17-32【パシテー】ナルゲンふたたび(3)バカな男
隊長ガリオー・シュトロームは神官の忠告を素直に聞き入れ、エンドア・ディルと、エンドア・ディルから離れようとしない女たちを取り囲む部下たちに「一歩下がれ。いいか、命令あるまで動くな」と命じた。この動くなとは、強化魔法、防御魔法の入力もするなという意味だ。
フワフワと浮いている少女がブルネットの魔女だとするならば、ここで戦闘になったとして、装備も付けてない状態でおっ始めるのは、確かに得策ではない。横から割り込んできた生意気なエルフ女の装備しているのがグリモアであるならば全員が強化と防御を張り終える前に最低でも10人は倒される覚悟をしておかなければならないし、飛行魔法で上空から攻撃されたら反撃する手段もない。ここは穏便にやり過ごすほうがいい。
「ノーデンリヒトの者が誰の許可を得てこんなところをウロウロしておるのだ? アルトロンドとノーデンリヒトは戦争中だが、いまは休戦中であろう、その男は教会所有の荷馬車を盗んだ容疑をかけられている。これは正当な尋問なのだ、外国人が余計なことに首を突っ込まないでいただきたいものだ」
ガリオー・シュトロームは無駄に大声を張り上げて、アルトロンドとノーデンリヒトが休戦中であること、を喧伝した。つまり偉そうに恫喝しているように見えて、その実『ここはアルトロンドなのだから俺たちに攻撃を加えたら協定違反になるぞ。だから手を出すなよ』と釘を刺し、逃げを打つことが目的だった。
エンドアが身を守るため集めた人だかりが、今度は神殿騎士たちに利用された格好となった。
しかしフィービーは不機嫌な表情のまま、少し口角を上げてニヤリと笑ったあと、まるで小賢しいガキのような……、いわゆる『安い挑発』を続けた。
「戦争中であろうとシェダール王国に入っていけないという法はありませんよね。だってシェダール王国はノーデンリヒトを国と認めていませんから。あくまで自国の領土という立場を崩してないのですよ。なのでノーデンリヒト人がこの国で行動を制限されることはないですね。しかも王都プロテウス、アルトロンドとは休戦協定が発効中です。私たちノーデンリヒト人が通りを歩いていたとして、それを咎められる理由などないと思うのですが……」
たったいま隊長から止められたばかりだというのに強化魔法の起動式を書こうとしたのか、エンドアを囲む騎士服の男がひとり、手を上げそうになったところで、フィービーはビシッ! と男を指さし、ひと睨みすることでそれを静止した。
男の手が止まる。
腰につけたホルスター型のブックケースをポンポンと叩いてみせた、これがグリモアだと言わんばかりにだ。魔法技術の遅れているアルトロンド人には馴染みのないものだが、ノーデンリヒトと戦おうとするものが知らないでは済まされない。
グリモアとはそれまで剣士の背後に守られながら魔法を詠唱していた魔導師が、剣士と相対して剣の間合いで戦っても圧倒的優位に立つという新兵器なのだ。
「そうですね、ノーデンリヒトはアルトロンドにとって敵なんですよ。それにか弱い女二人連れを、丸太のような腕の男が取り囲んで、今にも剣を抜こうとしてらっしゃる。お分かりかとは思いますが、念のため言っておきますよ。あなた方のうち、誰か一人でも魔法の起動式を書き始めた時点で戦闘行為とみなし、私たちは自らの身を守るために魔法を行使します……」
さっきからフィービーの挑発的な言葉に我慢できなくなったのだろう、エンドアを包囲している騎士たちのうち、大柄の若い男が剣の柄に手をかけたまま、腰を低く構えた。
「剣の間合いで魔導師風情が何を偉そうに……」
「シルス! よせ。動くな、これは命令だ」
「しかし隊長、この女は公衆の面前で我が騎士団を愚弄しました。痛い目にあわせてやらなければ、しめしがつきません。捨て置けば今夜にはここの酒場で我が騎士団が笑われ、明日には町中の噂になり、ひと月もあればガルエイアにも噂は届きます」
「ノーデンリヒト軍が怖くて、戦わずに逃げてきた騎士なんて、私にバカにされなくても、そりゃあ笑われるでしょうよ」
ザワっと風が吹くとフィービーとパシテー、二人の姿はピンク色の花びらとなって散り舞う、それを目で追うまでもなく、柄に手をかけた若い騎士の首筋に短剣が、冷たく突き付けられていた。
男の耳元で魔女が囁く……。
「動かないほうがいいの」
言うと、耳元で囁いた魔女は花びらになって消失してしまった……。
もうどこにもいない。ただ喉に突き付けた短剣だけが浮かんでいて、異様な怪力でグイグイと喉に押し付けられている。
若い騎士は柄から手を放して手のひらを見せて従順な態度を見せた。
姿を消した魔女は事の推移を見守っていたエンドアの背後からフワッと飛び出すと、同時にフィービーも横顔を見せながら一歩、二歩と進み出てきた。
「あらら、部下の統制も取れないなんて神殿騎士もゴロツキ集団とかわりませんね。さっき動くなと命令されたばかりなのに、もう動こうとしましたよ? あなたは部下に信頼されていないのですね」
「でも私の命令を聞いたの」
「あははは……。ほんとバカな人たちですね、姿すら見えてないのに剣の間合いで、えっと、何風情でしたっけ? ……そんな体たらくで私たちと戦おうなどと考えないほうがいいです」
フィービーの止まない挑発にパシテーも便乗した。
自分の不手際から上官であるガリオー・シュトロームが笑われることになった。
シルスは安い挑発に乗ってしまったことを悔やんだ。
「シュトローム隊長、申し訳ありません」
「構わん。お前はもう下がっていろ」
「はっ」
「あら? 引っ込めてしまうのですか、もう終わり? つまらないですね。もちろん私もハーフとはいえエルフですからね、これまでの事で神殿騎士サマにはいろいろと思うところがあります。こんなところでバッタリ出会ってしまったのも何かの縁、ここで会ったが百年目ということもありますからね……。一戦やらかすのもやぶさかでないのですよ?でもね、本当に私たち、ちょっと野暮用があってここに立ち寄っただけなんです」
これだけ人の目が集まる通りで、プライドの高さだけには定評のある神殿騎士団の者に、これほどの徴発をするのだ、フィービーたちの戦力を分析できない野次馬たちは、次の瞬間には騎士が激高して剣を抜くのだと思ったが……。
しかしそうはならなかった。
当初エンドア・ディルを取り囲んでいた神殿騎士たちは、ガリオー・シュトロームの命令で、今にも剣を抜かんとしていた構えを解いてその手を柄から放し、両手をだらりと下げている。
だが依然として包囲を解くことはない。エンドア・ディルとの諍いを無かったことにして、すんなりと帰る気はないということ。つまり、戦闘は避けたいが、エンドア・ディルには半ば無理やりにでも同行願いたいというわけだ。
なぜならエンドア・ディルは今しがた口を滑らせた。
確かに『教会のクソ暗殺者どもが私の命を狙って失敗したことがあった』と言ったのだ。
神聖典教会、とりわけ神殿騎士団のには、いち隊長ガリオー・シュトローム程度の階級では全容まで知ることはできないが、ホムステッド・カリウル・ゲラー神殿騎士団長が女神を貶める異教徒どもを粛正するため、非公式な部署を作り上げたという話を聞いたことがある。
エンドア・ディルは教会の暗殺者に命を狙われたと言った。その言い分が正しいとすれば、神聖典教会はエンドア・ディル議員を女神の敵と認識した、ということだ。
エンドア・ディル議員といえば、魔族排斥と言う神聖典教会の方針に異を唱え、人魔融和政策を進めて、近頃勢力を伸ばしている急進派だ。しかも奴隷制廃止を訴え、奴隷解放運動も広がりを見せている。
そして突然現れた、自らをノーデンリヒト人というエルフ。
こんな辺境の町を、共も連れずたった一人で馬を引いているその理由も透けて見えるというもの。
ガリオー・シュトロームの頭の中で、バラバラだったパズルのピースが完成形を見せ始めた。
騎士団長がそんな非公式の部署を作って影で暗躍しているなどと聞いた時には胡散臭いとしか思わなかったが、エンドア・ディルのように裏で敵と通じるような輩がいるのだとしたら、ホムステッド・カリウル・ゲラー騎士団長の先見の明を疑った自分が恥ずかしくもある。
ダリルからの引き上げ部隊がここでエンドア・ディルを捕えてガルエイアまで同行を求める口実を得ておきながら、ここで見逃したとして、エンドア・ディルはダリルでノーデンリヒト軍と合流して、亡命する気なのだろう。そうなってしまったらもう手が届かなくなる。
それはマヌケの所業である。どうしてもエンドア・ディルの身柄を確保したい……。
だがしかし、いま挑発の限りを尽くすエルフの女が、花びらのように散って舞ったと思ったら次の瞬間には喉元に冷たい短剣が突き付けられていて、そのままエンドア・ディルの背後から現れた。
神殿騎士たちはみな己の目を疑った。
だがしかし幻覚を見せられているのだとしたら、すでに敵の術中にあるということだ。
理解不能な状態で戦闘したところで万に一つも勝ち目などあろうわけがない。しかも相手は三大悪魔のひとりとされるブルネットの魔女である可能性が極めて高いときた。
ガリオー・シュトロームの頭の中で戦闘になったときのシミュレーションも当然すませていたが、いまのイリュージョンを見せられては分が悪いどころの話ではない。
一時はアドレナリンで筋肉を硬直させたが、すぐさま深呼吸で冷静さを理性を取り戻していた。さすがはダリルマンディから撤退してきた部隊の指揮官である。戦況の見極めが恐ろしく正確だ。
しかし神殿騎士たちの様子をつぶさに観察していたフィービーは、その対応に不自然な点を見出していた。
「ふうん、争うつもりはないということですか。わかりました。ではこうしましょう。名乗ります。私はフィービー。ノーデンリヒトで教員をしている者です。あなたも名を名乗り、さきほど私に対し『亜人』などと言って蔑んだことを謝罪しなさい、そうすればここでおきたイザコザをなかったことにしてあげてもいいわ」
フィービーも本当に人が悪い。
神殿騎士はエルフに名を名乗らない。なぜならエルフはヒトじゃないからだ。
神殿騎士は、エルフに謝罪を迫られても、絶対に謝罪しない。なぜならエルフはヒトより劣る家畜のような存在だと教えられているからだ。
エンドア・ディルを包囲する男たちは、全員がパリッと折り目のついた騎士服を着たプライドの高い神殿騎士たちだ。道端でクソを垂れる牛や馬たちと同格と見下しているエルフにそこまで言われ、歯噛みをすることしかできず、みな押し黙ってしまった。このまま言い返すことが出来なければ、見物人たちは今の出来事を酒の肴にして旨い酒を飲むであろう。なんとかこのエルフを跪かせるなどして勝ち誇らねば騎士の沽券にかかわる重大な問題だ。
だが、思わぬところから異論を唱える者がいた。他でもないエンドア・ディルだ。
「違う! 違うだろフィービー! 相手に名を名乗れと言うのなら、自分はフルネームで名乗らなければ失礼にあたる、ちゃんと名を名乗るべきだ」
「何を! あなたは黙ってて。私はだだのフィービー。これが本名です」
「違う! 断じて違う、おまえはフィービー・ディル。私の妻だ」
まさか自分の夫がこれほどアホだとは思ってなかったフィービーは表情からイラつきが消えうせ、焦り一色となった。
「違います。たった今わたしは離婚すると決めました。あなたのような浮気者、私の夫ではありませんから」
「浮気などしない! 離婚などするものか。フィービー、なあ頼むから話を聞いてくれ……ああ、シュトローム隊長だったな、すまぬ、こちらは私の妻でフィービー・ディルという。奴隷などではない、アルトロンドが奴隷制を始める前から私の妻だったんだ、どうか見逃してほしい」
「エンドアあなたアホなの? ちょっとそこに座りなさい。あなたの立場でそんなこと言ってしまったら、ありとあらゆる意味で窮地に立たされるのよ? なぜそんなことが分からないの」
「お前は私の妻だ、別れる気などこれっぽっちもない。何年ぶりだ? ……せっかく会えたのに、別れるだなんていわないでくれ……」
怒りに我を忘れて飛び出したフィービーだったが、事態は更に悪い方向へ向かいつつあった。




