17-25【ゾフィー】緊急招集! 元老院議会(2)
議長が評決をとり、挙げられた手を数え上げてゆく。その数は明らかに賛成派が優勢で、このままだと目に見える最悪の事態すら止めることができなくなってしまう。
ビルギットは唇をかみしめて悔やんだ。せめて自分にノーデンリヒトと交渉するだけの力があれば、せめて自分に皆を説き伏せるだけの説得力を持たせる実力があれば、結果は違っていただろう。
警戒すべきはノーデンリヒトではなく、アシュガルド帝国なのだ。
アシュガルド帝国は、ドーラの魔王軍が南下する動きを見せた途端に兵を引いた。王国とノーデンリヒトを戦わせて、両者とも疲弊したところに雪崩れ込み、すべてを奪う作戦なのは火を見るより明らかだ。
しかしそれが分かっていながら、魔王軍の侵攻に対し黙って指をくわえて見ていることしか出来ない、もうこの国は詰まされているのかもしれない。
対等の条件で戦っても相当厳しい戦力差なのに、これほどまでに不利な状況で戦争になれば、ほぼ確実に王国は滅ぶ。戦わなくてもこの国はどんどん痩せ細ってしまい、近い未来には滅んでしまう。
どうにもできない、座して滅びを待つよりは戦う力のあるうちに戦って、それで敗れたのなら、甘んじて滅びを受け入れようというトリスタンの刹那主義に押し切られてしまった格好だ。
死に美学を求める。誇りを持って死ねばいい。そういった軍属にありがちな、死を美化するような考え方をビルギットは嫌悪していた。死んでしまえば元も子もない、そんな考え方がまかり通ってしまう、この王国はもうそんなところまで追い込まれている。
ビルギットはグッと歯を食いしばって、嗚咽する声を押し殺して泣いた。
国王の前であり、政敵であるトリスタン議員の前でありながら、こらえきれない涙が溢れ出した。
評決が読み上げられてゆく。明らかに反対票のほうが少ない。心配していたことが現実になる。
そして時を待たずして評決が出た。
トリスタン議員の出したノーデンリヒトに対する非難決議と軍の侵攻についての法案は、賛成の挙手が68、手を上げなかったのは40名ということだ。当初予想していたよりも頑張った数字ではあったが、負けてしまえば元も子もない。今日は惜しかった!と次の評決で逆転を狙おうなどという余裕などビルギットにはない。
この決議書に国王が玉璽を押すと、法案成立となり、その瞬間から戦争が始まる。
シェダール王国は滅亡への階段を、数段飛ばしで駆け下りてゆくことになるだろう。
議長が法案可決を宣言したときであった。
乱暴な音を立てて謁見室の大扉が開き、騎士と思しきフルプレート鎧を着た若い男が息せき切って駆け込んできた。
ここは国王の謁見室である。玉座の間ともいう。ノックもせず乱暴にドアを開けるとは、極めて礼を失した行為だった。
「至急! 伝令です!」
王国軍の最高司令官、ガレーラ指令は、騎士団ばかりが重用される現状の陸軍の制度そのものに不満があったのだろう、若い騎士の、その行儀の悪さを叱責する声に侮蔑を含めて声を荒げた。
「まったく、国王の御前であるぞ、控えよ」
「いやまたれよ、お前は確か今年入ったばかりの新人だったな。たしか西門の守備隊員だった。伝令内容が至急であるなら報告せねばならん」
ショーン・ガモフ前騎士団長は、ベルセリウスとは戦うべからずという方針を打ち出したせいで、騎士団ナンバー2だったトーラス・ハモンドに糾弾され騎士団長の職を辞任にまで追い込まれたという過去がある。
今日この場に呼ばれたのは、ベルセリウス派がダリルマンディに侵攻するという情報があったので、当時の王国騎士団長、ショーン・ガモフに相談役として議会に参加するよう、国王が直々に指名したのだ。
18年前、アリエル・ベルセリウスとブルネットの魔女がダリルマンディを襲撃し、領主を殺害したという事件を現地入りして詳しく調べたのだという。
騎士団を引退してもう15年以上になるが、それでもまだ今でも騎士団の中ではガモフを慕うものが少なくなく、影響力も健在といったところだ。
「ハッ! 西門守備隊長ドスル・オーダーよりの伝令! 現在東門にてベルセリウス派の襲撃を受け被害甚大。国王さまは護衛を伴い迅速に避難されますよう。繰り返します、現在東門にてベルセリウス派の襲撃を受け被害甚大、国王様は護衛を伴い迅速に避難されますよう! 以上!」
「なんだその報告は! 襲撃を受けて旗色悪しという意味か! 東門はルシウス・エッシェンバッハが守っておるはずであろう? なぜオーダーが伝令を出すのだ? エッシェンバッハは何をしている」
「壊滅的被害を被りました。敵は圧倒的です。騎士団も、衛兵隊も、魔導師団も……。たった一人の魔導師の襲撃で……ガモフどの、どうか王を安全な場所に……。私は仲間のもとへ戻らねばなりません」
若い騎士の報告が大理石に木霊し、元老院議員たちがざわつく。
「なんと! ベルセリウス派はダリルマンディを攻めているのではなかったのか」
「それみたことか、休戦など真に受けるからだ! はよう、我々も避難せねば!」
ニコラスは鉄でできたグリーヴの踵をガチャンと鳴らし、短く敬礼すると訓練でしたように回れ右して仲間の待つ東門へ急ぐはずだった。
しかし回れ右して振り返ってみるとそこには身長190センチメートルの女が、全身黒ずくめの装束を纏って立っていた。いつの間に入ってきたのか、まるっきり気配も感じさせず、そこに立ち、表情の読み取れない紅い眼で、見下ろしている。
「うわあああっ!!」
ニコラスは王の御前でみっともない悲鳴をあげたあと腰を抜かして尻餅をつき、そのまま数歩後ずさりするという醜態をさらした。
だけどすぐさま気を取り直し勢いのまま立ち上がると、滲む涙をこらえつつ、いつも腰にさしている剣を抜こうとしたが、そこに剣はなかった。
そういえば身軽になるため、門の外に置いてきてしまったのを思い出し、奥歯を噛み締めて悔やんだが後の祭りだった。剣を持っていなかったことで命が助かったとも言えるのだが、幸運なニコラスはそのことに気付かない。
ゾフィーは剣を持たない伝令の男になど僅かばかりの興味すらないとでも言いたげに横をすり抜けると、豪華な刺繍が施された赤い絨毯の真ん中を進んだ。
これまで謁見室は108名もの元老院議員が、まるで市場の雑踏のように大勢がひしめいていたのに、ゾフィーが姿を見せただけで、ざあっと音を立てて道が現れた。
豪華な刺繍の施された絨毯の先には3段の段差、そしてその最上部に玉座があり、シェダール王国の現国王、ヴァレンティン・ビョルド・シェダールが座している。
国王の座する場所だ。襲撃者に踏み込まれたとして、玉座を明け渡して逃げるようなことでは国王など到底務まらない。国王は、はあっと大きく息を吐くと顎を上げ、背もたれに深く座りなおした。
一方、対する招かれざる客であるゾフィーは真っ赤な絨毯を一歩一歩踏みしめるようゆっくりと歩を進め、国王の御前にまできた。
すると傍に立っていた男が一歩踏み出し、手を出してゾフィーの進行を妨げた。これ以上は近付くなという意味である。
「止まれ、国王の御前だ、それ以上近付くことは許されない」
この位置でいいのかと受け取ったゾフィーは、両手を広げて目を伏せ、膝を折り曲げるという、エルフ族に伝わる、丁寧な辞儀をしてみせた。
前王国騎士団長ショーン・ガモフは少し戸惑った。本来この立ち位置が大臣のものであり、自分の役目ではなかったので王の目配せを読み取り、この場にいない大臣の代理として、ベルセリウス派魔導師と対峙することとなった。
「ベルセリウス派の魔導師だな、名を聞こうか」
「ゾフィー……。ゾフィー・カサブランカ。アリエル・ベルセリウスが第一の妻」
「アリエル・ベルセリウスの正室ということだな、わかった。では単刀直入に聞くが、いったい何用があって王の御前に立っている? 今日は大切な会議があってな、ゲストを招いた覚えはないのだが」
「お話を伺いに」
「話を?」
「はい、私はここに話をしに来ました」
108人の元老院議員たちがザワつきはじめた。
言ってることとやってることが矛盾している。門を守る騎士団を壊滅させるほどの被害を出しておいて、話をしに来たなどと、到底受け入れられる話ではない。
ガレーラ王国軍司令は伝令に来た若い男に問うた。
「そこな伝令、壊滅的被害を受けたと言ったな? 分かる範囲でいい、被害状況を詳しく」
「はっ、はい、正確には分かりませんが、仲間が300人以上やられたと思います」
さすがに酷い物言いだと、話を聞いていたガレーラ王国軍司令は声を荒げずには居られなかった。
「300だとっ! 未来ある王国軍の若者を300人も殺しておいて何が話か! そもそも我がシェダール王国はノーデンリヒトとは休戦中であろう! ベルセリウス派の話し合いとは殺すことから始めるのか、この蛮族めが」
この男の発する言葉の端々から侮辱してやろうという意図が感じ取れた、いかにも軽い挑発をしてくる安い男だ。
ゾフィーはガレーラの顔をちらっと見て、フッと軽く鼻を鳴らし、そのあと国王に視線を戻した。
その態度にガレーラの目がすわる。
ゾフィーはガレーラを挑発したうえで敢えて無視し、「お答えしても?」と問うと、王は無言で頷いた。
「ではお答えしましょう……、まずひとつめ、この国では、エルフは人として何の権利も与えられていないばかりか、奴隷として使役されてますよね。見ての通り、私はダークエルフです。私はちゃんとベルセリウス派のゾフィー・カサブランカと名乗って、国王に謁見を申し込んだのですけれど……、いきなり剣で斬りつけられたり、致し方なく身を守ると挙句には大勢で取り囲んで、それはそれは酷いことをされそうになりました。休戦協定が聞いて呆れますよね? それなのにあなた方は休戦協定を破ったのはこちらだと言う……、それって酷い話ではありませんか?……。そしてふたつ目。私の夫、アリエル・ベルセリウスはそもそもノーデンリヒトに属していないのですよ、あなたがたとは個人でケンカしているだけです。なので貴国と休戦協定など結んだ覚えはありません」
「では正当防衛で致し方なく戦闘を行ったと、そういうのか? 避けようと思えば避けられた争いでも、そういって人を殺すことを厭わないのか、ベルセリウス派というのは」
「いいえ、正当防衛だなんて滅相もありません。夫アリエル・ベルセリウスはこの国を滅ぼしてこいとは言いませんでした。ひとこと滅ぼしてこいと言ってくれたら話をするよりも簡単だったでしょう。ですが夫は私に、話し合いをしてこいと言いました。ですから、私の行く手を阻もうとする者たちを倒し、道を切り開いてここまで来たのです」
「……何を言っておるのか分からん。ベルセリウス派というのは、こうも話が通じないのかね?」
「なぜ分からないのですか? いまこうやって国王の前で落ち着いて話ができているのは、私が力を見せたからではありませんか? 私は戦力を集める時間を与え、兵士たちが配置についたのを見計らってから、その陣を打ち破り、堂々と歩いて門をくぐってここまで来ました。あなた方はエルフである私に敗れたのです。では逆に問いましょうか、あなた方は私の力を認めたからこそ、暴力ではなく、話し合いで解決したくなったのではないですか? 力比べでは敵わないと判断したからこそ、私と話をしたくなった。違いますか?」
「侮辱するのも大概にしろ、我が王国軍がお前のようなエルフたった一人に屈したなどという事実はない」
「侮辱とは? ひとを見るなり奴隷と見下すあなたの言動ではないですか? まだ立場が分かっていらっしゃらないようですのでハッキリ申し上げますと、あなた方はすでに敗れています」
「おのれ黙って聞いておれば……」
「黙って居られなくなったならどうぞ 、その腰にぶら下げた剣を抜けばいい。その剣が飾りでないのなら。話をする気がないのなら闘争を挑みますか? 本当に頭の悪い者にいちいち説明するのは面倒なのですけどね、ひとつ知っておいて欲しいのは、私はこんな国なんて滅ぼしてしまえばいいと思っているんですよ? なのでここで戦いを始めても一向に構いません。さあ、その軽そうな口を開いてこう言うのです『できるものならやってみろ』と。 あなた方は我が夫、アリエル・ベルセリウスの慈悲深さにより、いまもこうやって生かされているのです。外の者たちだけでは足りないと言うならば、国王自らが『お願いですから話を聞いてください』と言うまで、力をお見せしましょうか? あなたのようないけ好かないヒトを永遠に黙らせるためなら喜んでお相手しますよ」
抜けば殺され、黙って引き下がれば面子を潰される。
このまま放っておくともうガレーラはどっちにせよ助からない。ゾフィーの徴発を受けて言葉に詰まるガレーラを見ていられなくなった前騎士団長ガモフは、挑発に乗ってしまいそうなガレーラを落ち着けるため、間に割って入った。
「ガレーラ卿、控えてはいただけませんか。ご夫人はアリエル・ベルセリウスの使いとして王と話を所望しておいでです。まずは用件を伺おうではないですか」
ゾフィーはガレーラをチラッと横目で見た後、またもや少しだけフッと笑ってみせたあと、視線を落とし、手のひらに書いてきたメモを読み上げた。
「はい、えっと、ちょっとお待ちを……、はい、人質に取られているボトランジュ領主、アルビオレックスとその妻をいつ返してもらえるのか、無事でいるのか、今どこにいるのか……を聞いてこい。です」
ゾフィーの要求を聞いた国王は玉座に坐したまま、頭を抱えた。
そんなつまらないことを聞くために、将来有望な王国の兵士が300も失われたなどと信じられない。
だいたい国王自ら招いてもいないようなものに直接言葉をかけるなどということはないのだが、あまりの物言いに驚き、ガモフを通さず口をはさんでしまった。
「たったそれだけ? そんなことを聞くために、多くの命を奪ったというのか……」
「はい、エルフである私と、あなたがたヒトと、言葉も通じないような社会を作った国王の責任です。外で死んだ大勢の者たちは無駄な死ではないと言いながら、無駄に死んでいきました。国家のあり方、兵士の立ち振る舞い、すべては国王であるあなたが責を負います、これ以上の犠牲を強いるのもいいでしょう、文字通り全滅して滅ぶのも、それはそれでいい事だと思います、でも今日、私がここに来た理由は、夫の使いで話を聞きに来た、それだけです」




