17-36【パシテー】ナルゲンふたたび(7)イヴォンデ姉妹
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神殿騎士たちがエルフ女に言い負かされて出て行ったナルゲンでは、遠巻きで騒ぎを見物していた野次馬たちが手を叩いて歓声を上げていた。シェダール王国でいちばん早くに魔族排斥を始めたアルトロンドの者たちも神殿騎士たちのエルフに対する横暴な態度には眉をひそめる思いだったのだろう、敵性のノーデンリヒト人ということで集まってくることもないし、パシテーに至っては飛行術を使いフワフワと浮かんでいるので遠巻きのまま、ただ拍手を送るものが多かった。
ボトランジュやプロテウスで有名な演目『100ゴールドの賞金首』はアルトロンドでは上演されていないのでパシテー先生を知る者は意外と多くない。どちらかというと飛行術を使うのは16年前アルトロンドに侵攻した三大悪魔のひとり、ブルネットの魔女を連想する者が多い。
フィービーは揉め事が終わったのに、まだ遠巻きに囲まれて注目を受け続けていることに多少の苛立っている素振りを見せつつも、ようやく本題の話ができることに胸を撫で下ろした。
「ふう……それで?、そこの女、いつまでくっついてるつもり?」
「この人はあたいの客、教会の奴らも帰ったしさ、あんたも楽しんでいこうよ、あたいどっちもイケるクチでさ……」
「はあ、離れなさいって言わなきゃ伝わらないのかな?」
「伝わりません伝わりません、だってあなたさっき離婚したっていったじゃないですか。あたい傷心の殿方を慰めるのも得意なのよ……」
「へえ、エンドア……あなた何も言わないわけ?」
「あわわわわ、あの、フィービー? 紫色のオーラがすごいことになってるんだが……」
「キャー、気持ち悪い! 蛇みたい! ねえねえこんなヘビ女ほっといて店の中いきましょうよー」
……ブチッ! という音がどこからともなく聞こえたような気がした。
「ふうん、じゃあとりあえずこの浮気男を消毒するけど、巻き込まれても知らないからね?」
言うとフィービーは腰につけたベルトからグリモアを取り出し、サッと開くと目の前に4発のファイアボールが浮かんだ。これはノーデンリヒトの魔法技術であるグリモア詠唱法だが、ただのグリモア詠唱法ではない。
グリモアには魔導師が使う起動式を、マナを含む特殊なインクを使って、神に定着させるため、イオン化したミスリルを蒸着させたパピルスが使われている。この文字の組み合わせにより、通常はマナを放出した指で描いて、それを網膜に写すことで魔法を行使する起動式魔導となるのだが、グリモアのページを開いて、書かれた神代文字を網膜に写すだけで魔法が行使できる。
見た瞬間に魔法が行使されるか、それとも1秒かけて魔法が準備完了するか、それは行使する者の技量次第ということだ。フィービーほどの才能を持ったハーフエルフが使うとグリモアは兵器と化す。
いまのように、グリモアのファイアボールのページを開いて1つ、それから3度まばたきを繰り返すとこで3つのファイアボールが出来上がるのだ。
一瞬で合計4つのファイアボールを浮かべた。アルトロンドの魔導にグリモアはない。一般の魔導師ならまだ起動式の入力も終わってないであろう短時間に、高温のファイアーボールが4発も現れたのだ。
驚き戸惑うエンドアに向けて、いまにも食い殺さんばかりの殺気を放つ。
フィービーが見せつけたのは殺気ではなく力量だった。装備を付けていない旅装の神殿騎士たちが、たとえ剣を抜いてきたとしてもグリモアを持つ熟練の魔導師にかかれば対処するのはそう難しくなかったということだ。
「あら? 警告はしたわよ? えっと、どうしようかしら? 浮気男といっしょに浮気相手も消毒してしまえばいいのかしら? 私蛇だし。なんだか願ったり叶ったりだわ」
フィービーが苛立ちに任せて魔法を展開したとき、まるで計ったかのようなタイミングで割り込む者がいた。
「ちょおっと待ち! 女の子に魔法向ける気ぃか?、それはアカンな」
「そうやで、客同士のイザコザには口出さんけどな、店の女の子に手ぇ出そうて言うんやったら、ちょっと痛い目みることになるで? 悪いことは言わんからその魔法、ひっこめり」
声の主は酒場のドアのところにもたれて立っていた。
不機嫌度120%のフィービーがゆらりと残像を巻いて振り返ると目が合った。
二人組の女だ。
二人とも黒に近いブルネットのロングヘアで、色気のない厚手でヨレた布の服に、皮の手袋、膝下まである編み上げのロングブーツ。
かたや短剣の二本差し、かたや片手剣と丸盾を装備していて、額や頬に小さな傷があったりと歴戦の風格を隠そうともしていない。年の頃は35から40ぐらいか……。それにしてもこの町には似つかわしくない女だ。つまり酒場のホステスではなく、装備的には熟練の冒険者風に見えるが、その言動から察するに店に雇われた用心棒といったところだろう。
それなりの強度で強化も防御も展開済み。フィービーの目には展開された魔法強度が分かる、この二人、相当な手練れだ。もちろん、あらかじめ魔法展開してから出てきたという事は、戦闘になることも想定しているという事だ。
フィービーと目が合った二人の女用心棒は、挑発的な視線をすぐに逸らしてしまった。
「ちょ、やばっ……パシテー先生や!」
「マジでえ? パシテー先生、死んだはずやで?」
「いやいやいやいや、みてみいやアレ……」
二人は前世のパシテーと瓜二つのフィービーを見ると慌てたように視線を泳がせ、こそこそと小さな声で耳打ちしながら戦慄の表情を隠せなくなった。
今さらだが無関係を装っていて、短剣二刀流のほうの女は口笛を吹いて誤魔化そうとしているようだ。
フィービーがパシテーに視線を送り、目配せで知り合いかどうかを確かめる。
「短剣もってるほうがメラク、盾もってるほうがアトリア。ふたりとも私の教え子なの」
メラクとアトリアの注目がふわふわ浮かんでいるパシテーに集まる。
「ええっ? そっちがパシテー先生なん? なんで?」
「ふうん、二人とも何だか怪しいの。お母さんを私と間違えて逃げようとしたの」
「お母さん? パシテー先生の? え? えっと……ちょっとタンマ!」
この二人はパシテーがマローニで中等部の教員やってたころの教え子で、メラクとアトリア。
中等部では冒険者クラスである星組に在籍していたので、担任はアデル・ポリデウケス。
ハティやイオたちと同い年だから、飛び級で上のクラスに入ったアリエルよりは年上だが、同級生でもあった。
クラスの魔法授業はパシテーが担当していたため、この二人はパシテーの教え子だった。
ハティの話だとマローニの中等部を卒業してしばらくすると、親戚を頼ってフェイスロンドへ引っ越したらしいが、パシテーにはその行方について知る由もない。ただ、元気そうで何よりといったところだ。
イヴォンデ姉妹というと当時から攻守ともにバランスのいい二人組で行動する冒険者とし有望株だったのが、どういう経緯あってこんな色町で用心棒のようなことをしているのか、さすがに中等部の先生に言いたくないようなこともあるのだろう。
だがしかし、パシテーはこの二人に聞きたいことがあったのだ。
いや、聞きたいことを思い出したといったほうが正しいかもしれない。
パシテーはタンマとか言いながらそそくさとこの場を離れようとするメラクの正面にザワッと瞬間移動(幻)して逃げ道をふさいだ。
「メラク、怪しいの」
「ひいいいっ!」
「ちょ! ウチら特に用事なかったねん! 酒場の女の子が襲われてるぅ思てな、急いでしゃしゃり出たけど間違ってたみたいや。ホンマに堪忍やで……」
「ちょっと急用思い出してな。というわけで、ほな さいならや……」
「ねえメラク、アトリア……。忙しそうなところ悪いの。でも一つだけ教えて欲しいの」
「は、はい。いっこだけ? わかった、いっこだけやで?」
「ウチら急いでるねん、ごめんなあ」
パシテーはこの二人についてずっと疑問に思っていたことがあった。
そう、パシテーはアルカディアの日本に転生し、関西で生まれ育ったがため、日本の生活では事あるごとにこの二人を思い出していた。
そう、この二人のアクセントがおかしい。
関西なまりのスヴェアベルム語なんて誰に教わったのかと小一時間ほどひざを突き合わせて問い詰めてやりたい気分だ。
そもそも日本語とスヴェアベルムの言葉とはまったくの別言語なのである。しかし主語、目的語、動詞という順番、つまり文法はほぼ同じなのだから、アクセントが違えば印象もずいぶん違ってくる。
パシテーも常々、日本で普通に話していたことばと、メラクとアトリアの話す独特の関西弁のアクセントが偶然とは思えないほど似ているように思っていたのだ。
「あなたたち二人の、その言葉のアクセント、どこのなまりなの?」
「ええっ? ちゃうねんちゃうねん、これはな……イヴォンデの家に伝わる伝統的なアクセントやねん、気にしんといて」
「そうやねん、パシテー先生にはまるっきり、これっぽっちも関係あらへんよ?」
顔に嘘と書いてあるような苦しい言い逃れをしている……。
「答えてないの。じゃあ質問を変えるの。二人に会ったって言ったら、きっと兄さまも会いたいって言うと思うの、いまどこに住んでるの?」
「兄さまって……もしかしてアリエル? かなあ?」
「パシテー先生の兄弟子っていうたらアリエルしかおらへんやん……」
「いやあ、アリエルかあ、懐かしいわあ。会いたいけど、確かにごっつ会いたいねんけどなあ?」
そういって青ざめた顔を見合わせるイヴォンデ姉妹……。
「そうやねん、ちょっと私らいまごっつい急ぎの用事あってな、いま忙しゅうてしゃあないねん。それが終わってからにしよう」
「ふうん、そんなに忙しいの?」
「めっちゃ忙しいです」キリッ
「うむ、ホンマに急ぎの用事があってな、こうしちゃおれんねん」
「そうなの、積もる話もあるのに、私も寂しいの」
「ウチらも寂しいよ……」
「うん、寂しいけど、そろそろお暇しょうな」
「そっか、もうそんな時間なんや。しゃあないな、というわけで、パシテー先生、またどこかで会えたら何かおごって」
「わかったの、またどこかで」
「パシテー先生、ほななー」
「ほな、さいなら」
二人はここの店から出てきたはずなのだが、パシテーの顔を見て急に焦りはじめ、通りの向こうに小走りで去っていった。神殿騎士たちとは逆の方向だ。
……。
……。
……。
パシテーは作り笑顔で手を振りながら、こっそり風魔法のカプセルをメラクとイヴォンデ、二人の武器の鞘にくっつけて別れた。
位置マーカーだ。
服に付けたら脱がれて洗濯でもされたら流れるかもしれない。だから武器の鞘に付けておいた。冒険者という人種は、自分の慣れた武器だけは必ず手元に置いておくものだ。それこそ風呂に入るときも、寝るときも。
「パシティアも私に負けず劣らず性格悪いわね……、なに? 昔の教え子にマーカー付ける必要あるの?」
「うん、ちょっと聞きたい話があるから近いうちに会いに行くの」




