表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
512/566

17-29【ゾフィー】人質外交

 二人は神聖典教会により拘束されてから、プロテウス南部にある神殿騎士団の冷たい牢獄に約10年間もの長きにわたり投獄されていたことにより数々の酷い仕打ちを受けていたが、アリエル・ベルセリウスがセカを奪い返した際、人質となっているアルビオレックスとその妻リシテアの返還を求めたおかげで、グローリアスの息のかかった者たちの働き掛けもあり、その力を恐れた弱腰な議員たちがビルギットに賛同し、議会での決定と国王の承認を得て、プロテウス城の客間へと移り住むこととなった。


 プロテウス城に来てからはボトランジュに住んでいたころよりもいい暮らしをさせてもらっている。

 さすがに国王の軍に剣を向けた反逆者であるという事実は消えないので、重罪人であることは間違いないのだが、アリエルがセカから王国軍を撤退させた折、返せと言ったことから要人となった。


 どうせセカがどのような事になっているのかぐらい容易に想像できるのだから、ビルギットは現在の状況をアルビオレックスに包み隠さずに伝えた。当然、アルビオレックスはアリエルの帰還も、ノーデンリヒトが魔族軍と手を組んで攻勢に転じ、電光石火の勢いでフェイスロンドを手中に収めたことも、ビルギットから聞かされ、知っている。


 自身、人質として神殿騎士団サムウェイ本部からプロテウス城に移送された理由など子どもでもわかる理屈だ。当然、王国を守るための最重要人物であるということも自覚しているわけだ。そうでなければ反逆罪に問われるようなものをプロテウス城の客間に置いておくわけがない。


 当のアルビオレックスは牢に入れられていても筋トレだけは欠かさず続けていたことが伺える、バランスの良い筋肉の付き方をしているのだ。齢80を過ぎた老齢であることなど微塵も感じさせない、もしかすると息子、トリトンよりも若く見える姿にゾフィーはホッと胸を撫で下ろした。



 アルビオレックスは顔の汗をぬぐったタオルを首にかけると、ビルギットと共に入室してきたゾフィーを値踏みする。


 高身長と黒髪と紅い眼、最初はどうしてもアリエルの妻、ロザリンドを連想したが大きな角がなく、エルフとして見ても耳が大きいし、肌の色は魔人族を彷彿とさせる。そもそも今いる場所、つまりプロテウス城はエルフの身で入れるような場所ではない、それがビルギットと共に要人の前に姿を現したのだ。おかしいと思って訝るのが普通の反応だ。


「ふむ、こちらのご婦人は魔人族? ではないな、だがしかし美しくもあかをした黒髪のエルフ女性か、珍しいな。もしかしてロザリンドさんの関係者か何かですかな?」


 ゾフィーはゆっくりと両腕を広げ、膝を折った。


 エルフ族に伝わるお辞儀だ。アルビオレックスにとってその作法は、第二の妻オフィーリアを思い出させる、とても優雅で美しいものであった。願わくば色気もしゃしゃらもない黒のジャージではなく、ドレスでしてみせてほしかった。


 ロザリンドの関係者かと問われたゾフィーだが、ロザリンドの関係者かと問われると確かにその通りであるため否定する要素がない。否定も肯定もせず、ただ俯いてみせた。アルビオレックスの問いに答えなかったのは、ビルギットがアルビオレックス、リシテアたちと良好な関係だと見たからだ。


 アルビオレックスはゾフィーが答えなかったので、泣いているビルギットが落ち着くのを待った。


 ひとしきり泣いたあと、ようやく落ち着きを取り戻してきたビルギットにリシテアが優しく問うた。


「ビルギットさま、どうされましたか? また議会で論客にいじめられましたか?」


 ビルギットは力なく首を横に振って答えた。


「今日は、ぐすっ……。お別れの挨拶をしにきました」


「ええっ? なにをそんな急に?」


「私、人質としてここを出ることになりました」


 アルビオレックスは毎朝ビルギットから話を聞いて、現在の王国を取り巻く世界情勢の変化を知っていて、シェダール王国を取り巻く世界情勢がこの上なく厳しいことも知っている。だがビルギット王女殿下が人質に出されるなど前代未聞だ。


 現在のシェダール王国にそこまでの圧力をかけることができるのは、快進撃を続け瞬く間にフェイスロンドを手中に収めた魔王フランシスコ率いるドーラの魔王軍か、それともかねてから静かに侵攻のチャンスを狙っていたアシュガルド帝国か、あまり考えたくはないが、孫のアリエルか……。三つの陣営ぐらいしか頭に浮かばない。


 しかしビルギットは国王のたったひとりの娘であり、国王にとってそれこそ目の中に入れても痛くないほど溺愛している愛娘だ。そんな子をみすみす人質に出すなど、アルビオレックスには理解できなかった。


「王女殿下、それは国王の決定なのですか? 私には信じられませぬ……」


「いえ、私が志願したことなのです」


 ビルギットは落ち着きを取り戻してなおこぼれ落ちそうにな涙を、ひとつぶひとつぶ手で押さえるようにぬぐい取りながら顔を上げた。


「実はさきほどプロテウス市街を襲撃され、我が国の防衛戦力が敗れました。この情報は数日もすればアシュガルド帝国へ伝わります」


「では外が騒がしかったのは戦闘していたのですか? それにしては人質の決定が早すぎる……」


「はい、想定をはるかに上回る侵攻スピードに我が国の軍はまるで対応できなかったようです。国王も敗北をお認めになり、お二人の身柄は私と交換ということになりました。できるだけ早くボトランジュに戻ることができると思います」


 国王が敗北を認め、ビルギット王女殿下を人質にとり、自分たちの身柄と交換する?

 これで襲撃者が誰か分かった。


 アルビオレックスとリシテア、二人そろって視線をゾフィーに向けたのを察したビルギット、チラッとゾフィーと目が合った。襲撃者を客人のように扱うのは屈辱的だったが、二人はもう十分に察してくれているので、ダークエルフの襲撃者を紹介しなければならない。


「紹介が遅れました。こちら、ゾフィー・カサブランカさんといって、アリエルさんの奥さまだそうです。ゾフィーさん、こちらアリエルさんのお爺さんとお婆さんにあたる、アルビオレックス卿とリシテア夫人です」


 ビルギットから正式に紹介を受けると、ゾフィーは両手を胸に当てて視線を落とし、ようやく名乗ることを許された客のようにしずしずとお辞儀をし、大貴族の前でも恥ずかしくない立ち振舞いをしてみせた。


「アリエル・ベルセリウスが第一の妻、ゾフィー・カサブランカです。長く留守にしておりましたので、ご挨拶が遅れましたが、お二人のことは存じ上げております」


 アルビオレックスは目じりを下げて喜び、リシテアは少し驚いたように目を見開いた。たった今まで読んでいた本のページを遡り、お目当てのページを見つけるとアルビオレックスに指さして見せる。


 アルビオレックスが覗き込むと、そこにはゾフィー・カサブランカの記述があった。

 というのも、リシテアの読んでいた本の表紙には『四世界神話』とタイトルが書かれてある。古書の類ではなく装丁が新しいので、魔導学院のツテでノーデンリヒトにもある現代語訳版、四世界神話の写本だろう。


 アリエルがアシュタロスの生まれ変わりである可能性が高まったことで、王都の魔導学院にしか原本のない四世界神話がこうやって現代語に翻訳され写本があちこちで読まれている。全30巻にもなる長編の歴史書であるが、内容はスヴェアベルム側の視点で書かれていて、もちろん深淵の悪魔アシュタロスは世界を滅ぼさんとする破壊神として描かれている。ゾフィーが本名で登場するのは物語のプロローグ部分、ソスピタ王国から出征した世界樹攻略部隊を裏切ってソスピタの王子を殺害して行方不明になったというところまでだ。


 その後は人類の敵として物語本編に登場したときはヤクシニーという名なのだが、これはアリエルの前身ベルフェゴールがアシュタロスと名を変えているのと同様に、ザナドゥからスヴェアベルムに転生したときヤクシニーという名だったからだ。


 ゾフィーの読める文字は魔導学院でも解読に難儀する古代エルフ文字で、現代の文字は勉強中。しかし何が書いてあるか読まずとも二人の表情から何が書かれてあるかは、なんとなく読み取れた。


 悪役の登場でどんな顔をされるかと思ったが、当のアルビオレックスのほうは、まさかアリエルの嫁さんだとは思わなかったのか、さすがに自己紹介を受けた瞬間こそ驚いたがゾフィーの少しはにかんだ笑顔に釣られたのか、まるで少年のように瞳を輝かせた。


「アリエルの嫁さんだったか! あいつ面食いだな! わしがアリエルの祖父アルビオレックス(以下略)だ。こっちが妻のリシテア、お婆ちゃんだな。ところでアリエルの第一のヨメはロザリンドさんだと思っておったのだが?」


「はい、1番が私、2番はキュベレー、3番はジュノーなので、ロザリンは4番目です」


「なんと! それはまことか。ではあなたはわしの孫のヨメさんということだね、しかし4人?」


「はい、私が留守にしてる間に……。あと婚約者が2人いるので、近々6人になる予定です」


「おおおっ、そいつはすごいな、16年もどこかに雲隠れして戻ったと思ったら、ヨメさんを4人も……、いっぺんヨメさんたちみんな連れて顔見せにこい……と言いたいが、こう見えて私は人質の身でな。いまはビルギット殿下のおかげで何不自由ない生活をさせてもらっているが、アリエルがここに来たらあいつまた騎士団とケンカやらかしそうだからな。……そういえばさっき外で騒ぎがあったそうだが、ケガはなかったのかい?」


「はい、ご心配をおかけしました。私は大丈夫です」


 ビルギットは、花のような微笑みを見せながら、いけしゃあしゃあと大丈夫だなんていうゾフィーを見て、とりあえずその軽い口をつねってやりたいと思った。



----



 それからアルビオレックスとリシテアは、ゾフィーを囲み和気藹々(わきあいあい)と初対面の家族との会話を楽しんだ。


 ゾフィーはビルギットが人質になると志願したが、お二人が一緒に帰るのであればビルギットは人質になる必要もなく、丸く収まるのではないかと提案したが、ビルギットは人質になってノーデンリヒトに向かい、講和を申し込むという目的があるので、むしろ好都合だから、そんなことを言わずどうか人質として、トリトン・ベルセリウスに会わせてほしいと、その心の内を打ち明けた。


 ベルセリウス派がダリルマンディと王都プロテウスを同時多発的に侵攻し、プロテウスが敗れたという情報がアシュガルド帝国に流れるのは確実だし、その情報は数日もあれば伝わってしまう。


 いまボトランジュ、フェイスロンド、そしてダリルを魔王軍に攻められ蹂躙されていることに加え、王都プロテウスがたったひとりの魔導師の侵攻を防げなかったことで、実戦経験のない弱さと、主力の司令塔となる隊長格のことごとくが倒されてしまったことも広く世間に露呈してしまった。


 現状、アリエルたちベルセリウス派はノーデンリヒトとドーラの連合軍と行動を共にしていて、せっかく奪ったフェイスロンドとダリルの支配を確実なものにするには、10万の兵ではまるで手が足りないことも、当然帝国軍は分かっているだろう。となると、手をこまねいて見ているとノーデンリヒトとドーラはシェダール王国を飲み込んで超大国になってしまう可能性が高い。


 それを阻止するために何も手を打たないなんて選択肢はないだろう。


 ビルギットは春を待たずしてアシュガルド帝国は侵攻してくると予想しているからこそ王国の滅亡を防ぎ、再び平和な世界を作り出すためには、ノーデンリヒトとの講和が絶対条件だと考えていた。


 そのため、アルビオレックスとリシテアの二人には不自由をかけるが、もう少しの間、ここで療養していて欲しいというと……。アルビオレックスは「それならトリトンに手紙を書くから、ちょっと待つように」などと言い出し、また一通、手紙が増えることとなった。もはやビルギットは人質と言うよりも、どちらかというと紹介状と親書をこれでもかというほど携えた親善大使だ。


 アルビオレックスがトリトンに手紙をしたためている間、国王からの親書と、前王国騎士団長ショーン・ガモフの手紙が届き、国王も愛娘との束の間の別れを惜しんだが、紛糾し、混乱を究める議会をほっぽり出して娘のもとへ駆けつけることも出来ず、母であり王妃であるアンジェリカもビルギットを見送りに来ることはなかった。


 ビルギットを見送りにきたのは、数名の侍女と、老齢の近衛でビルギットが『じい』と呼ぶ男だけだ。


 この点についてはゾフィーも不信感をぬぐい切れなかったが、ビルギット自身、家族が誰も見送りに来てくれないことに対して、特に不信感や不安、不満もなかったようで、そのことを気にも留めない様子だった。


 ビルギットはおそらくもう、まともな手段ではこの国に戻れないのに、それを知りながら、あえて気丈に振る舞っているように見えた。


 ゾフィーは手品を披露するよう掌にパッとカードを出してみせた。

 位置をマーキングするための風魔法カプセルが付着したカードだ。これをアルビオレックスに手渡した。


「これは万が一のとき、おじさまたちを救うかもしれないカードです。ここに風魔法が付着していますから、万が一のとき、助けが必要なときは迷わずに握り潰してください」


 アリエルがアルカディアから持ってきたトランプのカードだ。銘柄はクラブのキングだった。

 アルビオレックスはそれを有難く受け取ると、にこやかに微笑んでみせた。


 ただ……、ビルギットが持ってゆく着替え、下着や普段着、衣装と荷物たるや荷車1台では収まらぬほど。ゾフィーはほとほと困り果てた表情でビルギットの人質道具すべてをストレージに収納すると、笑顔で見送るアルビオレックスたちにぺこりと頭を下げ、パチンと指を鳴らした。



――――


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ