17-37【パシテー】ナルゲンふたたび(8)花びら
数話で終わる詐欺でしたごめんなさい。ようやくパシテー(エンドア編)が終わりました。
メラクとアトリアは脱兎のごとくパシテーの前から逃げ出した。その姿は誰の目にもおかしく映った。まるで何か隠し事をしていることはわざわざ問いたださなくとも見ただけで分かってしまうほど、二人は焦りを隠さず、ただこの場を逃れるためだけに、その場しのぎの受け答えだけして去った。
当然エンドアの腕にぶら下がって店に引きずり込もうとしている女たちにも、いま目の前に居てひどく不機嫌なハーフエルフの女、つまりフィービーを怒らせたらかなりヤバいということだけは、しっかりと、これ以上ないほどに伝わった。
「あのイヴォンデ姉妹が逃げた?」
「なんでよ? 先生って誰?」
逃げ足の速い用心棒二人を横目で見送ったフィービーの邪魔をしようなんて輩、ナルゲンの町にはもう誰一人として残ってはいない。実質、イヴォンデ姉妹がこの町で最強の用心棒だったからだ。
「邪魔な教会の犬どもはみんな町を出て行ったようね……ふう、これで心置きなく浮気男とその浮気相手を同時に燃やせる……ああっ、なんてことでしょう、私、本当に幸せ者だわ……」
狂気を表現したようなフィービーの微笑みを見て、客引きの女たちは肌が粟立つのを感じた。
イヴォンデ姉妹は冒険者の中でも特に戦闘に特化した依頼を専門でこなすAランクの冒険者だ。傭兵や用心棒といった依頼を好むこと、そしてナルゲンは娼館の町ということで娼婦たちの身を守るため、常に腕っぷしの強い用心棒が必要であること、加えて本人たちが女だからこそ遊びに来る客に変な威圧感を与えないのも都合が良かった。
女だてらに傭兵を生業としている。そんじょそこらの男には腕っぷしでも負けない。酔って暴れた小隊規模の兵士たちを伸ばして畳んで、全員まとめて町の留置所に叩き込むぐらい簡単にこなすほどの凄腕なのに
「あのさ……、あのイヴォンデ姉妹が先生って呼んでたように聞こえたのだけど?……あんた何者?」
「ああ、うちの娘の教え子らしいけど? これから燃やされるあなたに何か関係ある?」
「お、教え子? マジ先生? ちょ、ちょっと待っとくれよ、ここここ、この人はタダのお客さんなんだ、この町はそういったお客さんのお陰で成り立ってる、これは仕事なんだ。浮気だなんて言い過ぎじゃ……」
「うふふっ……言いたいことはそれだけ? いいわ、じゃあそろそろ燃えてよ。ねえ、あなたはどんな声で泣くの?」
フィービーは狂喜するように4つのファイアーボールを震わせて今にも発射するぞと威嚇を強めた。
店の女たちにはもう頼りになる用心棒も居ないので後ろ盾になってくれる者はいない。対するフィービーはアルトロンド人ではないため、ここで人を殺したとしてもノーデンリヒトに逃げ帰ればきっと罪から逃れることも可能だろう。エンドアの両腕にぶら下がっては慣れない女たちは、自分たちが圧倒的不利な立場に立たされていることが分かった。これ以上意地を張り続けると命に係わる。
「分かった分かった、もうよしとくれよ、あたいら関係ないんだ。お客さん、またきておくれ、今度は怖い奥さん抜きで。そしたらいつもの倍サービスするからさ」
さっきまでエンドアの腕をしっかりつかんで離さなかった客引きの女も、客の奥さんが鬼の形相で現れたのだからここらが潮時だということは分かっていたのだが、さすがにイヴォンデ姉妹が逃げ出すほどの相手だとするとここは退散したほうが身のためだと判断したに違いない。
女たちはあれほど強固にガッチリと掴んでいた腕をさっさと放し、手を上げた降参のポーズを見せたまま、二歩、三歩と後ずさりしてみせた。
数秒の沈黙のあと、エンドアはフィービーに手を伸ばした。
「寄るな触るな浮気者め、私は別れると言いましたよ」
フィービーは鋭い眼光そのまま睨みつけて、エンドアの差し伸べる手を拒絶した。
しかしエンドアはそんなことお構いなしに歩み寄ると、その手をとって引き寄せ、ぎゅっと抱きしめる。
するとザワっ……と花びらが舞った。
エンドアが抱きしめたはずのフィービーの身体が、ぱあっとピンク色の花びらになってしまったのだ。
まるで幻のように、空気に溶けて消えてゆく。
慌てふためき、散ってしまった花びらを手で集めようとするエンドアを見かねたのか、遠くの方から声が聞こえた。
「ああ、ごめんなさい。私はここ」
反射的に声のしたほうを見ると、通りに面した平屋建ての建物の屋根の上に、青銀の髪を風になびかせながら、エルフの女性がちょこんと座っているのが見えた。
フィービーは最初から娼館の屋根の上にいたのだ。
エンドアと目が合うと手を上げて振るでなし、チラチラと指を動かすだけ。これが32年ぶりに再会した夫婦の挨拶だった。なんともよそよそしい。
今日のフィービーは普段とはちょっと違う。いつもは仕事中でもほぼすっぴんのまま教壇に立っているが、エンドアと会うことが分かっていたからか、今日は気合を入れてお化粧もバッチリ決めてきた。娼婦を腕にぶら下げたことで感動の再会をぶちこわしたのは誰隠そう、エンドア・ディル自身だった。
パシテーは姿を見せずにいたが、周囲に舞っている花びらは風に巻き取られて、渦のように逆巻くとフィービーの隣へと集まり、それがデイバッグを背負った黒装束の少女へと変わった。
エンドアはいま初めて、二人の幻ではない、本当の姿を見た。
フィービーはパシテーの差し出した手を取ると、二人してフワッと宙に浮かび、浮遊しながらゆっくりとエンドアの前に降り立った。
「ただいま帰りました。ずいぶん歳をとったわね、エンドア……」
「お前は変わらないな、あの頃から少しも……」
エンドアは今度こそ妻の手を取り、確かなぬくもりをその手に感じ取ると、そのままグイっと抱き寄せた。
傍目にはお爺さんが少女に抱きついたように見えるが、ヒト族の男とエルフ族の女という異種族カップルではよくあること。魔族排斥以前のアルトロンドには普通にどこでも見られた風景だ。
さきほどからフィービーの睨みに足をすくませていた見物人たちも、この大団円は大歓迎だったらしく口笛を吹いて囃し立てるものや、またはただ微笑んでゆっくりと拍手を送ったりする者もいた。
エルフと人とが抱き合う姿を目の当たりにして喜んでいるのは、中年よりもっと上の世代の者たちが多い。やはりその姿に古き良きアルトロンドの情景を思い出しているのだ。
「恥ずかしいです……」
「何が恥ずかしいものか」
「正座ですからね……」
「わかった、望むところだよ、何時間でも正座してやるさ」
32年ぶりの再会を喜び、目を潤ませながらいつまでたっても抱き合ったまま動きのない二人の傍ら、パシテーは大きな溜息をついた。
エンドアはそんなパシテーを迎えるため大きく腕を広げた。
「パシティア!」
パシテーはどう返事をしたらいいのか分からない。
いまのパシテーは、パシティア・ディルではなく、アルカディア人、嵐山アルベルティーナだ。初対面のはずなのに、こうも物分かりの良い父親の姿に困惑しているというか、逆に不信感すら抱いているといったほうが今の状況を明確に表している。
「パシティア、お願いだ……」
「パシティア・ディルは死んだの。もう生きてないの……」
許しを請うように懇願するエンドアの声に、パシテーも聞こえないふりなどできず視線が泳ぐ。
これまでずっと会いに行きたくても迷惑がかかるということで会いに行けなかった父親が手を差し伸べているのに、迷いのほうが勝った。いまパシテーの心はグラグラと音を立てて揺れている。
「でもお前は間違いなくパシティアなんだろう? マサキという人から聞いたよ、神子として戻ってきてくれたんだよな……よく顔を見せてくれ。ああっ、パシティア、別人とは思えん、目に面影があるじゃないか……」
そういってエンドアは強引にパシテーの手を取るとグイっと抱き寄せ、二人をぎゅっと、強く強く抱きしめた。
32年前に話してしまった手を、また掴むことができた。
心の底から安堵した。全身全霊で二人の体温を感じている。
三人は娼館の建ち並ぶナルゲンの目ぬき通りに立ったまま手を握り合い、32年ぶりに再会した家族のぬくもりを確かめ合った。だけど、いまはこんなことに時間を浪費するのは惜しい。
「もう、そんなことは戻ってからいくらでもすればいいの。真紗希ちゃんから聞いたの。私の弟たちはどこにいるの? もうひとりのお母さんは? 住所を教えるの。教会よりも先に見つけて合流しないと大変な事になるの」
「はっ!」
「はっ! じゃないの!」
エンドアは突然思い出したように声を上げた。フィービーに離婚されると思って必死で食い下がることしか考えてなくて、家族が巻き込まれることなんて考えていなかった。
「ど、どうしよう……」
「ほんとこの人アホなの! お母さんの夫だなんて信じられないの」
「アホでもバカでもこの人はあなたの父親なんですからね。第一、男を見る目についてあなたにとやかく言われたくありません。パシティア、あなたも大概です」
「ぐっ……言い返す言葉がないの」
フィービーに言い負かされたパシテーは、力なくリュックサックを下ろすと、中からレジャーシートのような革の敷物を取り出して足もとに広げた。
1.5メートル四方の小さい羊皮紙だが、表面に転移魔法陣が施されたゾフィーの作品である。
この転移魔法陣は簡易的なもので、こちらからの一方通行であること、転移先は決まっていて選べないなど、設置型の門と比べるといろいろと制限が多くて使いづらいが、例えばフィービーとエンドアをノーデンリヒトに送るだけ、といった使用法ならば問題ないばかりか、むしろ使い勝手がいい。
「さあエンドア、靴を脱いでここへ……」
「靴を? わかった、だが何のために?」
これから遠く離れた北の果てに攫われてゆくとは露も知らないエンドア・ディル、言われた通り、靴を脱いで転移魔法陣の上に立った。
「脱いだ靴を持って。私の靴も、さあ早く」
「わ、わかったって、こんなに人目のあるところで靴を脱いで何を……」
エンドアが二人分の靴を拾い上げたのを確認すると、グリモアを手に取ってページをめくる。
「パシティア、家族全員、ぶん殴ってでも回収してくること。分かったわね」
「わかったの」
フィービーがグリモアに視線を落とすと、羊皮紙にびっしり書き込まれた魔法陣が起動した。
青い光が立ち上がり、光の粒が慌ただしく舞う。
自らの身体が光に包まれるのを不思議そうに見ているエンドアともども、まばゆいばかりに輝きを放ち始めた。魔法陣の羊皮紙は、ありったけの魔力を放出し光を上空に撃ち出すと、あとは何事も無かったかのように光を失い、沈黙してしまった。
見物人や、さっきまでエンドアの腕にぶらさがっていた客引きの女も唖然として見守る中、パシテーは落ち着いて羊皮紙の埃を落とし、几帳面にカドを合わせて折り畳んでいるところだ。
その時もう風に少量の花びらが舞い、路上に落ちては解けるように消えてゆくことに気付いたものは誰もいなかった。
実体なのか、それとも幻影なのか。折りたたんだ羊皮紙をリュックに仕舞ったパシテーは、ファスナーを閉じて大きくため息をついた。
エンドアが残して行った2頭の馬と荷車をどうすればいいのか……、フィービーもまさか馬の処遇まで考えなかったのだろう。どうせ簡易的なミニマムサイズの転移魔法陣では馬は送れない。
パシテーは見物人の中から、女を二人選んだ。
いましがたエンドアを捕まえて離さなかった、はだけた緩いドレスを着た酒場の呼び込みの女たちだ。
「この馬を売るといいの。迷惑料としては十分なの」
それだけ言うとパシテーは風に吹き飛ばされる花びらに姿を変え、その美しさと儚さに見とれて言葉も出ない野次馬たちの前から姿を消した。




