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17-28【ゾフィー】ビルギットの正義

 アルビオレックスを捕えている居室に向かう道すがら、三階の窓からは東門が良く見え、大勢が倒れているところに法衣を纏った治癒魔法使いが大慌てで救助活動を行っていた。ビルギットは遠くからではあるがその惨状を目の当たりにして、その悲惨な光景に足を止めた。


 無意識だったのだろう、あまりのショックに、つい要らぬことを口走ってしまう。


「人を殺すって、どんな気分ですか?」


 けっして強い口調ではなかったが、目は口ほどにものを言う。まったく、なんということをしてくれたのだと批判的な眼差しは隠せない。これは人を殺したことがある者に対し、人を殺したことがない者がする純然たる質問ではなく、命を奪ったことを責めようとする類の問いだ。


 この国の次代を担う王族の発言にゾフィーは耳を疑った。

 王国兵がなぜ剣を装備しているのか、その意味すらも知らないといった質問がまさか施政者の口から飛び出してきたことに戸惑いを隠せない。


「えっ? ……それ私に聞いているの?」


「はい、あなたを止めようとして命を落とした兵士たちにも親がいます。愛する妻や子がいる者も多いです、大切な命を奪っておいて、何の用かと思えばつまらないことを聞きに来ただけ……。私は死んでいった兵士たちの家族に何と言って……」


「どうってことないですよ、あなた方がこれまでしてきた事と何ら変わりはありません。言ったはずですよ、エルフ族とヒト族、話も通じないような社会を作った、国王の責任です」


「私はこの国を、社会を変えようとしているんです! 力ある者が力なき者に無理やりいう事を聞かせるなんて、そんな世の中は間違っていますから」


「何を言ってるの? そこじゃないでしょう、力を行使するのは間違ってなんかいません。力ある者が力なき者を従える。どこの国もそうやって成り立っているじゃないですか。でもこの国にはもうそんな力はありませんね、放っておいても近く滅んでしまうでしょう。世の中を変えるには力が必要よ? でもあなたでは力が足りなさすぎてお話にもなりません。そんなあなたが何を言っても説得力がないですよね」


「いいえ! シェダール王国は滅びません。私が人生をかけてこの国を良い方向に導きます! さっきの議会でも過半数まではとれませんでしたけど、私の考えに同調してくれる議員たちも大勢いたんです! もう少し時間があればきっと」


「ふうん、でもそれグローリアスに買収された議員なのでしょう?」


 これはグローリアスが送った賄賂のリストを受け取ったコーディリアがそのネタを使って、影から議会を操ろうという計画だ。相手が保身に動いてる間だけしか使えないが、ビルギットの表情を見ているとそこそこいい仕事をしたと言える。



「……えっ?」


 ビルギットは言い返そうとしたその言葉を飲み込んでしまった。

 グローリアスに買収された議員たちが少なからず居ることは分かっていたが、影でノーデンリヒトの有利に働くよう、ここでも買収されていたとするならば、真にビルギットの意見に賛同してくれた議員たちの数というのは、思っていたよりもずっと少ないということだ。


「あら? やっぱり知らなかったのね? そんなことで大丈夫ですか? 世間知らずのビルギット」


「くっ……。あ、あなたのような人でなしに言われたくありません!」


「はい、そうですよ。私はこの国では人ですらありませんからね、人でなしなんて言葉で罵られるのも仕方ないのかな?」


 ビルギットが反射的に言い返した言葉は重い失言だった。


「い、いいえ……ごめんなさい、そんなつもりで言ったんじゃないです。私は……」


 先ほどまで肩いからせてゾフィーに怒りをぶつけていたビルギットも、ここまでやりこめられてしまうとさすがにカラ元気も出なくなり、その青い瞳はみるみるうちに潤みはじめ、大粒の涙がぼとぼととこぼれ落ちるまで、そう時間はかからなかった。


 まったく、よく泣く娘だ。


 さすがに言い過ぎたと感じたゾフィーは、「分かってますよ。ちょっと意地悪をしてやりたかったの。ごめんなさいねビリー」といって冗談交じりにお茶を濁したが、そこから先はもう、ビルギットに反論の余地などなく、無言でただ涙をこらえながら廊下を進んだ。


 心なしか歩幅もちいさくなっているように見えた。


「でもね、あなたは国を率いるようなリーダーには向いていませんよ。波風の穏やかな時代ならば国王なんてお飾りでもいいのですから、あなたはいいリーダーになれたかもしれません。でも戦乱の時代、リーダーに求められるのは優しさではなく強さです。圧倒的な力ですよ。あなたにはそれがありません」


 ビルギットは振り返りもせず、ぐうの音も出ない正論を背中で聞いている。そう、ビルギットはこの国の王女、オークションの時はお忍びで街に出てはいたが一人で街を出たこともないだろうし、旅をして辺境ではどんな酷いことが起きているのかなんて、誰にも聞かされていないのだろう。そんなビルギットの世間知らずを責めたところで何も解決しないばかりか、ただゾフィーの大人げなさだけが際立つ。


 ゾフィーはついこの前まで時間の流れが極端に遅い異空間に幽閉されながら、自らの肉体と、精神体つまりアストラル体と身体を分けて転移魔法陣に潜んだ。消費される魔導結晶から魔力を奪いながら細々と命をつなぎ、約16500年という気の遠くなる年月、たったひとりでこの世界の行く末を見守っていたのだ。


 破壊神アシュタロスとして討伐された夫ベルフェゴールが『アリエル・ベルセリウス』としてこの世界に転生したことも知っていたし、ロザリンドと結ばれてサナトスが生まれたことも知っていたのに、手を伸ばせば届くような近くに居ても、触れることも、自分がここにいることを知らせることもできずに月日は流れた。


 行動範囲が限られていることと、てくてくの闇魔法の力を借りたとしてもこの世界に直接干渉することができないという制限もあり、戦禍に巻き込まれたアリエルの家族を守ることすらできなかった。


 その身がこの世界にありさえすれば矢面に立ち、サナトスたちと共に戦っただろう。もしゾフィーが参戦してさえいれば、そもそもマローニの平和が脅かされることもなかったはずなのに……。


 ゾフィー・カサブランカのシェダール王国への怒りと憎悪は、アリエルの友人や家族が迫害され、駆逐されてゆくさまを間近で見ながらも、手を貸すことができなかった悔しさが元になっている。


 アリエルは人ごとのようにしているが、それは自分の家族が戦って、戦って、それでも敵わず、敗れて、マローニからノーデンリヒトへ追いやられるのを見ていないからだ。その場に居さえすればアリエルも当然のように王国との全面戦争を戦ったはずだし、大勢のエルフが攫われてしまうなんてこともなかったはずなのに……。


 だけどアリエルはこの世界を留守にしていた。

 そしてゾフィーもアストラル体として長い間、この世界が間違った方向へ進んでいく様をただ見ていた。力はあっても助けることができなかった。精神はここにあっても、その身は無限の彼方に封印されていて手も足も出なかった。その悔しさに涙を流したこと、数えきれないほど……。


 無事だとは言い難かったが、ジュノーと共に帰還を果たしたアリエルは帰還不可能と思われていたゾフィーを無限回廊という時間のほとんど流れていない異空間から助け出し、ノーデンリヒトに凱旋した。


 かろうじて家族が無事であり、命があったことを素直に喜んだ。自分がお爺ちゃんになっていることに驚いたが、あれほどこの世界の紛争に加担することがなかったアリエルも、子どものため、孫のためと、ようやく重い腰を上げた。


 アリエルがただ一言『滅ぼしてこい』と言ってくれたなら、こんな国、喜んで滅ぼしただろう。この国の権力者がセカやマローニで、どれほど非道なことをしてきたかをゾフィーは見てきたのだから。


 ビルギットは何も知らないのだ。

 ヒト族の悪意に満ちた侵攻の現場で何があったのかなんて、まるで知らない、想像することもできない純真無垢な処女がお花畑で考えたような理想論を並べ立ててこの世界を変えようだなんて、ちゃんちゃらおかしいのである。


 ビルギットはこの国の王族であり、執政権を持つ元老院議員だ。

 セカやマローニで何があったのか、エルダーの森での奴隷狩りの実態を知らないでは済まされない。


 たとえて言うならば、プロテウス城から風に乗って流れてくるのは管弦楽団の奏でるボレロ、これはこの国の王妃、アンジェリカの出身地アムルタ王国を思い出させる宮廷音楽だ。バルコニーに楽団がいて、王妃の耳を満足させるためだけに音楽を奏でる、そんな日常を当たり前に育ったビルギットは、理想ばかりを膨らませていて、現実にどういった犠牲の上でこの国が成り立っているかをまるで知らない。


 今もアリエルとグローリアスが裏で繋がっていることに驚きの表情を隠せていない。

 動揺がすぐ顔に出る。

 その二つの陣営は絶対に相容れないと考えていたからだ。


 二人の会話が途切れたまま大きな窓が連続する廊下を進むと、衛兵が二人立っていて、ビルギットが通るとカカッ!と踵を鳴らし、敬礼で通した。この先にあるのは客間と思しき扉が一枚。アルビオレックス(中略)ベルセリウスが人質となってかくまわれている部屋だ。


 コンコンといささか急ぎ気味のノックのあと、

「ビルギットです、入ります」と言い、ドアを開いた。


 ゾフィーは部屋の入り口でしゃなりとしたお辞儀をしてからギリギリ頭を擦りそうな低い入り口に注意を払いつつ、頭をさげて客間に足を踏み入れた。


 室内は確かにビルギットの言った通り、窓に鉄格子も填められていないし、いま無造作にドアを開けたことから、ドアに鍵をかけられていることもなかった。見張りの衛兵が立っていたが、さきほどの議会の様子から察するに、衛兵は人質が逃げないように見張っているというよりも、害意を持つ者から人質を守っているのだろう。


 人質のかくまわれている部屋だという割には明り取りも効いていて新鮮な空気が流れているし、そもそもからして無駄に広い。右に扉、奥にはバルコニーに続く明るい部屋がある。さすがお城の客間といって恥ずかしくない、シンプルではあるが品の良いデザインの家具が並べられていて、バルコニーに出てダンベルで筋トレをしている白髪の男と、高そうな椅子に腰かけ、お茶を嗜みながらモノクルを片手に読書にふける金髪の女性がいた。見事なまでの金髪を結い上げていて、気品のある佇まいでゆっくりとこちらを向いた。


 ビルギットが部屋に入ったと知るや否や、無表情で書物に目線を落としていた女性の表情がほころぶ。


「リシテア……」


 早足になり、リシテアに向かった。名を呼んだその声は涙声だった。リシテアの顔を見るや否や我慢していた涙がまたまた溢れ出してしまった。


 何があったのかと驚いた顔でリシテアは読んでいた本に栞を挟んで閉じると、両手を広げビルギットを迎えた。


 人質であるリシテア・ベルセリウスの胸に飛び込んで涙するビルギットを見ながら、ゾフィーは何となくこの二人の関係がどういうものなのか、分かったような気がしたが、それにしてもよく泣く娘だと呆れのほうが先に立った。


 バルコニーに出て筋トレしていた白髪の男性がダンベルを置いてタオルで汗をぬぐいながら入ってくると、まずはリシテアの胸で泣いているビルギットに気をやってから、一緒に部屋に入ってきたゾフィーに視線をやった。


 ノーデンリヒト国家元首、トリトン・ベルセリウスの実父、つまりアリエルの祖父おじいちゃんにあたる、アルビオレックス(中略)・ベルセリウスその人だ。


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