17-21【ゾフィー】ルシウス・エッシェンバッハ(1)
ルシウスは何度か起動式を書いて強化魔法を試みたが、事態が好転する兆しは見られない。
視線を前に見据えたまま背後にいる魔導師団の声を聞いていた。最新鋭のグリモアを装備している魔導師たちも魔法が使えず、アルド学長があっさり倒されたこともあってか、半ばパニックに陥っている。
最悪の状況で最悪の敵と相まみえることとなった。どうせこの女が何かして魔法が使えなくなったのだろう、状況から考えてそうとしか思えない。
「魔法を使えなくしたのか?」
「はい、その通りです」
「相手を弱くする魔法は卑怯だと思うのだが?」
「そうかもしれないわね、でもこんなに大勢で一人の女を取り囲んでおいて、どの口が言うのかしら? あなたも一人でそこに立ち、そのピカピカに磨かれた鎧を脱いで普段着で挑むならアンチマジックを解いてあげてもいいですよ?」
「確かにそうかもしれないな。だが騎士団は魔法に頼らず、筋肉も鍛えている」
「そうですか、ならいつでもどうぞ」
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アンチマジック……、耳慣れない言葉だ。
グリモアを開いて何度も障壁魔法を試みていた魔導師たちも一斉に手を止めて耳を澄ませる。
目の前で師を殺されたファミルは何が起きたのか、遠い間合いから剣を一振りにしたところで、前にあったもの、人や建物、ドアに至るまでざっくりと斬れていることに注目していた。師アルドを一刀のもとに倒したのは剣技なのか、それとも魔法なのか、またはその両方なのか、どちらでもないのか。
そしてアンチマジックという言葉。魔法を使えなくしたのだという。
まるで何をされたのかすら分からず倒れた師アルドに代わり、アナ・ファミルはアンチマジックの分析にかかった。師アルドが生きていたら、分析せよと命じるであろうことは確かだからだ。
(アンチマジック? 私たちはもう彼女に術中にあるの? ……)
アナ・ファミルは騎士の背後にしゃがみ込んで、手に持ったグリモアを1ページ目から順番に唱えてみることにした。強化魔法、防御魔法、土魔法の整地や形状変化、幼き頃より小石を浮かべて遊んでいたのに、それだけのことすら出来なくなっているのを確認した。
(これほど強力な魔法をこの場にいる全員に? ……)
ファミルはハッと息をのみ、周囲の建物を見渡した。
視力にはあまり自信はないが、ファミルが見た限りでは、弓兵たちは弓を構えたまま攻撃開始の号令を待っている。
弓兵が装備している強弓は、強化魔法の力がなければ引けない代物だ。アンチマジックとやらが弓兵のいる場所にまで届いているならば、弓を引くことができず、何らかのアクションがあってもおかしくはない。
「騎士の皆さん! 弓兵は見たところ強化魔法が切れていません、アンチマジックとやらの範囲は思ったよりも狭いですよ!」
盾を並べてダイヤモンド隊形を作り、強固に防御の姿勢を取る騎士団に向かって言い放ったファミル。
聞いたのは北門の守備隊長、ウェライ・ラムセス。
確かに弓兵たちは配置されたまま弓を引き絞り、敵に照準を合わせている。号令があれば雨のように矢が降り注ぐことになる。何か異常事態でもおきて矢を射ることができない状況であれば、弓を構えてじっとしているなんてことはない。
ファミルの発言を聞きつけ、騎士たちも建物の上をチラチラと気が散ったように気にし始めた。
ベルセリウス派魔導師、ゾフィー・カサブランカのアンチマジックは、離れれば効力を失うことが分かった。当然魔導師たちの耳にもその情報は聞こえていたのだが、魔導師たちは難しい選択を強いられることとなる。
魔導師がこの場から離れてアンチマジック・フィールドの外から遠隔魔法攻撃を放つことは可能だろう、だがしかし、その場合、防御魔法にも、障壁魔法にも守られていない生身の騎士たちを巻き込むことになる。
魔導師たちは騎士に耐魔導障壁をかけて安全圏を作らなければ、ここまで接近された敵を撃つことなどできない。
騎士は東門を死守する構えで、一歩たりともこの場を離れることはできないし、騎士を補助する役目を担う魔導師団も、まるで役立たずのまま騎士に追従して、アンチマジックが解かれるのをただひたすら待ち続けるという、間抜けな構図となっている。
ファミルの目には見えるのだ。
学生の身でありながら、魔法分析の首席を勝ち取った秀才には今もゾフィー・カサブランカの身体に纏う、強力な強化魔法、防御魔法が見えていた。それは絶望的な濃度で立ち昇る、禍々しいオーラのようにも見えた。
(ただの強化魔法、防御魔法じゃない……ゾフィー・カサブランカは多重にいくつもの魔法を重ね掛けして身に纏っている……)
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最前線、ゾフィー・カサブランカと対峙するルシウス・エッシェンバッハは、剣を腰の高さに据えて引き、上半身をカイトシールドで守りながら小さく身構えると、背後の声が聞こえてきた。どうやらゾフィー・カサブランカの使うアンチマジックについて分析が進んだようだ。
ニヤリ……。してやったりといった表情だ。
そもそも門を守るという使命を帯びた騎士は一騎打ちなどしない。挑まれても受けることはないし、挑むことなどあってはならないことだ。だがしかし、門を守っていた左翼の陣が、たった一振り、無造作に大剣を振っただけ、間合いから近い者も遠い者も、兵士だけでなく建物さえも壊滅的打撃を被った。
なにも分からないまま、次の瞬間、あの攻撃を正面の陣に向けられてはいけない。そう思ってダイヤモンド隊形を崩しても飛び出してしまった。
結果オーライだった。
突然、出会い頭のような攻撃を受け、100名からいた友軍の陣を壊滅させられた。何人が死んだのか、生きている者はどれぐらい居るのか……、折り重なる死体にはまだ手も付けられていない。いったいどれだけの兵士が犠牲になったのかすら分からないのに、パニックにならず冷静になって考える時間を得たことは、まぎれもない幸運だった。
ゾフィーは少しばつの悪そうな顔で苦笑いをしてみせた。
アンチマジック・フィールドの範囲が狭いことなんて百も承知である。だけど露見するのが少し早かったなと思った程度だ。
ルシウスの肩越しにファミルと目が合った。なるほど、なかなかにデキる魔導師もいるものだと感心する。逆に数多くの騎士たちの目線を追うと、多くの弓兵たちの位置が分かった。別に位置など分からなくとも、ゾフィーには矢などかすりもしないが、知っているのと知らないのとでは対応の仕方も違ってくる。
ゾフィーは今さら捨ててもいいようなアンチマジックの範囲が狭いという情報と引き換えに、いまも背中を狙っている多数の弓兵の情報を得た。
「ちょっと時間を与えすぎたかしら? でもそんなこと、聞いてくれたら教えて差し上げましたのに」
「じゃあ教えてくれ、どうやればお前を倒せる?」
「あなたが私より強ければ」
即答しておいてこの回答だった。
これは『あなたではムリ』と同義だ。
ルシウスは、目の前に立つ女との力量の差をはっきりと認識することができないまま、絶望的な戦いに臨むことになった。それもそのはず、力量の差を知れば、戦おうなどとは考えるはずもない。愚かな選択肢を選ぶのは、往々にして無知だからこそである。
「その薄ら笑いを泣き顔に変えてやる!」




