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17-35【パシテー】ナルゲンふたたび(6)鳩が飛ぶ

 神殿騎士たちがナルゲンから出てゆくのを通りのど真ん中で仁王立ちして見送るフィービー。


「パシティア、あいつらちゃんと帰った? 町に一人も残してない?」


「たぶん大丈夫なの」


 フィービーもパシテーも一歩たりとも動いてはいないが、実際そこに立っているわけではない。

 パシテーの幻術で通りのド真ん中に突っ立っているように見えているだけ、パシテーの実体は今も上空にありながら、ガリオー・シュトローム率いる神殿騎士たち80人がナルゲンの町を出てしばらくするまでしっかり見送ったところだ。


「ふうん、監視を残して行かないなんて、あいつら本当に戦う気が失せているのね。うまく内部分裂してくれたらいいけど……」


 フィービーはノーデンリヒト軍が迫るなか、ダリルマンディを放棄し、引き上げてゆく神殿騎士たちを挑発することで、うまくジュノーの話を切り出させることに成功した。

 パシテーとの話の中、口軽く親切に、ジュノーの事をあれこれ教えてやったのも当然だが思惑あってのことだ。


 自分たちの信じる女神ジュノーが本物か偽者か、確かめることができず心が揺れていることは分かっているのだから、いかにも本物であると信憑性を持たせることで、更に大きな揺さぶりをかけることが目的だった。


 神殿騎士団長ホムステッド・カリウル・ゲラーが捕虜となり、ノーデンリヒトに収監されているとはいえ、本当に戦場でジュノーの権能を見た者で、いまも生き残っている者はことほか少ない。


 なにしろホムステッド・カリウル・ゲラー配下の最精鋭部隊は王都プロテウスへ引き上げる道すがら、深夜アリエルたちの襲撃を受け、ひとり残らず命を落とし、その遺体と装備品(神器レプリカ)はすべてノーデンリヒト軍が回収している。


 目撃者など一人も残ってはいない、所謂いわゆる完全犯罪の類である。つまりグランネルジュで前線に出て戦い、間近で女神ジュノーの権能を体験した神殿騎士たちは、ガルエイアの教会総本部へ報告することも出来ず行方不明となった。


 鳩ぐらい飛ばして第一報は告げられているだろうが、いまガルエイアの教会総本部では、実際に見た者の証言を聞きたくて今か今かと待っている者たちが大勢いるはずだ。その中でもジュノーがノーデンリヒトについたと聞いて、素直に納得する者は少ないと考えられる。


 女神ジュノーはノーデンリヒトが教会の結束力を弱体化させるために用意したフェイクであると考える者が大半を占めるだろう。だからこそ、ガルエイアに引き返す教会関係者にはジュノーの真偽について疑いなく本物であると確信を持ってから報告させたかった。


 そうすることで教会内部に亀裂が生じ、内部で争ってくれたら教会の弱体化が期待できる。

 フィービーの狙いはガルエイアに居て女神ジュノーを疑う者たちの予想する、ノーデンリヒトの計略そのものだった。ただ一つ違うのは、ジュノーが本物であるということであり、それは議論の余地なく神聖典教会にとって致命的な事実となる。


 いまフィービーがガリオー・シュトロームと話した内容は『女神ジュノーは本物である』としたうえで、教会はそれでもノーデンリヒトと戦うか否かを議論させるためである。


 つまり、フィービーは神聖典教会に踏み絵を踏ませようというのだ。


 必ずや寝る間を惜しんで激しい議論を戦わせるだろう。敬虔な女神教徒であれば武装解除し戦わない選択をするだろうし、教会の力を権力として振るってきた者たちは、否が応でも偽者であってくれないと困るわけだから、ありとあらゆる手段で降臨した女神を偽者と断じるに決まっている。


 そうなった時、女神を敵と断じた者たちは、本当に女神ジュノーを心から愛する敬虔な信者たちとは袂を分かち、敵対することとなる。つまり、いましがたポロっとこぼした内部分裂だ。


 フィービーとパシテーが親切にジュノーのことを教えてやったのには、こういう狙いがあった。


「これでいいかな、もう私にできることはないようだし」


「ううん、お母さんすごいの。ジュノー並みに性格悪いの!」


 褒められているのか貶されているのか……、ちょっと分からないが、フィービーも悪い気はしなかった。



----



 一方こちら、ナルゲンを出が教会関係者80人の列は、エンドアが通ってきた道を逆にたどり、ガルエイアに向かう道中にあった。


 ナルゲンの門が遠くに霞むまで離れると列の後方からひとり、後方から駆け足で先頭を追って走る男が居た。


 フィービーに向けて剣を抜こうとした若い騎士、シルスだ。


「隊長っ、エンドア・ディルはアルトロンド評議会議員でありながらノーデンリヒトと内通しています。我々神殿騎士団の目をかいくぐるのに、まさかこんな辺境の色町で敵と密会していたとは、盲点でした。しかしなぜエンドア・ディルを捕らえなかったのですか。正義は我々にありました、いくら休戦中とはいえ、こうもあからさまに領の要人が敵と会合をもっているなど……」


 ガリオー・シュトロームは見上げるほど大きな部下をチラッとだけ見た後視線を外し、また前を向いて、ゆっくりと歩きながらまるで子供を諭すように答えた。


「なあシルス、私たち神殿騎士は軍や衛兵と協力して外敵と戦ったりもする。だがしかしよく覚えておくことだ、神殿騎士団は神聖典教会に仕える神兵のうち、教会を守る盾として教義に敵対する異教徒たちと戦うことが使命だ。では教義とはなんだ? 女神ジュノーの言葉そのものだ。つまり私たち神殿騎士は、女神ジュノーに仕える神兵なのだ。では王国騎士はどうだ? 彼らは国王に忠誠を誓い、国王を守るために存在している。王国軍は、王国に忠誠を誓い、国民を守るためにある。思い出せ、私たち神殿騎士は女神ジュノーの御心にのみ忠誠を誓ったではないか。つい30年ちょっと前までは私たちの信じる教義に魔族排斥などなかった。女神ジュノーの愛は私たちヒト族だけでなく、この世界に暮らすすべての人に向けられていたはずではないか。現に戦場に降りられたジュノーの権能はエルフをはじめとする魔族にも平等に降り注いだであろう? 自分の目で見たこと、それが真実だ」


「し、しかし隊長……それとこれとは」


「ふむ、時にシルス、おまえトシはいくつだ?」


「はい、26です」


「そうか、ではアルトロンドが魔族排斥を掲げる前、ヒトとエルフがまだ平等に暮らしていたころのことは知らないのだな」


「はい。私が物心ついたころにはもうエルフは奴隷でしたから。しかし、エルフが居たころのアルトロンドは治安が悪く、町を一歩でも出たら盗賊や野盗の類が跋扈する危険な土地だったとききます。ホムステッド・カリウル・ゲラー団長が魔族排斥を掲げ、エルフどもをアルトロンドから追い出したおかげでアルトロンドの治安は良くなり、領民たちはみんな盗賊たちの脅威におびえることもなくなったのですよね」


 端折はしょりすぎだ。

 シルスは上から教わったことに疑問を持たず、盲目的に理解しているに過ぎない。


「ではなぜ女神ジュノーは私たちの側に寄り添ってはくださらないのだろうな。いかなる理由あって女神の敵であるはずのノーデンリヒト、ベルセリウス家の側にあらせられるのか」


「はい、私はもしかすると偽者ではなかったのかと考えるようになりました。偽者でなければ敵側につくはずがありません」


「なあシルス、お前も聖域に描かれた壁画を覚えているだろう? 女神ジュノーが降臨されるさまを描いたものだ。グランネルジュで光が降りてきたのを見て、私は溢れる涙をこらえることができなかった。そこが戦場であっても、目の前に倒すべき敵がいても、騎士たちはみなこうべを垂れて跪いた。暖かい光が敵も味方も全てを癒しているのもこの目でしかと見た。お前も神殿騎士のひとりなのだ、自分の目で見たものを疑うべきではないよ。あの権能こそ女神ジュノーのなせる奇跡だ」


「いえ、隊長も見たでしょう? いまナルゲンで魔女たちが花びらのように散って思わぬところから現れるのを。私の首には短剣が突き付けられていました。そのつかを誰も握っていないのにです。耳元でささやく声も聴きました。振り返るとそこには魔女が浮かんでいました。恐ろしい……、ノーデンリヒトには幻を自在に操る術者がいるのですよ隊長。女神が我々をお見捨てになる訳がないです。グランネルジュで私たちが見たもの、あれは我々神殿騎士の結束を乱すよう仕組まれた幻術の類ではありませんか」


「確かに、シルスお前がそう考えるのも無理はないか……。ならば尚更のことエンドア・ディルを捕えて、尋問したかったな。ではシルス、グランネルジュで私たちが目にした女神ジュノーの権能も、魔女たちの使った幻術だったとして、いまから引き返してエンドア・ディルを捕えるかね?」


「はっ! ご命令があればすぐにでも」


「私がこの目で見たあの女神が幻だというなら……、いまのエンドア・ディルが幻でなく現実だったという確証すら持てないのだが? いま私の隣でがなり立てている、わからず屋のシルス、お前の姿も現実なのだろうか?」


「私はホンモノであります! ですがそう言われると私にも確証などありません。ですから見たこと、知ったことをありのままに報告すべきです」


 要するにシルスは『自分たちの目が信用できないのだから、判断は上に任せましょう』と言っている。


「報告か。そうだな、報告だけはしておかねば大隊長がうるさいからな。報告書はシルス、お前に任せる。後続に鳩のカゴがまだあったはずだ」


「はっ! 了解しました」


 シルスが後方にむかって走っていったのを見送りながら、傍らの副官が心底呆れたような口ぶりで言った。


「やれやれですな。シルスの奴、誰のお陰で生きて帰ってこられたのか、あとできつく言い聞かせておきます」


 副官は、まるでシュトロームのお陰で皆が生きているようなことを言う。

 それはどう考えても買いかぶり過ぎなのだが。


「おいおい、私のお陰というわけではないぞ?」


「なにをおっしゃいますか。隊長について行きさえすれば私たちは無事に帰ることができるのです。これは隊長の徳の高さが為せる業です」


 ガリオー・シュトロームは、戦場に出る前はフェイスロンド軍に占領されたグランネルジュ大教会を守っていた。治癒魔法の秘術を奪うためフェイスロンド軍に包囲されたときも、領主であり、軍の最高司令官でもあるフェイドオール・フェイスロンダールと当時のグランネルジュ魔導学院学長カタリーナと困難な交渉を纏め上げ、治癒魔法の秘術を渡すかわりに、教会関係者ひとり残らず、全員無事にグランネルジュから撤退させることに成功したという実績がある。


 それだけではない、ガリオー・シュトロームが部下から信頼されているのには、どんな過酷な戦場からでも必ず生きて帰るという信念があるからだ。


 たとえば18年前の話。セカ近郊でボトランジュとの紛争、『サルバトーレ会戦』の際、ガリオー・シュトロームはアルトロンド軍の陣にいた。死者3万とも言われる大敗を喫し、重軽傷者含めて生き残った304名の中で、教会関係者はわずか3名。それもハイペリオンがブレスで薙ぎ払った右翼の陣(神殿騎士と神兵の陣)ではなく、アリエルが夜襲をかけたアルトロンド軍の陣で、回復役として領軍に貸し出されていた治癒神官たちの部隊を指揮していた。それが初の実戦だった。


 いま副官が『誰のお陰で』と言ったのは、ガリオー・シュトロームが全滅した部隊の中で生還した幸運の持ち主であり、グランネルジュから撤退する際、そしてノーデンリヒト軍と戦闘になり敗れた時もそうだったからだ。シュトロームは優れた状況判断力と強運を合わせて持っていて、引き際だけは絶対に間違えないということを部下たちはみな信じている。


 神殿騎士団長、ホムステッド・カリウル・ゲラー率いる特殊訓練を受けた最精鋭部隊があっさり敗れた戦闘でもシュトロームの部隊は一人の犠牲も出さず全員無事にダリルマンディへ引き上げることができた。


 たった今、ナルゲンの町で遭遇したノーデンリヒトの魔女たちとのやり取りにしてもそうだし、聞いた話が本当ならばダリルマンディでは戦闘が始まっている。ダリルを治めるセルダル家の運命も、風前の灯火だろう。


 よくよく考えてみると、そもそも彼ら教会関係者がナルゲンなどという辺境の町をウロウロしている時点で命拾いしたようなものだ。結果、シュトロームの指示に従ってさえいれば、いくさで死ぬことはないという伝説は、より一層強固に補完された。


 だがシルスの報告書を携えて鳩が飛んだ。

 これにより、撤退するシュトロームの隊より一足先に、情報のみが伝わることとなった。

 鳩が運べるのは足環に小さく丸められたメモだけ。文字数が制限される中、事実だけを淡々と伝えなければならないのだが、伝えなければならない情報が多く、すべてを伝えきれるものではなかった。


 揺れる荷馬車でペンを走らせるのも難しい中、シルスが苦心して書き上げた報告メモを鳩に託し、空へと放った。


 内容を要約するとこうだ。


・グランネルジュにて女神ジュノー降臨を目撃した。

・しかし女神はノーデンリヒトについたため真偽は不明だが、降臨の御姿は預言の壁画通りであった。

・神殿騎士団長ホムステッド・カリウル・ゲラー司祭枢機卿がノーデンリヒトの捕虜となった。

・ナルゲンにて評議会議員、エンドア・ディルがノーデンリヒト人と密会していた。

・密会の相手はハーフエルフ『フィービー』と、飛行術を操るブルネットの魔女。


 女神ジュノーの降臨と、その女神がノーデンリヒト側についたことはグランネルジュ陥落の折に報告されているはずだが念のため箇条書きにしての報告だった。

 しかし内容が女神の事に偏重しすぎたため、エンドア・ディルの件は、さすがに端折られ過ぎていて、この内容では真意など伝わるはずもない。

 もっとも恥をかかされたシルスが恣意的にこう書いたのかもしれないが。


 このシルスの報告がわずか1日ちょっと早くガルエイアに伝わったことで、事態は大きく動き始める。


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