02-24 vs パシテー 前編★
アリエルの夢に出てた女の子は、01-01 プロローグ 前編「深月と美月」の回想でアリエルの前身、嵯峨野深月に告白した女の子、この物語のヒロインのひとりです。
20170812 改訂
20210813 手直し
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その夜、アリエルは夢を見た。
潮風の匂いまで忠実に再現されている、リアルな夢だった。
アリエルの前世、嵯峨野深月だったころの夢だ。
深月は海岸線の防波堤の向こう側、ずらっと組み合わされて並べられたテトラポッドがちょうど背もたれの倒れた椅子のような角度になったところに背中を預けて、深く腰掛けたまま沈みゆく夕陽を見ていた。潮の香り、生暖かい海風、そして潮騒の音がとても心地よく、五感を刺激する。
沈みゆく太陽の発する赤い光が、幾重にも積層した雲を真っ赤に燃え上がらせる。
生暖かい風と遠くに立ち上がる雲の厚さ、そして嵯峨野深月の服装と、ゴム草履から察するに初夏の頃か、海風に揺れる前髪が頬をくすぐる。
前世の夢を見ていることが何となくわかってしまうようなシチュエーションだった。
アリエル・ベルセリウスとしてこの世界に生を受ける以前、日本という国で、周り人間は誰も殺されず、誰も殺したりなんていう争いごとの無い生活をしていたこともあった。
アリエル・ベルセリウスとしてこの世界に生まれ、盗賊の襲撃を実戦で経験し、他種族との戦争も経験した。この夢で自分は、そうだ、ゴム草履なんてのを履いてテトラに座り込んで夕焼け空を見ているということは、小学生なんだ。
嵯峨野深月は夕焼けの空が好きだった。真っ赤に燃え上がり、やがて藍色の闇が広がると、星がきらめき始める、その表情の変化が好きで、小学生でありながら夜暗くなるまで空を見あげていることも珍しくはなかった。さすがに夜の10時を過ぎても星空を見ていると、親父が心配して探しにきたりもしたけれど、不思議と門限とか、そういうのは無かったように思う。信頼されていたのか、それとも放任されていたのか。死んでしまって異世界に転移した今となってはもう確かめるすべはないが。
小学生の深月がいったいなぜ夕焼け空を見ながら、文字通り黄昏ているのか、まるで縁側で口を開けてぼーっとしている爺さんのようでもあったが、それでも脳ミソまでぼーっとしているわけではなく、背後に靴音が聞こえたのを聞き逃さなかった。
テトラポッドの上をパタパタと飛び渡る音だ。
躊躇なく次のテトラポッドに飛んで、リズムを崩さない。こんなこと、お転婆世界チャンピオンの美月でもできやしない。ここまで見事にテトラポッドを渡る足音を聞いた覚えはなかったのだけど、その足音の主は、ぼさーっと夕焼け空を眺めている深月の背後に接近してきた。
特に気になった訳じゃなかった。本能的に後ろを見たというのが正しいだろう。
深月が肩越しに振り返ると、そこにはけっこうな風が吹いていて、もうすぐ暗くなる海岸線だというのに、女の子がすぐ背後のテトラポッドに両足を揃えて着地を決めたところだった。
風に煽られてスカートがめくれ上がるのを咄嗟に手で押さえて防いだ。
パンツまでは見えなかったが、太もものけっこう際どいところまで見えてしまったので、ちょっと視線を逸らしてしまったが……。
直毛じゃなくて軽くウェーブ気味の黒髪は、海風に吹かれて舞い上がっているし、髪の色に合わせたかのような黒と白のモノトーンのシャツとスカート。靴下は白で靴が黒。そして野暮ったい黒縁のメガネをかけてはいるが、スマートな女の子だと思った。
いやスマートで当然か。どうやら同じぐらいの歳に見える。ということは11、12歳ぐらい。つまりまだ子どもなんだけど……。
この女の子、誰なのかは知らないし初対面なんだけど、まるで長く会ってない幼馴染に会ったような、和やかな安心感があった。もしかすると小さなころに遊んだことがある子かもしれない。
深月は幼稚園の頃まで記憶を辿って思い出そうと腐心してみたが、やはり思い出せない。胸につかえて名前が出てきそうなのに出てこないという、強いもどかしさを感じていた。
深月のこの女の子への第一印象は、温かい空気を運んできてくれる子だなと思った。
「こんにちは、気持ちのいい風ですね、このまま星が出るまで空を眺めますか?」
いま派手にスカートをまくり上げて、もうちょっとでパンツまで丸見えになってしまうところだったその犯人である風を気持ちいいと言った。しかもだ、夕焼け空から星が出るまで空を眺めることが好きなヤツなんて、けっこう特殊な趣味だから、幼馴染の美月にも、大成にも分かってもらえないのだから、きっと誰にも分かってもらえないと思っていた。誰にどれだけ説明しても分かってもらえなかった夕焼け空を眺めるという素晴らしい時間のことを、この黒縁メガネの女の子が肯定してくれたかのように思った。
「そうなんだ、今日の夕焼け空すごいよね! 空全体が真っ赤になってる、こんなの年に一度あるかどうかだね」
深月は背中越しに沈みゆく太陽を指さして、日常すぎて誰も気に留めない天体ショーを興奮気味に語り、女の子はというとスカートを抑えながらトン・トン・トーーンとステップして深月のすぐ傍らにまできた。
「となり、いい?」
「いいけどさ、キミは俺のこと知ってるん……だよね?」
「もちろん!、嵯峨野深月くん、また会えたわね」
「ごめん、俺もキミのこと知ってると思うんだけど、ちょっと思い出せないんだ……やっぱりどこかで会ってるよね? もしかして幼稚園の頃同じクラスだった?」
「謝らなくていいわよ、別にいま無理して思い出さなくてもいいわ。いずれあなたは必ず私のことを思い出してくれる。だからね、今日は私たち二人の再会を喜びましょう」
絶対どこかで会ってるはずなのに、どこで会ったのか、それはいつなのか、深月の思い出したくても思い出せないことの多くは謎のままにしておいて、ただこの女の子は名を柊芹香と名乗り、いまからちょうど半年後の冬になったら、この海岸からすぐ近くの団地に引っ越してくると言い、夕日が湾を超えて遥か地平線の向こう側に沈んで、空の反対側から夕闇が駆け下りるまで深月と下らない話をしていた。
「でもさ、夕焼け空が好きな女の子って珍しいよね、この魅力が分かってもらえて嬉しいよ」
「あなたがそうやって全身に風を浴びながら夕焼け空を眺めているのは、遠い昔を懐かしんでいるのね、だから私はあなたを見つけ出すことができた」
これは柊芹香と話した内容で、鮮烈に深月の心に残っている部分だった。
夢の中でテトラポッドに座って夕焼け空を見ながらダラダラと会話をしているのは、嵯峨野深月ではなく、その姿はいつの間にか金髪で碧眼、貴族の普段着を着込んだアリエル・ベルセリウスになっていて柊がそのことに気付いた途端に空が暗転しはじめた。
テトラポッドの隙間から間欠泉のように、勢いよく真っ黒な闇が噴出する。
急展開に焦りを禁じえず、グラグラと揺れるテトラポッドに手を付いても、柊芹香をキッと睨みつけるアリエル。
「柊!」
地面から立ち上がる真っ黒な闇が、夕闇とともにアリエルの視界を漆黒に染め上げてゆく。
闇に飲み込まれようとする海岸線に立ち、怯える様子もない柊は、
「私の名前を呼んで……」と言うと、アリエルと二人、闇に沈んでゆく。
どこまでもどこまでも落ちてゆく感覚があって、どんどん加速してゆくのが分かる。
それなのに身体が動かない、金縛りのような症状が……。
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「ぐああああああぁぁぁ」
ここは?
アリエルは横になっていて、木目の揃った天井に手を伸ばしながら何かを叫んでいた。
吐息がハアハアと荒く、心臓もバクバク脈打ち鼓膜をドキドキと叩く音が聞こえる。
びっしょり寝汗をかいている。
まったく、悪夢を見せられるのはだいたいいつも戦争の夢か美月の夢だから、柊が出てきた時点で安心してたのに、まさか突然悪夢に変わるとは……。
アリエルはベッドサイドに立ててある水差しを手に取るため身体を起こしたら、すぐ隣で寝転んでいるパシテーと目が合った。
いつもはだいたい朝弱いはずのパシテーがパッチリと目が覚めていて、ゴロ寝しているとはいえ、何か言いたそうな表情でアリエルの顔をじっと見ている。
「おはようパシテー」
「おはようなの兄さま……」
形式上の朝の挨拶を済ませ、アリエルは掴んだ水差しからグラスに水を注ぐと、グイっと一気に喉に流し込んだ。なんだか頭痛がする……、今日の夢は柊芹香が出てきた、夢というよりも前世の記憶だ。そう、あれは小学6年の初夏ころだっけか。
アリエルは『セノーテ』の魔法を使うため、換気するのにカーテンをたぐり窓を開けた。
ストレージから手桶も出したし、手拭いも用意した。
何事も無かったかのように朝の身支度を整えようとするアリエルに、パシテーが待ったをかけた。
「兄さま魘されてたの。悪い夢でもみたの?」
アリエルは首を横に振ってみせた。
「いや、逆だな。いい夢を見てた。最後だけ悪夢になるってパターンだね」
「どんないい夢だったの? 前世の故郷の夢?」
「そうだよ、パシテーじゃない女の子が出てきて、わりといい雰囲気になる夢だよ」
「ミツキが出てきたの?」
「ミツキとは違う女の子なんだ」
「夢なの? それとも過去に本当にあった出来事の記憶を夢として思い出したの?」
鋭い。まったくもって鋭い。
さすがパシテーとしか言いようがない。
「そうだね、異世界の記憶だよ。パシテーにはかなわないな、途中まではいい夢だったんだけど、ラストで悪夢に変わるんだ。せっかく女の子が出てきてさ、何をやっても許されるのが夢の中だっていうのに、俺ってば、ただ夕焼け空を見ながら話をしてるだけなんだ」
「その女の子名前は?」
「なんでそんなこと聞くんだよ……」
「兄さまに恋人ができた時、知っておいた方が何かと有利なの」
「ひどいな、絶対に言わないからな、はいこの話おわり! パシテーも顔洗えほら」
「うん。兄さま、聞いていい?」
「いいぞ、だけどほら、髪を梳かしながらな」
「ん、ヒイラギって何なの?」
アリエルはセノーテを使って少量の水を得たところでピタッと、まるで時間が止まったかのように動きを止めた。一瞬の戸惑いだった。
恐る恐るパシテーの顔を見ると、ジト目で睨まれていた。
「もしかして俺、寝言いってた?」
アリエルの誤魔化しとも取れる問いに、パシテーは「どう思う?」と答えた。
そんなのパシテーが柊という言葉を知っているという事実がことのすべてを物語っている。『寝言いってた?』などと聞き返すこと自体がナンセンスなのだ。
「柊は女の子の名前、否定はしないよ」
「兄さま、私と一緒のベッドで寝ているから夢の中で首でも絞められたの、いい気味なの」
ここで言い返すと根掘り葉掘りぜんぶ喋らされることになるような気がする……。
ひとつ『そんなんじゃない』とだけ言っておきたいのだけど『どう違うの?』と返されて、そのまま芋づる式に情報を抜き取られてしまう。ここはスルーするに限る。
「もういいだろ? 今日は素振りする時間もないし、早く顔洗って、ご飯食べて、学校行くんだろ?」
「いい気味なの」
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いままで学校は午後から行けばいいという社長待遇だったのだけど、パシテーが教職に復帰することになってから一緒に登校することになった。つまり重役出勤は終わり。
朝から学校に行かなきゃいけないのと、あと、パシテーの服と同時に学校を通じて注文してた制服も届いていたので、今日からは制服を着て登校することとなった……のだけど、どうも制服の形が微妙に違う。プロスの制服の、あの短ランみたいな、スマートなシルエットとは少し違うんだ。
「くっそ、プロスのやつ制服を改造してやがったのか! 不良め」
今にも制服を着て屋敷を出なくちゃいけないってのに、箱から出したばかりの制服に悪態をついたところで事態はまるで好転しないのだから、この誰が見てもサイズ大きすぎるだろって感じの、中で泳げそうな制服を着て行くことになった。まるでヤッコ凧みたいだ。
「兄さま、新入生みたいなの」
「トシは1年生で間違いないんだけどね」
10歳なんて成長期にぴったりの制服なんか買ってやると半年もしないうちに小さくなって着られなくなるってんで、大抵の新入生はこんなブカブカの制服を着せられるのだけど、自分は飛び級だし、あと半年も通えば卒業なんだから、こんな成長を見越したサイズ選びなんかせずに、少しゆったり目ぐらいのサイズでよかったとおもう。
グレアノット師匠の一番弟子と二番弟子が二人で仲良く一緒に行動する、これは魔導派閥といって、ごく普通のことなのだそうだ。だからわざわざ登校時間をずらしたりする必要もないという。アリエルとパシテーはグレアノット派の魔導派閥に所属しているということだ。
そしてアリエルはグレアノット師匠により、高弟を名乗ることを許されている。高弟になると自分の意志で弟子をとることが可能となり、アリエルが魔導師として弟子をとると派閥を独立させることが出来るのだとか。この国の魔導師は偉くなると政治にも口を出すような者が居るらしい。派閥とか権力争いとか、考えただけで面倒だ。
今日は珍しくアリエルが寝坊したので冒険者ギルドにも顔を出さず学校に直行することになった。校門をくぐると、アリエルが注文を付けてマラドーナ装具店の店主がデザインした、ズバリアリエル好みのゴシック系の服を着たパシテーを見た女生徒たちから黄色い声が上がった。
男子よりも女子の方に大人気で質問攻めにされているのを見て確信をもつことができた。これはいける。この服が流行ってくれれば、男冥利に尽きる。誰得かというと『俺得』としか言いようがない。
てか流行れ! 女の子がマイクロミニスカートを穿いてニーソックスで太ももを分断する様は、見ていてとても心地よいものだからだ。
もともと生徒たちに人気があった上に、この前のナンシー救出劇があったせいで、噂を聞きつけた生徒たちのパシテー人気は留まるところを知らない。まるで人混みにいきなりアイドルが現れたかのような人だかりじゃないか。
アリエルはそんな人混みの中心にいるパシテーと別れ、先に教室へ行くことにした。いや、人混み嫌いとコミュ障は今に始まったことじゃなくて、前世からずっと人混み嫌いでコミュ障という、いわゆる筋金の入った人混み嫌いだ。ノーデンリヒト生まれで、長らく人混みなんて経験したことがなかったけど、あーいうのマジで苦手。前世ではすっごく美味しいと評判のラーメン屋であっても行列には絶対に並ばなかったし、夕方のスーパーのごった返すレジ行列も無理だった。だいたい人で溢れ返ってるような雑踏は苦手なのだ。
もう子の際だから、単にストレスを避ける自己防衛本能だと思うようにしてる。
ただパシテーも人混みを捌いて目的地に向かうのは苦手らしく、どっと声援が大きくなった時にふと振り向いて見ると、空に花びらが散っているのが見えた。パシテーも飛んで逃げたらしい。
アリエルが教室の前まで来ると、上級生の教室の扉を開けることができず、ドア前で立ち尽くしているナンシーを見つけた。4年月組の組章をつけているので、ナンシーの学年と組が分かった。こういうチラッと見ただけで個人情報がダダ漏れになるシステムそろそろやめたほうがいいと思うんだけどね。
誘拐犯がナンシーを誘拐しようと決めたのも、もしかすると役人や商人の子が多いという月組の生徒を中心に下調べしていたのかもしれないのだから……。もっとも誘拐犯を尋問しようにも皆殺しにしてしまったせいで、手口の全容解明などは出来なくなってしまったのだけれど。
その4年月組のナンシーが5年星組の教室の前まで来て、なにやらモジモジしながらドアを開けようとしてるけれど、もうちょっとの所で迷いが勝つようで、手を引っ込めてため息をついたりしている。なんだかもう見てるだけでくすぐったいので声をかけみたのだが、さすがにアリエルは領主ベルセリウス家直系の長男ということでドン引きされた挙句に、カチコチになってこの前のお礼も含めて挨拶されたのだけど、そんなことはどうでもよくて、ナンシーの目当てはやっぱりユミルだという。
「そんなことはこの俺に任せておきなさい」
と安請け合いをしたアリエルだった。
―― ガラッ!
「おはよーう。お、ユミル、ドアんトコにヒロイン来てるぜ」
「アリエルおはよう、てか他に言いようないのか」
ユミルはバツの悪そうな表情で走って、ドアから飛び出した。ヒロインのもとに一直線とは羨ましい。
「アリエルおはよ。ナンシーの件は本当にお疲れ様、アリエルがいてくれて本当によかったよ。ってか制服がまるで新入生だねえ。なんだか初々しいわ」
「10歳って言うから1年生だと思うよね普通。まあ、卒業するまでにこんな制服、着られなくなるぐらい成長すりゃいいだけの話だろ、半年後には180センチだからね」
「あはは、それは頑張って成長しないといけないね、半年で30センチ伸びるためには1日どれだけ伸びないといけないか計算できる?」
「はいはい、無理でございますよ。ところで我が星組はもうすぐ始業時間だというのに、ユミルとカーリしか来てないのか?」
カーリは「そろそろ来ると思う」とだけ言った。
始業のチャイムが近くなったころハティが廊下のほうを気にしながら入って来た。
「おはよう、なんだかユミルとナンシー、いい感じになってんじゃないか。おお、アリエルおはよう。今日は実技に出るのか?」
「おっはー、アリエルやんか。なになに? どうしたん?」
「パシテー先生と仲良く登校してきたに決まってるやん。ふたりしてぐずぐずの仲なんやから」
駆け込み乗車的なタイミングで遅刻をギリで躱して駆け込んでくるクラスメイトたち。どうやらみんな時間ぎりぎり派らしい。いや、そんなことはどうでもいいけどアトリア……ぐずぐずってどういう意味なんだ。本当にわからん。
「うちのヒーローは? ヒロインとくっついてめでたしめでたしなん?」
アトリアがユミルの事を気にしているらしい。そうか、このクラスの中でも当然だけど色恋沙汰はあるということなんだ。ちょっとだけ元気がない様子のアトリアを見て、カーリは女の子らしからぬイヤらしい笑みを浮かべた。
「いまは優しく見守ってるところよん」
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アリエルは途中入学の飛び級の特待生だし、こんなに早く友達ができるわけもなければ、クラスに馴染めるわけもない。でも学校のざわざわする雰囲気は好きなので、席について今だけしか味わえないであろうこの空気管を思う存分味わっていると、ハティがアリエルの前の席に後ろ向きで座った。
「なあアリエル、実技大会が来週に迫ってきてるんで、今日ぐらい実技でてもいいんじゃねえの?」
実技大会というのは魔法ありというガチ危険なルールで木剣を持ってクラス対抗で殴り合うという、運動会でいうところの騎馬戦を殴り合いで決着しようというものだ。
しかもそのルールときたら、まるで容赦がない。クラスの人数差を考慮せず、人数が少なければ少ないなりに工夫して戦えという無責任極まりないものだった。
「そうだよ、星組のみんなの実力も見ておくべきだと思うよ。個人技なら雪組の上位にも負けないんだからね」
カーリも実技に出ろという。
正直なところ、現実に獣人たちと戦争を経験して生き延びたアリエルにしてみると、実技を教えている教員ですらヌルイと感じているのだから、今更そんなもんに出て未熟なやつを叩きのめしたところで後味の悪い思いをするばかりだと思うのだけど……。
どうするかなあ……なんて考えていると、廊下の端っこにあるチャイムが大音量で『カランカラーン!』と鳴り響いた。5年星組の教室はすぐ端っこにあるのでチャイムがすぐ横にある。居眠りしていると飛び上がってびっくりするほどの音量だ。
始業の合図と同時にマブが駆け込んでくる。しかも汗だくでだ。朝からトレーニングなのか、それとも家が遠いのに全力疾走なのかは知らないが、5年星組筆頭というハティよりも二回りほど大きな体をしていて、いい筋肉がついている。冒険者よりも兵士に向いてるんじゃないか?と思うほど。
「んっ!」
マブとは手をあげるだけの挨拶。本来はこれでコミュニケーション十分らしい。
で、チャイムが鳴ったことでナンシーも自分の教室に戻ったのだろう、ユミルが何事もなかったかのように素知らぬ顔で入ってくる。クラスメイトとは目を合わせるようなこともない。目が合ったら絡まれて冷やかされることを本能で知ってる顔だあれは。
いいな、なんかこの教室に爽やかな青春の風が吹いてる気がする。
今日は午前中みんな実技だから、アリーナに集合。更衣室はアリーナにあるので、みんな自分の武器になる木剣と、あと体操着の入ったバッグを持参して、みんなワイワイと移動するらしい。
だけどアリエルは、やっぱり実技に参加せず、観覧席から見学するだけにした。
剣術の実技は、ポリデウケス先生とヘルセ先生が先に到着していて、準備体操から始まった。
雪組は軍隊予備軍のような雰囲気で気合入ってる、この前会ったプロスの友達の、えーっと、名前、ああ確かイオ。そいつがそこそこ使える程度で他は特に見るものがない。強化魔法もお粗末だし、剣の技術もまるっきりダメ。強化魔法に頼り切っていて、素振りもしてないんじゃないかってほどだ。
身体の大きい脳筋マッチョが色気のない掛け声を上げながらぶつかり稽古をしているようにしか見えない。これが剣士の実技だというのだから、ちょっとでも期待していたアリエルとしてはあくびが出るほどだ。
半年後には中等部を卒業して役人を目指す月組は緊張感も集中力もなし、ただダラダラと時間の過ぎるのを待っているようにしか見えない。ただプロスだけは剣を持つと気配が変わる。佇まいというか、空気が変わるのが分かった。だけどやってることは他の月組のメンバーと変わらない。プロスもやる気がないようだ。
魔法専攻で、中等部を出たらだいたいが魔導学院に進学するという花組はそもそも剣に興味がない。
魔導師なんだから強化魔法も防御魔法も剣士の比じゃないだろうに、それでもそもそもやる気そのものがどこへやら。アドラステアのどこを押してもやる気なんてものは出てこないだろう。
アリーナの観客席から見るに、星組の実力はそこそこ高いことが分かった。剣術メインなので弓術を使うユミルは苦戦しているが、ハティはさすが星組筆頭を名乗るだけあって雪組筆頭のイオと同等か、いやそれ以上に使える。だがしかし総合力では圧倒的に雪組のほうが強い、なにしろ人数が違う。
今まで砦の兵士たちを基準に考えていたけれど、授業を見学して分かったことがある。
素の筋力だけならアリエルはただの10歳のガキであることに間違いない。イオやハティのような番長クラスの筋肉野郎に勝ち目なんてあるわけないのだけれど、みんな揃いも揃って強化魔法が弱いし、防御魔法もヘロヘロすぎてお話にならない。やっぱり男は黙って防御魔法ぐらい常時展開しておいた方がいいようだ。
眠くなるのを我慢しつつ、見学するのは結構つらいということが分かった。
剣術の授業が終わり、10分の休憩時間を挟むと、次は魔術の授業なのだが……。
パシテーが先生なんだから、どんな授業をするのか興味がないワケなんてない。アリエルはむちゃくちゃ期待しつつ前のめりになって実技の授業を見学していたのだが……、その内容はというとパシテーが土魔法で作った的に、生徒が魔法を当てるといった退屈なものだった。
ある者は土の魔法が得意だという理由で土を石に変えてそれを的に当てたり、ファイアーボールで攻撃していたが、それでも魔導専攻、花組のアドラステアは、一応それなりに高温に練り上げたファイアーボールを連発させて、そのすべてを命中させていた。起動式を用いる魔導でファイアーボールを連発させるというのはムチャクチャ難しいことを知っている。正直、アリエルには無理な芸当だ。アドラステア、さすが花組筆頭いったところか。
月組は相変わらずお花畑の脳みそで魔法なんて学ぶ気は1ミリもなく、授業中だというのにパシテーの服装の話で盛り上がってキャッキャウフフしてるだけだし、雪組の生徒に至ってはファイアボールすら満足に練り上げることができない生徒ばかり。
観覧席で退屈そうに見ていると、パシテーの強さを知っているユミルがいらんことを口走った。
「パシテー先生、アリエルと立ち会って魔導師の強さを見せてください」
それを聞いた花組筆頭アドラステアも、一歩前に出て観覧席に居るアリエルをチラっとひと睨みしたあと「先生、あの日のリベンジを!」なんて言いながらパシテーを乗せようとしてるようだ。
せっかく観客席でダラダラしてるところをプロスに呼ばれて降りていくと、アリーナが全体が割れんばかりに響く、物凄いパシテーコールとなった。
これでもナンシー救出作戦に参加したヒーローのひとりだと思ってたのだけど……。
なるほど、理解した。
悪役をやれと。そう言うことだ。
正直言って、学校まるごと全員一致で悪役に認定されるような酷い事した覚えなんて全くないのだけれど、なんでみんなそんなに冷たいんだろう。
「なあプロス、なんだよこのアウェー感、おれ傷つくよ」
「仕方ないよアリエル。パシテー先生は人気者だからね。99%は妬みさ。ちなみに俺もパシテー先生の応援だから」
「酷いよ……。俺がコテンパンにのされるところがそんなに見たいのか」
「え? 前けっこう一方的に勝ってただろ?」
「今はヤバい。この前は逆にやられたところだよ」
アリエルとプロスペローの会話に聞き耳を立てていた花組の生徒は大喜びでガッツポーズを決めた。
アリエルが負けたことがそんなにも嬉しいらしい。やっぱどう転んでも悪者は悪者なのだ。
パシテーの決意のこもった目、あれはやる気だ。仕方がないからノーデンリヒト関所からもらってきた5本の短剣の木剣を[ストレージ]から出してパシテーに手渡した。パシテー用に穴空け加工済み。ちょっと詰め物するだけで簡単に使えるので、もう説明不要だ。
「爆裂はどうしよう? あり? なし?」
「あり。魔法の実技だから見せたいの」
「治癒担当の……名前なんだっけ?」
「ヒマリア先生」
「そうそれ。その先生は?」
「夏の間はセカに戻ってるから居ないの」
ヒマリア先生がいないんじゃケガしたら大変だ。救護室なんかもう、保健室なみに使えない施設になっているようだ。この崖っぷち状態で[爆裂]ありってのは扱いが難しい。
「関所で朝立合ったのの爆裂ありでやろうか」
「うん、授業じゃないのにごめんね」
「いいよ。えーっと、耐風障壁の出来る人は観覧席の前列で障壁張っといて。[ファイアボール]使う余裕なさそうだからたぶん耐熱障壁までは要らないと思うけど。耐熱のほうも念のためお願い」
花組筆頭のアドラステアが胸を張って一歩前に出る。
「障壁は花組が担当します」
「はい、みなさん注目!」
うおっ……パシテーの大声初めて聞いた。
「今からこちらのアリエル・ベルセリウスくんと模擬戦をします。魔法だけじゃなくて剣も使う、より実戦的な総合戦闘です。戦術に剣と魔法を組み込む有効性を見極めてください!」
先生モードのパシテーはいつものゆるーい雰囲気なんてどこへやら。どっちかというと厳しい先生だ。
でも普段のパシテーとのギャップも魅力。これは人気あるのも頷ける。
名前も知らない新任の魔導教諭に誘導されて、どやどやと観客席に移動する生徒たちを横目で見ながら、この前の立ち合いの反省点からパシテーの攻略法をいろいろ考えているところだ。
花組の生徒はパシテーの武器を見て驚きの声を上げる。
「ええっ? パシテー先生が短剣? 木剣? 剣も使うの?」
「アリエルのほうも魔法じゃないのか? 木剣を持ってるぞ。総合戦闘って何だ?」
「んじゃまた俺が構えたらでいいかな」
「いつでもいいの」
5本の短剣を束ねて抱えるパシテーを前して、アリエルはゆっくり、ゆっくりと柔軟体操からルーティーンを組み立てながら、まだ纏まらない作戦を練っている。
やはり前回のアレはジャンプで空中に逃れたのが直接の敗因だから今回はジャンプさせられてしまわないように頑張るぐらいしか思い浮かばないんだけど、どうせ地面からいろんなもの飛び出してきてジャンプせざるを得ないようにしてくる。ホント性格が悪いとしか言いようのない攻撃をするはずだ。
ジャンプしないように頑張る。結局それぐらいしか思い浮かばず、ゆっくりと上段に構えた。
ほぼノープラン。
だけどひとつだけ作戦あり。まずはパシテーを集中させないことだ!
パシテーの手からまるで風にカードがめくれて飛ぶように、5本の短剣がズラッと行列を作って空中に躍り出るのを見て、観覧席の生徒たちは大歓声を上げた。
「うおおおおおおおおおおっっっっ!」
しかし同時に爆裂!
―― ドッゴァ!
5本の短剣が襲い来る前に、こちらもパシテーの左側、大してケガしない位置に模擬戦で使える小規模の[爆裂]を転移させて起爆したけれど、躊躇したせいか遅かった、爆風を受けたパシテーの姿が花びらに変わった。パシテーは花びらを散らしながらすでに上空にいて、地べたを這いまわる虫をどう料理しようか考えているところだろう。ならばこちらもパシテーがどう動くか見極めるために、全ての感覚神経を総動員して上空からのオールレンジ攻撃に備える。
なんて落ち着いては居られなかった。同時に5本の短剣が空気を切り裂きながら襲い来るわ、足を止めて木剣で叩き落そうとしていたら、足もとの地面から尖った岩がバッコンバッコンと飛び出してくる。
岩棘の魔法がひと所に落ち着かせてはくれないのだけど、精神統一して攻撃に備えてるところに、これだけ連発してくれると、地面になにやらマナが集中する違和感を感じることができた。
この岩棘の魔法は見ての通り土の魔法で、パシテーが狙った地点の土壌を変質、変形させているに過ぎない、土木工事魔法の延長線上にあるのだから、変質させようとする地面、パシテーの狙った部分には、必ずマナが集まるんだ。
スッ、スッと、予め岩が飛び出す個所を予知するかのように、余裕を持って躱すことができる。初めて見た時は飛び出してきた棘を見てから避けるという後手の対処法がなかったけど、注意深くマナを観察することで、次の瞬間、どこに岩棘が出るのか分かるようになった。たとえ一瞬でも早く、岩棘がどこに出るのか分かるというのはかなり大きい。
だけど短剣の柄に穴をあけてカプセル魔法を封入し、短剣の状態が分かるようになったおかげで5本の短剣のスピードも精度もかなり上がってて、棘の出る位置が分かる程度じゃトレードオフには程遠く、どう考えても割に合わない。
パシテーのオリジナル魔法[飛行]と[剣舞]を目の当たりにした生徒たちは観覧席を興奮のるつぼと化していて、歓声のせいで細かい音が聞こえない。こんなひどいアウェー感を味わうだなんて、精神的にはいじめられっ子の心境だ。
アドラステアなどは観覧席から身を乗り出してグイグイと食い付いてる。
お前は障壁担当だろうが……。
魔術師として目標とするパシテーのオリジナル魔法をしっかりと目に焼き付けて、あわよくば盗もうとしているのだろう。果たしてどこまで理解が及ぶかは分からないが。
こっちは防戦一方で、襲い来る短剣を避けながら右方向に回り込むという、なんとも捻りのない、オーソドックスな戦術でお茶を濁そうとしている。だってガードに徹してしまうと捌ききれない連撃が来てそのまま押し切られるんだから、叩き落せない短剣は全部避けるしかないんだ。
5本の短剣がひとつひとつ、まるで意志を持っているかのようにあらゆる角度から、まるで読めない動きで襲ってくるわ、地面から尖った岩が飛び出すわで終始劣勢に追い込まれている。
[ファイアボール]で狙ってパシテーの集中力を乱し高速戦闘に誘い込むのだけど、狙いすまして攻撃を当てたと思ったパシテーの姿は、ザワッと花びらに変化して消えてしまうのだから、ひどい悪夢を見ているようだとしか言いようがない。
土魔法じゃ相手にならないので、地面の上にいる以上はどんどん追い込まれていくという、先細りの運命から逃れる術はない。
くっそ……、パシテーはやっぱりジャンプするのを待ってる。




