17-38 【真紗希】ゾフィーの微笑み(1)
時はアリエルたちがダリルマンディでエースフィル・セルダルの隠れ家を襲撃する前にまで戻る。
ゾフィーの転移魔法を乗り合いバスのように使い、パシテーたちを送っていったあとガルエイア郊外のディル家別荘まで送ってもらった嵯峨野真紗希は、まさか死体を積み上げている室内に直接送り込まれるとは思ってなかった。
(げっ……、死体踏むとこだった……)
ここは昨日、エンドア・ディルとダイネーゼが会談した応接室だ。
そういえばゾフィーは真紗希のカードの合図により、この応接室に転移で現れたのだったし、この部屋から転移して戻ったので。、ゾフィーの知るディル家の座標はこの室内だけという事になる。
(うっわ、最悪だ……)
一晩置いた死体を前にゲッソリする真紗希を尻目に、ゾフィーはいつものように微笑んでいた。
その微笑みを見て、朝っぱらからため息が出てしまう。
死体を踏みそうになったこともそうだが、ゾフィーと二人きりという状況は真紗希にとって、緊張感で精神が削られてゆく、なかなかの苦行だった。
ゾフィーほどの美女が常に微笑んでいる。まるで一面のお花畑にいるような、和やかな風を感じてもよいのだろうが……、嵯峨野真紗希は、とにかくゾフィーのことが苦手だったので、その微笑みも好意的には映らなかった。
それもそのはず、過去の戦争で実際にこのゾフィーを敵として戦ったとき、何度か殺された経験があるだけじゃなく、兄、嵯峨野深月と血のつながった妹として再会してからも、ゾフィーのその顔面にとって付けたような微笑みに、得も言われぬ気持ち悪さを感じずには居られなかった。
ベルフェゴール、つまりアリエルは、戦うとき相手を射抜かんばかりに強く、真剣な眼差しで見据える。
リリス、つまりジュノーが敵と相対するときは、自らの感情を抑えることなく、怒りのままに力をふるう。
遥か昔の神話大戦で、実際に相対した真紗希として、この微笑みには違和感しかない。
なにしろ真紗希の記憶に薄れた神話戦争当時の鬼神ヤクシニーこと、ゾフィー・カサブランカという女は、その紅い瞳を氷のように冷たい鉄面皮で武装した『鬼神』の二つ名を頂くに相応しい冷徹な殺人マシーンだったからだ。
敵を追い詰め、止めを刺すとき、相手の命を奪うその瞬間まで、わずかも表情を変えず、感情など最初から持ってない、殺人マシーンそのままに、まるで機械のように、あるいは事務的に処理するように、敵対する者の生命を薙ぎ払ってきた。
圧倒的な暴力、
有無を言わさぬ『死』そのもの。
確定する死という運命に対抗できるのは最高神ヘリオスのもつ死者蘇生の権能だけだった。
ゾフィー・カサブランカを含むアシュタロスたち敵対者と戦うのに唯一、有効だと思える戦法はというと、戦って死んで、蘇って、また戦って死ぬが、また蘇って戦場へ駆り出されるというものだった。
敵が不死なのだから、こちらも命をいくつも用意しないと戦えないということだ。
だがしかし、真紗希が月の女神ルナとして神話戦争に駆り出されることに疲れ、最高神ヘリオスから名指しでの招集にも応じず、ただ怠惰な生活を続けていたころ、アルカディアとスヴェアベルムの神々が力を合わせてゾフィー・カサブランカを討ち取り、異空間に封印することに成功したと聞いた。
よくもあんな化け物を封印できたなと感心したが、ゾフィーは封印されるとき、全身を何十本もの槍で貫かれても、激痛に表情を歪めることなく笑っていたという。
ただ狂ったように強いだけでなく、頭のネジのぶっ飛んだ気色の悪い女だと思っていたのだが……。
この世界に戻ってきた真紗希は、無限回廊と呼ばれる異空間からゾフィーが救出されたときも姿を隠したまま同席していたし、セカからノーデンリヒトに徒歩で行軍するのにも同行し、警戒しながら深く観察していたのだが、真紗希の知るゾフィーとはずいぶん印象が違っていた。
ゾフィー・カサブランカはこちら1年の時間が経過するのに、たった2秒しか進まないほど時間の経過が遅い異空間に閉じ込められていた。こちらの時間で1万6000年経っているとしたら、ゾフィーにとって、たった9時間しか経っていない。
その間、夢を見ながらぐっすりと眠っていただけだ。
さぞや神話戦争当時と変わらぬキレッキレな殺人機械が再起動するのかと思いきや、顔面にいつもペラペラの微笑を貼り付けて、これでもかというほどゆるい空気を醸し出すお姉さんキャラだった。
真紗希は姿と気配を消してゾフィー・カサブランカの観察を試みた。
ひとと一緒にいるときだけじゃなく、ひとりの時でも同じく、スキがない。ともすれば眠っている時ですら薄ら笑いを浮かべている。
真紗希はあれほど苦手なはずのゾフィー・カサブランカに興味を持ち、なぜ今は表情を微笑みで固定しているのかが最大の関心事となった。
そんなある日、わずかだがゾフィーの表情に変化を見つけた。
今朝のことだ。兄アリエル・ベルセリウスがゾフィーに頼みごとをしたときのことだ。
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「ありがとうゾフィー、ちょっと一仕事お願いしたいんだけど? いいかな?」
「はい、私にできることなら何でも」
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このとき、ゾフィーはお願いの内容を聞くまでもなく、満面の笑みで引き受けた。
恐ろしく薄っぺらな薄ら笑いを浮かべる狂気の仮面ではなく、極めて自然に、安堵感を醸し出しながら、心の底から優しい表情をしていたのだ。
しかし今朝、アリエル・ベルセリウスから離れ、真紗希と二人っきりになったソフィーは、またいつものように、顔面に狂気の微笑を貼り付けている。
おそらくは兄の前でだけ外れる狂気の仮面なのだから、アリエルと一緒にいるときの顔が仮面で、いつも真紗希に見せている狂気の微笑みのほうが素顔だと考えるのが自然なのだろう。
いや、だがしかし真紗希は昔のゾフィーを知っている。
こんないつもニコニコと作り笑いを振りまくような女じゃなかったはずだ。
アリエルやジュノーにはこの感覚が理解できないのだろう、しかし真紗希にはいつも不自然に見えていた。
いちどゾフィーと話してみたいと考えている自分に気付いたのは少し前、ゾフィーがロザリンド相手に素手で稽古をつけてやってるときだ。その時はなんだかとても嬉しそうにしていたからだ。
真紗希は、これまで考えたこともなかった奇妙な感覚にとらわれた。
そうだ、真紗希はゾフィーに興味をもった。いちど話してみたいと思えるほどに。
もしかすると今がそのチャンスなのかもしれない。
真紗希は勇気を振り絞って聞いてみることにした。
「ね、ねえ、ゾフィー?」
指をパチンと鳴らすため、指を立てていたゾフィー、まさか呼び止められるとは思っていなかったらしく、いつもの顔面に貼り付けたような薄っぺらな笑顔のまま振り返った。
真紗希はゾフィーのその深紅の瞳をまじまじと観察するように見ながら問うた。
「ねえ、ゾフィーはなぜいつも微笑んでるの? 無理してない?」
突然予想もしてなかったような質問を投げかけられ、ちょっと困惑したような表情を見せたが、それでも微笑みは絶やさなかったゾフィーに向けて、真紗希はまるで見透かしたようなことを言ってみせた。
「ほら、無理してる」
ゾフィーは"ふう"と小さな溜息をついて、ちょっと考えたあと、
「そうね」といって、また微笑んだ。その微笑みはすこしだけ和かに見えた。
真紗希はゾフィーの力がどれほどデタラメで、手に負えないものだったのかを知っている。
ひとは地形をごっそり消し去るほどの大量破壊魔法を使うテルスを四世界最強と謳った。
しかしそのテルスですらお互いを視界に入れた有視界戦闘となると圧倒的不利な状況に追い込まれる。過去の戦争を戦い抜いた十二柱の神々たちは誰もが知っている、ゾフィー・カサブランカこそが真に最強と呼ばれるにふさわしいと。
セカの転移魔法陣を媒介して救出したゾフィーの身体には、多くの槍が刺さっていた。
その槍はテルスの装備する108本の槍のうち、42本だった。
身体に刺さった槍の数が物語っているのは、ゾフィーの身を守る転移フィールドが、42本目の槍を投げたところでようやく、その身体に届いたということだ。つまりゾフィーは同時に41の攻撃までなら転移させてしまうことが可能だということ。
ゾフィーの肉体を42本目の槍が貫き、やがて意識を失うと転移魔法の防御フィールドが解除され、瞬時にすべての槍がゾフィーの肉体に戻ったのだろう。そうでないとゾフィーを貫くことなんてできやしない。
ゾフィーの防御フィールドはテルスの槍のような単純物理攻撃には無敵の強さを誇る。
そもそもゾフィーの防御フィールドは攻撃してきた槍が肉体を貫く前に空間転移で攻撃した者を貫くはずだ。真紗希も過去の大戦でゾフィーと対峙したとき防御フィールドに対して為すすべがなかった。
誰もあの防御フィールドを抜くことなんて出来なかったはずなのに。
その場にいなかった真紗希は、そのことをずっと不審に思っていた。
いかにテルスが強いとはいえ、テルスの主力は土魔法だ。土魔法の攻撃は、魔力で直接攻撃を加えるわけじゃなく、乱暴に言ってしまうと魔力で物体を操り、相手に向かって投げつけるといった単純極まりないものだ。
だから土魔法の攻撃というのは、そのほとんどが正確には物理攻撃に分類される。
なのでテルスがいかに出鱈目な力を持っていようと、土魔法使いである限りは、時空魔法使い相手に有利に戦えるなんてこと、これっぽっちもないはずなのに、実際にその場にいた神々は誰一人命を落とすことなく、鬼神ヤクシニーを倒した英雄として凱旋している。
あのゾフィーがそう簡単に倒されるわけがない、真紗希はそう思っていた。




