筋が分かりづらいのだ。こういう時はだいたい、なにか裏がある。
「もしかしてわたし今、ルナに試されてますか? あなたのその告白に私がどう答えるのか、間違えたらダメな質問よね?」
「違うよ、反乱が鎮圧されたのは後から人づてに聞いてたから知ってたけどね、兄ちゃんについてこの世界にきたら、ガンディーナもダークエルフも滅んだって聞かされたんだ。まさかそんなことになっていただなんて思ってなくてさ、聞いたとき吐きそうだったよ。わたしはゾフィーに話して心を軽くしたいだけなんだ」
ゾフィーの表情がぱあっと明るくなった。
真紗希の真意がやっと飲み込むことができ、ゾフィーは「ああっ、そうなのね、やっとわかりました」と手を打った。
要するに自分が逃げたせいでガンディーナが滅ぼされたと思い、責任を感じていたということだ。
「あなたがわざわざそんな言わなくてもいい告白したのは、私に負い目を感じているのね? だから私に告白して、気持ちを楽にしたかった?」
「……うん、そうなんだ。私ズルいよね」
「そうね、ズルいかもしれないわね。でもそれってわたしとの関係を改善しようと思ってくれているのよね?」
真紗希はこくりと頷いた。真紗希が好むと好まざると、ゾフィーは義姉であることに違いないのだから。
ゾフィーのほうもルナがばつの悪そうな表情で頷いたのをみて、心が軽くなったように思えた。
「あなたの気持ちが嬉しいです。私もあなたとの関係を改善するよう努力するわね」
そういって優しく微笑んだ。
真紗希に向けた微笑みとしては、とても和かな、屈託のないものだった。
真紗希はアルカディアに囚われたベルフェゴールやジュノーと共に、何十回、何百回と転生を繰り返して、実に16000年もの長い間、ずっと家族だった。
残念なことだが、そこにゾフィーは居なかったのだ。
だがしかし16000年の時を超えて、たった9時間程度眠っていただけのような感覚でゾフィーが戻った。
ゾフィーにしてみると、朝目覚めたらそれまで敵だった者が家族になっていたわけで、その家族関係はゾフィーよりも遥かに長く、絆もハッキリと見て取れるほどだった。目が覚めたら敵が家族になっていたなんてゾフィーにはおいそれと納得のできるような話ではないはずだ。お互いに苦手意識があるなんてもんじゃなく、明確に敵対するようなことがないだけで、露骨に警戒していたのは確かだ。
貴重な時間を過ごしたことで真紗希も表情が明るくなった。心の中に刺さった棘がひとつ抜けて、楽になったように感じた。
ゾフィーのほうもなんだか上機嫌で鼻歌交じりになっている。
ほっとしたのもつかの間、開けっ放しになっている屋敷の門のほうから物音がした。
真紗希が窓のよこから外の様子を窺うと、小さな幌のついた荷馬車が到着していた。
まるで二人の話が終わるのを見計らって現れたかのようなタイミングだったが、ようやく真紗希の待ち人が来た、青物屋の配送に扮した教会の工作員だ。
「お客さんが来たみたいだ。話せてよかったよ、ゾフィー」
「わたしも話せてよかったです。ほんとうに感謝しているわルナ、あっ、そうだ。私これから王都プロテウスに行くんだけど、何か買って来て欲しいものとかないかな? あまり高い物は買えないのだけれど……」
「あ、甘食が食べたい! あの屋台のさ、すっごく美味しかったんだ!」
ゾフィーは真紗希が何を言わんとしているのかハッキリと理解した。
あの甘食は確かに絶品だった。
「ああっ、あれね。分かりました、屋台を探してみるとします。もし見つからなかったら適当に何か美味しいものを買って帰るわ。お土産、楽しみに待っててね」
「うん、ありがとう。気を付けるんだよゾフィー」
「はい、ありがとう。あなたも気をつけて」




